12.真実・下
「犠、牲……?」
叛逆の牙の犠牲とはどういうことかと、智慧理は視線で紗愛に尋ねる。
「……叛逆の牙の作成には、夥しい量の血液が必要なの。1人や2人殺した程度では話にならないほどの量が」
「へぇ、詳しいね」
ようやく霞は口を開いた。しかもその内容は紗愛の言葉を肯定するものだ。
「叛逆の牙の製法なんて今はもう私しか知らないはずだけど……君はどこでそれを知ったのかな?」
「……あんたの父親、稲盛霧生とはそれなりに交流があったのよ。叛逆の牙の作り方も、大まかにだけど彼から聞いた」
霞の父親。霞の祖父から叛逆の牙の研究を引き継ぎ、しかし完成させるには至らなかったと智慧理は聞いていた。
「叛逆の牙を作るにはどうしたって犠牲は避けられない。だから霧生は研究を敢えて完成させなかった。それなのにあんたは霧生が封印した研究を勝手に掘り起こして、あまつさえ叛逆の牙を完成させてしまった……!」
紗愛が強い怒りと憎しみを宿した瞳で霞を睨みつける。
「……鷺沼先生を攫ったのもどうせあんたなんでしょう、叛逆の牙に必要な血を搾り取るために」
「ええっ!?」
智慧理は驚きのあまり転倒しかけた。
この1週間ずっと探していた鷺沼を誘拐した犯人が最も身近にいたなど、智慧理は想像だにしていなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください!稲盛さんが鷺沼先生を誘拐したなんて、そんな証拠どこに……」
「これを見なさい」
紗愛が智慧理に1枚の写真をフリスビーのように投げる。
智慧理がそれをキャッチすると、その写真には以前烏丸がウェンディゴに襲われていた公園が写っていた。
写真の時刻は深夜。すっかり暗くなった公演の隅で、意識を失った男性を細身の女性が運ぼうとしている。そしてその意識を失っている男性は鷺沼で、それを運ぼうとしている女性は紛れもなく霞だった。
「言っておくけれどそれはコラージュなんかじゃないわ。鷺沼先生の失踪当時の状況を魔術を使って写真として再現したものよ。霧生の娘にしては随分杜撰な手口を使ったものね、稲盛霞」
「い、稲盛さん……これ、本当なんですか?」
智慧理は縋るような視線で霞を見つめる。
状況証拠は言い逃れができないほどに揃っているが、それでも霞が一言「違う」と言ってさえくれれば、智慧理はまだ霞を信じることができた。
だが……
「警察でもないのによく調べ上げたものだね。見事だよ」
霞は拍手をしながら、紗愛の追及を全て認めた。
「稲盛、さん……?」
「今まで騙していて悪かったね、黒鐘さん。確かに私は君の精神に手を加えたし、君が探していた鷺沼先生を誘拐したのも私だ。もっとも誘拐したのは君の探し人に限った話ではないけれど」
「そん、な……」
「やけに素直に認めるのね。どういうつもり?」
疑いの目を向ける紗愛に対し、霞はおどけるように肩を竦めた。
「どういうつもりも何も、黒鐘さんに叛逆の牙を適合させた時点で私の目的は既に達成されているからね。今更私の過去の行いが露見したところで、変質した黒鐘さんの精神はもう元には戻らない。例えここで私が君に殺されても、殺戮者として生まれ変わった黒鐘さんがこの街の邪神眷属を皆殺しにする未来は変わらないという訳さ」
それを聞いた紗愛が怒りを押し殺すように歯を食いしばる。
「……霧生はよく言っていたわ。自分の娘は魔術の才能はあるけど邪神眷属への敵愾心が強すぎる、いつかその才能を誤ったことに使わないか心配だって。霧生の心配通りになったわね、この親不孝者」
「これはおかしなことを言うね、私がいつ道を踏み外したというのかな?」
紗愛の弾劾は霞の心には響かない。
「私は生まれた時から邪神眷属の根絶という目的に向かって一直線に邁進してきた。私がその道を踏み外したことは1度も無いよ、ただ父が私の進む道を端から見誤っていたというだけの話さ」
「……そう、そうなの……」
紗愛の光芒銃を握る手にぐっと力が籠る。
「だったら、ここでお別れね」
その言葉と共に霞の胸を光芒銃のビームが貫く。
だがそのビームを放ったのは紗愛ではなかった。
「なっ……!?」
驚きで目を見開く紗愛の視線の先には、霞に向かって光芒銃を構える智慧理の姿。
「稲盛さん、私に戦うための力をくれたことは感謝してます……」
智慧理は冷え切った目で霞を見据える。
「だけど自分のために他人を踏みにじったあなたとは、私はもう一緒には戦えない」
「……ああ……」
光芒銃のビームで胸を貫かれた霞は、手足の末端から徐々に体が消滅し始めている。
「ああ……素晴らしいよ……」
しかし霞は自らが消滅していくことに対して一切の恐怖を見せず、それどころか智慧理に恍惚の表情を向けた。
「躊躇うことなく私を撃ち殺すことができるその精神性……正しく私が求めていたものだ……」
「っ……」
霞のその言葉で、智慧理は自分が霞に対して引き金を引くことに一切躊躇いを覚えなかったことに気付かされた。
「黒鐘さん……君がこの街から全ての邪神眷属を駆逐するその日を……地獄で待っているよ……」
その言葉を最後に、霞の体は塵1つ残さずに消え去った。
「……生徒会長」
「な、何?」
突然呼びかけられて言葉に詰まる紗愛。紗愛は智慧理が霞を撃ち殺したことに、未だに衝撃を受けていた。
「この人達を地上まで運ぶの、手伝ってください」
そう言って智慧理が指差したのは、先程水槽の中から救出した6人のダハの被害者達だ。紗愛が現れたことでしばらく放置した形となってしまったが、彼らをこの研究施設から地上の天文台まで運ばなければならないのだ。
「えっ?え、ええ……」
紗愛は智慧理の要請に頷きつつ、智慧理の冷静さに驚いていた。たった今その手で霞を撃ち殺したというのに、それに対する動揺が智慧理からは感じられない。
「私が頭の方持つので、生徒会長は足持ってください」
「わ、分かったわ」
智慧理と紗愛は協力して被害者達をエレベーターへと運び込む。
エレベーターは6人もの人間を1度に寝かせられるほどの広さは無いので、犠牲者2人ごとに研究施設と天文台を往復する必要があった。
そうして20分ほどかけて智慧理と紗愛は6人の犠牲者を天文台まで運搬し、智慧理が119番への通報を務めた。
「彼らは精神が衰弱しているけれど、肉体には何の損傷も無いから、救急車がくればもう安心だと思うわ」
通報を終えた智慧理に、被害者達を検分していた紗愛が報告する。
「そうですか、よかった」
智慧理はスマホをポケットに仕舞いながら、僅かに表情を緩めた。
「ところで生徒会長。稲盛さんに誘拐された鷺沼先生とか他の人達は、今はどこにいるんですか?」
「え?」
唐突な智慧理の質問に紗愛は面食らう。
「ええと、稲盛霞の魔術工房だと思うけど……」
「それってどこにありますか?」
「恐らくは稲盛霞の自宅の地下に……」
「じゃあ今すぐ行きましょう」
智慧理は内心を窺わせない仮面のような表情で、天文台の従業員用出入口へと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
紗愛は慌てて腕を掴んで智慧理を引き留めた。
「今から行ってもどうにもならないわ!きっと鷺沼先生はもう稲盛霞に殺されてしまっている!」
「『きっと』ってことは、まだ殺されたって決まった訳じゃないんですよね?」
「それは、そうだけど……」
「生きてる可能性が少しでもあるなら、絶対に助けに行かなきゃダメです!」
力強くそう言い切った智慧理に、紗愛は息を呑んだ。
「それに……もし鷺沼先生がもう死んじゃってたとしても、私は鷺沼先生を見つけてあげないといけないんです。それがから……ある人との約束ですから」
「……そう、そうね」
智慧理の意志を聞き、紗愛も考えを改めた。
「確かにその通りだわ。例え殺されてしまっていたとしても、誰にも見つからないまま朽ちていくのは可哀想だものね。いいわ、行きましょう」
紗愛は力強く頷き、2人は駆け足で従業員用出入口に向かう。
「あっ!」
天文台を出た智慧理は、ここであることに気付いて足を止めた。
「どうしよう、私今変身できない……」
智慧理は霞の自宅の場所を知っているので、変身して飛行能力を使えば数分で稲盛宅に到着することができる。
しかし今の智慧理はダハとの戦闘の反動で変身することができず、移動手段を失っている状態だった。
「大丈夫、私のバイクで向かいましょう」
「えっ!?生徒会長バイク乗るんですか!?」
「ええ。こっちよ」
紗愛の後をついて天文台の駐車場に移動すると、隅にクルーザーと呼ばれるタイプの大型バイクが停車してあった。
「これが生徒会長のバイクなんですか!?」
「そうよ。さ、これを被って後ろに乗って」
紗愛がバイクに跨り、智慧理にヘルメットを投げて寄越す。
良家の令嬢のような雰囲気の紗愛が厳つい大型バイクに跨っている姿は、率直に言ってかなりミスマッチだった。
智慧理は戸惑いつつも紗愛の指示に従ってヘルメットを被り、紗愛の後ろに乗る。
「しっかり掴まってなさい!」
智慧理が紗愛の腰に腕を回すや否や、紗愛はバイクを急発進させた。
稲盛宅に到着した紗愛は、バイクを庭先に停車させた。
智慧理はヘルメットを半ば脱ぎ捨てるようにして玄関へと走る。玄関の扉は昨日智慧理が光芒銃で破壊したままになっていた。
「生徒会長!早く!」
「分かってるわよ!」
智慧理と紗愛は忙しなく家の中へと足を踏み入れた。
「うっ……」
相変わらず漂ってくる血生臭さに、智慧理は顔を顰めて鼻と口を押さえる。
「このニオイ、もしかして犠牲者の……ううん、止めましょう」
紗愛は最悪の事態を思い浮かべるが、それを口に出すことはしなかった。
「生徒会長。誘拐された人達がいる、その、魔術工房?っていうのは地下にあるんですよね?」
「ええ。アイツの父親の霧生から聞いたことがあるわ」
「でも昨日来た時に家の中一通り見ましたけど、地下に続いてるところなんて……」
「当然普通の方法じゃ辿り着けないわ、魔術で隠されてるの。ダハの研究施設と同じようなものよ」
「なるほど……」
ダハの研究施設には、天文台にあるエレベーターのコントローラーパネルで特定の操作を行うことでしか辿り着けなかった。
霞の魔術工房もそれと同じと言われれば、智慧理もスムーズに納得できる。
紗愛が懐からモノクルのようなものを取り出し、それを右目に装着する。
「生徒会長、それは?」
「これはアーティファクトを判別するためのアーティファクトよ。きっと魔術工房への道を開くためのアーティファクトがこの家のどこかに……やっぱり。あったわ」
紗愛が駆け寄ったのは廊下にある固定電話だった。
「それがアーティファクトなんですか?」
「そうよ。多分このボタンを特定の手順で操作して……」
紗愛が受話器を持ち上げずにボタンを操作する。
数分ほどの試行錯誤の末に、紗愛は「よしっ」と小さく拳を握る。
「上手くいったわ。これで魔術工房への道が開いたはずよ」
「ホントですか?でも、そんなのどこに……」
「こっちよ、付いてきて」
紗愛が智慧理を連れて向かったのはキッチンだった。紗愛はしゃがみ込むと、床下収納の扉に手を掛ける。
「そこ、昨日来た時も中見ましたけど……何も入ってなかったですよ?」
「普段はそうなってるのよ。でも道が開けた今なら……」
紗愛が床の扉を開けると、そこには収納スペースは無く、代わりに暗い地下へと続く階段が出現していた。
「嘘……階段になってる……」
「何かしらの防衛システムが無いとも限らないわ。慎重に行きましょう」
2人は警戒しながら階段を下りていく。
階段は螺旋状になっており、ビルの3階層分程度の長さがあった。紗愛が警戒していた防犯システムのようなものは存在しなかった。
「ここは……」
そして2人が辿り着いた霞の魔術工房は、どことなく病院のような雰囲気があった。部屋には円柱を横倒しにしたような形状のベッドがいくつも並んでおり、半透明のそのベッドの中には1台に付き1人の人間が収容されている。
「あっ、あれ!」
ベッドの内の1台に駆け寄る智慧理。
「鷺沼先生!」
そのベッドに収容されていたのは、智慧理の探し人である鷺沼に他ならなかった。
「鷺沼先生!大丈夫ですか、鷺沼先生!」
智慧理は必死に呼びかけるが、鷺沼は反応を示さない。身動ぎ1つしない鷺沼が生きているのか死んでいるのか、智慧理には判断が付かなかった。
「……黒鐘さん、あれを見て」
鷺沼に呼び掛ける智慧理の肩を叩き、紗愛が部屋の奥を指差す。
「え……?」
智慧理が奥へと視線を向けると、そこには高さ3m直径5mほどの、赤い液体で満たされた巨大な水槽があった。
「嘘……何あれ……!?」
水槽を満たす赤い液体の正体が血液であることを、智慧理は直感的に理解した。
「言ったでしょ、叛逆の牙を作るには大量の血液が必要だって。あの血は稲盛霞が集めたものよ。あんな量の血液が溜め込まれてたなら、血のニオイが家の中にまで漏れてきて当たり前よね。道理で家中生臭い訳だわ」
「あ、あんな量の血、どうやって……ここにいる人達だけじゃ、絶対にあんなに集まらないですよね?」
部屋に設置された円柱型のベッドの数は全部で10個。収容された人間の数は10人だ。
だが水槽に溜め込まれた血液は、どう見ても人間10人から採血できる量を大幅に超えている。
「……いえ、稲盛霞はどうやらここにいる10人から、あの量の血液を搾り取ったみたいよ」
「え?」
智慧理が驚いて振り返ると、紗愛はモノクルを装着して円柱型のベッドを調べていた。
「このベッド、いくつもの魔術が組み込まれているわ。この中に閉じ込められた人間は仮死状態になって、最低限の身体機能だけを維持された状態で延々と血液を搾り取られるって仕組みみたい」
人を人とも思わないようなベッドの機能に、紗愛は表情を苦々しく歪める。
「どうやら稲盛霞は人間を沢山殺して血を集めるんじゃなくて、少しの人間から延々と血を搾り取り続けるって手段を選んだみたいね。このベッドはそのためのシステムなんだわ」
「酷い……」
「しかも稲盛霞は叛逆の牙を完成させた後も、システムを止めていなかったみたい。だからもう叛逆の牙は完成してるのに、まだあんな量の血液が残ってるって訳ね」
紗愛の声には霞に対する呆れと軽蔑の感情が含まれている。
「それで、その、生徒会長……ベッドに閉じ込められた人達は、まだ助かるんですか?」
智慧理にとって気がかりなのはそこだった。
「さっきの生徒会長の話だと、ベッドの中の人達は仮死状態なんですよね?ってことは、まだ……」
「ええ、この人達はまだ完全には死んでないわ。けど長い間仮死状態で血を抜かれ続けたせいで相当に衰弱してる。正直言って、助かる可能性はかなり低いと思うわ」
「そんな……」
「当然私も助けるためにできることはするわ。知り合いに腕のいい医者がいるから今から連絡してみる。けどあなたも最悪の事態は想定しておきなさい。とりあえずここじゃ電話が繋がらないから上に戻るわよ」
紗愛の後をついて階段を上っている間、智慧理は無力感を噛み締めていた。
御伽原の街に住む人々を守るためには、戦う力だけでは不十分なのだと、智慧理は強く実感した。
次回は29日に更新する予定です




