4.魔術とは
「すご~~~い!!」
御伽原の上空、黒く染まった夜空を、智慧理は歓声と共に飛んでいた。
「すご~い!寒~い!!」
「まだ4月だから夜の上空は冷えるだろうね。私はもう肉体が無いから分からないけれど」
智慧理の隣には、同じく空中を移動する霞の姿がある。
幽霊の霞は、叛逆の牙が無くとも飛行はお手の物だ。
「私、夜景ってちゃんと見るの初めてかも!」
眼下に広がる御伽原の街並みは、無数に灯った人工の明かりによって美しく照らし出されている。
智慧理は一旦空中で停止すると、スマホを取り出して御伽原の夜景を写真に収めた。
「稲盛さん!あそこ行ってみてもいいですか?」
智慧理が指差したのは街の中心に聳える電波塔だ。
色鮮やかにライトアップされたその塔の名はセントラルタワー。高さ200mのその巨大建造物は、御伽原が誇るランドマークだ。
地上50m地点と100m地点にはそれぞれ展望台があり、御伽原に足を運んだなら1度は訪れたい観光名所として知られている。
「私こっちに越してきて、まだセントラルタワー行ったことないんです」
「それならこの機会に行ってみるといい。今の君なら展望台以上の特等席から景色を眺められるからね」
「やった~!」
智慧理は一直線にセントラルタワーへと向かう。
その速度は約時速80kmほど。更に車とは違って目的地まで最短距離で向かうことができるため、あっという間にタワーが目前にまで迫ってくる。
「よっ、と」
智慧理が腰掛けたのはタワーの頂点。入場券を買えば誰でも入れる展望台とは違い、本来であれば絶対に立ち入ることのできない正真正銘のタワーの頂点だ。
「わ~、いい眺め~」
「御伽原にこのタワーより高い建物は存在しないからね。遮るものが何も無い」
智慧理は投げ出した足をゆらゆらと揺らしながら、タワー頂点からの景色を写真に収める。
しばらく夜景を楽しんでいた智慧理だったが、
「あっ、そうだ」
思い出したように視線を夜景から霞に移した。
「稲盛さんに聞こう聞こうと思ってて今の今まで聞きそびれちゃってたことがあるんですけど……」
「ん、何かな?」
「これ、何ですか?」
智慧理がスマホを仕舞って代わりに取り出したそれは、幕末の風情を感じさせる拳銃のような物品。
それは昨日智慧理が殺した恐竜人間が使っていたもので、戦いの最中に奪った後そのまま持って帰ってしまったのだ。
「ああ、持って帰ってきていたんだね。それは『光芒銃』と呼ばれるものだよ」
「こーぼー銃……?」
「一応詳しく説明すると、引き金を引くことで<排斥の光芒>という魔術を行使することができるアーティファクトだよ。<排斥の光芒>というのは魔力に指向性を持たせて放出することで攻撃力を持たせる……要は魔力でビームを撃って敵を殺すための魔術だ。本来は詠唱を必要とするために発動までに時間が掛かる<排斥の光芒>を、『引き金を引く』というワンアクションで発動可能にした優れものだ……恐竜人間の発明を称賛するのは不本意だけどね。ああそれと<排斥の光芒>は術者の魔力量によって威力や性質が異なるから、そこらの恐竜人間が使うよりも黒鐘さんが使った方が高い威力になるはずだよ」
「……?」
立て板に水のように流暢に説明する霞だが、魔術の話であるために智慧理には何が何やらだ。
智慧理が理解できていないことを悟り、霞は苦笑する。
「少し難しかったかな?」
「はい……っていうかそもそも魔術って何なんですか?」
当たり前に魔術という単語を多用する霞だが、智慧理は未だに魔術に関するきちんと説明を受けてはいなかった。
「……そう言えばそうだったね」
自分が説明を欠いていたことに気付き、決まりが悪そうに苦笑する霞。
「それじゃあ折角だから准教授らしく講義と行こうか。今日は魔術についてだ」
「は~い。先生お願いしま~す」
おどける智慧理に霞は表情を綻ばせながら、咳払いの後に講義を始める。
「まずは大本となる根本的な話からだ。黒鐘さん、『一念岩をも通す』という諺を知っているかな?」
「ん~……聞いたこと無いです」
「そうか。これは簡単に言うと『強い意志を持てばどんなことでもやり遂げられる』という意味でね、その昔弓の名人が岩を虎だと見間違えて矢を放ったところ、矢が岩に突き刺さったという中国の故事に由来しているんだ」
「そんなことあります?」
「あはは、そう思うのも無理はないよね。けれどこの諺は、魔術的観点からすると全く別の意味を持つんだ」
智慧理は首を傾げる。
「強い意志が大事ってことですか?」
「それも勿論正しい。けれどこの故事で最も重要なところは、弓の達人が思い込みの力によって現実を改変したという点だ」
「現実を、改変……?」
「だって現実的に考えたら、岩に矢が刺さるなんてことは有り得ない。だからもしそんなことが起きるとしたら、現実そのものが変わっているとしか考えられないでしょ?」
突拍子もない話だ、智慧理にはすぐに飲み込めない。
「この世界には自らの意思を持つ存在、『知性体』が数多く存在している。人間も勿論そうだし、犬も猫もカエルも魚も邪神眷属も全部知性体だ。そして知性体が持つ『思念』という力には、現実に干渉し改変するという性質が備わっているんだ。弓の名手が岩に矢を突き刺すことができたのも、弓の名手の『思念』が現実に干渉し、現実が改変された結果なんだ」
「じゃあ……私達は誰でもホントは、自分の好きなようにこの世界を作り変えられるってことですか?」
「その通り……と言いたいところだけど、実際にはそうはいかない。知性体は誰でも意志の力によって現実に干渉する能力が備わっているけれど、多くの場合その力はとんでもなく微弱なんだ。ほとんどの知性体は1度も現実改変を起こすことなくその生涯を終えるし、仮に現実改変に成功しても生涯に1度か2度、それも自覚できないほどのごく僅かな改変を起こすのがやっとだね。ただ極稀に現実に干渉する力が非常に強い人間もいて、そういう人間は超能力者なんて呼ばれることもあるけれど」
「えっ、超能力者ってホントにいるんですか!?」
「いるにはいるよ。まあテレビなんかに出演しているようなのは大抵偽物だけれどね」
話題が超能力者へと逸れそうになったので、霞は一旦咳払いをして話を仕切り直す。
「要するに人間の『思念』は現実に干渉する性質があるけれど、その力は非常に弱い。けれど現実に干渉するなんて便利な力、どうにかして利用したいと思う者は当然現れる」
「確かに、私もちょっと思いましたもん」
「そうだね。そして一部の熱心な研究家がそれを実現するために、詠唱や儀式によって『思念』の力を増幅して現実への干渉力を高める技術を作り出した」
「……それが魔術、ですか?」
「察しがいいね。その通りだよ」
霞の口振りはまさしく出来のいい学生を褒める時のそれだった。
「つまり魔術は『思念』の力によって現実を改変するための技術と纏めることができる」
「何かそれだけ聞くとすっごく便利で、世間に知られてないのが不思議なくらいなんですけど……」
「うん、確かにこれだけだと夢のような技術だけど、当然それだけじゃない。人間社会において魔術が広まらなかったのには理由がある。というのも魔術というのは非常に危険な技術なんだ」
「危険って、どんな風にですか?」
「さっきも言った通り詠唱や儀式によって『思念』の力を増幅して現実を改変する、というのが魔術の原理なのだけど、実はこれは人体にとってはかなりの無茶なんだ。何せ本来持っている以上の力を外的要因によって無理矢理引き出している訳だからね」
それは体への負担を考慮しないドーピングのようなものだ、と霞は語った。
「本来持つ以上の力を引き出した代償として、魔術の行使には『思念』の力の消耗を伴うんだ」
「意志の力の消耗……?」
智慧理にはそれがどのようなことなのか今ひとつ想像がつかない。
「『思念』の力というのは精神力と言い換えてもいい。つまり魔術というのは、使う度に精神が擦り減っていくんだ。その行き着く先は廃人だよ」
「えええええっ!?」
より噛み砕いて説明された結果、智慧理は驚きのあまり大声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください!あの、これ!」
智慧理は改めて光芒銃を霞に掲げて見せる。
「これって確か、引き金を引くと魔術が使えるんですよね!?」
「その通り。便利な遠距離武器として使えるよ」
「わ~、やった~……じゃなくて!ってことは昨日これで恐竜人間を撃ちまくった時、私何度も魔術を使ってたってことですよね!?」
「そうだね」
「それにここまで空飛んできたのも魔術なんですよね!?」
「そうだね」
「じゃあ私すっごくたくさん魔術使ってすっごく精神擦り減ってるってことじゃないですかぁ~!あああ~どうしよぉ~廃人になっちゃう~……」
頭を抱えて嘆き悲しむ智慧理。その姿を見て霞は可笑しそうに笑った。
「あはは、心配することは無いよ。短時間で魔術を乱用するか大規模な魔術を行使しない限りは、消耗した精神はぐっすり眠れば回復するからね」
「私昨日結構乱用しましたよ!?」
「でも君は光芒銃を連射した直後もケロッとしていたし、今も何ともないから大丈夫だよ」
「ホントですか……?」
智慧理は涙目で霞を見上げる。
「本当だよ。それに私の見たところ、君は常人よりも遥かに精神力が強いようだ。光芒銃程度ならどれだけ乱射しても廃人になることは無いと思うよ」
「私ってそうなんですか……?」
「うん、君は実に魔術師に向いている。叛逆の牙に適合しただけのことはあるよ」
霞の太鼓判を受けても智慧理には一抹の不安が残ったが、実際今の時点で体にも心にも何の以上も無いことは事実なので、ひとまずは霞を信じることにした。
「話を戻すけれど、魔術が広まらなかったのはそういう理由だよ。行き着く先が廃人の技術なんて、どれだけ便利でも使いたくはないでしょ?」
「……もう散々使っちゃった私にそれ聞きます?」
「あはは、確かに」
霞はまた可笑しそうに笑い、智慧理は溜息を吐いて肩を落とす。
「……ん~?」
すると智慧理はふと首を傾げ、2時の方向に顔を向けた。
「どうかした?黒鐘さん」
「いえ……なんか、あっちの方に何かいるような気が……」
「っ、それは……」
霞の表情が険しくなる。
「もしかしたら邪神眷属の気配を感知したのかもしれない。黒鐘さん、行ってみよう」
「わ、分かりました」
智慧理は慌てて光芒銃を仕舞いながら立ち上がり、空中へとその身を投げる。
重力に引かれたのはほんの一瞬、智慧理の体はセスナのように空を舞った。