41.違法捜査
「よいしょ、っと……」
夜の御伽原学園の敷地に、塀を乗り越えて侵入する不届き者が1人。
通常そんな真似をすれば瞬く間に防犯センサーが反応し、通報を受けた警備会社が数分で学園にやって来る。しかし学園に張り巡らされた防犯センサーは、その不届き者に対しては不思議と一切の反応を示さなかった。
まんまと学園の敷地へと侵入を果たした不届き者は、塀の内側に沿うようにして移動し、本校舎の裏手へと回る。そこには正面玄関とはまた別の、裏口のような本校舎への出入口があった。
不届き者が懐から鍵束を取り出し、その内の1つを裏口の鍵穴へと挿入する。鍵はスムーズに回り、裏口はあっさりと解錠された。
「紗愛せんぱ~い、どんな感じですか~?」
不届き者がドアノブに手を掛けたところで、左耳に装着しているインカムからそんな声が聞こえてきた。
「そろそろ校舎に入れました?」
「ええ、今ちょうど裏口の鍵を開けたとこよ」
「誰にも見つかってません?」
「当然。私はそんなヘマはしないわ」
通信相手との会話からも分かるように、夜の学園に忍び込んだ不届き者の正体は紗愛だった。優れたアーティファクトクリエイターである紗愛にとって、防犯システムを欺き学園に不法侵入するなど朝飯前だ。
勿論紗愛とて愉快犯的に不法侵入している訳では無い。紗愛がこのような違法行為に及んでいるのは、一応目的あってのことだ。
「紗愛先輩、ホントに大丈夫ですか?やっぱり私も一緒の方が……」
「大丈夫よ、七不思議の調査なんて私1人で充分だわ」
紗愛の目的。それは御伽原学園の七不思議を独自に調査することだった。
元々紗愛は生徒会による七不思議の調査には否定的な立場を取っていたが、放課後に3階の女子トイレでその場に存在しない女子生徒が鏡の中に現れたのを目の当たりにして考えが変わった。
実際に怪奇現象が発生した以上、魔術的な調査が必要だと判断したのだ。
「でも、もしホントに幽霊が出たら危ないですよ?」
「光芒銃を持ってきてるし、他にも戦闘用のアーティファクトをいくつか用意してあるから、中位以上の邪神眷属でも出てこない限りは私でも負けないわ」
「上位眷属とか出て来たらどうするんですか!?」
「心配性ねぇ……」
ともすれば過保護なほどに紗愛の身を案じる智慧理。紗愛としては苦笑を浮かべつつも、それほどまでに智慧理に案じられているのは悪い気はしなかった。
「大丈夫ですよ~、智慧理さん」
すると智慧理とは別のふわふわした声が通信に入ってきた。
「紗愛先輩に何かあったら~、私が廻廊ですぐ駆け付けますから~」
「ふふっ、鹿籠さんがそう言ってくれたら心強いわね」
今日の昼に智慧理経由で露華にもインカムを渡したため、今夜からは智慧理と紗愛だけでなく露華も通信に参加している。露華も現在は智慧理と同じく夜の街をパトロール中だが、露華の場合は智慧理と違って廻廊の力で一瞬で紗愛の下へと駆けつけることができる。
紗愛の手に負えないような強力な敵が現れたとしても、露華との通信が繋がっていれば安心だ。
「ん~……じゃあ紗愛先輩に何かあったら今日は露華に任せるからね」
智慧理はまだ少し不安そうにしていたが、最終的には露華を信じることにした様子だった。
「露華、いい?紗愛先輩が少しでも危なそうだったらすぐに学園に行くんだよ?」
「はい~」
「今日紗愛先輩を守れるのは露華だけなんだからね?」
「頑張ります~」
智慧理と露華の仲のいい姉妹のようなやり取りに、紗愛は思わず口元を綻ばせる。
「じゃあ私は調査を始めるわね」
「気を付けてくださいね!」
「頑張ってください~」
本校舎に侵入した紗愛は、まずは3階へと上がった。七不思議の中で最初に調べるのは、紗愛が本格的な調査を決める切っ掛けとなった3階女子トイレの鏡以外には有り得ない。
3階の廊下を歩きながら、紗愛は懐からモノクルのようなものを取り出して右目に装着する。このモノクルは紗愛が特に愛用しているアーティファクトの1つで、魔術の痕跡を視覚的に認識することを可能とする代物だ。
「さて、何が見えるかしらね~……」
トイレに到着した紗愛は、迷いのない足取りで手洗い場の1番奥の鏡の前に立つ。放課後には不気味な女子生徒の姿を映し出したその鏡だが、今は窓から差し込む月光に照らされた紗愛の姿が反射するのみだ。
「ん~……」
紗愛は鏡にぐっと顔を近付け、モノクルを付けた右目で舐め回すように鏡面を観察する。
「……やっぱりね」
1分ほど鏡を観察し続けたところで、紗愛は納得したように呟いた。
「紗愛先輩、何か分かったんですか?」
紗愛の呟きを拾った智慧理がインカム越しに尋ねてくる。
「さっき幽霊が映ったこの鏡、魔術が掛けられてるわ」
「魔術?どんなですか?」
「見たところ<認識の攪乱>の改造魔術ね。この鏡の前で特定の条件を満たした人間が、鏡の中に血塗れの女子生徒を認識する、みたいな仕組みだと思うわ」
「じゃあ私達は知らない間にその条件を満たしちゃってたってことですか?」
「そういうことになるわね。条件って言ってもそんなに難しいものじゃなくて、多分『鏡の前で一定時間お喋りをする』とかその程度だと思うわ」
紗愛が装着しているモノクルでは魔術の痕跡を発見できるだけで、その魔術の詳細な情報までは分からない。しかし紗愛は長年のアーティファクトクリエイターとしての経験で、僅かな痕跡からでも限りなく正解に近い推測を導き出すことができるのだ。
「そう言えば紗愛先輩、さっき『やっぱり』って言ってましたけど。紗愛先輩、最初から鏡に魔術が掛かってるって分かってたんですか?」
「まあ<認識の攪乱>の改造魔術が使われてることは何となく分かってたわよ。放課後に私達が幽霊を見た時、鹿籠さんだけは何も言ってなかったからね」
「あれ、そうでしたっけ?……あ~、言われていればそうだったかも」
最初に鏡の中の幽霊を発見したのは睦美で、紗愛はそれに目を見開き、智慧理は思わず絶句した。しかし露華だけはその時、幽霊に対して何の反応も示していなかったのだ。
「鹿籠さんはあの時、私達と違って鏡の中に何も見えなかったんじゃない?」
「そうなんです~。だからあの時は皆さんが何の話をしてるのかよく分からなくて~」
「そうだったの?その時言ってくれればよかったのに……」
「ごめんなさい智慧理さん~。怒らないでください~」
「いや怒らないよそんなことで……私を何だと思ってるの……」
傍から聞いていれば露華の「怒らないでください~」は冗談以外の何物でも無いのだが、智慧理は間に受けて少し落ち込んでいた。
「私達に見えてた幽霊が鹿籠さんには見えてないって時点で、幽霊のカラクリが何かしらの精神干渉っていうのは予想できるでしょ?」
「予想できる……んですか?」
智慧理は疑問形だったが、紗愛にしてみればそれは自明の理屈だった。
「鹿籠さんは智慧理のマスカレイドの認識攪乱機能を無効化するほどの精神干渉耐性の持ち主よ。だから鹿籠さんだけ他とは違う反応をしてるようなときは、まず<認識の攪乱>とかの精神干渉を疑った方がいいわ」
「そういえばパパが言ってました~。私の心には邪神でも手を出せないらしいです~」
「邪神でも、ねぇ……」
露華のパパは随分大きく出たものだ、と紗愛は思った。露華という人間と遜色のないホムンクルスを作り出すことのできる魔術師であれば、邪神がいかに強大な存在であるかを知らないはずがない。
にもかかわらず露華に対して「邪神でも手を出せない」と豪語したのは、単なる見栄かそれとも余程自分に自信があるのか……と、そこで紗愛は思考を打ち止めた。露華がパパと呼ぶ魔術師のことは、今この場で考慮すべき事案ではない。
「確かトイレって鏡3枚ありましたよね?他の2枚にも魔術が掛かってるんですか?」
「ちょっと待って、今調べてみるわ」
紗愛は残り2枚の鏡も同様にモノクルで念入りに観察したが、それらには魔術の痕跡は見当たらなかった。
「魔術が施されたのは1番奥の鏡だけ、か……」
「確かに3枚同時に幽霊が映ったりしたら雰囲気台無しですもんね」
「そんな理由かは分からないけどね」
智慧理の発言をあしらいつつ、紗愛は女子トイレ全体の調査へと移る。
しかしトイレ全体を一通り観察してみても、結局魔術の痕跡が見つかったのは最初に調べた1番奥の鏡だけだった。
「さてと……ついでだから他の七不思議の場所も調べてみましょうか」
「折角夜の学校に忍び込んだのにトイレだけ調べて終わりじゃちょっと勿体ないですもんね」
「全くもってそのとおりね」
智慧理の謎の理論に同意し、紗愛はトイレから出て暗い廊下を歩き出す。
「七不思議に具体的な場所が出てくるのって、女子トイレと音楽室と家庭科室と図書室と中庭……でしたっけ?」
「そうね。だから女子トイレ以外の4ヶ所と、後一応放送室も調べた方がいいかしら」
「あ~、夜の校内放送がどうのこうのって七不思議もありましたもんね」
「合わせて全部で5ヶ所……ちょっと急がないとマズいわね」
調査の前から何らかの魔術が働いていることがほぼ確定的だった女子トイレとは違い、これから調査する5ヶ所ではあるかどうかも分からない魔術の痕跡を虱潰しに探すことになる。夜明けまではまだまだ時間はあるが、それでも充分とは言い切れない。
「紗愛先輩、時間かかるならやっぱり私も手伝った方が……」
「私もお手伝いしますよ~?」
「気持ちは有難いけど道具が足りないのよね……」
紗愛が使用しているモノクルには予備が無い。智慧理と露華が応援に駆け付けたところで、結局魔術の痕跡を発見できるのが紗愛だけなのであまり意味が無い。
「そういう訳だから気持ちだけ貰っておくわ」
智慧理と露華に礼を告げ、紗愛は小走りで次なる調査場所へと向かった。
「ふぅ……思ったよりも早く済んだわね」
不法侵入から約3時間後。紗愛は七不思議の舞台を一通り調査し終えた。
「もう終わったんですか?お疲れ様です、早かったですね」
智慧理が少し驚いた様子で紗愛を労う。
「それで調査結果はどんな感じでした?」
「結論から言うと、今日調べた場所には全部何かしらの魔術の痕跡があったわ」
「全部ですか!?」
驚きの余り声が1オクターブ高くなる智慧理。紗愛も調査中は全く同じ心境だった。
「私もまさか6分の6とは思わなかったわ……まあそのおかげで調査が早く済んだんだけど」
あるか分からない魔術の痕跡を虱潰しに探すため長期戦を覚悟していた紗愛だったが、蓋を開けてみれば全ての調査場所で魔術の痕跡が見つかり、そのため想定していた時間よりも遥かに調査時間が短く済んだ。
「どんな魔術が見つかったんですか~?」
「見たところ全部<認識の攪乱>の改造魔術だったわ。女子トイレにあったのと同じで、その場所で何らかの条件を満たした人間に対して魔術の効果が発揮されるような仕組みみたいね」
「じゃあ女子トイレの鏡みたいに、図書室とか家庭科室とかでも血塗れの女の子が見えるってことですか?」
「それはまだ分からないわ。魔術の効果は実際に発動させてみないと分からないんだけど……どうも魔術の発動条件の中に時間の指定があるみたいで、今の時間だとどうやっても発動できなかったのよ」
紗愛が調べたところ、七不思議の舞台に仕掛けられた魔術はどれも15時から19時の間にのみ発動するようになっていた。
ホームルームの少し前から最終下校時刻の少し後まで、と考えると、それらの条件は主に放課後の生徒が満たすことを想定して設定されていると考えられる。
「っていう訳だから智慧理。明日の放課後、魔術の効果を確かめるのに付き合ってくれない?」
「いいですよ。明日っていうかもう今日ですけど」
日付はとっくに変わっているので、智慧理の言う通り次の放課後はもう今日の話だ。
「私もお手伝いしたいです~」
仲間外れは嫌だとばかりに自らも協力を申し出る露華。しかし。
「鹿籠さんは<認識の攪乱>効かないからちょっと……」
高い精神干渉耐性を持つ露華は、魔術の効果を確かめるには不適格だった。
「そんなぁ……」
「やめてよそんな悲しそうな声出すの……罪悪感でどうにかなりそうだわ」
露華の悲しげな声色に、紗愛はうっかり他所の子を泣かせてしまった時のような感情を抱いた。
「でも紗愛先輩、露華が一緒に来る分には何も問題ないですよね?だから露華も一緒に行こ?」
「智慧理さん……!ありがとうございます~」
智慧理のフォローによって露華の声から悲哀が消え、紗愛はほっと胸を撫で下ろした。
という訳で、今後も七不思議の調査については、智慧理と紗愛と露華の3人体制で行う次第となった。
次回は25日に更新する予定です