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悪女の結婚  作者: さざれ
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 ――経路を使う許可が欲しい。

 そう申し出た途端、公爵の眉間の皺がさらに深くなった。

(しかめっ面しか拝んでないような気がするけど……それでも顔立ちはいいのよね)

 精悍な顔立ちが不穏さを湛えて歪められ、並の者なら裸足で逃げ出すような威圧感が放たれるが、モイラには効かない。神経が図太くないと悪女なんてやっていられないのだ。

 オーベルは溜息をつき、簡潔に答えた。

「許可する」

「まあ、ありがとう」

 そう言ってもらえると思っていたので驚きは無い。各々の行動については不干渉でいることを結婚前に確認して書面にもしてあるし、ここの繋路の使用は基本的に自由だ。いちおう挨拶として使用許可を得ようとは思っていたが、断られることはないと分かっていた。

 北部の公爵邸から中央部の王城まで直通の、非常に便利な繋路だ。取ろうと思えば使用料を取れるし、実際に繋路の使用料を定めているところは少なくない。しかし公爵は公爵邸内の繋路にそれを定めておらず、貴族だけでなく身元の確かな者であれば誰にでも開放し、通行を可能にしている。街から少し離れているので使用者が増えすぎることはないが、それでも使用料を取れば結構な額になる。それをしないのは現公爵の方針だ。

(通行料としてお金を取るより、通行を自由にして流通を活発にした方が絶対いいものね。自分さえよければという考えなら別でしょうけれど、地域を富ませるためには使用料なしが望ましいはずだわ)

 領民が、領地が富めばその益は領主にも返ってくる。それを望まない領主がいるとしたら、愚者か悪人かだ。使用料も一種の税金であり、税を重くすることは基本的に害にしかならない。そのぶん再分配を厚くするとしたところで、中抜きはどうにもならないし、分配先の恣意的な偏りは利権と癒着を生む。碌なことにならないのだ。

 ……とは思っても、口には出さない。賢しらな態度は悪女の設定にそぐわない。

 黙って微笑むモイラにオーベルは胡乱な顔をしたものの、黙してその話題を切り上げた。

「他に何かないか? 不便なこととかは? ああ、そうだ、朝餐についてだが。毎日とは言わないが、時々は定時に食堂でとるように。邸内にいる者の様子が全く分からないのは良くないからな」

 思いがけないことを言われてモイラは瞬く。オーベルは目をそらすようにして続けた。

「今日のように、改めて場を設ける必要のない些細なことはそこで聞く。……あー、なんだ、その……北嶺芋は出さないから安心していい」

 さらに思いもかけないことを言われ、モイラは目を瞠った。そこまで言ってくれるとは思わなかった。

「……先日は失礼をいたしました」

「いや。私が悪かった。嫌いなものを無理に食べさせるべきではなかった」

 好き嫌いの問題ではなくアレルギーの問題なのだが、そこには気付いていないようだ。それでも譲歩してくれるあたり、意外と柔軟でいい人なのかもしれない。偏屈だとばかり思っていたが。

 まじまじと見ていると、オーベルが片眉を上げるようにして威圧感を滲ませた。

「……なにか言いたそうな顔をしているな?」

「いえ、滅相もありません」

 ふるふると首を振る。気を変えられてはたまらない。

 北嶺芋を食べなくて済むことはもちろん有難い。それだけではなくて、部屋でサリアと共に朝食をとったときに気付いてしまったのだが、それでは物足りなく思うようになってしまっていたのだ。

 北嶺芋を除けば食べられないものはないし、北部の少し濃いめの味付けも嫌いではないし、食事内容にはもともと不満なんてなかった。さすが公爵家、どれをとってもすごく美味しくて、量もたっぷりあって有難い限りだった。

(計算ずくの結婚相手との食事なんて、気づまりなだけだと思っていたのだけど……)

 ぼろが出ないように神経を尖らせるのも、腹の探り合いをするのも、覚悟していた。短い時間なのだからやり過ごそうと思っていた。

 しかし、やり過ごすべき耐え忍ぶべき時間というだけではないのが誤算だった。

 少し、楽しいと……嬉しいと、思ってしまったのだ。「家族」との食事が。

 伯爵邸では、自分の食事を満足に確保できなかった。

(二年前までは、こうではなかったのだけど……)

 心の中で思い出しつつ、癖でモイラは自分の髪をひっぱった。波打つ長い髪は艶やかに黒い。

(いいえ、思い出すのは止め。到底まともな結婚とは言えないけれど、それでも結婚して状況が変わったんだもの。それに、未来のことを思うのも駄目。……このまま公爵とは上辺だけ形式だけの関係を続けて、いずれ悪女のふりが必要なくなった後は、私には何も残らないのだということを……)

「……どうした?」

 知らず、唇を噛みしめて表情を険しくしてしまっていた。失態だ。モイラははっとして、焦りを抑えて微笑んで誤魔化した。

「失礼、ちょっと考え込んでしまいましたわ。お目汚しでしたわね」

「いや、そうは思わないが。……本当に大丈夫か? 何か抱えていることがあるのか? 困ったことがあるなら……」

「大丈夫ですわ。仰る通り、抱えている秘密なんてたくさんありますけれど。女性の秘密を暴こうなんて、悪い方ね?」

 困ったことがあるなら、何だろうか。続く言葉を聞きたくない気がして、モイラはかぶせるように答えて目を細めた。とびきり婀娜っぽく微笑んでみせる。悪女らしく。

 別に公爵を籠絡しようとして浮かべた笑みではないし、返ってくる視線は蔑みか呆れか諦めか、そんなところだろうと予想していた。

 だが、これは何なのだろう。公爵の灰色の瞳に浮かぶ感情が読めない。蔑みでも呆れでも諦めでもない、もちろん恋慕でも情欲でもない、しかしそこには確かに何かがあって、それがモイラをひどく居心地の悪い気分にさせた。

 挑むように見つめ返すと、しばし視線が絡む。綱引きにも似たその緊張は、公爵が軽く息をついて目をそらすことで解けた。

「……。他に話はないか?」

「ないわ。お時間を取ってくれてありがとう。お暇するわね」

 しておきたい確認はできたし、もう充分だ。これ以上ここにいては、何かぼろが出てしまいそうな気がする。モイラは挨拶をして立ち上がった。

 部屋を出ていく前、ドアの前で少し振り返る。ついでのように軽く伝える。

「三日後にさっそく繋路を使わせていただくわ。その翌日は朝食も不要よ。よろしくね」

 言うだけ言って部屋の外に出る。

 公爵がどんな表情をしているかは、見なかった。

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