7
(…………)
現れたモイラを見て、オーベルは思わず眉をひそめた。相変わらず露出の多い趣味の悪い格好をしている。美貌は認めるが品性がない。
(と、思ってはいるのだがな……)
書面の簡潔で要点を押さえたやり取りを見るに、頭は悪くないのかもしれない。傲慢で高慢だが、まさかそこに計算があるなんてことは……
(……ない。考えすぎだ)
想像するのが恐ろしく、オーベルは浮かんだ考えを押しやった。
(しかし……少し、痩せたか?)
気のせいかもしれないが、そんな印象を受ける。まさか体調不良は本当だったのだろうか。
じっと見ていると、挑むように微笑まれた。調子がよさそうで何よりだ。
女性の外見について下手なことを言うべきではないことは分かっている。話を蒸し返すのもよくないだろう。オーベルは目をそらした。
「かけてくれ。一言二言で済む話ではないだろう」
据えられた長椅子を示し、自分も小さな卓を挟んだ向かい側にの椅子に腰かける。モイラも大人しく長椅子に腰かけた。裾を払う仕草が優雅で、ついでに蠱惑的だ。オーベルは自分の眉間の皺が深くなるのを自覚した。
「あー……不自由はしてないのか? 使用人を遠ざけたようだが」
何から切り出すか迷って、とりあえず思いついたところから口にする。モイラは小首を傾げて答えた。
「不自由はしておりませんわ。侍女のサリアがおりますから」
「侍女一人で足りるものなのか?」
「充分よ」
「そうか……」
そんなはずないだろうと突っ込みたくなったが、きっぱりと言われてしまえば言葉通りに受け取らざるを得ない。
それなら、これも伝えておかなければならない。うやむやにするのは気が引ける。
「その分の費用が浮くことになるのだが……」
その言葉を聞いたモイラの目が獲物を見つけたように光った。気圧されて少しのけぞる。
「その分も、私の裁量で使わせてくださらない?」
「あー……」
言うと思った。だが、嫌な予感しかしない。生活を維持するためのお金をどのように使われるか分かったものではない。
だからオーベルは代案を出した。
「先日伝えたように、公爵夫人の立場に付随するお金は自由にしていい。要求の金額は妥当だ。ただし条件を付けた。読んだな?」
「ええ。私の申し出た全額を認める代わりに、私の実家への援助はないということでしたわね。構いませんとお返事しましたが」
「そうだ」
オーベルは頷いた。それが末尾に追加した文言だ。
「だが、使用人の移動に伴って、その分の人件費が浮く。決して少なくない額だから、多少は伯爵家への援助に回してもいいのだが……」
「いえ、結構ですわ」
モイラは言下に断った。居丈高な言い方に、実家とはもう関わりがないのだとでも言いたげな態度に、オーベルは不快に思って声を強めた。
「それでいいんだな? 生まれ育った家への恩義は感じないのか? ずいぶん薄情な態度だが」
「向こうも私に愛情なんて感じていないでしょう。お互い様ですわ。それよりも、そのお金で使用人を引き続き雇用してくださいませ」
「…………は?」
オーベルはぽかんとした。あまりに予想外のことを言われて反応が追い付かない。
「ですから、使用人たちを解雇しないようにと申しましたの。別に私の用はなくても、閣下のお住まいは広いのですもの。いくらでもお仕事はあるでしょう」
「……それはまあ、人手はあって困らないが。そもそも解雇するつもりはなかったぞ?」
「あら? それなら伯爵家のために、余計な出費をしようとしてくださったの? ずいぶんお金を余らせていらっしゃるのね?」
モイラが目を細めて笑う。あまりに悪女らしい皮肉な笑みに、オーベルが抱いた違和感は掻き消された。もしかして使用人を気遣ったのではないか、伯爵家にお金を流してはいけない理由があるのではないか、そうしたかすかな印象が悪女の笑みに塗りつぶされる。
「その言い方はないだろう。余計な出費だと言うのなら、お望み通りに伯爵家への援助は無しだ」
「結構ですわ。実家なんてどうでもいいもの。それよりも使用人たちを留めていただいた方がいいわ。私が人手を必要としたときに使えるようにね」
「……分かった。では、そのように。この話はここで終わりだ。だが、君にはまだまだ話がある」
「あら、なあに?」
「言わずとも分かるだろう? 君の、訳の分からない要求についてだ」
オーベルは机に置いていた書類挟みから便箋を取り出し、モイラに突きつけた。
「なんだこの要求は。割り当てのお金の一部を割いて古い調理場を使えるように修理を依頼してほしい?」
「ええ。邸宅の西の一角は私の好きにしていいはずでしょう? そこの一階に古い厨房があるから、そこが使えると便利になると思って」
古い時代は客を泊める場所として使われていたらしいその一角は、メインの建物と改築によって繋がってはいるが、もともとは別の建物だった場所だ。小規模ではあるが生活が完結する作りになっている。一階で炊事と洗濯ができるようになっており、水回りということで風呂場もある。洗濯場と風呂場は使えるようになっているが、炊事場は物置と化していたはずだ。上階にある昔の客間が、今の公爵夫人の主な生活場所だ。部屋の格は高くないし公爵夫人への扱いとしては雑だが、十人以上を泊められる客間すべてを一人のために割り当てているのだからいいだろうと判断したのだ。
「分からん。ろくな調理器具も残っていなかったと思うんだが、料理でもするのか?」
できるのか? と聞きたいところだが。
「道具類は私の裁量で集めますわ。ですが、場所をいじることに関しては独断で出来ませんもの」
言っていることは真っ当だ。後半だけだが。
真っ当な公爵夫人は厨房を自分で使おうとしたりはしないし、手ずから道具を集めようともしない。
「……厨房で何を作るつもりだ? 庭の草木を採取させてほしいとも書かれていたが、まさかそれを扱うのか?」
非常識な要求をしたモイラは嫣然と微笑んだ。
「中庭を見て回りましたら、美容によさそうな草木があったもので。薬効を高めた化粧水などが欲しいのですわ。売られているものでは満足できなくて」
「化粧水など、か……」
「ええ」
(……媚薬もだろう? いや、むしろそちらが主な目的か?)
思ったが、声には出さない。肯定されても困る。何をやらかすか知らないが、知らぬ存ぜぬの立場でいたい。
厨房を改修すること自体は構わない。公爵邸にとって悪いことではないどころか、設備を使って維持してもらえるなら有難い。場所も道具も、使い続けることこそが最大のメンテナンスだ。
……たとえ本来の目的である調理ではなく、媚薬作りに用いられようとも。
「……草木の採取については庭師に許可を取るように」
「よろしいのね? ありがたいわ」
モイラは微笑み、ついでのように言った。
「それから、繋路を使う許可が欲しいの」