6.思わぬ出会い
「黒鐘さん、邪神眷属の気配はどっち?」
「あっちです!」
智慧理が向かうのは中心部とは正反対。沿岸部の方向だ。
真っ黒い海が見えてきた辺りで、智慧理は一旦空中で静止する。
「多分この辺りだと思うんですけど……」
邪神眷属の正確な位置を特定するために周囲を見回す智慧理。
「きゃあああああっ!!」
すると西の方向から絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
「っ、あそこ!」
悲鳴が聞こえた方向へと急行する智慧理。その先にあるのは大きな池のある緑豊かな公園だ。
公園上空を旋回した智慧理は、大きな木の陰に大きな枝角を持つ人型の影を見つけた。
「ウェンディゴ……!また……!?」
早すぎる再会に戸惑う智慧理。
「やめてっ……離してっ……!」
するとウェンディゴ達の下から消え入るような女性の声が聞こえてきた。
事態は白い少女の時よりも更に逼迫している。そう判断した智慧理は、次の瞬間にはウェンディゴ達目掛けて急降下を開始していた。
そのままウェンディゴ達に突進しようかと考えた智慧理だったが、襲われている女性の正確な位置がまだ把握できていない。その状態での突撃は危険だと判断し、智慧理はウェンディゴ達のすぐ後ろに着地した。
「そこまでです!」
智慧理の声と着地の際の衝突音に反応し、ウェンディゴ達が智慧理を振り返る。
その数は4体。先程よりも多い。
そしてウェンディゴ達の隙間から、衣服が乱れた女性の姿が僅かに見えた。
「今すぐその女の人から離れてください」
智慧理は全身から余剰生命力を迸らせ、光芒銃の銃口を突き付けながらウェンディゴ達に警告する。
「柔らかい肉だ」「供物が増えたぞ」「いや、もしかして魔術師じゃないか?」「あの武器はトカゲの……?」
ウェンディゴ達は嗄れた声であれこれと会話を交わし、女性から離れる気配がない。
智慧理は女性から最も遠い位置にいるウェンディゴの頭に狙いを定めて引き金を引いた。
「ぎっ!?」
狙われたウェンディゴは、為す術無く頭を吹き飛ばされて絶命する。
「何だと!?」「貴様!」
同族を殺されていきり立ったウェンディゴ達が、鉤爪を剥き出しにして一斉に智慧理に襲い掛かる。
智慧理は1体目のウェンディゴの胴体に余剰生命力を纏わせた右足での蹴りを食らわせて大きく距離を取り、同時に光芒銃の引き金を引いて2体目のウェンディゴの頭部を消し飛ばす。
その隙に3体目4体目のウェンディゴが智慧理に迫るが、
「させません」
「ぐあっ!?」
智慧理が放出した余剰生命力が直撃し、ウェンディゴ達は大きく仰け反った。
その隙に智慧理は光芒銃を2連射。怯んでいた2体のウェンディゴは為す術無く頭を撃ち抜かれる。
残るは最初に智慧理が蹴り飛ばした1体のみだ。
「終わりです!」
体を起こしたウェンディゴに、智慧理は光芒銃を向ける。
「イタグオ・イケトイ・ラキフ」
それに対しウェンディゴは、智慧理に右手を向けながた不思議な文言を呟いた。
するとウェンディゴの右手の前に魔法陣のようなものが浮かび上がり、その魔法陣からレーザービームが放たれた。
「きゃっ!?」
予想外の攻撃に智慧理は反応が遅れ、レーザービームが右手に直撃。光芒銃が大きく後方へと吹き飛ばされる。
「いったぁ……何今の……」
仮面の下で涙を浮かべ、焼けた右手の甲を擦る智慧理。
その耳元で霞が囁く。
「<排除の光芒>だ。あのウェンディゴ、どうやら魔術を使えるらしい」
「その魔術って……」
「ああ。光芒銃と同じものだ」
光芒銃とは引き金を引くことで<排除の光芒>の魔術を行使できるアーティファクトだ。
そして智慧理が今相対しているウェンディゴは、光芒銃無しで<排除の光芒>を使える魔術師だった。
「柔らかい肉風情が!」
智慧理が<排除の光芒>で怯んだのを好機と見たのか、ウェンディゴが鉤爪を振りかざして智慧理へと迫る。
だが智慧理は鉤爪を躱すと同時に身を屈めると、素早くウェンディゴに足払いを仕掛けた。
「うおっ!?」
あっさりと転倒するウェンディゴ。それと入れ替わるように立ち上がった智慧理は右足を持ち上げると、
「さようなら」
ウェンディゴの頭蓋を思いきり右足で踏みつけた。
ぐしゃり、という生々しい音と共に原形を失うウェンディゴの頭部。
「ふぅ……」
その場のウェンディゴを掃討し、一仕事終えたという風に息を吐く智慧理。
「……あ、治ってる」
気が付くと<排除の光芒>を受けて右手にできた火傷が、いつの間にか綺麗さっぱり無くなっていた。
「それが生命力増幅機能による自然治癒力強化の恩恵だよ。軽い火傷くらい一瞬だ」
そう説明する霞は、叛逆の牙の開発者なだけあってどこか誇らしげだった。
「ひ、ひっ……!」
か細い声が智慧理の耳に届く。
見るとウェンディゴに襲われていた女性が、智慧理と智慧理に頭を踏み潰されたウェンディゴを交互に見比べて怯えた表情を浮かべている。
「あの、大丈夫ですか?」
「ひぃぃっ!?」
智慧理が女性に1歩近付くと、女性は更に酷く怯える。
「これは……助けに来たことも伝わっていないかもしれないよ」
霞が苦笑しながら智慧理に囁く。
「ウェンディゴの頭を踏み潰す光景は、一般人にはショックが強すぎたみたいだね」
「じゃあ握り潰した方がよかったですか?」
「五十歩百歩だね……」
「……あれ?」
その時夜空の雲が流れ、月の光が女性の顔を照らす。
するとその顔は智慧理にとって見覚えのあるものだった。
「烏丸先生……?」
その女性は御伽原学園で、智慧理のクラスの担任を臨時で勤めている烏丸に他ならなかった。
「な、何で私の名前を……?」
名前を呼ばれた烏丸は、訝しむような視線を向けてくる。
智慧理は少し迷ってから、目元のマスカレイドに手を掛けた。
「あなたは……!」
マスカレイドを外した智慧理の顔を見て、烏丸は大きく目を見開く。
「く、黒鐘さん!?」
「あ、あはは……こんばんは、烏丸先生」
愛想笑いをする智慧理に、烏丸は信じられないものを見るような目を向けていた。
「烏丸先生、怪我してないですか?」
「え?ええ、何とか……というか黒鐘さん、こんなところで何してるの!?」
「えっと……ヒーロー見習い、みたいな?」
烏丸の追及を何とか煙に巻こうと試みる智慧理。
「烏丸先生の方こそこんなところで何してるんですか?夜に1人でこんな人気の無い場所に来たら危ないですよ?」
「わ、私は……」
烏丸は何やら口籠り、智慧理から視線を逸らした。
「……えっ、何か疚しいことしようとしてたんですか?」
「や、疚しくなんてないわ!全く!ただ……」
「ただ?」
「……そうね、黒鐘さんには正直に言うわ。私を助けてくれたんだもの」
逸らしていた視線を智慧理に戻す烏丸。
「ただ1つ約束してほしいの。今からする話は、他の誰にも言わないって」
「ええ……ちょっと怖いんですけど……」
一体何を聞かされるのかと、智慧理は思わず身構えてしまう。
「そんなに身構えないで、犯罪絡みの話じゃないから」
智慧理の反応に烏丸は苦笑いを浮かべる。
そして烏丸は1つ咳払いをしてから事情を話し始めた。
「実はね……鷺沼先生を探しに来たの。鷺沼先生が最後に目撃されたのが、この公園の近くだから」
「鷺沼先生を……?何で烏丸先生が?」
「それは……」
その時の烏丸の表情を見て、智慧理はピンときたことがあった。
「……もしかして、烏丸先生と鷺沼先生って……!」
「ええ、その……お付き合い、させていただいてるの」
「えええええそうなんですか!?」
「ちょっ、声が大きい!」
烏丸が慌てて人差し指を自分の唇に押し当てるジェスチャーをする。
智慧理は我に返って自分の口を自分で塞いだ。
「はぁ……他の先生方にもまだ言ってなかったのに、まさか生徒にカミングアウトすることになるなんて……」
「ええ~そうだったんですね~……でも、それなら確かに鷺沼先生のこと、心配ですよね」
「ええ……」
烏丸の表情に影が差す。
「あの人は突然仕事を投げ出していなくなるような無責任な人じゃないから、何か良くないことに巻き込まれたんじゃないかって心配で……」
「それで1人で手掛かりを探してたんですか?」
「ええ、ここ何日か。けど今のところ何の手掛かりも見つからなくて……それどころか今日は、意味の分からない化け物に襲われて……」
ウェンディゴが襲い掛かってきた時の恐怖を思い出し、烏丸は自らの肩を抱いて震え始める。
「ねぇ、黒鐘さん……あの化け物は何なの?黒鐘さんはあの化け物のことを知ってるの?」
「あ~……あの怪物はウェンディゴって名前で……人間を食べるんですけど……」
現状智慧理がウェンディゴについて知っているのはそれくらいだ。
智慧理はさりげなく霞に視線を送って助けを求める。
「ウェンディゴはこの世界とは別の次元に生息する怪物だ。彼らは影を通して彼らの次元とこの世界とを行き来する能力を持ち、この世界には狩猟のために現れる」
霞が耳元で囁くウェンディゴの説明を、智慧理がそっくりそのまま烏丸に向けて復唱する。
「ウェンディゴの狩りの対象となるのは人間の女性だ。彼らは必ず複数体で狩猟を行い、獲物となる女性が1人でいるところを見計らって襲い掛かる。彼らの武器となるのは鋭く大きな鉤爪で、多くの場合鉤爪で女性の首を切り裂いて殺害し、遺体を彼らの次元へと持ち帰る。獲物を敢えて逃がして追いかける、殺害する前に獲物を不必要に痛めつけるなどの行動が確認されていることから、その性格は非常に残忍と言える。ウェンディゴが人間の女性以外、例えば男性や子供、人間以外の生物を自主的に襲うことはないが、彼らの狩猟の妨害を試みれば当然反撃される。彼らが鋭い鉤爪を備えていることはさっき言ったが、それ以外にも彼らの肉体は銃火器が通用しないほどに強靭だ。人間が彼らの狩猟を妨害するのは難しいだろうね」
「……だそうです」
「そ、そう……」
ウェンディゴの情報を一纏めに浴びせられ、烏丸は目を白黒させていた。というか復唱していた智慧理も、途中からは自分が何を言っているのか全く分かっていなかった。
「……実は御伽原学園に赴任してから、何度かその手の話を聞いたことがあるの。街で怪物を見たとか、知り合いの知り合いが怪物に攫われたとか。ただの噂か都市伝説の類だと思ってたけど……」
「ホントみたいですよ、そういうの」
「そうみたいね……」
「だから烏丸先生、あんまり夜1人で出歩かない方がいいですよ。また今日みたいに怪物に襲われるかもしれないですし」
「そうね……」
烏丸が小さく首を縦に振る。しかしその表情はどこかやり切れない様子だった。
「大丈夫です。烏丸先生の代わりに、私が鷺沼先生のことを調べてみますから」
「……え?」
「何か分かったら烏丸先生にもすぐに報告します。だから私に任せてみてくれませんか?」
「な、何言ってるの?」
動揺を露にする烏丸。
「生徒にそんな危ないことさせられないわ!」
「烏丸先生がやる方が危ないですよ。私はほら、怪物に襲われても戦えますし」
智慧理は自らの力を誇示するように、全身から軽く余剰生命力を放った。
「た、確かに黒鐘さんは強かったけど……っていうかそもそも!黒鐘さんのその力やその恰好は何なの!?さっき空飛んでなかった!?」
ここでようやく烏丸が智慧理の力に疑問を呈する。
「この力はなんていうか……昨日たまたま拾って」
「たまたま拾ったって何よ!?」
「とにかく!鷺沼先生のことは、私に任せてくれませんか?私、烏丸先生が危ない目に遭うのは嫌です……」
智慧理はしおらしくそう言って烏丸を上目遣いで窺った。情に訴えかける作戦だ。
「うっ……」
そしてその作戦は烏丸には効果覿面だった。
「わ、分かったわ……お願いしてもいいかしら?」
「はい、任せてください!」
その後智慧理は烏丸と連絡先を交換し、烏丸を家まで送った。
「お人好しだねぇ、黒鐘さんは」
御伽原の街を一周して再びセントラルタワーへ戻ってきた智慧理に、霞がそう声を掛ける。
「お人好しって、何がですか?」
「君の担任教師の件だよ。わざわざ代わりに探してあげようだなんて優しいことだよ」
「優しいっていうか……わたしがやった方が安全だから私がやろうってだけの話です。どっちにしろ鷺沼先生のことは探すつもりでしたし」
「照れているのかい?可愛いね」
何を言っても揶揄われそうだったので、智慧理は一旦そこで口を噤んだ。
「でも君の担任教師を探すと言っても当てはあるのかな?言っておくけど叛逆の牙の力は、人間を探すのには全く役に立たないよ?」
「当ては正直ないです、けど……稲盛さん、もし鷺沼先生がいなくなったのが邪神眷属の仕業だとしたら、犯人はどんな邪神眷属だと思いますか?」
「なるほど、まずは邪神眷属の仕業だと仮定して調べてみようという訳か」
霞が顎に手を当てて考え込む。
「やはり可能性として1番高いのは恐竜人間だろうね。この街に現れる邪神眷属で最も多いのは恐竜人間とウェンディゴだ」
「ウェンディゴの可能性は無いんですか?」
「無くは無いがあまり高くない。さっきも言ったけれど、ウェンディゴは基本的に女性しか狙わない。仮に君の担任教師がウェンディゴの狩猟を妨害しようとして返り討ちに遭ったとしても、ウェンディゴは遺体を持ち帰らずに放置するはずだからね」
「ウェンディゴの仕業だったら、行方不明にならないで死体で見つかってるってことですか?」
「そういうことになるね」
智慧理は納得して頷いた。
「それで稲盛さん、恐竜人間ってどういう邪神眷属なんですか?」
「そう言えばまだ説明したことが無かったね」
霞が1つ咳払いをする。肉体を持たない霞に本来咳払いは意味の無い行為だが、生前の癖が抜けていないのだ。
「恐竜人間は遥か昔に別の星から飛来したと言われている邪神眷属だ。恐竜人間達は太古の地球の地下に巨大な文明を作り上げ、今も尚そこには無数の恐竜人間が生息していると言われている」
「地球空洞説だ……」
「恐竜人間は魔術に優れた種族であり、人間が科学の歴史なら恐竜人間は魔術の歴史、なんて言い回しもあったりするね。恐竜人間の魔術やアーティファクトには人間では再現不可能なものも多い。君が使っている光芒銃もそうだ、壊れたら直せないから大事に扱うんだよ」
「は、はいっ」
智慧理は手元の光芒銃に視線を落とし、気休めに優しく撫でてみた。
「実のところこの御伽原の街には、今この時にも数多くの恐竜人間が潜伏しているんだ」
「えっ、そうなんですか?何も感じないですけど……」
邪神眷属の気配を感じ取ることができる智慧理だが、霞の言うような恐竜人間の気配は感じられない。
「街に潜む恐竜人間達は、<擬態の外套>という魔術を使って人間の姿を装っているんだ。ほら、私を殺した恐竜人間達が、『皮』がどうこうと言っていたことを覚えていないかな?」
「あ~……そんなこと言ってたような……?」
「彼らの言う『皮』とはこの<擬態の外套>のことなんだ。<擬態の外套>で正体を覆い隠した恐竜人間は、外見で普通の人間と見分ける方法が存在しない上、叛逆の牙の感知能力でも見破ることはできない。唯一、強い衝撃を与えることで<擬態の外套>を破壊することができるから、判別するとしたらそれしかないね」
「この街でも1番目か2番目に多い邪神眷属の存在を感知できないってそれダメじゃないですか?」
「それはもうシステム的にどうにもならなかったんだよ……」
霞もその点に関して疚しさはあるようで、目を泳がせていた。
「じゃあ恐竜人間のことを調べようと思っても、私じゃ恐竜人間を見つけられないってことですか?」
「君が能動的に恐竜人間に接触するのは確かに難しいかもしれないね。けど恐竜人間に接触すること自体はそう難しいことではないと思うよ」
「……どういうことですか?」
なぞなぞのような霞の物言いに智慧理は眉根を寄せる。
「私と初めて会った時のことを覚えているかな?彼らは私が完成させた叛逆の牙を奪おうとしていた」
「勿論覚えてます。それで稲盛さんが私に叛逆の牙を使って……」
「そして黒鐘さんが叛逆の牙を取り込んだ後は、彼らは黒鐘さんを殺害して叛逆の牙を取り出そうと試みた。つまりだ」
霞がニヤリと悪戯っぽく笑う。
「君が叛逆の牙を持っていることを知れば、恐竜人間は必ず君に接触してくる」
「ああ、なるほど!」
ようやく霞の意図を理解し、智慧理はポンと手を打った。
「君が御伽原の空を飛び回っている姿を見れば、恐竜人間はそれが叛逆の牙の力だと感付くだろう。そうなれば彼らは必ず君に近付いてくる」
「そこを捕まえて拷問すれば、鷺沼先生の情報を聞き出せるかもしれないってことですね!」
「あ、ああ……そんな満面の笑みで言うセリフではないけどね……」
霞は表情を引き攣らせる。
「ともかく君は恐竜人間からの接触があるまで、毎晩空から街を巡回するといい。そうすれば恐竜人間以外の邪神眷属による人的被害にもいち早く対応することもできて一石二鳥だ」
「ですね、頑張ります!」
智慧理は両手を握ってやる気を表明した。
次回は17日に更新する予定です