45.10年前の真相と10年前の新情報
「ああ智慧理、ちょうどよかった」
昼休み。食事の前にトイレに行っていた智慧理が教室に戻ろうと廊下を歩いていると、前から紗愛が近付いてきた。
「あれ、紗愛先輩。私今日呼び出されてましたっけ?」
「呼び出してないわ。けど急遽一緒に来てほしいところができたから教室まで呼びに行ったのよ。それなのに智慧理も鹿籠さんもいないからビックリしちゃったわ」
「えっ、露華もいませんでしたか?」
「ええ。それで箕六さんに2人の居場所を聞いたら、智慧理がトイレで、鹿籠さんは具合の悪い子に付き添って保健室に行ったって聞いたから。それで智慧理だけ呼びに来たの」
「私だけでいいんですか?」
紗愛の口振りは智慧理と露華の両方を探していた様子だったので、迎えに来るのが自分だけでいいのかと智慧理は首を傾げる。
「保健室で具合悪い人に付き添ってる子をわざわざ連れて行くのもね。それにどっちか1人だけでも充分な気もするし」
「そうですか……で、どこに行くんです?」
「教頭よ」
「教と……えっ?」
智慧理が戸惑うと、紗愛は人目を憚るように智慧理の耳元に口を寄せた。
「新聞部が言ってたでしょ?本条聖の記事を出そうとしたら教頭に差し止められたって」
「言ってましたけど……」
「その行動からして、教頭は何者かが本条聖を生き返らせようとしてることを知ってる可能性があるわ」
智慧理は驚いて紗愛の金色の瞳をまじまじと見つめてしまった。
「……考え過ぎじゃないですか?」
「確かにそうかもしれないわ。『面白半分に死者を取り扱う内容は学生新聞の記事としては相応しくない』っていう新聞部への指導も真っ当だしね。でも教頭が死者蘇生魔術を妨害するために、本条聖の記事を差し止めて学園内に噂が広まるのを防いだ、とも考えられるじゃない?」
「そりゃ考えられるかもしれませんけど……」
実際本条聖の蘇生を食い止めるという観点では、記事の差し止めというのは非常に的確な行動だ。
紗愛の見立てでは、犯人は学園中の人間に「本条聖の蘇生」を意識させ、その思念を死者蘇生魔術に利用しようとしている。そのため記事を事前に差し止めるという教頭の行為は、意図的にしろそうでないにしろ、学園内に本条聖の噂が広まるのを防ぎ、結果的に犯人の計画を妨害したことになる。
……結局は記事が出ずとも噂は広まってしまった訳だが。
「でもそれってたまたまじゃないですか?教頭先生の指導がたまたま犯人の妨害に繋がっただけで……」
「当然ただの偶然の可能性もあるわよ。だから今からそれを確かめに行くの。偶然だったら別にそれでいいし、もし教頭が意図的に犯人を妨害したんだとしたら、教頭が何か私達の知らない譲歩王を知ってるかもしれないわ。ちょっと話を聞きに行くくらいなら大した手間でもないし……ダメかしら?」
「ダメじゃないですよ、全然。そういうことなら付き合います」
智慧理は教頭が関係者だという推測に懐疑的だっただけで、最初から紗愛への同行を断るつもりは無かった。
「そう、よかった。最初は1人で行くつもりだったんだけど、教頭が実はめっちゃ強かった時のために用心棒がいてくれた方がいいなって思ったのよ」
「あっ、私用心棒なんですね」
智慧理は紗愛が「どっちか1人だけでも充分」と言っていた理由を理解した。確かに用心棒ということなら智慧理か露華どちらかがいれば充分だ。
「教頭にはもう話を通してあるから、もう生徒指導室で待ってるはずよ。行きましょう」
「は~い」
その足で生徒指導室まで移動すると、紗愛の言葉通り入口の前には教頭の姿があった。教頭は丸い体形で薄毛を隠すために頭髪を完全に剃っており、全体的に卵の擬人化のような姿をしている。
「ごめんなさい教頭先生、遅れてしまって」
紗愛が猫を被りつつ教頭に声をかける。
「ああ、千金楽くん。何、私も今来たところだ。構わないよ」
教頭は紗愛に優しく応えてから、智慧理を見て怪訝そうな表情を浮かべた。
「君は……」
「実は、教頭先生に相談したいことには、こちらの黒鐘智慧理さんも関係しているんです。なので彼女も同席させていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ、そういうことなら勿論構わないとも」
紗愛が教頭をあっさりと丸め込み、智慧理も同席することが許された。
「では入ろうか」
教頭の先導で3人は生徒指導室へと踏み入れる。
「それで千金楽くん、相談というのは……」
「単刀直入に聞くわ」
椅子に腰を下ろした途端、紗愛は被っていた猫をかなぐり捨てた。
「あなたは本条聖の何を知ってるの?」
「なっ……!?」
教頭が絶句する。
「新聞部が学生新聞に掲載しようとしていた『10年前の死者』、本条聖の記事を差し止めさせたのはあなただと聞いてるわ。記事を差し止めさせた理由は何?」
「そ、それは……記事の内容が学生新聞として相応しくないものだったから……」
教頭が言い終えるよりも前に、紗愛は懐から取り出した乳白色の液体入りの瓶を机に置いた。
「これは自白剤。これを使えばあなたの隠し事なんてすぐに暴けるわ」
「自白剤、だと……!?」
「でも私がこれを使う決断をする前に、あなたの方から話してくれるのが1番望ましいのだけど……」
「ちょ、ちょっと紗愛先輩!」
智慧理は慌てて紗愛の制服の裾を引き、囁き声で紗愛を咎めた。
「いきなり畳みかけ過ぎですって!これで教頭先生が何も知らないただの一般人だったらどうするんですか!?」
「その時は<認識の攪乱>でここでの記憶全部消しちゃえばいいでしょ」
「雑!」
智慧理と紗愛が囁き合っている間に、教頭は覚悟を決めるようにごくりと喉を鳴らした。
「……千金楽くん、君は……魔術師なのか?」
「ええ、そうよ。あなたもそうなのかしら?」
「……そうだ」
小さく首を縦に振る教頭。
「千金楽くん、君は……君は気付いているのか?何者かがあの、あの本条聖を蘇らせようとしていることを……」
「ええ、把握してるわ。でもあなたがそれを知ってるってことは、記事を差し止めさせた理由は……」
「……ああ、本条くんの蘇生を阻止するためだ。もっとも、あまり意味はなかったようだがね」
教頭はそう言って自嘲気味に笑う。確かに既に本条聖の噂が広まってしまった以上記事を差し止めた効果はなかったが、それでも教頭の取った手段は本条聖の蘇生を妨害するためには的確だった。
「まさかこの学園にまだ私の知らない優秀な魔術師がいたなんてね」
「……よしてくれ、私はそんな勝算を受けていい人間ではないんだ」
「ふぅん?まあいいけど。ところであなたさっき、『あの本条聖』って言ってたわよね。なんだか意味深な言い回しだけど、どういう意味かしら?」
「……それは」
教頭の顔に大量の冷や汗が浮かび、膝が微かに震えて始める。その様子から教頭が本条聖を非常に恐れていることが伝わってくる。
「本条くんは……生前のあの子は人気者だった。頭がよく美人で、誰に対しても優しく接していた。本条くんの当時のクラスメイトは、皆あの子に対して少なからず好意を抱いていた」
「そうね、警察の捜査資料にもそんなようなことが書いてあったわ」
紗愛が何故か警察の捜査資料を目にしていることに対して教頭は何も言及しない。その異常さにまで気が回らないほどに、教頭は精神的に追い詰められているのだ。
「だが……だが、本条くんには誰にも知られていない裏の顔があった」
「裏の顔?どんな?」
「あの子は……本条くんは、『悪意の信徒』だった」
それを聞いた紗愛は、驚愕で大きく目を見開いた。
「紗愛先輩紗愛先輩、悪意の信徒って何ですか?」
聞き覚えの無い語句に首を傾げた智慧理は、こっそりと紗愛にそう尋ねる。
「……悪意の信徒は今から10年くらい前に御伽原で活動してた組織の名前よ。そしてその組織から波及した特定の思想を指す言葉でもあるわ」
「組織と思想……?」
「悪意の信徒は『人間の本質は悪である』とする性悪説を恣意的に拡大解釈して、『悪意こそ人間を人間たらしめる最も根源的な感情である』って主張の下、御伽原の街やそこに住む人に対する破壊行為を繰り返したわ」
「何ですかそれ!?めっちゃヤバいテロ組織じゃないですか!」
「そうね。そして悪意の信徒の最も危険だった点は、その思想が感染症みたいに人から人へと伝染することなの」
「伝染って……考え方が他人に移るなんて、そんなことあるんですか!?」
「何らかの魔術を使ってたんでしょうね。とにかく悪意の信徒はその性質上対処が遅れれば遅れるほど加速度的に被害が拡大していくから、当時の御伽原市警は私を含む何人かの魔術師と協力して、悪意の信徒撲滅作戦を展開したわ。結果的に悪意の信徒の中核メンバーは全員自殺したけど、思想が感染するっていう特性上、悪意の信徒を完全に根絶することはできなかったの」
悪意の信徒に関する説明を終えたところで、紗愛は視線を教頭に戻す。
「本条聖が悪意の信徒だったっていうのはホントなの?」
「……間違いない。あの子が死ぬ少し前、私はたまたま街であの子が1人の男と接触する場面を目撃した。その男は当時悪意の信徒のリーダー格と目されていた人物だった。そして……本条くんは、リーダー格の男に笑顔で恐るべき計画を語っていた」
「……どんな計画よ?」
「本条くんが持つイグノザードとしての力で御伽原学園本校舎を氷の中に閉じ込め、校舎内の生徒や教職員を皆殺しにする計画。彼女は『全校凍結』と嬉しそうに名付けていたよ」
「悪意の信徒が好みそうな計画だこと」
紗愛は忌々しげに吐き捨てた。
「それを聞いた私は、教育者として絶対にその計画を阻止せねばならないと考えた。しかし相手は悪意の信徒。言葉による説得は通じないどころか、逆に私が悪意の信徒の思想に感染してしまうかもしれない」
「それはそうね」
「かといって力尽くで本条くんの計画を阻止するのも難しい。私は魔術師の端くれではあるが、戦闘能力は持っていない。中位の邪神眷属に匹敵するほど強大なイグノザードだった本条くんにはとても太刀打ちできない。だから……だから、私が本条くんを止めるためには……」
「不意を突いて殺すしかなかった、と」
紗愛の言葉に教頭の体がビクッと跳ねた。
「紗愛先輩!?ど、どういうことですか!?」
「どういうことも何も、今の話の流れで大体分かるでしょ。本条聖は自殺したんじゃなくて、この教頭に殺されたのよ。そうでしょ?」
「……ああ」
教頭は震える声で肯定した。智慧理は両手で口元を押さえる。
「私には……私にはそれしか無かったんだ。悪意の信徒から全校生徒を守るためには、本条くんを犠牲にするしか……」
「……ホントにそれしかなかったのかしらね」
「っ!?」
「正面から本条聖と戦ったらあなたに勝ち目はなかったっていうのはまあ分からないでもないけど、それでも不意を突いて刺し殺すことはできた訳でしょ?そんな状況が作れたなら、殺さなくても無力化する手段はあったような気がするけど……」
「君に……君に、何が分かる……」
教頭の目が激しく泳ぐ。紗愛の指摘は、教頭自身もこの10年間ずっと自分に問い掛け悩み続けていたことに他ならなかった。
「……君達は、私の罪を裁くために、私と話をしに来たのか?」
「別にそんなことしないわよ。私達は警察でも何でもないし、それに教師として生徒を守るために悪意の信徒を殺すのは、少なくとも私はそんなに悪いことだとは思わないもの」
「なら君達は一体何のために……」
「私達はただ単に、あなたが私達の知らない本条聖の情報を持ってるんじゃないかと思っただけよ。でもまさか本条聖が悪意の信徒だったなんてね」
教頭はしばらく顔を伏せていたかと思うと、やがて意を決したように顔を上げる。
「君達にこんなことを頼むべきではないのは分かっている。しかしそれでも……恥を忍んでお願いする。どうか本条くんの蘇生を食い止めてもらえないだろうか」
そう言って教頭は、智慧理と紗愛に向かって深々と頭を下げた。
「本条くんが蘇ってしまったら、彼女は今度こそ悪意の信徒として学園中の人間を皆殺しにするに違いない。そして私では生き返った彼女を再び食い止めることも、彼女の蘇生計画を阻止することも叶うまい。君達しか、最早君達しか頼れる人間はいないのだ」
「……随分と私達を信じるのね。私達が本条聖を生き返らせようとしてる張本人かもしれないのに」
「だとしてもだ。恐らく本条くんの蘇生までに残された時間は少ない。私はもう目の前に現れた新たな魔術師達にこうして頭を下げる以外に、学園を守る術はないのだ」
教頭のその懇願は教師としてはあまりにも情けなく、それでいて1人の人間としてとても誠実だった。
「あなたに頼まれるまでもなく、私達は元々犯人を見つけるつもりよ。あなたに話を聞きに来たのもその一環だし」
頭を上げた教頭に向けて、紗愛は大胆不敵な笑みを浮かべる。
「安心しなさい、教頭。相手がイグノザードだろうと悪意の信徒だろうと、こっちにはとってもつよ~い黒い天使様が味方に付いてるんだから」
紗愛が智慧理の肩に手を置く。智慧理は曖昧な表情を浮かべた。
「黒い、天使……もしかして最近世間を騒がせてるのは……いや、詮索はやめておこう」
教頭は紗愛の言葉で智慧理の正体に勘付いた様子だったが、それについて深入りすることはしなかった。
「千金楽くん、君は本条くんを生き返らせようとしているのが誰なのか、もう知っているのか?」
「まだ分からないわ」
「えっ」
智慧理が驚いて紗愛の顔を窺う。紗愛は智慧理に視線で「黙ってなさい」と訴えた。
「そうか……」
教頭は残念そうに呟いたが、それ以上は紗愛に対して何も言わず、もう1度深々と頭を下げた。
「紗愛先輩、何で犯人がまだ分からないなんて嘘ついたんですか?」
生徒指導室を出た2人は一旦屋上に移動し、そこで智慧理は紗愛にそう尋ねた。
「知念先生が怪しいって分かってるんですから、それを教えてあげれば……」
「そんなことしたら教頭は知念先生を殺しに行くでしょ、10年前に本条聖にそうしたみたいに」
「……あ~」
残念ながら智慧理は紗愛の言葉を否定することはできなかった。
「教頭は悪意の信徒から学園を守れればそれでいいんでしょうけど、私は目的も分からないまま犯人が死んだから終わりだなんて真っ平よ。だから教頭には事が済むまで何も教えられないわ」
「その方がいいかもですね……にしても、教頭先生の話はビックリでしたね」
「確かに、まさか悪意の信徒なんて名前が出てくるとは思ってなかったわね」
約10年前に御伽原で活動していた反社会的組織、悪意の信徒。本条聖がその一員だったというのは、これまでの前提が全て覆りかねないほどの衝撃的な情報だった。
「ホントなんでしょうか?教頭先生のお話……」
「そうねぇ。嘘を吐いてる気配はしなかったし、仮に嘘だとしたら悪意の信徒なんて持ち出してくるのは突飛すぎるから、教頭はホントのこと言ってたと思うわよ」
「じゃあ、本条聖を生き返らせようとしてる知念先生も、悪意の信徒の仲間だったりして……」
「その可能性は否定できないわね……10年前の撲滅作戦では結局悪意の信徒の思想までは根絶できなくて、今でも時々残党が事件を起こしてたりするし……」
そして強力なイグノザードにして悪意の信徒だという本条聖は、現代まで生き残っている悪意の信徒にとっては非常に価値のある人材だ。大規模な死者蘇生魔術を行ってでも蘇生を試みる価値は充分になる。
「よしっ!とりあえず私は今から、知念先生が悪意の信徒かどうかとか、本条聖と生前面識があったのかとかを調べに行ってくるわね」
「えっ、今からって……午後の授業どうするんですか?」
「サボるに決まってるじゃない、何言ってるの」
「えっ私がおかしいんですか?」
正しさとは何なのかを自問しつつ、智慧理は紗愛の背中を見送った。
……しかし、智慧理も紗愛もこの場にはいない露華も、この時点で既に自分達が後手に回っていたことには気付いていなかった。
3人が全貌を把握するよりも先に、事態は既に最終局面に到達していたのだ。
次回は5日に更新する予定です