20.御伽原満腹フェスティバル
「おはよう智慧理!」
土曜日、午前9時半。駅前広場でスマホを見ていた智慧理の下に、睦美が小走りでやって来た。
「ごめん、待った?」
「ううん、来たばっか」
智慧理はスマホをポケットに仕舞い、表情が硬くならないように注意しながら笑顔を浮かべる。
今日は満腹フェスの当日。そしてカガリが新たな火災を起こすとされている日でもある。今から満腹フェスの会場が炎に包まれると考えると、智慧理はどうしても緊張してしまう。
「それじゃあ行こっか!」
「う、うん……」
「……どしたの智慧理?具合悪い?」
「う、ううん。そんなことないよ」
智慧理の本音としては、睦美満腹フェスに参加するのは取り止めさせたかった。満腹フェスに参加するということは、カガリの火災に巻き込まれる可能性が非常に高いということ。友人には特に参加してほしくないと考えるのは当然だ。
だがカガリの計画を知ったのが昨日の夜という時間の無さもあり、智慧理には睦美の満腹フェスへの参加を阻止する妙案が浮かばなかった。唯一智慧理が思いついたのは自分が仮病を使うという方法だが、智慧理が体調不良になったとしても睦美は恐らく1人で満腹フェスに参加する。フェスの途中で体調不良を訴え、睦美に介抱を頼んで2人で会場を抜け出すという手もあるが、智慧理自身はカガリの襲来に備えて会場に控えている必要があるため難しい。
「智慧理、早く早く!」
瞳を輝かせて智慧理を先導する睦美。その背中を見て智慧理の脳裏に浮かんだのは、睦美を気絶させて満腹フェスが終わるまでどこかに閉じ込めておくというアイデアだ。
この方法なら睦美が火災に巻き込まれるのを確実に防ぐことができる。それに智慧理であれば自分がやったと睦美に気付かせることなく睦美の意識を奪うことも可能だ。駅前広場から中央公園までの道には人通りも多いが、睦美が突然倒れたという風を装えば通行人の目は誤魔化せる。
実行するならもうこのタイミングしかない。智慧理は睦美の背中へと腕を伸ばしかけるが……
「楽しみだね智慧理!ねぇ、智慧理は何食べたい?」
振り返った睦美の笑顔を見て、智慧理は思わず手を止めた。
睦美自身のためとは言えど、その笑顔に危害を加えることは智慧理にはできない。
「どうしたの?」
「なっ、なんでもないよ」
「そう?ふふっ、変なの」
満腹フェスを前に浮足立っている睦美は、智慧理の挙動不審さを気に留めることはなかった。そのことに智慧理はほっと息を吐く。
無理に睦美をどうこうする必要は無い。智慧理がカガリを仕留めた上で、睦美や他の来場者を炎から守り抜けばいいだけの話だ。智慧理はそう決意を新たにした。
「それにしても……ホントに人がすごいね。まだ始まってもないのに……」
中央公園に続く道の人の多さに、智慧理は改めて圧倒された。満腹フェスの開始は10時からで、今はまだ会場に入ることすらできないにもかかわらず、歩道は人波でほぼ埋め尽くされている。
「満腹フェスって毎年これくらいお客さん来るの?」
「ん~……今年はいつもよりちょっと多いかも。満腹フェスも有名になってきてるから、街の外のお客さんも増えたのかもね」
例年より来場者が増えるということは、それだけ火災に巻き込まれる人間も多くなるということだ。智慧理は舌打ちしたい気分になった。
「こんなにいっぱい人がいたら、どのお店もすごい行列になりそうだね……ちゃんとご飯食べられるかな……」
「大丈夫だよ!満腹フェスの屋台は年々回転率が洗練されてて、今はもうどんなに長い行列でも10分もすれば捌けるから」
「えっすごい」
そんな話をしている内に2人は中央公園に到着した。公園の前には2人と同じように満腹フェスの開始を心待ちにしている人々が詰めかけている。
「智慧理、はぐれないように服の裾掴んでてもいい?」
「いいけど……なんで手とかじゃなくて裾なの?」
「あっごめん、お母さんと来てた時の癖で……」
やがて時刻は10時を迎え、満腹フェスの開催を告げるアナウンスが響き渡る。
会場の入口が解放されると同時に、待機していた来場客が一斉に会場内へと雪崩れ込んだ。勿論智慧理と睦美も例外ではない。
「智慧理、肉寿司食べに行こ肉寿司!私満腹フェス来たら絶対肉寿司食べるの!」
「まっ、待って睦美、あんまり引っ張らないで……」
睦美に腕を引かれて肉寿司の屋台に並ぶ智慧理。
「今日はお母さんからいっぱい軍資金貰って来たから、智慧理も遠慮しないで沢山食べてね!」
「えっ……い、いいよそんな、悪いよ……」
「大丈夫、智慧理がどれだけ食べても多分お母さんと来るより安く済むから!」
回転率が高いと聞かされていた通り、2人が列に並んでから実際に肉寿司を手にするまで5分と掛からなかった。
「ん~っ!おいし~!」
肉寿司を頬張って満面の笑みを浮かべる睦美。智慧理も肉寿司を口に運ぶが、今この瞬間にもカガリの協力者が火を放つかもしれないと思うと、とてもではないが味を楽しむ余裕はなかった。
「お肉食べたら魚も食べたくなるよね~。あっちにお寿司の屋台あったから行こ?」
「肉寿司食べた後に普通のお寿司食べに行くんだね……贅沢……」
その後も智慧理は睦美に手を引かれて様々な屋台を回った。寿司もから揚げもラーメンも天むすもどれも絶品だったが、やはり智慧理には碌に味は分からなかった。
屋台を回っている内に満腹フェスの開始から1時間程度が経過し、時刻は午前11時に差し掛かる。
「ふぅ、そろそろ甘い物欲しくならない?」
「そ、そうだね」
「甘い物の屋台って何があったっけ?たい焼きとジェラートと……きゃっ!?」
近くを通った大柄な男性の肩が睦美にぶつかり、睦美がバランスを崩す。
「ちょっ、睦美!?」
「あっ、智慧理……」
よろけた睦美は間の悪いことに人の波に巻き込まれ、智慧理からみるみる引き離されて行ってしまう。睦美の姿はあっという間に人混みに埋もれ、智慧理からは見えなくなってしまった。
「くっ……!」
この会場で睦美を見失うのはあまりにも拙い。智慧理はすぐさま人混みを掻き分けて睦美の姿を見つけ出そうとするが……最悪のタイミングで、四方八方から爆発音が聞こえてきた。
「きゃああああああっ!?」
あちこちから絶叫と悲鳴が上がる。周囲に目を向けると、会場の至る所から火の手が上がっていた。
同時多発的な火災。間違いなくカガリの協力者たちによる犯行だ。
「最っ悪……!」
智慧理は爪が掌に食い込むほど拳を固く握りしめて悪態を吐く。睦美とはぐれてしまった瞬間にカガリの計画が実行に移されたこの状況は、考え得る限り最悪と言っていい。
「皆さん落ち着いてください!」「係員の指示に従って避難してください!」
満腹フェスの運営スタッフによる避難誘導が始まる。その対応は非常に迅速だったが、スタッフの機転で乗り切るにはあまりにも状況が悪すぎた。
同時に複数個所で火災が発生したために避難経路の確保が難しく、燃え広がりつつある炎を目の当たりにして来場客はパニックを起こしかけている。このままでは群衆事故に繋がりかねない。
睦美のことは心配だが、まずは来場客のパニックを回避することが先決。そう考えた智慧理は巧みな身のこなしで人と人の隙間を縫い、炎から逃げ惑う群衆に逆らって火元へと近付いていく。その最中でポケットからインカムを取り出し、左耳に装着した。
「紗愛先輩、始まりました!」
「ええ、こっちでも確認してるわ!智慧理、変身を急いで!ブラックエンジェルの姿を見せれば少しはパニックを軽減できるはずよ!」
紗愛の指示は智慧理の思考と全く同じものだった。変身した智慧理の姿を群衆に見せることで、パニックを軽減する効果は充分に期待できる。
智慧理は火元の1つと思われる焼きそばの屋台へと辿り着くと、その裏側へと回り込んだ。既に炎に包まれた屋台の周辺には来場客の姿はなく、ここなら人目に付くことは有り得ない。
「――変身!!」
足元から噴出した黒い旋風が智慧理の全身を包み込む。かと思うと次の瞬間には、智慧理の姿は黒い天使のような装いへと変貌していた。
返信が完了した智慧理はすぐさま地面を蹴って宙へと浮かび上がり、中央公園の上空数mを大きく旋回する。
「あっおい!」「あれって……!」「黒い天使だ!」「ブラックエンジェルだ!」「ブラックエンジェルが助けに来てくれたぞ!」
智慧理の姿を目撃した群衆から次々とそのような声が上がる。智慧理を見上げる人々の目には僅かな希望の色が浮かんでいた。
数日前に火災現場から男の子を救出した実績のある智慧理の姿によって、目論見通り群衆のパニックをある程度軽減できたと言っていい。
「睦美、どこ……!?」
智慧理は上空を旋回しながらはぐれてしまった睦美の姿を探す。するとその途中で、智慧理は信じ難い攻撃を目撃する。
ドネルケバブの屋台から上がった大きな炎。その炎に向かって、1人の中年男性が一目散に突進していく。
「あの人何やって……!?」
自ら炎へ走って行くなど自殺行為以外の何物でもない。智慧理は中年男性を食い止めるべく急降下の体勢に入るが、
「待って智慧理!」
インカムの向こうの紗愛が智慧理を制止した。
「何で止めるんですか!?」
「あの男様子がおかしいわ……多分……」
紗愛が言い切るよりも先に、中年男性は炎の中へと飛び込んでしまった。
「あああああ……っ!」
全身を炎に焼かれた中年男性が声を上げる。しかしその声に苦痛の色は無く、むしろ恍惚としているように智慧理には感じられた。
そして炎の隙間から僅かに覗いた中年男性の姿は、先程までとは一変していた。背丈は小学生程度にまで縮み、頭髪は消え失せ、全身の皮膚が爛れたような灰色に変色している。大きな両目をぎょろりと剥き出しにしたその姿は、まるで人ならざる鬼のようだ。
「あれ、は……」
人間が怪物に変異する様を目の当たりにした智慧理は言葉を失う。
「……炎の鬼人よ」
紗愛がボソッと呟いた。
「炎の鬼人って、確か……」
「人間から変異するザララジアの下位眷属。つまりあの男はザララジアの信奉者、カガリの協力者だったってことね」
吐き捨てるようにそう説明する紗愛。
すると智慧理は会場内に複数の邪神眷属の気配を感知した。視線を向けると、会場のあちこちで炎に包まれた人間が同じように鬼人へと変異している。その数はざっと数えただけでも30人以上。
つまりカガリは満腹フェスの会場に、30人以上もの協力者を潜ませていたことになる。
「マズいわね……鬼人のせいでまたパニックになりかけてるわ」
紗愛の言う通り、人間が鬼人へと変異する様子を目の当たりにした一部の群衆が、再び恐慌状態に陥っていた。その上鬼人達は体の表面に炎を発生させながら近くの人間に襲い掛かり始め、パニックを更に加速させている。
「っ、アポート!」
智慧理は咄嗟に左手にヘリワードを召喚し、人間に襲い掛かる鬼人達を次々と狙撃した。
ヘリワードから放たれたビームは1発も狙いを違うことなく鬼人達の頭部を撃ち抜き、鬼人による人的被害はギリギリのところで防がれる。
「おやおやおや。敵ながら見事な腕前ですねぇ」
すると智慧理の背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り返るとそこにいたのは、見えない地面に立っているかのように智慧理と同じ高度に浮かぶカガリだった。
「カガリ……!」
智慧理が怒りの視線と共にヘリワードの銃口をカガリに向ける。
「やってくれましたね……!満腹フェスをよくもこんな地獄に……」
「おお、怖い怖い。ですが、貴女。今は私に構っている場合ではないと思いますよ?」
「何を……っ!」
「下をご覧なさい」
カガリに促され智慧理は視線を下ろす。
すると会場中で燃え盛る炎の中から、次々と新たな炎の鬼人達が姿を現し始めていた。
「なっ……!?」
「会場に連れてきた信奉者達には全員眷属への転生を許可しておきましたが、それだけでは不十分と感じましてねぇ。元々私が従えていた鬼人達を追加で連れてきました。ああそれと、数を揃えたところで所詮は鬼人、どうしても力不足は否めませんから……」
カガリがニヤリと悪辣に笑う。
「もう1つ上の眷属も何体か連れて来ておきました」
カガリのその言葉と同時に、地上の炎から新手が現れる。
それはライオンやトラなど大型の食肉目のような形状をした炎の塊だった。それが単なる炎の塊ではなく一個の独立した邪神眷属であることは、智慧理自身の感知能力が物語っている。
「『燃え盛るチャリオット』……!?」
インカムから紗愛の戦慄した声が聞こえてくる。
「紗愛先輩、あれ何なんですか!?」
「……燃え盛るチャリオット、ザララジアの中位眷属よ。炎の塊でありながら大型の肉食獣と同等以上のパワーを持っていて、それでいて物質的な肉体を持たないから物理的な攻撃が通用しない怪物だわ」
燃え盛るチャリオットはライオンさながらに空に向かって咆哮を上げると、近くの群衆へと襲い掛かった。
群衆は蜘蛛の子を散らしたようにチャリオットから逃げ惑い始めるが、その中で1人の少女が足を縺れさせて転倒してしまう。その少女の顔を認識した瞬間、智慧理は心臓の鼓動が止まったかと錯覚するほどに驚いた。
「……睦美!」
転倒して蹲る睦美の背中に、チャリオットが今にも襲い掛かろうとしていた。
次回は14日に更新する予定です




