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言葉少なに、二人は準備を整えて公爵邸を発った。
事件は王都のシーシュ伯爵邸で起きたらしい。母は怪我をしていても命に別状はないようで、最悪の事態はひとまず免れたようだ。エジェールも治安維持の者に捕まって王都の牢にいるということで、ともかくも王都に行かなければ話が進まない。繋路を使えば一瞬で行けるから距離は問題にならない。
「……落ち着いているように見えるが、本当に大丈夫か?」
オーベルが気遣ってくれる。モイラは頷いた。
「衝撃はあったけれど……正直、あまり驚きはなかったわ。いつかこんなことになるのではないかと思っていたから」
母はあまりにやり過ぎたのだ。トラブルになったことは多いし、金銭でモイラが片を付けた件も多い。悪女として高価なものを頂く機会もあったが、断り切れなかったのはそうした後始末にお金が必要だったからだ。
再婚を控えた男性に手を出し、その婚約者が裁判沙汰にしようとした時の処理が一番大変だった覚えがある。
そうした話をしたら、オーベルが引いていた。
「貢がれた宝飾品を売り飛ばした話は聞いていたが……まさかそんな背景があったとは。誤解していた私が言うのも何だが、君は本当に損な役回りをしてきたな……」
「とっくに慣れたと思ったけど、解放されてみると本当に気楽だわ。オーベル様のおかげね。お金も立場も、本当に大切だわ……」
しみじみ言うと、オーベルが無言で頭を撫でてくれた。
繋路を通るだけだから旅支度は要らない。アラミアからの手紙は一応持ってきたが、そのくらいだ。鞄に手紙をしまい直したモイラの手元を見てオーベルが言った。
「しかし、君の妹は筆跡が君にそっくりだったな」
「あの子は私を姉と慕ってくれて、何でも真似をしたがったので。顔立ちはそこまで似ていないのだけど、筆跡はよく似ているわね」
母の不品行を肩代わりするモイラを心配し、自分にも少し任せてくれないかと申し出てくれた妹だが、妹はどちらかというと父親似だ。母やモイラにはあまり似ていない。年齢が下ということもあるし、可愛い妹にそんな真似はさせられなかったので却下したが、そもそも無理があったと思う。
アラミアは可愛い妹だし、ドリアスは可愛い弟だ。自分が悪女の役割を全うして犠牲になるかたちで社交界から消えるときにはもう家族の縁が切れているだろうと諦めていたのだが、血縁判定薬で客観的に血の繋がりが証明される道が開けたので、二人とも、これからも可愛い妹と弟だ。オーベルには感謝をしてもしきれない。姉代わりのサリアも少しオーベルと打ち解けたようだったから、家族関係は円満だ。――伯爵夫妻のことを除いて。
だからこそ、決着をつけに行かなければならない。モイラは心を決め、繋路をくぐった。
「お姉様!」
伯爵邸に着いた二人を真っ先に出迎えてくれたのはアラミアだった。ふわりとした黒髪におっとりとした印象の、モイラよりも少し小柄な少女だ。年齢は一つしか離れていないのだが、もう少し下に見える。
アラミアに少し遅れて、生真面目な顔つきの少年が姿を現した。弟のドリアスだ。シーシュ伯爵家の者らしい黒髪で、顔立ちは父母の両方が混ざった感じだが、享楽的な親から生まれたとは思えないようなかっちりした印象の少年だ。
「お帰りなさい、お姉様」
「ありがとう、二人とも。変わりなさそうで何よりだわ。それで、ええと……」
「お母様のことだね。話すから入って」
「その前に、ええと……」
「初めまして、アラミア嬢とドリアス君。義兄となったオーベルだ」
置いて行かれる形になったオーベルが挨拶をした。どう取り持っていいか分からずにいたモイラは少しほっとする。
彼を空気のように無視しようとしていたドリアスは、じろりと睨め上げるようにして鼻を鳴らした。
「初めまして、ですね。あまり初めて会った気はしないのですが。姉から手紙で色々と聞いていますので」
「色々……?」
「いえ、その! 良くしていただいていることとか!」
焦って口を挟んだモイラの言葉にかぶせるようにドリアスが言った。
「手紙では最近でこそ惚気みたいな内容が多いですが、最初は姉をずいぶんと困らせてくれたようで。北嶺芋を無理に食べさせたりとか」
「う……」
「それは、私もやり方がまずかったのだし!」
オーベルは言い返せず、モイラは慌てる。そんな二人の様子をアラミアが笑った。
「でもお姉様、お幸せそうで本当によかったわ。閣下もどうぞ上がってください。もてなしもできず、どたばたと呼び立てるようにしてしまって本当に申し訳ないのですが」
「気遣いは不要だ。――上がらせてもらおう」
オーベルは表情を真剣なものに変えた。モイラも表情を引き締める。久しぶりに弟妹と会えて嬉しいし色々と話したいのだが、今日の用件はそれではない。
「二人とも、落ち着いたら公爵邸に来てちょうだい。その時に色々とお話ししましょう」
「ええ、喜んで」
「是非」
二人は頷き、モイラとオーベルを邸内に案内した。
「お母様のお怪我はあまりひどくないと書いていたけど……」
「そのことだけど、ちょっと書きにくくて。命に別条のある怪我ではないのだけど、精神的にきついものだというか……」
アラミアが言葉を濁した。ドリアスも説明を加える。
「伯爵夫人と未婚の若い男性の愛憎のもつれによる刃傷沙汰というのがスキャンダラスすぎて、社交界では早くも噂に尾鰭がついて出回っていたり……過去を掘り返して面白おかしく話題にしてやろうとする動きもあったりするんです。お姉様の出生のことも、もう広まるのは時間の問題だと……」
モイラは溜息をついた。
「……それはもう仕方ないわね。むしろ今までよく保ったと思うもの。あなたたちにはつらい思いをさせてしまうけれど……」
「でも、血縁判定薬がお披露目できる日も近いのでしょう? 私もドリアスも大丈夫よ」
アラミアの言葉にオーベルが頷く。
「もう間もなくだ。君たちのことも守ってみせる。モイラの大切な家族だからな」
「まあ……」
アラミアはくすくすと笑った。
「一応は私たちも閣下の義理の家族ということになるのですけれど。ちょっと畏れ多いかしら。ね、ドリアス?」
「僕はまだ認めていないからね」
ふいとドリアスが顔を背ける。生意気だが、モイラを慕ってくれる可愛い弟だ。いずれオーベルとも打ち解けてほしいと思う。
和やかな会話に状況を忘れてしまいそうだが、忘れてはならない。アラミアが言葉を濁した母の怪我とはどんなものなのだろう。病院にいる必要もなく自宅にいるのだから深い怪我ではないはずなのだが。
案内された先で、アラミアはノックをして声をかけると、許可を得るのを待たずにドアを開けた。
「失礼いたします……っ!?」
声をかけたモイラは思わず声をひきつらせた。
夜会などで母の姿を頻繁に見かける機会があり、いつまでも若く美しい姿にひそかに感心していたのだが、今は見る影もなかった。
自慢の顔に、大きな傷跡が走っている。爛れたように赤くなっており、単なる切り傷ではなく薬品を使われただろうことはすぐに見て取れた。
傷口は浅そうだが……痕が残りそうだ。
それだけではない。傷ができたことに衝撃を受けたのか、掻きむしられた頭もぼさぼさで、化粧っ気のない顔は一気に老け込んで見えた。
アラミアが言葉を濁した理由が分かった。命に問題はないが、エジェールの刃物は、母イポリタの顔を的確に損ない、精神を深く傷つけていったのだ。




