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悪女の結婚  作者: 名無し
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(してやられた……)

 モイラは歯噛みをしてじっとりとした視線をオーベルに向けた。昼前までぐっすり眠り、時間は短いものの深い睡眠をとった頭は冴えているが、気分が冴えない。その原因たるオーベルは涼しい顔でお茶を飲みつつ書類をめくっている。

「私の聞き違いでなければ、北嶺芋の新しい食べ方を北部に広める活動を、公爵夫妻が主体となって行うと聞こえたのですけれど?」

「その通りだ。保守的な気風の強い北部においては、夫婦単位で動いた方が何かと通りがいいからな。信仰深く慎ましい格好をしていればなお受けがいい」

「社交界の悪女たる私に務まるとでも?」

「北部の素朴な気風に触れて改心したことにでもすればいい。君にならできるだろう。晩餐会のときの落ち着いたドレスも似合っていた」

「……!」

 さらりと褒められて顔が赤くなる。眠っている間に話を勝手に進められて事後承諾を取り付けられようとしていることを誤魔化されてしまいそうになるが、ここで誤魔化されてはならない。

「上手い仰いようですこと。ですが、対外的に私の状況は何も変わっておりませんのよ」

 オーベルの前では猫が剥がれたといっても、悪女のふりが必要な状況は継続中だ。まさか社交界と北部とで別人になれとでも言うのだろうか。

「それについても考えはあるが……とりあえず軽く何か飲んだらどうだ。フランがお茶を差し入れてくれたぞ」

「ありがたく頂きますわ。それで誤魔化されはしませんけれど」

 起き上がって軽く着替え、最低限の身だしなみを整えただけだから、そういえば喉が渇いている。すっきりとした香りに少しの甘みがあるお茶を啜りながら、頭をはっきりさせようと務める。

「飲み物では駄目か……」

「何か仰いました?」

 まるで食べ物であれば簡単に釣られるかのような言い方はやめてほしい。

「いや。それはそうと、君の言葉遣い。わざと高慢に聞こえるように装っているだろう? 悪女の印象を強めるために。君の素はサリアなどと話しているときの方だろう。違うか?」

「ええ、それはその通りですが……」

「私を相手には楽にしていい。丁寧さも求めない。夫婦だからな。今すぐにとはいかないが、いずれは社交界でも君がもう少し楽に振舞えるようにしていくつもりだ」

 申し出と誠実な言葉に、モイラは瞬いた。本当にこの人は言葉を違えずに行動してくれるつもりなのだ。寝台の上での言葉は往々にして忘れられがちなものだと聞くが、言葉だけではなかったらしい。

「ありがとうございます。嬉しいですわ……嬉しいわ」

「それでいい。夫婦だからな」

 やたらと「夫婦」を強調するオーベルに、モイラは笑みを少し引きつらせた。

「……その。大丈夫なの? 私はシーシュ伯爵家の血を引いていないのに、本当に公爵夫人にするつもりなの……? 跡継ぎは必要ないということ?」

「さっそく跡継ぎの話か。誘ってくれるなら大歓迎だが」

「茶化さないで! 大事なことでしょう!?」

 貴族の中でもとりわけ高位である公爵家なのだから、言うまでもなく血筋の正しさは重要だ。

 オーベルは持っていたカップを卓に戻し、くつろぐように背もたれに背中を預けた。

「大事だが、大丈夫だ。そもそもシーシュ伯爵家と縁続きになろうがなるまいが大して変わりはないからな。言っては悪いがその程度のことだ。君の父親が不明だという話だが、君の母親の好みを考えるに平民ではないだろう。別に平民でもいいのだが。問題が出てくるようなら、公爵家の遠縁の者にでも適当に父親を名乗らせればいい。公爵家の力があれば何とでもなる」

 モイラは顔をさらに引きつらせた。公爵家の権力が怖い。助けられる側だから心強いが、それでも怖い。弱小伯爵家の令嬢などという立場はたしかに要らなさそうだ。

 それに、そうしたやり方は横紙破りというほどでもない。血筋の怪しい平民を貴族の養子にしてから貴人が娶るといった行為は慣習的に行われていたりする。どこぞの貴族家に名目を借りるのは多少眉を顰められることではあるが、大きなマイナスというほどでもない。

 どんどんと、外堀が埋められていく。オーベルの血筋の問題を解決したと思ったら、モイラの側までもが巻き込まれるように話が進んでいく。

 モイラ自身、自分の血筋が高貴だとか卑しいだとか、そんな風に捉えているわけではない。公爵夫人として考えるならどうか、という話でしかない。オーベルの隣に立つにあたってどうかという話であり、彼が問題にしないのならモイラの側にこだわる理由はない。

 自分ひとりではどうにもならないと思っていたことが、するすると解かれていく。

「北嶺芋の問題について君に公爵夫人として動いてもらう代わりと言っては何だが、君が考えていた事業について、私も共同で行っていこうと思う。不作が回避されれば事業を阻むものは無いからな。手始めに、血縁判定薬から入ろうと思う。効果を充分に確かめて生産の体制を整えたうえで流通に乗せよう。利益を出すよりも広めること自体を目的として。量産が無理なら価格は高めでもいいから、その効果を知らしめていこう。そうすれば君の生まれのことが明らかになった後でも、君の妹や弟はシーシュ伯爵家の血を継いでいるということを証明できる」

 すらすらとオーベルが未来の展望を口に出す。モイラは目を瞠った。視界が開けていくようだ。

(そんな方法があったなんて……)

 自分ひとりでどうにかすることを考えていただけでは思い至ることのできなかった、公爵家の権威を利用した解決策だ。

「オーベル様は私に北嶺芋のことで感謝してくださったけれど……これに関しては全く逆の立場だわ。こんな風に解決してくださるなんて……!」

 モイラは思わずオーベルに抱きついた。オーベルはあやすように背中を撫でてくれる。ふかふかした椅子の座面に膝を埋めるようにしてオーベルに体重をかけると、髪がくすぐったかったのかオーベルが少し笑う気配がした。

「君のことは公爵家が守る。君の妹と弟は客観的な事実が守る。伯爵夫人に非難が向くかもしれないし、伯爵は肩身の狭い思いをするかもしれないが、そのくらいは些事とさせてもらおう。君をつらい目に遭わせたのだから、私が救ってやる道理は無い」

「……私も、そこまでは望まないわ」

 復讐してやるとまでは思わないし、恩もないではないが、さりとて庇いたいとも思えない。

「君は私に家族をくれたようなものだ。父との関係をはっきりさせてくれたうえに、妻になってくれたのだから。これからは公爵家を実家と思ってくれ。父も君のことをたいそう気に入っていたしな。……何か話したのか?」

 オーベルがパトリックのことを「先代」ではなく「父」と呼ぶのに目を細め、少し懸念するような問いかけに苦笑する。

「大したことは何も。でも、もう少しお話ししてみたかったとは思うわ。オーベル様の父君でいらっしゃるし、森を大切になさっていることも伝わってきたし、いろいろ教わりたかったわ」

「また機会はあるだろう。こちらから出向くだけでなく、こちらへもこれからはたびたび来てくれると言っていた。公爵邸が嫌いというより、私が生まれ育った場所で私に会うことに葛藤があったようだから。それも解決したし、半日かかるここへの道のりも、途中の繋路を管理する者に話をつけて使えるようにして短縮するつもりもあるようだ。北嶺芋の活動についても、先代公爵の名前を使って協力してくれると請け負ってくれた。私たちも動きやすくなる」

 本当に、いろいろなことが解決していく。

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