10 誕生日
今日は俺の十八回目の誕生日だ。いつもより早く帰って来た藤也さんは右手にご飯の入った紙袋を、左手に綺麗な箱を持っていた。
「ふぉっ」
勝手に出てしまった変な声に自分でびっくりした。慌てて右手で口を押さえると、藤也さんが「うまそうだろ」と言ってニヤッと笑う。
「お、おいしそうです」
「思わず声が出てしまうくらいうまそうだよな」
「は、はい」
「そんくらいうまそうだって思ってもらえるなら買ってきた甲斐があったってもんだ」
そう言って俺の頭をポンと撫でた。袋から出てきたのはたくさんの手羽先だった。前に藤也さんが作ってくれた手羽先の煮たやつをおいしいと言ったのを覚えてくれていたに違いない。そう思っただけでにやけそうになる。
チラッと藤也さんを見るとニヤッと笑いながら俺を見ていた。
「おまえ、手羽先好きだろ」
「す、好きです」
手羽先が好きだと答えただけなのにソワソワしてしまった。藤也さんに見られているのが恥ずかしくて手羽先を見つめる。紙袋の中にはシーザーサラダも入っていた。これも俺が好きだといった食べ物だ。藤也さんに初めて作ってもらったとき、ドレッシングの味がおいしすぎてサラダばかり食べていたのを思い出す。
(シーザーサラダなんて食べたことなかったからびっくりしたっけ)
それを言うなら手羽先も食べたことがなかった。ほかにもここに来てから初めて食べたものがたくさんある。俺は藤也さんが作ってくれた料理をあれこれ思い出しながら「いただきます」と手を合わせた。
「おう、めしあがれ。食べたいだけ食べていいからな」
「は、はい」
「今日はおまえが主役だ。たくさん食べとけ」
「はい、はい」
頷いてから、俺はカリカリに焼いてある甘辛い手羽先を夢中で食べた。もちろんサラダも残さず食べた。
「さて、今夜のメインはこれだ」
手羽先とサラダを食べ終わると、藤也さんが綺麗な箱をテーブルに置いた。
「まだ食えるよな?」
「は、はい」
お腹はいっぱいだったけど、藤也さんにそう言われたら頷くしかない。きっとこの箱の中身も食べ物に違いない、そう思いながらじっと見る。
「ふぉ……」
変な声が途中で止まった。箱から出てきたのがとんでもなく綺麗なケーキでびっくりした。
(これって……花?)
ケーキの上に花が咲いていた。クリームとかチョコレートとかで作ったやつじゃなくて本物の花が咲いている。
「は、花が、」
「食用の花だ。会社でこういうケーキがあるって聞いたんでな。せっかくなら一生忘れられないようなケーキがいいだろうと思って選んだ」
藤也さんの言葉を聞きながらも俺はケーキをじっと見つめていた。
(こんな綺麗なケーキ、初めて見た)
いままでケーキは何回か食べたことがある。イチゴた載った真っ白なクリームのショートケーキだったけど、それだけで俺には贅沢だと思った。それなのに花が咲いているケーキなんて贅沢すぎやしないだろうか。
(こんな綺麗なケーキ、お母さんにも見せたかったな)
ケーキを食べるときはいつもお母さんと一緒だった。幼稚園のときも小学校のときも、最後に一緒に食べたのは小学二年生のときだった。ケーキを食べるとき、お母さんはいつも笑っていた。
花が咲いている綺麗なケーキをじっと見る。本当に食べてもいいんだろうか。不安になって藤也さんを見た。
「遠慮するな。おまえのためのケーキだ」
「お、俺のため」
「おまえが食べないと捨てることになるぞ」
「そ、それは、だ、ダメだと思います」
こんな綺麗なケーキを捨てるなんてもったいない。俺は慌てて銀色のスプーンを持った。壊さないように気をつけながらケーキの端っこをすくい取って、ゆっくり口に入れる。
「……!」
「うまいか」
俺は何回も頷いた。おいしすぎてスプーンを持っている右手がブルブル震える。飲み込むのがもったいなくて目がグルグル回った。
「落ち着け。全部食べていいからゆっくり食べろ」
「!」
ケーキは四角くて俺の手のひらくらいの大きさだ。それを全部だなんて本当にいいんだろうか。飲み込みながらおそるおそる藤也さんを見る。
「こ、これ、俺ひとりで……?」
「おまえの誕生日ケーキなんだからおまえが食わなくてどうする」
「た、誕生日ケーキ」
端っこが欠けたケーキをじっと見る。何の役にも立っていないのに藤也さんはこんな綺麗なケーキを俺のために用意してくれたってことだ。
「あの、あ、ありがとうございます」
頭を下げてから、もう一度綺麗なケーキをじっと見た。これを全部一人で食べるのはやっぱりもったいない。でも俺が食べないと捨てると藤也さん言う。チラッと藤也さんを見た。本当に藤也さんは食べないんだろうか。
(こんなに綺麗なケーキなのに……)
俺は赤い花が咲いている一番綺麗だと思ったところをスプーンですくい取った。花が落ちないように気をつけながら「あの、これ」と言って藤也さんに差し出す。
「うん? あぁ、食べさせてくれるのか」
「は、はい」
「じゃ、あーん」
かっこいい藤也さんが口をぱかっと開けた。ドキドキしながらそっとケーキを入れる。それをぱくっと食べた藤也さんが「案外さっぱりしてんだな」と言って唇についたクリームを親指で拭い取った。それを舌でペロッと舐めてから「次はチョコレートケーキにでもするか」と言いながら俺を見る。
「え?」
「次にケーキを食べるタイミングは……あぁ、クリスマスがあるな」
「く、クリスマス」
「クリスマスケーキ、楽しみにしてろ」
「は、はい」
どうしよう、クリスマスも藤也さんと一緒にいられるんだ。しかもケーキまである。
お腹の奥がソワソワしてきた。恥ずかしいような、でもうれしいような変な気持ちになる。ウズウズするような気持ちのまま、俺は花が咲いている綺麗なケーキを夢中で口に入れた。
「蒼」
「っ」
名前を呼ばれて背中がピンと伸びた。藤也さんに蒼と呼ばれるとやっぱりまだ緊張してしまう。聞き慣れないからか耳がくすぐったい感じもした。
「クリーム付いてんぞ」
そう言って藤也さんの親指が口の端っこをスルッと撫でた。そのままさっきと同じように親指についたクリームをペロッと舐める。
「……っ」
顔がぐわっと熱くなった。親指を舐めているのを見ただけなのにドキドキして息が苦しくなる。
「おまえは本当におもしろいな」
「え?」
「風俗店に行くなんてことを言うくせに、このくらいのことで顔を真っ赤にする。あんな環境にいたってのに初心にも程があるだろ」
「あ、あの」
「そういうところも可愛いがな」
「か、かわ、いい、」
「あぁ、可愛くてしょうがねぇよ。これからどんな大人になるか楽しみだな」
藤也さんがニヤッと笑った。どんな大人になれるのか自分でもわからないけど、藤也さんの役に立てる大人になりたい。そうしてずっと藤也さんのそばにいたい。
「れ、練習して、や、役に立てる大人に、な、なります」
一瞬驚いたような顔をした藤也さんが「はは」と笑った。
「じゃあさっそく今夜、大人の階段を上る練習をするか」
「お、大人の階段……?」
「大人になりたいんだろう? まさかキスが本番なんて思ってねぇよな?」
「ほ、本番」
「店でも本番、やるだろうが」
「……あ、」
何のことか気づいた俺は、熱くなった顔を隠すように俯いた。
(そっか、俺、藤也さんと本番、するんだ)
顔も体も熱くてたまらない。それを誤魔化すように綺麗なケーキを黙々と食べた。