38.正体を知る者
騒乱の握手会から2日経った月曜日。
「一昨日の午後、機動捜査隊から連絡があったのよ。現場に邪神眷属の死骸らしきものがあるからすぐ来てほしいってね」
放課後に屋上へとやって来た智慧理に紗愛が話し始めたのは、新田レイラの握手会で起きた事件の、智慧理とは別の視点の情報だった。
「機動捜査隊……って、刑事さんですか?」
「そうね」
「刑事さんって邪神眷属のこと知ってるんですか?」
「知ってるわよ、御伽原の刑事はみんなね。って言ってもほとんどの刑事は『この街には化け物が出るらしい』ってくらいの認識で、魔術のこととか邪神のこととかは知らないけど」
「へぇ~そうなんですね」
目を丸くする智慧理だが、考えてみれば当然だ。この街の刑事が邪神眷属のことを知らなかったら、邪神眷属による殺人やその他の犯罪が全て未解決事件になってしまう。
「で、機動捜査隊に呼ばれて現場に行ってみたらびっくりしたわよ。まさかエギグエロファがまた出たなんて」
「私だってビックリしましたよ。紗愛先輩前に『エギグエロファは人間の死体が極稀に変異する』って聞いてたのにこんなにポンポン出てくるなんて」
前回智慧理がエギグエロファを目撃したのがゴールデンウィークの最終日で、それから一昨日の握手会までは半月しか経っていない。どう考えても「極稀」などという頻度ではなかった。
「とりあえず警察には、エギグエロファの出現は表向き集団幻覚ってことにしておくように言っておいたわ。あの場にいた人間が全員いるはずのない怪物を目撃したことにしなさいってね」
「かなり苦しくないですか?それ」
「苦しいわよ。でも邪神眷属の存在を公に認めるなんてできないもの。SNSにエギグエロファの写真が出回ってなかったのが不幸中の幸いだったわ」
エギグエロファが出現した時にその場にいた人間は皆パニック状態に陥っており、全員が我先にと逃げ出したためエギグエロファの姿を撮影した者はいなかった。そのため集団幻覚という苦しいカバーストーリーでも辛うじて建前として成立したのだ。
「エギグエロファの死体ってどうしたんですか?警察にあるんですか?」
「私が回収したわ。警察に預けてもしょうがないし、私もエギグエロファを研究したかったしね。それで研究の一環として智慧理にもいくつか聞きたいことがあるの」
「だから私呼ばれたんですね」
智慧理はようやく自分が呼び出された理由を知った。
「でもなんで今日は放課後だったんですか?いつもは昼休みなのに」
「昼休みはちょっと生徒会の仕事があったのよ」
「ああ、生徒会」
忘れがちだが、紗愛は御伽原学園の生徒会長である。
「それで智慧理、一昨日エギグエロファが出現した時はどんな状況だったの?」
「えっと……」
智慧理はエギグエロファが出現した時の出来事を紗愛に説明した。
「智慧理が取り押さえてた男が、突然血を吐いて死んで、そしてエギグエロファになった……」
紗愛は顎に指を当て、智慧理の説明を反芻する。
「……それって智慧理が勢い余って殺しちゃったってこと?」
「違いますよ!……多分」
「多分なのね」
正直智慧理は今でも、自分があの男性を殺したのではないと断言することはできないでいた。
しかし男性の死に様からして、智慧理が直接の死因となった可能性が低いことも確かだ。
「智慧理が原因じゃないとすると……その男は事前に口の中に毒でも仕込んでたのかもね」
「あっ、紗愛先輩もそう思います?私も毒かな~って思ってたんです」
「毒を仕込んでたんだとすると、その男は自殺したってことになるわね」
「自殺……そう言えば前もそうでしたよね?」
智慧理の言う「前」とは、半月前に智慧理の目の前でエギグエロファに変異したゼットという麻薬の密売人のことだ。ゼットは智慧理に取り押さえられた際に拳銃自殺し、直後エギグエロファへと姿を変えた。
「もしかして自殺した人間しかエギグエロファにならないとか?」
「その可能性は充分あるわ。けど断言するにはまだサンプルが少なすぎるわね」
たったの2例だけでは「自殺」と「エギグエロファへの変異」との因果関係を証明するだけの根拠としては弱い。
「もっとエギグエロファのサンプルを集められれば……とは言えないのが難しいところね」
「不謹慎ですもんね」
エギグエロファが出現するということは、人が死ぬということだ。それを望むのは智慧理の言う通り不謹慎になる。
「なるほど……ありがとう、聞きたいことは全部聞き終わったわ」
「じゃあ私帰りますね」
「ええ。また夜にね」
紗愛に手を振って屋上を後にする智慧理。
普段なら睦美なり露華なりと一緒に下校するところだが、今日は智慧理が紗愛に呼び出されたので2人とも先に帰っている。
教室で鞄を回収し、駐輪場で自転車を回収した智慧理は、学園を出ようとしたところで校門に不審人物を発見した。
「……何あれ」
野球帽を目深に被り、顔を伏せながら辺りをキョロキョロと見回している人物。服装はどちらかというと男性のようだが、体付きは女性に見える。
「先生呼んできた方がいいのかな……」
校門前に不審人物がいるというのは学園としてかなり危険な状況だ。教職員に報告すべきか、それとも自分で声を掛けて怪しければ取り押さえるべきか、智慧理は立ち止まって思案する。
すると忙しなく周囲に視線を向けていた不審者が智慧理の存在に気付き、小走りで智慧理に向かってきた。
「えっ何……」
何を仕掛けてくるつもりかと身構える智慧理。
「あの……」
智慧理の蹴りが届くか届かないかという距離まで近付いた不審者は、人目を憚るようにしながら智慧理にだけ見えるように帽子のつばを持ち上げた。
「えっ……」
帽子の下に隠されていた予想外の素顔に智慧理は一瞬硬直する。
「レイラちゃん!?」
「は、はい……」
不審者――新田レイラは少し照れた様子で微笑んだ。
御伽原学園の近くにある少しお高めの喫茶店。価格設定との兼ね合いで学園生にはあまり縁のないその店に、智慧理はレイラによって連れて来られていた。
「ど、どうしたんですか?いきなり御伽原学園に来るなんて……」
智慧理はいつになく緊張していた。相手は全国ネットのテレビ番組にも出演するようなこの街の有名人。どのように接するべきなのかが分からない。
「えっと……あなたにお礼を言いたかったの」
運ばれてきたコーヒーに口を付けてからレイラはそう答える。
「わ、私にですか?」
「そう。一昨日の握手会で、あの男の人が包丁を取り出した時、あなたが取り押さえてくれたでしょ?あなたがいなかったら私のマネージャーは怪我をするか最悪殺されてたでしょうし、私や他のファンの人達だってどうなってたか分からない」
そう言ってレイラは智慧理に深く頭を下げた。
「ありがとう。私達を助けてくれて」
「あっ、はい」
「それだけはどうしてもあなたに伝えたかったの」
顔を上げたレイラが智慧理に微笑む。流石はアイドルなだけあって、その表情は智慧理も思わず見惚れてしまうほど可愛らしかった。
「でも、どうして私が学園生だって分かったんですか?」
「……え?」
「だって私、握手会の時は私服着てて、自己紹介とかもしなかったのに……」
冷静に考えて、レイラが持っている智慧理の情報だけで学園まで辿り着けたのはおかしい。御伽原には学園以外にもいくつか高校がある上、そもそも智慧理が高校生ということすらレイラは知らなかったはずだ。
「えっと、それは……」
智慧理の質問に目を泳がせるレイラ。何か疚しいことがありそうな雰囲気だ。
「その……悪気が無いことは信じてほしいんだけど……」
「何ですかその怖い前置き」
「ほら、あなたミロクちゃんとお友達でしょ?」
「そうですけど……」
ミロクというのは睦美の苗字だ。
「ミロクちゃんは私のイベントによく来てくれるんだけど、今年の初め頃の握手会で『御伽原学園に合格して4月から高校生になる』って話してくれたの。だからミロクちゃんと一緒に来てたあなたも学園生じゃないかなって思って」
「なるほど……えっ、その情報だけで私を校門で待ってたんですか!?」
「そう。あそこで待ってればいつかはあなたが出てくるだろうと思ったの」
「凄い力業……」
智慧理が帰宅部だったからまだよかったものの、仮に智慧理が部活に所属していればレイラは2時間以上校門で待つ羽目になっていてもおかしくなかった。そしてそれだけ長時間部外者が校門をうろついていたら確実に教職員とトラブルになる。
「私も無茶なことしたとは思ってる。でももう1度あなたに会うにはこうするしかないと思ったの。あなた、握手会に来てくれたけど私のファンじゃないでしょ?」
「え、っ……」
「ふふっ、隠さなくても大丈夫。握手会に来てくれただけでも私は嬉しいから」
「……ごめんなさい」
そんなことないですよ、と繕うタイミングを逃し、智慧理は頭を下げるしか無かった。
「でも、新曲を毎日聞いてるのはホントなんです」
「うん、それも分かってる」
レイラは優しい微笑を浮かべており、智慧理がレイラのファンではないという事実に気を悪くしている様子はなかった。
「そう言えばまだ名前を聞いてなかった。あなた、お名前は?」
「黒鐘智慧理です。えっと、レイラさん、でいいですか?」
「うん、そう呼んでくれると嬉しいな、智慧理ちゃん」
口に馴染ませるように智慧理の名前を呼んだレイラが、そこでふと表情を引き締めると、何かを警戒するように店内に目を配る。
そしてレイラはテーブルの上に身を乗り出すと、智慧理に顔をぐっと近付けて囁いた。
「智慧理ちゃん、最近噂のブラックエンジェルなんでしょ?」
「ひゅっ」
智慧理は驚きの余り妙な呼吸音を漏らしてしまった。
「な、何が、何のことで……」
「実は私、見ちゃったの。一昨日の握手会で、智慧理ちゃんが変身して怪物と戦ってるところ」
「っ……!」
それを聞いた智慧理の脳内に、一昨日の光景が蘇る。
マニレコの店内でエギグエロファを倒した智慧理は、人目に付かないようマニレコを脱出するために裏口のあるバックヤードに向かった。
するとその時のバックヤードには、直前まで人がいたことを示す痕跡が残されていたのだ。
「じゃああの時、バックヤードにいたのって……」
「そう、私。スタッフさんとかを先に逃がして、それから1人で怪物を食い止めようとした智慧理ちゃんが心配になって様子を見に行ったの。そうしたら智慧理ちゃんが黒い天使みたいな衣装に変身して……」
「うわぁ……全然気付かなかった~……」
バックヤードの痕跡を発見した時点で、ブラックエンジェルへの変身を誰かに目撃されたことは予想していた。しかしその誰かがレイラだとは思っていなかった、というのが正直なところだ。
「その、レイラさん……私がブラックエンジェルってことは、できたら内緒にしてもらえると……」
「うん。誰にも言ってないし、言うつもりもないよ。だから安心して」
「ありがとうございます~……!」
智慧理はレイラを拝んだ。
「でも、1つだけ聞かせてほしいことがあるの」
「何ですか?」
「智慧理ちゃんは、どうして怪物と戦うの?」
レイラは小さく首を傾げ、真っ直ぐな瞳で智慧理を見つめる。
「怪物と戦うのはあの時が初めてじゃないでしょ?」
「まあ、はい」
「でも、怪物と戦ってもそれでお金が貰えるとは思えないし、正体を隠してるってことは有名になりたいってことでも無いんでしょ?それなのに智慧理ちゃんが怪物と戦うのは何のため?」
「あ~……えっと……」
レイラがそれを智慧理に尋ねる意図は分からない。だが智慧理にとってその理由は別に隠すほどのことでも無いので、正直に話すことにした。
「私って、結構怒りっぽい性格なんです」
「怒りっぽい?」
智慧理の話の切り出し方が意外だったのか、レイラは頭を更に傾けた。
「レイラさんは、この街にはああいう怪物がいっぱい出るって知ってますか?」
「知らなかったよ。けど一昨日のことがあってからは、もしかしてそうなのかなって思ってた。やっぱりそうなんだね」
「そうなんです。それで私は怒りっぽいから、ああいう怪物を見るとすぐ頭に血が上って、怪物を殺したくて仕方なくなっちゃうんです」
それは決して智慧理の性格の問題ではない。智慧理が邪神眷属に対して強い殺意を抱くのは、稲盛霞によって精神を作り変えられてしまったためだ。
「じゃあ智慧理ちゃんは、怪物を殺したいから戦ってて、怪物を殺すことそれ自体が目的ってこと?」
アイドルの口から「殺す」などという物騒な語彙が出てきたことに面食らいつつ、智慧理は苦笑しながら首を横に振る。
「一応、私はそれの逆のつもりなんです」
「逆?」
「私はこの街に住んでる人達を怪物から守るために戦ってるんです。一応、自分ではそのつもりなんです。結果だけ見れば殺したくて殺してるのと変わらないですけど」
智慧理がそう言うと、レイラは理解できないとばかりに小さく頭を振った。
「……どうして智慧理ちゃんがそこまでするの?街の人を守るなんて警察の仕事でしょ?智慧理ちゃんが街の人のために戦っても何のメリットも無いのに……」
「こんなこと誰かに言うのは初めてなんですけど……私、少し怖いんです。自分がその内、怪物を殺すためだけに戦うようになるんじゃないかって。殺すために戦うなんて、そんなの私の方が怪物じゃないですか」
稲盛霞に植え付けられた邪神眷属への敵意や殺意は、智慧理自身が精神改変を自覚したことである程度制御できるようになった。
しかしあくまでも制御できるようになっただけ。殺意が消えた訳ではないのだ。
「レイラさん、私が怪物と戦っても何のメリットも無いって言ったじゃないですか。むしろメリットが無い方が私にはいいんです。何の見返りも無く街の人のために戦ってる内は、自分がまだ怪物じゃないって思えるから」
「……そっか。詳しい事情は私には分からないけど、智慧理ちゃんは自分を見失わないために怪物と戦ってるんだね」
智慧理が話した内容を、レイラが上手く要約する。
「智慧理ちゃんの気持ち、私も少し分かるな」
「えっ、レイラさんも?」
「うん。私ってほら、少し変わった歌ばっかり歌ってるでしょ?」
「はい」
「そういう歌ばっかり歌ってるとね、たまに自分が何を言ってるのか分からなくなって、自分を見失いそうになる時があるの。って、こんな話と一緒にしたら智慧理ちゃんに失礼だよね」
「そんなことないですよ」
「そう?それならよかったな」
レイラはクスクスと楽しそうに笑いながらコーヒーカップを持ち上げる。アイドルだけあってそのような所作が一々様になっていた。
「ねぇ、智慧理ちゃん。私達友達になれないかな?」
コーヒーカップを持ったまま、レイラは智慧理に悪戯っぽい上目遣いを送る。
「お互いが自分を見失わないように、今日みたいにこうやって時々2人で会ってお互いのことを確認し合うの。どう?私達、いい友達になれると思うんだけど」
「えっ……いいんですか?」
「勿論。私から言い出したんだもん、いいに決まってるよ」
「あっ、じゃあ……なりたいです、お友達」
智慧理は当然これまで芸能人の友人を持ったことはない。初めての経験に緊張し、連絡先を交換する時にはスマホを持つ手が震えてしまった。
「ふふっ。智慧理ちゃん、これからよろしくね?」
「よろしく、お願いします……」
智慧理はレイラの連絡先が入った自分のスマホを胸に抱きながら、睦美にこのことを言うべきか言わないべきか迷っていた。
次回は19日に更新する予定です