10.苦痛
先制攻撃を仕掛けたのは智慧理だった。
光芒銃の銃から放たれたビームが、文字通り光の速さでダハへと迫る。
「……舐められたものだね」
だがビームはダハの体の数cm手前で、ライトの電源を落とすようにあっさりと消え去ってしまった。
「なっ……!?」
「黒鐘さん!どうやら光芒銃に仕込まれた<排斥の光芒>の魔術には、『ダハに対しては効果を発揮しない』という条件が付与されているようだ!」
霞が焦った様子で智慧理の耳元に囁く。
「光芒銃はそもそも恐竜人間の武器だ。恐竜人間の長たる僕に、光芒銃が通用するはずがない」
驚く智慧理の表情を見て、ダハは悦に入っていた。
「光芒銃が効かないからなんですか?私が光芒銃無しには戦えないとでも?」
ダハの余裕を鼻で笑い飛ばす智慧理。実際、智慧理にとって光芒銃は戦闘に必須なものではない。
智慧理は全身から黒いプラズマのような余剰生命力をバチバチと迸らせた。
「安心したよ。オズボーンの初陣が、あっさり終わってしまってはつまらないからね!」
ダハが床を蹴って智慧理へと迫る。
「速、っ……!」
ダハの速度は一般的なアスリートを大きく上回っており、予想を超える敏捷性に智慧理は面食らう。
「気を付けて黒鐘さん!ダハは魔術で身体機能を強化している!」
霞の忠告とほぼ同時に、ダハが智慧理の目の前でオズボーンを振り被った。
「すぐに死んでくれるなよ!」
「く、っ……」
智慧理は初撃をバックステップで回避したが、ダハはすぐに距離を詰めて2撃目を繰り出してくる。
ダハが振り抜いたオズボーンの刃を、智慧理は止むを得ず光芒銃の銃身で受け止めた。
「随分機転が利くじゃないか!」
「それはどう、もっ!」
ダハの右手を弾いた智慧理は、無防備なダハの胴体に右足の蹴りを叩き込んだ。
防御の素振りも見せずに智慧理の右足を受けるダハ。
だがどういう訳か智慧理は全く手応えを感じなかった。透明なスポンジに蹴りを入れたような不思議な感覚だ。
「黒鐘さん、ダハは<肉体の保護>の魔術を使っているらしい」
困惑する智慧理に、霞が自らの推測を囁く。
<肉体の保護>のことは智慧理も以前霞から教わって知っている。体の周りに防御膜を展開し、衝撃から身を護るための魔術だ。
「物理的な攻撃は今のダハには効果が薄い。攻めるなら魔術を使うべきだが、光芒銃がダハに通用しないのが困りものだね……」
霞が頭を悩ませている間に、ダハは再び攻勢に転じた。
「イタグオ・イケトイ・ラキフ」
ダハが繰り出したのはオズボーンによる斬撃ではなく、<排斥の光芒>の魔術。
空中に幾何学的な円形が出現し、そこから智慧理を狙ってビームが放たれる。
「きゃあっ!」
ナイフを警戒していた智慧理は、魔術による攻撃で完全に不意を突かれてしまった。
防御も回避もできずにビームは智慧理の右手に直撃。光芒銃が弾き飛ばされてしまう。
「そろそろオズボーンをその身で受けてもらおうか!」
迫り来るオズボーンの刃を、智慧理は再びバックステップで回避しようと試みる。
だが躱しきれずに右の袖が斬られ、智慧理の肌に小さな赤い線が走った。
「っ、うぐっ!?」
途端、傷を押さえて声を上げる智慧理。
智慧理は今、傷口の大きさからは考えられないほどの苦痛を味わっていた。
ほんの僅かに皮膚を切られただけだというのに、皮膚の下の肉まで断ち切られたかのような強い痛み。傷口を見ると黒いモヤのようなものが発生しているのが分かった。
「どうだ、オズボーンで受けた傷は痛いだろう?」
ダハが得意気に尋ねる。
「ぐっ……これ、は……」
「それがオズボーンが宿す呪詛の力さ。オズボーンが付けた傷は通常の何倍もの苦痛を与え、更に自然治癒を著しく阻害する」
「最っ低……」
智慧理は脂汗を流しながら、オズボーンの呪詛を身を以て味わっていた。
強い苦痛もそうだが、何より叛逆の牙の生命力増幅機能を以てしても傷が塞がる気配がない。
「オズボーンによる傷は縫合すら受け付けないからね。ある程度大きな傷を与えれば、それだけで相手は失血死だ。どうだ、君も呪詛の素晴らしさが分かってきただろう?」
「それで今日考えられると思ってるなら、あなたはコミュニケーション教室に通った方がいいですよ……!」
智慧理は苦痛に顔を歪めながらダハに向けて悪態を吐く。
だがダハは陶酔している様子で、智慧理の言葉は耳に入っていなかった。
「オズボーンの力はそれだけじゃない!オズボーンは成長するアーティファクトなんだ!」
「成、長……?」
「オズボーンは血を啜ることで自らの呪詛を無限に強めていく!傷を与えれば与える程により完璧へと近付くんだ!」
「成長って普通傷付きながらするものでしょ……傷付けながら成長するって何ですか……」
オズボーンの一体何がダハをそこまで魅了するのか、ダハの話を聞いても智慧理には全く理解できなかった。
だがダハが延々とオズボーンの素晴らしさを語っていたおかげで、オズボーンに付けられた右腕の傷がようやく塞がり、痛みも引き始めた。
「お喋りの続きは地獄でどうぞ!」
智慧理は右腕に余剰生命力を収束させ、ダハの喉元を狙って不意討ちの貫手を放つ。
「おっと、そうはいかない」
だがダハも抜け目がない。智慧理の不意打ちは余裕を持って躱されてしまった。
攻撃を空振りした智慧理は一旦距離を取って体勢を立て直そうとするが、それよりも先にダハが智慧理の右足を踏みつけて後退を封じる。
「さあ、君の血でもっとオズボーンを成長させてくれ!」
ダハが智慧理の腹部目掛けてオズボーンを突き刺す。
移動を封じられている智慧理は体を捻って回避を試みるが、当然躱し切れずに脇腹を切り裂かれてしまう。
「っ、あああああっ!?」
先程右腕に刻まれたものよりも大きく深い脇腹の傷。傷の大きさに見合った苦痛がオズボーンによって何倍にも増幅され、智慧理は思わず苦悶の叫びを上げた。
「はははっ!いい声だ!」
あまりの苦痛で智慧理の動きが鈍った隙に、ダハは今度こそオズボーンの刃を智慧理の胴体に突き立てた。
「がふっ!?」
智慧理の口から血の塊が零れ出る。
「そら!そら!そぉらっ!」
なおもダハは攻撃の手を緩めず、2度3度と智慧理の腹を滅多刺しにする。
ダハが手を止めたのは、智慧理の胴体に10を超える刺創が刻まれてからのことだった。
「が、ぁ……」
苦痛と失血によって悲鳴を上げることすらできず、くぐもった呻き声を漏らしながらその場に崩れ落ちる智慧理。
黒と灰色のゴシックロリータ風の衣装は血の色に染まり、吐血で赤く塗りたくられた顔からは生気が失われていく。
「黒鐘さん!しっかりして、黒鐘さん!」
霞の呼び掛けに智慧理は答えず、焦点の合っていない瞳には霞の姿が映っているのかも怪しかった。
今の智慧理は生命力増幅機能によって辛うじて死んでいないだけの状態。そしてそれも長くは続かない。
智慧理が命を落とすのは時間の問題だった。
「さて、君が死んだらゆっくり叛逆の牙を取り出すとしよう。あれがまた他の人間の手に渡ることは避けたいし、強力なアーティファクトは手元に置いておいて損はないからね」
薄れゆく意識の中、智慧理はダハの声をぼんやりと聞いていた。
オズボーンによる苦痛は、既に智慧理には感じられなかった。
痛みは体の防衛システム、生存するための機能だ。それを感じていないということは、智慧理の体がいよいよ死に近づいている証拠に他ならない。
それを自覚した瞬間、智慧理は「死にたくない」と強く思った。
否、「死にたくない」などという消極的なものではない。消えかけていた意識の中で智慧理が抱いたのは、「ここで死んでたまるか」という命への強い執着だった。
「そうだ、折角だからもう少しオズボーンに血を啜らせておこう」
智慧理に止めを刺すべく、ダハが逆手に握ったオズボーンを振り上げる。
その瞬間、智慧理の全身からバチバチッと黒いプラズマが爆ぜた。
「……ん?」
瀕死の智慧理の肉体で発生した現象に、ダハは僅かに首を傾げる。
すると直後、智慧理の体がゆっくりと起き上がり始めた。
「……驚いたな。てっきり君はもう死を待つばかりだと思っていたが」
口調こそ冷静なダハだが、その体は無意識に智慧理から1歩後退っていた。半死人が再び動き出すという現象に、何か得体の知れないものを感じたのだ。
「私、は……死な、ない……」
腹部の刺創から夥しい量の血を流し、口からも血を吐きながら、智慧理は小鹿のように震える足でゆっくりと地面を踏みしめて立ち上がる。
「死んで……たまるか!」
そして死の運命に抗うように智慧理がそう叫んだ瞬間、智慧理の体から全方位へと衝撃波が放たれた。
「うわっ!?」
衝撃波に吹き飛ばされて地面を転がるダハ。
次にダハが顔を上げた時、智慧理は黒いオーラのようなものに全身を包まれていた。
「あなたみたいな自分の欲求のために他人を弄ぶような外道に、私の命は獲らせない!」
智慧理の感情に呼応し、黒いオーラが燃え盛る炎のように膨れ上がる。
すると胴体の白い肌に刻まれた複数の刺創が見る見るうちに塞がっていき、同時にボロボロになっていた衣装も再構築され始めた。
「馬鹿な……オズボーンが与えた傷が、そう簡単に癒えるはずがない!」
目の前の光景を否定するようにそう叫ぶダハ。智慧理が引き起こしている現象が理解できない様子だ。
そしてそれを理解できていないのはダハだけではなかった。
「何、この力は……!?こんな機能、叛逆の牙には備わっていないはず……!」
叛逆の牙の開発者にして智慧理にその力を与えた張本人でもある霞が、信じ難いものを見るような目を智慧理に向けていた。
叛逆の牙の機能を熟知している霞の見立てでは、智慧理はもう再起不能のはずだった。牙の生命力増幅機能を以てしても、あれだけの傷を受ければ自然治癒よりも先に失血死を迎えるはずだったのだ。
だがその見立てに反して智慧理は再び立ち上がり、今こうして致命傷となるはずだった傷を完全に回復させようとしている。
智慧理は今や、霞の想定を超えた存在だった。
「凄い……力が溢れてくる……!」
そして当の智慧理本人はというと、体の内側から無限に湧き上がってくる凄まじい熱に高揚していた。
熱の正体は叛逆の牙によって増幅されている智慧理自身の生命力だ。初めて叛逆の牙で変身したその時から、智慧理は自らの生命力を熱として知覚してきた。
だが智慧理が今感じている熱は、これまでとは比べ物にならないほど強いものだった。これまで感じていた熱が炎だとしたら、今智慧理が感じている熱はさながら太陽だ。
この力があれば誰にも負けない。智慧理が根拠も無くそう感じてしまうほどに、智慧理の中で滾る熱は凄まじかった。
「き、君……何だ、その腕は……!?」
するとダハが震える手で智慧理の腕を指差した。
「腕?……えっ、な、何!?」
言われて初めて智慧理は自らの腕の変化に気が付いた。
智慧理の両手はいつの間にか、黒く金属光沢を放つ鎧の様な形状へと変化していたのだ。衣装の袖が変化したというだけではない、智慧理の腕そのものが丸々ガントレットに置き換わってしまったかのようだった。
変わったのは外見だけではない。その両腕が外見に見合った硬度と耐久性を備えていることを、智慧理は感覚的に理解できた。
「い、稲盛さん!これ何なんですか!?」
「分からない……君の力は既に私の想定を上回っている……」
「稲盛さん!?」
霞は呆然とするばかりで、智慧理にとって有益な情報は出てこない。
「は……はっ!どうやら死の淵から蘇ってきたようだけど、結局は同じことさ!」
智慧理自身も新たな力に戸惑っている様子を見て、ダハは幾らか冷静さを取り戻していた。
「君が何度立ち上がろうと、オズボーンがもたらす苦痛からは逃れられない!そして君が立ち上がれば立ち上がるほど、僕はより多くの血をオズボーンに啜らせることができる!むしろ立ち上がってくれてありがとうと言いたいくらいだよ!」
「……その割には声震えてますけど」
「うるさい黙れぇ!」
虚勢を智慧理に見透かされ、ダハは激昂して智慧理へと躍りかかる。
魔術によって強化した身体能力で一瞬で智慧理との距離を詰めたダハは、助走の勢いそのままにオズボーンを智慧理の脳天へと振り下ろし……
「なっ……何だと!?」
しかしオズボーンの黒い刃は、鎧と化した智慧理の左腕によってあっさりと受け止められてしまった。
「そもそも傷が付かなければ、ナイフの呪いは何の意味もありませんね」
静かな声で智慧理が呟く。智慧理はオズボーンの刃が最早自分の腕を切り裂けないことを確信していた。
「なっ、舐めるなぁっ!」
怒りのボルテージを上げながら再び智慧理へと斬りかかるダハ。
それに対し智慧理は、左腕に余剰生命力を収束させ始める。
智慧理が想定を超える力を発揮したのに伴って、智慧理の体から発生する余剰生命力は量・密度共に元の数倍に増大している。その余剰生命力を収束させたことで、智慧理の左腕は高熱の塊と化していた。
「ぐっ……!?」
智慧理の左腕から放たれる熱気はダハを一瞬怯ませたが、それでもダハは攻撃を止めない。
ダハがオズボーンを振り下ろし、智慧理もまた高熱の左腕を振るう。
刃と鎧が激突し、その瞬間左腕に収束した余剰生命力が炸裂。
「ぐああっ!?」
衝撃波によってダハの体は研究施設の壁に激突し、その手から弾き飛ばされたオズボーンがくるくると宙を舞う。
それを見た智慧理は地面を蹴って軽く跳び上がり、空中でオズボーンの柄をその手に掴んだ。
「そんなに呪いが好きなら、思う存分味わわせてあげますよ!」
オズボーン片手に着地した智慧理は、そのままダハの下へと弾丸ライナーの如く駆け抜ける。
「死に晒せ!」
そして壁面に叩きつけられたダハの胸のど真ん中に、智慧理はオズボーンの黒い刃を深々と突き立てた。
「ぎゃああああああああっ!?」
刺創の苦痛がオズボーンの呪詛によって何倍にも増幅され、ダハは身の毛のよだつような絶叫を上げる。
「がはっ……!?」
だがその絶叫も長くは続かなかった。口から大量の血を吐き出したダハは、そのまま糸の切れた操り人形のように動かなくなる。
ダハが既に事切れたのは、火を見るよりも明らかだった。
次回は25日に更新する予定です




