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22.鎮火

 「……り……えり……!」

 「ん……?」


 遠くから聞こえる何者かの声が、智慧理の意識を目覚めさせた。


 「ここ、は……っ、ごほごほっ!」


 智慧理がまず感じたのは喉の乾燥。カラカラに喉が渇いており、声を出した瞬間に咳き込んでしまう。


 「ごほっ!えっ……どこここ!?」


 改めて周囲を見回すと、そこは智慧理が全く見覚えのない場所だった。鬱蒼とした木々が生い茂り、地面に傾斜を感じることから、どこかしらの山の中であることは想像がつく。だがそれ以上に智慧理の現在地を示す情報は今のところ見当たらない。


 「……えっ、私ヤバくない?」


 青褪める智慧理。気が付いたら見知らぬ山中に1人放り出されていたという状況は大概詰んでいる。

 唯一の救いはまだ陽の出ている時間帯ということだが、智慧理が今いる場所からは太陽が確認できない。いつ陽が落ちるとも分からない状況だ。


 「早く街に下りないと……っ、重っ!?」


 体を起こそうとした智慧理は、全身に強い倦怠感を感じた。まるで突然地上の重力が10倍になったかのように体が重い。


 「えっ、ちょっ、動けない……!?」


 見知らぬ山中で1人身動きを取れないという状況に、本格的に身の危険を感じ始める智慧理。喉が渇いているのに水すら飲みに行けないというのはかなり致命的だ。


 「……ちえ……りー……!」


 その時自分は自分の名を呼ぶ微かな声に気が付いた。

 思い返せば智慧理が目を覚ました切っ掛けは、何者かの声が聞こえてきたからだ。つまり今、この近くには誰かがいる。


 「誰か助け、っげほごほごほっ!」


 声の主に助けを求めようとした智慧理だったが、すぐに激しく咳き込んでしまう。乾いた喉で大声を出そうとしたのだから当然だ。


 「智慧理!?そこにいるの!?」


 だが声の主に智慧理の存在を知らしめるという目的自体は成功した。草木を掻き分けて智慧理のいる場所へと駆け寄ってくる足音が聞こえ始める。


 「智慧理、そこにいるのね!?智慧理!」


 その声が誰のものなのか、距離が近付いたことで智慧理はようやく理解する。


 「紗愛先輩!」

 「智慧理ーーーッ!!」


 木陰から飛び出してきた紗愛は、その勢いそのままにガバッと智慧理に抱き着いた。


 「よかった……!やっと見つけたわ!」

 「ちょっ、紗愛先輩苦しい痛い……!」


 技を極められたプロレスラーのように、紗愛の背中を何度もタップする智慧理。紗愛は「あっ、ごめん!」と我に返った様子で智慧理の体を離した。


 「そうだ、とりあえずお水飲みなさいお水!」


 紗愛が右手を広げると掌に魔法陣が出現し、そこからにゅるっと水筒が飛び出してきた。

 智慧理は有難く水筒を頂戴し、その中身を一気に呷る。


 「……ぷはっ!あの、紗愛先輩。私、何がどうなって……?」


 喉が充分に潤った智慧理は、自分が置かれている状況について紗愛に尋ねる。目が覚めたばかりでまだ頭がはっきりしていないこともあり、何がどうなって自分がどこぞの山の中にいるのかさっぱり分からなかった。


 「満腹フェスでカガリを殺した後、智慧理がどこかに飛んでいったのは覚えてる?」

 「あ~……何となく?」


 智慧理が中央公園で繰り広げた、カガリ率いるザララジア眷属の軍勢との戦いの記憶は、終盤がかなり朧気になっていた。左腕を失う重傷を負い、ザララジアの精神汚染を受け、その上オズボーンで自分の腹を刺したのだから、記憶が曖昧になって当然だ。

 だがそのうろ覚えの記憶の中でも、最後に中央公園から飛び去ったことは何となく覚えている。度重なるダメージによって変身形態を維持することが難しくなったため、正体が露見することを避けようと人のいない場所を目指したのだ。


 「その後智慧理、ホンットに行方不明になっちゃったのよ。インカムはカガリに壊されて通信はできなくなってたし、スマホのGPSを頼りに探そうにもスマホも壊れちゃってたみたいで……」

 「えっ私のスマホ壊れてるんですか!?」


 智慧理は大慌てでスマホを取り出して電源ボタンを連打するが、画面は暗いまま完全に沈黙してしまっている。


 「ホントだ……壊れてる……」


 中央公園での戦闘は超高温下で行われたため、電子機器がその熱で故障してしまうのも無理はない。しかしスマホが故障してしまったという事実は耐え難く、智慧理はすっかり意気消沈してしまう。


 「そんな感じで智慧理を完全にロストしちゃったから、何日も虱潰しに御伽原中を探し回ったのよ。それで今日になってようやく見つけられたって訳」

 「えっ、何日も探し回ったって……あれからどれくらい経ったんですか?」

 「5日」

 「えええええ明後日からゴールデンウィークじゃないですか!?」


 5日間も山の中で意識を失っていたとなると、目が覚めた時に「喉がカラカラで体が重い」程度で済んでいたのはむしろ奇跡的だ。普通に死んでいてもおかしくなかった。


 「ホントに智慧理が生きててよかったわ……餓死してても全然おかしくなかったもの……!」


 安堵のあまり今にも泣き出しそうな紗愛。すると餓死という単語を聞いたためか、智慧理の腹が盛大に音を鳴らした。


 「あ、あはは……お腹ペコペコです……」


 智慧理が照れ笑いをすると、紗愛も釣られて笑顔を浮かべる。


 「残念だけど食べ物は用意してないから、早く街に帰りましょ」




 紗愛に肩を借りて下山した智慧理は、紗愛が運転してきたという軽自動車にそのまま乗り込んだ。


 「あれ?紗愛先輩、前はバン運転してましたよね?どっちかレンタカーでしたっけ?」

 「前のバンもこの軽もどっちも私の車よ。用途に応じて使い分けられるように何台か持ってるの」

 「わぁ……お金持ち~……」


 紗愛の財力に感嘆する智慧理だったが、そこでとあるとても大事なことを思い出した。


 「っ、そうだ紗愛先輩!睦美は!?あの時満腹フェスにいたお客さん達はどうなったんですか!?」


 カガリを打ち倒した後、智慧理は睦美や他の人間の安否を確認することができなかった。本当ならば真っ先に睦美の安否を確かめなければいけなかったところを、今の今まで失念してしまっていた。


 「落ち着いて。とりあえずあなたの友達は無事よ。今日も普通に学園に行ってるんじゃないかしら」

 「そ、そうなんですか?よかった……」


 ひとまず胸を撫で下ろす智慧理。


 「詳しい話はご飯を食べてからにしましょう。お腹が空いてる時に真剣な話をするのはよくないから。もうすぐ着くわ」


 その言葉の通り、紗愛が運転する軽自動車は住宅街のとある一軒家の敷地に入った。その一軒家は近隣の他の家と比べると敷地も建物も一回り大きい。


 「ここは?」

 「私の拠点の1つよ。ここなら食材の備蓄があるからすぐにご飯が用意できるわ」


 紗愛に先導されて一軒家へと足を踏み入れる智慧理。


 「すぐに食べられるもの、何かあったかしら……胃に優しいものがいいわよね……」


 冷蔵庫や床下収納を漁った紗愛が目を付けたのは、レトルトのオニオンスープだった。


 「智慧理、オニオンスープ食べれる?」

 「私何でも食べられます!」

 「そ。じゃあとりあえずこれにしましょうか」


 紗愛はオニオンスープの粉末をお湯で溶き、智慧理に提供した。


 「ありがとうございます!いただきます!」


 立ち昇る玉葱の香りに食欲を刺激され、智慧理はカップに被さるようにしてオニオンスープを食べ始めた。

 実感は無いとはいえ5日振りの食事だ。そのオニオンスープはこれまでの智慧理の人生の中で最高のスープだった。


 「美味しい?」


 紗愛の質問に智慧理は何度も頷く。智慧理の食事の様子を紗愛は微笑ましく見守っていた。

 智慧理が抱えるカップは5分と経たずに空になる。


 「おかわりいる?」

 「欲しいです!」

 「ふふっ。待ってて、すぐに用意するわ」


 紗愛は2杯目のオニオンスープを用意し、智慧理の前にカップを置く。


 「智慧理。食べながらでいいから、カガリとの戦いで私との通信が途切れた後のことを教えてもらえる?」

 「んっ、分かりました」


 智慧理はスプーンを口に運ぶ合間に、インカムが壊れてからの出来事を思い出せる限り紗愛に話した。


 「っ、ザララジアを見たの!?」


 カガリが呪文によって空間に亀裂を開き、智慧理が亀裂の向こうにザララジアを見たところまで話が進むと、紗愛は驚いてテーブルを揺らしながら立ち上がった。


 「それホントなの!?」

 「えっ?は、はい、多分……なんかクラゲみたいな赤い触手の塊が見えて……」

 「じゃあホントにザララジアを見たのね……」


 再び椅子に腰を下ろした紗愛は、顎に手を当てて何やら深刻な表情で考え込み始めた。


 「あの……何かマズかったですか?」

 「……マズいなんてもんじゃないわよ。ザララジアの精神汚染はカガリのそれとは比べ物にならないほど強力よ。普通の人間ならザララジアを一目見た時点で一発アウト、ザララジアの眷属に転生コース確定だわ」

 「でも私何ともないですよ?」


 ザララジアを直視した瞬間こそ強烈な精神汚染を受けた智慧理だが、今ではもうすっかり何ともない。


 「だから逆に不気味なのよ。ザララジアの精神汚染を受けたのに正気を保ってるなんて……一応確かめさせてもらうわよ」


 紗愛は戸棚からライターを取り出し、それを智慧理の眼前で点火してみせた。


 「どう?」

 「どうって……火だなぁって感じですけど……」

 「……ホントにザララジアの影響が全く残ってないのね」


 紗愛は信じ難いという表情で火を消してライターを仕舞う。


 「っていうかザララジアの精神汚染を受けてたのにカガリを倒せたっていうのがまず信じられないんだけど。どんだけ精神力強いのよあなた」

 「まあ、大丈夫だったんだからそれでいいんじゃないですか?」

 「呑気ねぇ……」


 紗愛は呆れたように溜息を吐く。


 「それより紗愛先輩の方の話も聞かせてください。睦美が元気だってのは聞きましたけど……」

 「そうね。とりあえず今回の満腹フェスでの火災では、死者は1人も出なかったわ。火傷をしたり避難中に転んで怪我をしたりした人とか、カガリの炎を直視して一時的に精神を病んだ人とかはいたけど、それでも取り返しのつかないことにはならなかった。避難誘導がスムーズにできたおかげでね」

 「紗愛先輩が事前に警察と消防に話を通してたおかげですね」

 「それもあるけど、1番は智慧理のおかげよ」

 「私の?」


 智慧理はスープを掬ったスプーンを口に運びながら首を傾げた。


 「智慧理が会場中のザララジア眷属を引き付けてくれてなかったら、避難は相当難航してたはずよ。それに智慧理が姿を見せたおかげで、パニックが悪化するのを防げたし。だから今回の1番の功労者は間違いなく智慧理よ」

 「そ、そうですか……?」


 智慧理は恥ずかしさで顔を反らす。


 「テレビのローカルニュースでも大々的に取り上げられてたわよ、満腹フェスで起きた火災にブラックエンジェルが駆けつけて来場客を助けたって」

 「えっ、邪神眷属のことテレビで報道したんですか!?」

 「まさか。邪神眷属に関する情報は規制されてて報道されてないわ。現地にいた人達は怪物を見たって証言してるけど、それはパニックによる集団幻覚っていうカバーストーリーになってるわ」

 「じゃあ私何したことになってるんですか……?」


 あの時智慧理は邪神眷属との戦闘しかしていない。邪神眷属関係の情報を統制するとなると、公にできる智慧理の活躍は何も無いはずだ。


 「一応来場客の避難に協力したってことになってるわね。具体的なことは何も報道されてないけど」

 「何ですかそれ」


 智慧理は苦笑しながら2杯目のオニオンスープを完食する。


 「それだけじゃ足りないでしょ、5日間も食べてないんだから。これなら食べれそうみたいなリクエストはある?」

 「ん~……カツ丼とか食べたい気分かも」

 「カツ丼!?そんな重いものいきなり食べたら胃がビックリするじゃ済まないわよ……」


 しかしこの後智慧理は5日間のブランクを感じさせない食欲で出前のカツ丼特盛をペロリと完食し、紗愛を震撼させることになる。

次回は18日に更新する予定です

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