14.マンション火災
月曜日の昼下がり。御伽原の中心部では多くの人が行き交っていた。
中心部には市役所や大型ショッピングモールなど生活に必要な施設がひしめき合っており、平日休日問わず日中は常に多くの人々で賑わっている。
その光景は何の変哲もない日常風景だった――空気を震わす爆発音が轟くまでは。
「きゃああああっ!?」
甲高く悲鳴を上げたのは、右手にエコバッグを提げた1人の女性。女性の視線の先では、10階建てマンションの最上階から轟々と炎が立ち昇っている。
「おい、あれヤバくね?」「えっ、火事?」「うわマジか!?」
マンションの前に次々と野次馬が集まってくる。ある者は燃え盛るマンションをスマホで撮影し、ある者は119番に通報し、またある者は衝撃的な光景を前にただただ興奮している。
すると最初に悲鳴を上げた女性が、右手のエコバッグを投げ捨ててマンションのエントランスへと走り出した。
「お、おいちょっと待てよ!」
近くにいた男性が慌てて女性の腕を掴む。
「あんた何する気だ!?今中に入ったら危ないぞ!」
「話してください!俊哉が……俊哉が中にっ!」
「俊哉って、まさか……あんたの息子か!?」
男性が大きく目を見開く。
「そうです!だから離してください!俊哉を助けに行かないと!」
「っ、ダメだ!今行ったらあんたが死んじまうぞ!」
男性の言葉は正しかった。最上階の炎の勢いは今この瞬間にも激しさを増しており、そこに消防士でもない女性が突入するのは自殺行為以外の何物でもない。
しかし息子が今この瞬間にも炎に巻かれていると思うと、女性は居ても立ってもいられなかった。
「離してください!離してっ!」
半狂乱になりながら男性の手を振り解こうと暴れる女性。
「落ち着け!周りの奴らが何人も通報してる!きっとすぐに消防士が来るからそれを待って……」
「いやっ、離して!俊哉!俊哉あああああ!!」
その時、無数の黒い羽根がひらひらと女性の周囲に舞い降りた。
「え……?」
呆気に取られた女性が空を見上げると、炎に包まれたマンションの最上階へと高速で飛んでいく黒い飛行物体が見える。
「おい……何だありゃあ……?」
女性につられて顔を上げた男性が、飛行物体を見て呆然と呟く。それは6枚の黒い翼を持つ人間のような姿をしていた。
「天、使……?」
女性の口から無意識にその言葉が零れ落ちる。女性にはその飛行物体が、黒い天使のように思えたのだ。
「おい、何だアレ!?」「カラスかなんかじゃない?」「いやいや羽6枚あったから!絶対カラスじゃないよ!」「羽生えた人間に見えるけど……」
野次馬達も飛行物体の存在に気付き、次第に騒めきが広がっていく。飛行物体をスマホのカメラで撮影している者も何人もいた。
そんな地上の喧騒を一切意に介さず、飛行物体は炎の中へと突入していく。
「うわ入っていったぞ」「危なくね?」「てかマジであれ何なの?」
自ら炎へと飛び込んでいった飛行物体の姿に、野次馬の騒めきは更に大きくなる。
「っ、そうだ、俊哉が!」
飛行物体の出現に気を取られていた女性だったが、すぐにまたマンションへの突入を試みる。
「おい待てって!」
その行動に男性もまた我に返って女性の腕を掴む。
「私のことはもう放っておいてください!早く俊哉を助けに行かないと!」
女性が必死で男性の腕を振り払おうとしたその時。
「あっ、出てきたぞ!」
野次馬の1人がマンションの最上階を指差して叫んだ。直後、言い争う2人のすぐ側に黒い何かが落ちてくる。
驚いて視線を向ける2人。するとそこには目元をマスカレイドで覆い隠し、背中に6枚の黒い翼を広げた、ゴスロリ姿の少女の姿があった。少女の頭上には黒い光の輪が浮かんでいる。
その少女が先程空に見た飛行物体の正体であることは、2人にはすぐに分かった。
そして女性は黒い少女がその腕の中に抱いているものに気付くと、眼球が零れ落ちそうなほど大きく目を見開いた。
「あなたの息子さん、この子で合ってますか?」
「あああ……俊哉!俊哉!」
女性は黒い少女から半ば奪い取るようにして、小さな男の子を強く抱き締めた。
「おかあ、さん……?」
「俊哉、よかった……俊哉……!」
涙を流して崩れ落ちる自分の母親を、男の子は不思議そうに見上げていた。
「あ……あんたが、この男の子を助けたのか?」
男性が信じられないといった面持ちで黒い少女に尋ねる。
「はい、まあ」
黒い少女は簡素な返事をすると、息子を抱いて泣いている女性の方に向き直った。
「火傷は見当たりませんでしたけど、少しだけ煙を吸ってしまったみたいです。念のため病院に連れて行った方がいいと思いますよ」
「ありがとうございます……本当にありがとうございます……!」
女性は神か仏にでも会ったかのように何度も何度も頭を下げる。実際女性にとって火災現場から息子を助け出してくれた黒い少女は、神にも等しい存在だった。
「それじゃあ私はもう行きますね」
「行くって……どこにだ?」
男性の質問に、黒い少女は今も尚燃え続けているマンションの最上階を指差す。
「なっ……まだ行くのか?」
「はい。他に取り残されてる人がいないとも限らないので。それじゃあお母さん、その子を病院に連れて行ってあげてくださいね」
最後にもう1度女性に声を掛け、少女の体がふわりと宙に浮かぶ。
「おねーちゃん、ありがとう」
男の子が舌足らずな口調でお礼を言いながら手を振ると、少女は口元に笑みを浮かべて小さく手を振り返す。
そして黒い少女は再び炎の中へと突入していった。
「やってくれたわね、智慧理」
放課後。紗愛に呼び出された智慧理が屋上にやって来ると、待ち構えていた紗愛が開口一番そう言い放った。
「やってくれたって……何がですか、紗愛先輩」
心当たりのなかった智慧理は首を傾げてそう尋ねる。余談だが以前は「黒鐘さん」「生徒会長」と呼び合っていた2人だが、他人行儀で嫌だということで「智慧理」「紗愛先輩」に呼び名を改めている。
「これよ、これ!」
紗愛は智慧理にスマホの画面を突き付ける。
「何ですかこれ、動画?」
「いいから見てみなさい、すぐに分かるから」
「は、はい……」
智慧理は戸惑いつつ、言われるままに動画を再生する。
すると映し出されたのは、マンションの最上階で激しい火の手が上がっている様子だった。
「あれ?これって……」
見覚えのあるその光景に、智慧理は表情を引き攣らせる。
動画はしばらく火事の様子とそれに対する野次馬の反応を映していたが、20秒ほどが経過したところで画面に大きな変化が生じる。
どこからともなく飛来した6枚の翼を持つ黒い少女が、燃え盛る最上階へと突入したのだ。
「これ、あなたよね?」
紗愛が有無を言わさぬ口調で智慧理に尋ねる。
「……まあ、はい」
言い逃れのしようがないので、智慧理は素直に認めた。
「何やってるのよ、全く……」
紗愛は呆れたように溜息を吐く。
「この動画、もうSNSで結構拡散されちゃってるわよ。『火災現場に謎の黒天使現る!』って、御伽原のローカルニュースにもなってるわ」
「えぇ早い……まだ3時間くらいしか経ってないのに……」
「あのね、智慧理。確かにこの街には魔術師や邪神眷属が他の街よりもずっと多くて、そういう存在がいることを何となく知ってる住人も少なくないわ。けどだからって魔術師がこんな白昼堂々大衆の面前に姿を晒していいってことにはならないのよ?」
紗愛が説教の口調になり始めたので、智慧理は自然と地面に正座する。
「っていうか智慧理、なんでこの時間にこんなとこにいたのよ。授業中でしょ?」
「……授業を受けてる時に、邪神眷属の気配を感じたんです。だからお腹痛いって言って授業抜け出しました」
「そんな小学生みたいな言い訳で……」
「ちょうどその時たまたま烏丸先生の授業だったので、先生も察して抜けさせてくれました」
智慧理の担任教諭でもある烏丸は、智慧理の魔術師としての活動を知っている。そのため智慧理は授業をスムーズに抜け出すことができた。
「……まあ、そういう事情なら仕方ないわね」
「えっ……怒らないんですか?」
「元々そんなに怒るつもりは無いわよ、人命救助のためだもの。SNSでも評判いいわよ、炎の中に取り残された子供を助け出した黒い天使」
紗愛が再び智慧理に向けたスマホの画面には、智慧理にまつわるSNSの投稿がいくつも表示されていた。それらはどれも子供を助けた智慧理に好意的な内容だ。
「この街のヒーローにまた1歩近付いたんじゃない?少し目立ち過ぎだったけどね」
「仰る通りです……」
紗愛の言う通り、人命救助と言えどもっと目立たないように行動することはできた。だが当時の智慧理はそこまで頭が回らなかったのだ。
しかし街の人々に活動が好意的に受け止められたということで、智慧理は胸を撫で下ろした。
「それにしても……智慧理、この火災現場に行ったのは邪神眷属の気配を感じたからって言ったわね?」
「はい。行った先が火事になってるとは思わなくてビックリしました」
「っていうことは普通に考えれば、この火事は邪神眷属の仕業ってことよね……」
紗愛が顎に手を当てて考え込む素振りを見せる。
「でも紗愛先輩、少し変だったんです」
「変って、何が?」
「授業を抜けた時には確かに邪神眷属の気配を感じてたんですけど、空を飛び始めた頃にはもう気配は無くなってたんです。時間で言うと30秒もないくらい」
「30秒……それは短いわね」
「そうなんです。だから変だなって思って」
先刻のマンション火災が邪神眷属の仕業だとしても、出現時間が30秒未満というのはいくらなんでも短すぎる。それほどの短時間では、放った炎が広がっていく様子も満足に確認できない。
「だから火事が邪神眷属の仕業だとしたら、犯人はどういう邪神眷属なんだろうって。紗愛先輩、何か分かりませんか?」
「ん~……流石に情報が少なすぎて何とも言えないわね……」
「ですよね~……」
尋ねておいて何だが、智慧理も今ある情報だけで紗愛が犯人を特定するのは難しいだろうと思っていた。
「まあ、火事の話はこれくらいにして、そろそろ本題に入りましょうか」
「えっ?火事の話するために私を呼び出したんじゃないんですか?」
「違うわ、それはついで。1番の目的はこれよ」
そう言って紗愛が制服の内側から取り出したのは、不思議な紋様が刻まれた銀色のバングルだった。
「それ、アクセサリーですか?校則違反じゃありません?」
「それを言ったら屋上で喋ってる時点で校則違反よ。っていうかアンタも校則なんて一々気にするようなタマでもないでしょ」
「それはそうですけど……で、結局それ何なんですか?」
「これは『召喚送還のバングル』っていうアーティファクトよ。簡単に言うと、予め登録しておいた物品を離れた場所で召喚できるようになるの。例えばスマホを登録しておけば、出掛けた先でスマホを家に忘れたことに気付いても、このバングルがあればすぐにスマホを手元に召喚できるのよ」
「えっ、すっごく便利じゃないですか!」
説明だけ聞くと忘れ物対策として革命的な性能を持つ召喚送還のバングルだが、アーティファクトの性質上使用する度に精神力を消耗するので普段使いには向かないのが玉に瑕だ。
「智慧理、これはあなたにあげるわ」
「私に?」
紗愛がバングルを智慧理の左手首に取り付ける。
「ありがとうございます。でも、何で?」
「邪神眷属との戦いで役に立つからよ。もう召喚する物品の登録は済ませてあるわ」
「戦いの役に立つ……ってことは武器か何かですか?」
「あら、察しがいいわね。早速使ってみて……って言いたいところだけど、最初は使い方の説明も兼ねて私がやるわ」
智慧理の右腕に装着したバングルに、紗愛が両手を重ねる。
「使い方は簡単、バングルに肌が触れた状態で、登録した物品のことを思い浮かべながら、『アポート』って唱えるの」
「アポート……」
「実際にやってみるわね。アポート!」
紗愛がバングルに触れたまま召喚の呪文を唱える。
すると智慧理の左手の中に、幾何学的な円形の紋様が出現した。
「わっ!?何ですかこれ?」
「召喚のための魔法陣よ。そのまま少し待ってて」
話している間に、魔法陣からは何か細長いものがぬるぬると飛び出してくる。
そうして数秒ほどかけて智慧理の左手に収まったのは、マスケット銃のような古めかしい外見の黒い銃器だった。
「使い方はこんな感じよ。呼び出したアイテムを元の場所に戻す時は、同じ手順で『アスポート』って唱えてね」
「これって……」
智慧理はバングルによって召喚されたその銃をまじまじと観察する。
「……もしかして光芒銃ですか?」
「ええ、その通りよ。それもあなたのためだけに作った、あなた専用の光芒銃。名付けて『ヘリワード』よ!」
「ヘリワード……」
新たな光芒銃の名を呟く智慧理。
智慧理専用の銃というだけあって、グリップは智慧理の手によく馴染んだ。
「えっ、ていうかこれ紗愛先輩が作ったんですか!?」
「そうよ」
「紗愛先輩光芒銃作れるんですか!?」
「ええ。そもそも光芒銃を開発したのは私だもの」
「ええっ!?そうだったんですか!?」
智慧理はてっきり光芒銃はダハが開発したものだと思っていたので、紗愛が光芒銃の開発者であるという事実にはかなり驚いた。
「そのヘリワードは私が丹精込めて作り上げたハイエンドモデルだから、ダハの部下が使ってたような量産品とは比べ物にならない性能よ。感謝してよね」
「わぁ~……ありがとうございます、紗愛先輩!」
ハイエンドだという性能は実際に使ってみないと分からないが、ヘリワードのデザインは智慧理の好みに非常に合致していた。智慧理にとってはそれだけでも感謝に値する。
「それともう1つ……」
智慧理がヘリワードのデザインに見入っている間に、紗愛が制服の内側から召喚送還のバングルをもう1つ取り出した。
「これもあなたにあげるわ」
紗愛によって右手首に取り付けられたバングルを、智慧理は不思議そうに眺めた。
「こっちのバングルは何が登録されてるんですか?」
「見ればすぐに分かるわ。ちょっと待ってね……アポート!」
紗愛が悪戯っぽく笑いながら智慧理の右手首に触れ、召喚の呪文を唱える。
するとヘリワードの時と同様に、智慧理の右手の中に魔法陣が出現し、そこからまた何かがぬるぬると排出されてくる。
「これって……!」
次回は2日に更新する予定です




