40.本校舎3階女子トイレ
「睦美、この学園の七不思議って聞いたことある?」
ホームルームが終わり、クラスメイト達が帰り支度をしている中、ふと昼休みのことを思い出した智慧理は睦美に尋ねてみた。
「七不思議?うん、知ってるよ」
「そうなんだ。結構有名だったりするの?」
「有名なんじゃないかな?1年生でも知ってる子結構いるし」
智慧理達1年生は入学してまだ2ヶ月と経っていない。その1年生の間でも噂が広まっているとなると、御伽原学園の七不思議の認知度はかなりのものだ。
そしてそれだけ有名な話を、智慧理は今日紗愛から教えられるまで全く知らなかった。
「そっか……私が物を知らないだけか……」
流行に取り残されている感覚に肩を落とす智慧理。
「大丈夫だよ智慧理!学園で流行ってることは私が全部智慧理に教えてあげるから!」
「ありがとう睦美ぃ……持つべきものはコミュ力高い友達だねぇ……」
睦美はかなり顔が広く、同学年だけでなく上級生にも知り合いが多い。そのような交友関係を駆使して睦美が拾ってくる情報には、智慧理もこれまで何度か助けられたことがあった。
智慧理としては、友人の多い睦美が日頃から自分に構ってくれて有難い限りだ。
「七不思議って何ですか~?」
すると後ろの席で鞄に教科書を詰めていた露華が、ふわふわと話に入ってきた。
「そっか、露華ちゃん転校して来たばっかりだから知らないよね。あのね、この学園にも七不思議があるんだよ」
「七不思議って何ですか~?」
「……あっ、七不思議自体が分からないってこと!?」
「はい、聞いたことないです~」
生まれて間もない露華は、まず七不思議という概念自体を知らなかった。
「露華。七不思議っていうのは特定の場所に纏わる怪談を7つ集めたものだよ」
「そうなんですね~。じゃあ御伽原学園には7つも怖い話があるんですね~」
「そういうこと。露華は呑み込みが早いね~、偉い偉い」
手を伸ばして露華の白い髪を優しく撫でる露華。思春期真っ只中の高校生にはブチ切れられても仕方の無いような褒め方だが、露華は素直に喜んでいた。
「御伽原学園の七不思議はどんな話なんですか~?」
「えっとね……」
智慧理は昼休みに紗愛から聞いた話をそっくりそのまま露華に話した。
「凄いですね~、この学園には幽霊が出るんですね~」
純粋な露華は七不思議を真に受けて、キラキラと目を輝かせる。
「いや、七不思議が全部ホントってことは無いと思うけど……」
「それに幽霊なんている訳ないしね!ね、智慧理!」
「……」
屈託のない笑顔で同意を求めてくる睦美から、智慧理はそっと視線を逸らした。
「……あれ、智慧理って幽霊信じてる人?」
「信じてるっていうか……」
信じる信じない以前に、智慧理は幽霊がこの世に実在することを知っている。更に言えば智慧理は幽霊と寝食を共にしていたことも、幽霊を自らの手で殺めたこともあるのだ。
「……いるよ、幽霊は。七不思議がホントかは別だけどね」
「え~、智慧理ってそっち派の人?」
「まぁ、うん。幽霊見たこともあるしね」
「そっか~智慧理幽霊信じる人だったか~。ちょっと意外かも」
すると睦美は何か思いついた様子で悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「じゃあさ、今から勝負しない?」
「勝負?」
「幽霊いる派の私と、幽霊いない派の私の勝負。どう?」
「どう、って……」
睦美の突飛な提案に戸惑う智慧理。
「勝負ってどうするつもりなの?」
「死者が映るっていう3階の女子トイレの鏡を今から見に行くの!それで死者が映ったら智慧理の勝ちで、映らなかったら私の勝ち!」
「それ私めっちゃ不利じゃない?」
智慧理の言う「幽霊がいる」というのは、「この世のどこかしらには幽霊が実在している」という規模感の主張だ。断じて「御伽原学園には幽霊が出るに違いない!」などというピンポイントな話ではない。何なら智慧理は御伽原学園の七不思議については普通にただの噂だと思っている。
故に3階の女子トイレの鏡に死者が映らなかったからと言って、それを智慧理の負けとされるのは納得がいかなかった。
「あれあれぇ~?智慧理ったら自信無いの~?」
「この件に関しては普通に自信無いよ」
「そっか~、残念だな~……智慧理が勝負から逃げるなんて」
「……逃げる?」
智慧理の眉がピクッと跳ねる。
「負けるのが怖くて戦う前から逃げるなんて……智慧理って意外と臆病なんだね?」
「……聞き捨てならないなぁ……!」
智慧理にとって臆病者と思われることは何よりも耐え難い。
「分かった……その勝負受けてあげる……!」
「……ふぅん?よかった、智慧理に失望しないで済みそうだよ」
敢えて挑発的な態度を取る睦美。そうすることで智慧理がますます勝負に食いついてくることを知っているのだ。
出会ってから1ヶ月半程度だというのに、睦美は智慧理の御し方を完全に理解していた。
「勝った方が負けた方に究極キャラメルマキアートおごりでいい?」
「いいよぉ……!」
駅前のコーヒーショップで提供されている究極キャラメルマキアートは、最も量の少ないSサイズですら価格が1杯1000円超というこの世の理を逸脱した飲み物だ。高校生の財布事情には厳しすぎるこの祝杯を賭けた以上、どちらも負けは許されない。
「じゃあ行こっか智慧理。あっ、それとも先にお財布の1000円札とお別れしておく?」
「睦美も今の内に究極キャラメルマキアートを噛まずに注文する練習しておいた方がいいんじゃない?」
「私も一緒に行っていいですか~?」
互いに挑発し合う智慧理と睦美の後ろを、あまり話の流れがよく分かっていない露華が付いていく。
そうして3人は教室を出て、3階へと上がっていった。
「なんか3階ってちょっと緊張するね……」
御伽原学園は階層によって学年が分かれており、3階にあるのは3年生の教室だ。上級生ばかりのフロアに1年生が足を踏み入れるという状況に、智慧理は緊張を感じていた。
「そう?」
智慧理とは対照的に、睦美は気軽な足取りで廊下を進んでいく。
「わぁ~、高いですね~」
露華は3階の窓からの景色を楽しんでいる。露華は空を飛ぶことができるが、建物の中から見る景色はそれとはまた違うらしい。
「……あれ?」
件の女子トイレの前までやって来たところで、智慧理はそこに立っていた人物に首を傾げた。
「梅木先輩だ」
女子トイレの前で門番さながらに仁王立ちしていたのは、智慧理が昼休みに顔と名前を知ったばかりの、生徒会副会長梅木だった。
「副会長?あんなとこで何してるんだろ?」
睦美の疑問はもっともだ。女子トイレの入口で仁王立ちする男子生徒は不審者以外の何物でもない。事実、女子トイレの前を行き交う他の生徒達は、男女問わず梅木に怪訝な視線を向けている。
そして女子トイレの鏡が目当ての智慧理達にとっては、梅木は邪魔でしか無かった。
「梅木先輩、そんなとこで何してるんですか?」
智慧理が近付いていって声を掛けると、梅木は僅かに怯えるような気配を見せた。
「君は……」
智慧理の顔を見ながら1歩後退る梅木。なぜこんなに怯えられているのかと智慧理は首を捻る。
「覗きですか?」
「馬鹿なことを言うな。そういう君こそ何をしに来たんだ?1年生は3階に用事は無いだろう」
「死者が映るトイレの鏡見に来ました」
智慧理が馬鹿正直に答えると、梅木は呆れた様子で溜息を吐いた。
「全く……嘆かわしいことこの上ないな。御伽原学園の学生ともあろうものが、低俗な噂に踊らされてトイレなどに物見とは。もっと高校生として節度を持って行動をだな……」
「入りますね~」
「なっ、待て!」
梅木の脇を通り抜けて女子トイレに入る智慧理。
「あら、智慧理じゃない。どうしたのこんなところで」
女子トイレの中には、鏡とにらめっこをしている紗愛の姿があった。
「紗愛先輩?何してるんですか?」
「私はほら、七不思議の調査よ。昼休みの時に話してたでしょ?」
「あ~、そう言えば」
放課後に生徒会で七不思議の調査を行うと紗愛が話していたことを智慧理は思い出した。
「じゃあ梅木先輩が女子トイレの入口で門番やってるのもそれ関係ですか?」
「あいつそんなことしてるの?バカねぇ……」
紗愛がいる手洗い場からは入口が見えない構造になっている。紗愛は梅木が門番をしていることを知らない様子だった。
「あいつのことだから、調査の邪魔が入らないように~とか考えてるんでしょうけど……ホントに要らない気ばっか回すわね……」
「トイレの前通る人み~んな怪訝そうにしてました」
「でしょうね。紗愛、あいつ気絶させてどこかのロッカーにでも閉じ込めておいてくれない?」
「私停学になっちゃいますよ」
紗愛の物騒な頼みごとを智慧理が断ったところで、睦美と露華もトイレの中に入ってきた。
「紗愛先輩。こんにちは~」
露華は紗愛を見つけると、嬉しそうに頬を緩ませた。その表情は祖母に懐く孫娘のようだ。
「あっ、千金楽センパイ……」
一方紗愛と直接の面識の無い睦美は、紗愛を見た途端気まずそうに体を強張らせてしまった。
「鹿籠さんに箕六さんまで?あなた達何しに……あっ、もしかして七不思議?」
紗愛に目的を言い当てられ、智慧理は無言で頷いた。
「わざわざ七不思議を確かめに3階まで上がってきたの?意外ねぇ、お昼に七不思議のこと話した時はあんまり興味なさそうだったのに」
「興味があった訳じゃないんですけど、なんていうかこう、話の流れで……」
「きゃあっ!?」
するとその時、睦美が甲高い悲鳴を上げながら智慧理に飛び付いてきた。
「ひゃっ、ちょっと睦美どうしたの?」
「あ……あれ……!」
睦美が震える右手を持ち上げ、壁に3枚取り付けられている手洗い場の鏡の、1番奥のそれを指差す。
「……嘘……」
鏡に向けた紗愛が驚愕で目を見開く。智慧理も鏡に釘付けになったまま言葉を失った。
その鏡の右端には、智慧理とも紗愛とも睦美とも露華とも違う、長い髪で顔が隠れた女子生徒の姿が写り込んでいた。
その女子生徒が身に着けている制服のブレザーは、首元から腹にかけて赤黒く変色している。その色を一目見た瞬間、智慧理はそれが女子生徒自身の血液によるものであると直感させられた。
「御伽原学園の七不思議って……ホントだったんだ……」
睦美のその呟きを否定することのできる人間は、この場には1人もいなかった。
次回は23日に更新する予定です