15.黒き刃
智慧理の右手に収まったのは、黒い刀身を持つ禍々しいナイフだった。そしてその造形は智慧理にとっては記憶に新しい。
「オズボーン……ですよね?」
先日智慧理が討ち果たした先祖返りの恐竜人間、ダハ。そのダハが呪詛の研究の成果として開発した呪物がこの黒いナイフ、オズボーンだった。
「どうしてオズボーンがここに?」
「実は私、鷺沼先生達を助けた少し後に、もう1度ダハの研究施設に行ってオズボーンを回収したのよ。オズボーンは強力な呪物だから放置するのは危険だし、それに……適切な処置を加えれば、強力な武器になるのは間違いなかったから」
「武器になるって……私がこれ使うんですか?」
紗愛が頷き、智慧理はそれに対して顔を顰めた。
智慧理はオズボーンに対していい印象が無い。オズボーンが自分の腹を抉る感覚は記憶に新しく、そうでなくとも強力な呪物など好き好んで触りたいものではない。
「そんなに嫌な顔しないで?」
智慧理の表情に紗愛は苦笑する。
「私がちゃんと責任もって適切に処置したから、オズボーンを使っても智慧理に悪影響が出ることは一切無いわ。それとも、私の言うことは信じられないかしら?」
「紗愛先輩のことは信じてますけど、そもそもコレ使いたくないのはそういう理由じゃ……」
「まあまあ、騙されたと思って1回使ってみて?私の見立てだと、智慧理は光芒銃よりもナイフみたいな近接武器の方が性に合ってると思うのよ」
「それはそうかもですけど……」
しばらく渋った智慧理だったが、最終的には紗愛の顔に免じる形で不承不承首を縦に振った。
智慧理が紗愛から新たな装備品を受け取った日の夜。
「……おっ」
いつものように夜空から街を巡回していた智慧理は、不意に邪神眷属の気配を感じ取った。
「どうしたの、智慧理?」
右耳に装着したインカムから、紗愛の声が聞こえてくる。
紗愛が智慧理の協力者となって以降、智慧理の夜の巡回にはマイク付きのインカムが標準装備となった。これは紗愛が智慧理をより効率的にサポートするためのもので、魔術によって智慧理と視界を共有した紗愛がインカムを通じて適宜智慧理に必要な情報を提供することで、智慧理がより適切に邪神眷属に対処できるようになるという絡繰りだ。
視界を共有するという常識外れな魔術を披露しておきながら、通信は魔術一切関係無しのインカムで行うということに、智慧理が少し落胆したのはここだけの話だ。
「邪神眷属の気配を感じました。今から現場に向かいます」
智慧理はマイクに向かって囁き、気配を感じた方向へと高速で飛行する。
そうしてやって来たのは御伽原中心部の西方、通称「宵町」と呼ばれる歓楽街だ。飲み屋や風俗店など夜間が本領の店舗が数多く立ち並ぶそのエリアは、夜の御伽原において最も煌びやかな輝きを放っている。
「宵町に邪神眷属が出るなんて珍しいわね……」
インカムの向こうで紗愛が呟く。
「そうなんですか?」
「ええ。大抵の邪神眷属は自分達の存在を一般社会には秘匿しておきたいから、人間を襲うにしても基本的に人気の無い場所を選ぶのよ。だから宵町みたいな歓楽街には邪神眷属はあんまり出てこないの。まあその代わりに歓楽街は邪神を崇拝するカルトが潜んでたりするんだけど……」
カルトという新たな単語が気になった智慧理だったが、それを更に尋ねるよりも際に智慧理は目的の邪神眷属を発見した。
「いました、ウェンディゴです!」
宵町の大通りから一本入った薄暗い裏路地。そこに智慧理は3体のウェンディゴの姿を発見した。
ウェンディゴに襲われているのはドレスに身を包み髪を盛った若い女性。その風体からして宵町で働くキャバ嬢か何かだと智慧理はあたりを付けた。
女性は腰が抜けた様子で地面にへたり込み、逃げることができない様子だった。女性のすぐ側には全身黒ずくめの男性が血を流して倒れているのが見える。男性の生死は空からでは分からない。
「アポート!」
このままでは女性も危ないと感じた智慧理は、昼間紗愛から教わった召喚送還のバングルの呪文を唱えて、左手の中に新型の光芒銃、ヘリワードを召喚した。
智慧理は裏路地へと急降下しながら、先頭のウェンディゴへと狙いを定めてヘリワードの引き金を引く。すると銃口から放たれた光の弾丸が、音も無くウェンディゴの脳天を貫いた。
「ヘリワードから放たれるビームは今までの光芒銃に比べると細くて、一見パワーダウンしているように見えるかもしれないわ。けど実際は魔力のエネルギー変換効率が格段に改善されてて、無駄がなくなったからビームが細くなってるの!ヘリワードは高燃費化と威力・貫通力の大幅な強化を両立した革新的なモデルなのよ!」
紗愛の得意気な解説が長々とインカムから聞こえてくるが、今は緊急時なので智慧理はそれを無視した。
仲間が突如命を奪われたことで、残る2体のウェンディゴは動揺して動きを止めている。その隙に智慧理は、ウェンディゴ達と女性の間に割って入るようにアスファルトに着地した。
「何だお前は!?」「何者だ!?」
2体のウェンディゴが智慧理の姿を見て叫ぶ。
「あなた、誰……?」
背後の女性が消え入るような声で智慧理に尋ねる。
「この街の人を怪物から守る、見習いヒーローです」
女性の質問にそう答えながら、ウェンディゴ達へとヘリワードを向ける智慧理。
「ちょっとちょっと!」
すると紗愛から待ったが掛かった。
「何全部ヘリワードで片付けようとしちゃってるのよ!1回オズボーン使ってみてって言ったでしょ!?」
「ああそうだった……」
智慧理の脳裏に昼間のやり取りが蘇る。オズボーンの使用を渋る智慧理に、紗愛は騙されたと思って1度使ってみることを約束させたのだ。
気は乗らないが約束は約束。智慧理は渋々右手を開く。
「……アポート」
右手に黒い刃を持つ軍用ナイフが出現する。
「さ、掛かってきてください」
智慧理が雑に挑発すると、それまで智慧理を警戒していた2体のウェンディゴは一瞬で激昂した。
「柔らかい肉が!お前も供物にしてやる!」
向かって右側のウェンディゴが先に動き出した。それに対して智慧理は地面を軽く蹴ると、オズボーン片手に軽やかに宙を舞い、
「てやぁっ!」
次の瞬間、ウェンディゴは智慧理に飛び掛かろうとした体勢のまま、両腕と首を刎ね飛ばされていた。
「うわ……めっちゃ使いやすい……」
智慧理はオズボーンの使い心地の良さに驚くを通り越して慄いた。ウェンディゴの首を刎ね飛ばした時、智慧理はまるでオズボーンが自分の腕の一部かのように錯覚したほどだ。
「ふふん、よぉ~く手に馴染むでしょ?智慧理が使いやすいように、人間工学に基づいて徹底的にデザインにこだわったもの!」
「いや……これはちょっとホントにすごいです……」
紗愛の自画自賛は若干鼻につくが、それでも智慧理は紗愛の功績を認めずにはいられなかった。
「貴様っ!」
智慧理が紗愛と通信している間に、仲間を殺されて怒り狂ったウェンディゴが智慧理に掴みかかってくる。
智慧理は軽く息を吐きながら右手を突き出し、ウェンディゴの胸の中心に黒い刃を突き立てる。
「ぎゃああああああっ!?」
オズボーンの呪詛によって苦痛が何倍にも増幅され、ウェンディゴが身の毛もよだつような悲鳴を上げる。
「ちょっ、大きい声出さないでください!誰か来たらどうするんですか!」
ウェンディゴの大声に智慧理は咄嗟にオズボーンから手を離し、その右手を黒い鎧の様に硬質化させる。そして硬度を増した拳でウェンディゴの顔面を思い切り殴りつけた。
「がぁ……」
胸に刺さったオズボーンと顔面に叩き込まれた拳、どちらが致命傷になったのかは分からない。しかしいずれにせよウェンディゴは低い呻き声と共にゆっくりと仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。
ウェンディゴの死亡を確認した智慧理は、裏路地の両端へと素早く視線を向ける。ウェンディゴの悲鳴を聞きつけた誰かが裏路地に入ってくることを警戒しているのだ。
しかし宵町がそもそも騒がしい場所であるためウェンディゴの悲鳴も紛れたのか、裏路地に新たに人が現れる気配は無かった。
一安心した智慧理は、ウェンディゴに襲われていた女性へと近付く。
「大丈夫ですか?お怪我は?」
「わ、私は大丈夫……だけどこの人が……」
女性はそう言って頭から血を流して倒れている黒ずくめの男性を指差す。
智慧理は男性の側に膝をつき、男性の容態を確認する。
「……紗愛先輩、どう思います?」
魔術で視界を共有している紗愛に、智慧理は小声で尋ねる。
「ん~…おでこの傷は派手だけど深くは無さそうね。軽い脳震盪じゃないかしら。女の人を襲おうとしたウェンディゴに、邪魔だったから突き飛ばされたってところじゃない?」
男性の傷の具合に関する紗愛の見解は、智慧理とおおむね一致していた。
ウェンディゴは基本的に人間の女性しか狙わず、良くも悪くも男性は狩りの対象外だ。そのため男性はウェンディゴは命に係わるような危害を加えられずに済んだ。
「この男の人、あなたの知り合いですか?」
智慧理は女性に優しい声色で尋ねる。
「知り合い、っていうか……」
何やら口籠る女性。智慧理はその反応に首を傾げるが、女性と怪我をした男性が知り合いであろうがなかろうが、特に何が変わることも無いので智慧理はあまり気にしなかった。
「とりあえず救急車呼ばないとですね……」
「えっ!?」
智慧理が119番に通報しようとスマホを取り出すと、女性が何やら大きな声を上げた。
「……何か?」
「あっ、いや……」
智慧理が訝しむ視線を向けると、今度は目を泳がせ始める女性。明らかに「自分には後ろ暗いことがあります」と言わんばかりの態度だ。
「……ん?」
するとここで智慧理は、倒れている男性のズボンのポケットから、何か透明な袋のようなものがはみ出していることに気付いた。
何となくそれが気になった智慧理は、手を伸ばしてその袋を引っ張り出す。
「あっ、それは……!」
女性の酷く焦ったような声。袋の中に入っていたのは赤や紫など色とりどりの飴玉のように智慧理には見える。
だが女性の反応からして、それがただの飴玉でないことはまず間違いない。
「麻薬かしらね」
イヤホンから聞こえてきた紗愛の推測に智慧理も頷く。
男性が麻薬を所持していて、女性もそのことを知っており、尚且つ2人が人気の無い裏路地で会っていたという状況。それらを踏まえると、2人は麻薬の取引中にウェンディゴに襲われたという筋書きが最もしっくりくる。
「……お姉さん。私は警察じゃないので、お姉さんがここでこの男の人と何をしようとしてたのかは聞きません。でも助かった命を無駄にしたくないんだったら、大人しく警察に行ってください」
「っ……」
女性が決まり悪そうに智慧理から目を背ける。
「はぁ……」
呆れて溜息を吐く智慧理。「もう行っていいですよ」と智慧理が手を振ると、女性は足早に去っていった。
そして智慧理がウェンディゴに刺したままのオズボーンを回収しようと視線を落とすと。
「……なんか干乾びてる?」
ウェンディゴの死体は何故か既にミイラ化しつつあり、智慧理は首を傾げた。
これまで何体ものウェンディゴを屠ってきた智慧理だが、殺したウェンディゴが急速にミイラ化するというのは初めての現象だ。
「紗愛先輩、なんかウェンディゴ干乾びてるんですけど」
「オズボーン刺しっぱなしにしてるからでしょ?オズボーンは血を吸って呪詛の力が増すんだから」
「あ~、そう言えば……」
オズボーンの開発者であるダハがそのような説明をしていたことを智慧理は思い出した。
つまり死体の胸に刺さったオズボーンが現在進行形で死体から血液を吸い上げており、その結果としてウェンディゴは急速にミイラ化しているのだ。
あれよあれよという間にウェンディゴの死体は、智慧理が昔テレビのエジプト特集で見かけたような完全なミイラとなった。オズボーンが死体内の全ての水分を吸い尽くしたのだ。
「そうだ智慧理、折角だからもう片方のウェンディゴの死体にもオズボーン刺しときなさいよ。血液袋があるなら吸っておかないと勿体ないじゃない」
「ウェンディゴの死体のこと血液袋って呼ぶの止めてください……そもそも何ですか血液袋って……」
紗愛の独特な表現に智慧理は若干表情を引き攣らせたが、紗愛のアイデア自体はある意味では正しかった。殺めたウェンディゴの死体をそのままにするよりは、オズボーンを強化するために役立てた方が無駄がない。
智慧理は両腕と首を刎ねた方のウェンディゴの死体の胸に突き立てる。
「そうだ智慧理。救急車が着く前に、血を吸い終わった方の死体はちゃっちゃと消しちゃいなさいよ」
「あっ、そうですね」
紗愛の助言を受けて智慧理がポケットから取り出したのは、高級そうなデザインの小さなライターだった。
勿論ただのライターではない。これもヘリワードや召喚送還のバングルなどと同じく紗愛から新たに支給されたアーティファクトで、名を「火葬器」という。
火葬器は簡単に言うと邪神眷属の死体を瞬時に焼却処分することができる優れモノで、これを使えば1分程度で死体を処分できる上、跡には僅かな灰しか残らない。悪用しようと思えばとんでもないことになる代物だが、人目にあまり触れさせるべきではない邪神眷属の死体を消し去るには持って来いだ。
「……これ、近くの建物に燃え移ったりしませんよね?」
「大丈夫よ、アーティファクトだもの」
火葬器の使い方は普通のライターと変わらない。智慧理は火葬器に火を灯し、それを干乾びたウェンディゴの死体に恐る恐る近付ける。
そして火葬器の灯が死体に燃え移ると、死体は一瞬にして炎に包まれた。
「ひゃっ!?」
突然大きくなった炎に面食らう智慧理だが、紗愛の言葉通りその炎が周囲に燃え移る気配はない。炎は死体だけを燃やし、死体が焼け落ちていくにつれて炎も徐々に小さくなっていく。
そして1分が経過した頃には炎は消え、そこには少量の灰が残るばかりだった。その灰も風に吹かれて宵町の空へと消えていく。
「わ~……これ便利~……」
「でしょお!?」
紗愛はまたしても得意気だった。
ミイラ化した死体の処分をしている間に、頭と腕が無い方の死体もまた完全にミイラ化が完了していた。ウェンディゴ2体分の血を啜り切ったオズボーンは、心なしか艶が増しているようにも見える。
智慧理はそちらの死体も同様の手順で処分し、それが終わった頃に遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
「おっ、ちょうどよかった」
智慧理はふわりと宙に浮かび、近くの雑居ビルの屋上に移動する。そして救急隊が裏路地に入ってきたのを確認してから、智慧理は宵町を飛び去った。
次回は4日に更新する予定です。




