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悪女の結婚  作者: さざれ
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「閣下がお会いになるそうです。今日であれば夕方までのいつでも、ご都合のいい時にお越しください。私をお呼びいただければご案内いたします」

 オーベルから遣わされた侍従が丁寧な口調で言った。面会を申し出たのはモイラだが、オーベルの側にも言いたいことがあったとみえる。彼からの返答は早かった。

 普通の夫婦であれば直接訪ねていくのだろうが、自分たちはとうてい普通とは言えない。必要なところで悪女のふりをする都合上、他のところで無意味な失礼をはたらいたりして公爵の不興を買いすぎるのは避けたい。執務室を探して邸内をうろついて直接押し掛けるのは避け、人を介して面会を打診したのだ。

 モイラは頷きながら彼を観察する。

 侍従はいったんモイラの胸元に目を留めたものの、すぐに視線は外された。べつに珍しい反応ではないし不可抗力に近いと分かっているので気にしないが、問題はその後だ。彼は素早く室内に目を走らせたのだ。

 公爵邸でモイラ個人に割り当てられた一角には部屋がいくつも続いている。そのうちの一室には螺旋階段があり、上階や階下の部屋も自由に使っていいと言われている。モイラたちが今いるこの一室は開放的な応接間で、私的な空間の中では開かれた場所だ。

 調度品は特に動かしていないし、持ち込んだり購入したりもしていない。そんな金銭的な余裕など無い。何を観察されているのか知らないが、べつだん見られて困るものは何もない。

(物は動かしていないし、ちゃんと掃除はしているから不審なところはないはず。年代物の家具が多いみたいだから丁寧に磨いたのよね。使い込まれたものって味わいがあっていいわ)

 割り当てられた場所は広いが、サリアと二人でかかれば掃除は問題ない。さすがに掃除している姿を使用人に見せられないから人払いはするが。

(そういえば使用人たちがいなくなったけど、あまりに遠ざけすぎるのは悪かったかしら。問題なければこのままがいいのだけれど……)

 使用人がいないのを不便に思っておらず、しかし部屋はきれいに整えられているのを侍従が不審がっていることに気付かず、モイラは口を開いた。

「今から参ります。案内してくださる?」

「今から、でございますか!? その、お仕度とかは……」

「あら、これ以上必要だと思う?」

 今は昼下がりだ。明るい昼に黒のドレス、しかもどう見ても夜会の似合う露出の多すぎる装いだが、設定上、そして財政上、この格好でいるしかない。嫣然と微笑んで押し通す。

「……っ、失礼いたしました。ご案内いたします」

「よろしくね」

 艶やかに微笑むが、心の中で考えていることはまったく別だ。

(悪女らしくというなら、もっと高慢な感じでもいいかしら。あなたなんて目に入っていないのよ、みたいな感じとか。妖艶路線でいくと身の危険が増すし、かといって高慢路線だと反感を買いすぎそうな気もするし……難しいわ)

 モイラは胸元にそっと手を触れた。襲われたときの備えは一応してあるが、使うことがないようにと祈る。

 侍従について執務室に向かいつつ、公爵邸の構造を頭に入れる。執務室はどうやら建物の中央部の三階にあるようで、モイラに割り当てられた西隅の一角とはかなり離れていた。

 仲睦まじくも何ともない建前上の妻の居場所としては妥当なところだろう。モイラが部屋に男を引き込むところを見たくないのか、引き込んでも関知しないという無関心か、どちらもありそうだった。

 邸内を歩き回るなとはっきり命じられたわけではないが、無用に反感を買いたくもないし、サリア以外の知り合いのいない邸内は敵地も同然だし、あまり好んで歩き回りたいとは思わない。あちこち見てみたい気はするが、公爵夫人として邸内を差配することを求められていない――むしろそうした役割から遠ざけられている――モイラとしては大人しくするしかなかった。

 嬉しいことに割り当ての場所の一階からは広い中庭に出ることができたし、いずれは建物の周りや、可能ならば森も見てみたい。繋路の使用許可ももらえれば王都の図書館にもちょくちょく出かけられるかもしれない。今から楽しみだ。

 モイラが悪女らしからぬことを考えているとはつゆ知らず、やや警戒したような調子で侍従は歩を進める。執務室の扉の前につくとノックとともに声をかけた。

「モイラさまをお連れしました」

「入れ」

 公爵の返事を確認した侍従は扉を開けてモイラに入室を促した。軽く会釈して謝意を示し、中に入る。

 広々とした執務室はまさに公爵の仕事場と言いたいような雰囲気のある空間だった。窓際に置かれた大きな文机は使い込まれて飴色の艶を放ち、両の壁際に立つ本棚もまた年代物のようだ。本やら書類やらがややはみ出そうなくらいに入れられていたが、荒れた印象は受けない。実用的なたたずまいだった。

 本棚からやや離れて暖炉があったが使われている形跡はなく、その中にストーブが置かれていた。古い時代の暖炉を煙突だけ流用しているらしい。マントルピースの上には国全体の地図と北部地方の地図とが並んで貼り付けられていた。ありがちな肖像画などはなく、こちらも実際的な印象だった。

 文具や置物などは相当高額になるだろう最高級品のようだが、それはそうだ。この国に公爵よりも上の立場の者など一部の王族だけだ。公爵が使わなくて誰が使うのだという話になる。

 全体的に見て、堅実で実用的、公爵としては質素と言っていい執務室だ。はっきり言って、感じがいい。

(……向こうは逆のことを思っているでしょうけれど)

 モイラの装いも、噂を含めた在り方も、とにかくすべてが彼の好みとは真逆だろう。虚栄と道楽の塊のように見えているだろう。

 だが、そんな妻が自分にとって都合がいいと求めたのはオーベル自身なのだ。好悪を抜きにして計算ずくで、お飾りの妻を、嫡子を産むことも邸内を差配することも夫を補佐することもない存在を求めたのだ。

 そのあたりの意思は結婚前に摺り合わせてある。ちなみにモイラの側は完全にお金と立場が目当てだ。

 お互いを愛するという空虚な誓いを立てつつもそれを建前と割り切った二人だが、モイラの側は、実は結構警戒していた。

 約定を破り、公爵が自分に手を出そうとするのではないかと。

(……杞憂だったけれど)

 公爵が夜にモイラの部屋を訪れることはなく、もちろんこちらから押し掛けることもなく、熟睡とはいかないものの平穏な眠りを毎晩得ている。

 これからもその眠りは守られそうだ、とモイラはオーベルの表情を見て思った。

 オーベルがモイラに向ける眼差しには、嫌悪感と同時に、不可解で制御不能な事象を目にしたかのような何とも言いがたい困惑が滲んでいた。

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