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「……お前たちを、モイラ付きでなくしてほしいと?」
思いつめたような表情で並ぶ使用人たちを前に、オーベルは眉をひそめて確認した。
「はい」と彼女たちが頷くのを見て、眉間の皺がさらに深くなる。単に待遇を改善してほしい程度の願いであれば、雇用主への直談判は不要だ。直属の上司を通じて上げればいい。むしろその程度のことで煩わせるなとオーベルの機嫌を損ねる可能性も高い。
それにもかかわらず思い余ったようにやって来たのなら、よほどの理由があるのだろう。罵詈雑言だけでなく暴力にまでさらされているとか、いかがわしい行為を求められるとか、理不尽な無理難題を押し付けられるとか、そういったことだろうか。
かと言って、すぐに動かせそうな人員の当ては無い。伝手を頼って集めるなり募集をかけるなりしても、そもそも城の構造など基本的なところから教えていかなければならず、時間がかかる。オーベルの身の回りの者を少し回そうにも、貴族女性につけられる者となると限られる。どうしたって人数も時間も足りない。
(……こういった事態に備えて、それなりの人数を用意しておいたはずだが……)
いま目の前にいるのは七人、用意した人員の五分の一程度だ。ここまで一気に抜けられてしまうと後が困る。
「……無理を承知で頼みたいのだが、給金を割り増しするからどうにかならないか? 金額の交渉には応じる。この全員に抜けられてしまうのはさすがに困るからな」
せめて三人か四人くらいに留められないだろうか。一縷の望みをもって口にしたオーベルの言葉は、あっさりと打ち砕かれた。斜め上の方向へ。
「いいえ、ここにいない者もでございます。三十六名の全員がモイラさまのお付きから外れることを希望しております」
「………………は?」
間の抜けた声が漏れる。理解が追い付かない。
(三十六名の全員が? 用意した人員すべてが? モイラに仕えていられないと言っている?)
いったいどんなことをすればそんなことになるのか、オーベルにはさっぱり見当がつかない。痛み始めた頭を押さえつつ、とりあえず事態を打開する糸口を探す。
「あー、ええと……どんなひどいことをされたんだ? 内容によっては裁きの場に出す必要があるから、教えてもらえると助かる」
いえ、と代表の女性は首を横に振った。
「ひどいことはされておりません。ひどいこともひどくないことも、むしろ何もされていません。何もさせていただけません。こんな状況ではお給金など頂けないのです」
「……ん? んんん? あー、えーっと……?」
話が盛大にずれている。オーベルはぽかんとした後、確かめるようにゆっくりと言葉にした。
「ひどい仕打ちを受けたのではないと? 使用人として虐げられたのではなく、使用人として何もしていないと?」
「もちろん、私どもは精一杯お役目を果たそうといたしました! でも、奥様はすべてお断りになってしまわれるのです。申し出ても断られるし、お着替えや湯浴みどころかお掃除やお洗濯や寝具の手入れさえ、私どもは何もさせていただけないのです!」
使用人は必死に訴えるが、オーベルはどう対応していいか分からない。
(……。…………。仕事熱心で非常に有難いのだが……給金や待遇に不満がないようなのもよかったのだが……)
「あー……。だが、それでは彼女の用は誰が果たしているのだ? 実家から連れてきた侍女が一人いたようだが、まさかその者がすべて行っているわけではあるまい」
着替えの手伝いはともかく、掃除や洗濯は侍女の領分ではない。もっと下の立場になる使用人の領分だ。それらに不自由しないように充分な人数を割り当てたと思ったのだが、まさか何もさせてもらえないなどと訴えられるとは夢にも思わなかった。
結婚から数日が経ち、しかしモイラの様子は変わらない。部屋の中の様子などは分からないが、会ったときに服装が乱れていたりすることはない。ある意味では乱れていると言えるのだが、それはともかく、手入れが行き届かずに汚れていたりということはない。
侍女ひとりで貴婦人の身辺を整えるのは無理だとオーベルには思えるのだが、肯定の言葉が返ってきた。
「いえ、どうやらそのようなのです。まさか奥様ご自身がなさるとも思えませんし……。ですが、お部屋が乱れているようなことはなさそうで、不自由をしておられるようにも見受けられません」
オーベルは髪をぐしゃりとかき回した。まったく訳が分からない。
「つまり、何か。彼女は侍女ひとりがいれば不自由なく、他の使用人はすることがないと。モイラ付きになる必要がないから他の仕事に回してほしいと」
「その通りでございます。奥様付きではなく、でもこのままこちらで働かせていただきたく……」
「……それは、構わない。配置替えについては追って指示を出す」
「ああ、ありがとうございます!」
代表の女性がお礼を述べると、他の六人も追随するように口々にお礼を言う。それに頷きを返して退出を促し、ぱたんとドアが閉まると、オーベルは机に肘をついて頭を抱えた。
(なにが構わないだ。ぜんぜん構わなくないんだが。いや、使用人についてはいいんだが、問題はモイラだ。あいつのことがさっぱり分からん)
こちらが選んだ人員に文句をつけられることくらいは予想していた。そのあたりは我儘を飲む代わりに割り当てのお金を減らすなどとして交渉し、金銭面の問題として処理するつもりだった。
ところが蓋を開ければ、これは何だ。モイラは我儘を言わず、使用人たちは斜め上の嘆願をし、彼女の傍に残るのは侍女ひとり。これではオーベルがモイラを冷遇しているようではないか。
(いや、心情的にはそうなんだが。度の過ぎた贅沢を許すつもりはなくても、物質的に不自由させるつもりもないんだが……)
シーシュ伯爵家と違い、アテナイ公爵家は広大な領地を持つ。痩せた土地の多い北部であり、面積あたりの人口は少ないが、それでもさまざまな資源に恵まれている。モイラの一人や二人で傾く家ではないのだ。もちろん宝飾品や美術品などを際限なく集めたりされれば話は別だが、そんなことを許しはしないし、そもそも彼女はあまりそのあたりに興味がなさそうだ。彼女が教養深いという話は聞かないし、ごてごてした宝飾品も付けない。貢がれた宝飾品を、「だって私の好みではないもの」と容赦なく売り飛ばした話も聞いている。得たお金はおそらくドレス代にでもなったのだろう。
(使用人たちの配置換えは行うが、必要になれば再びモイラに付けられるような状態にしておいた方がいいか。……しかし、侍女ひとりで本当に大丈夫なのだろうか?)
いつもモイラの後ろに控えている、彼女よりも少し年上と思しき女性の姿を思い出そうとするが、金髪で背が高めだったことくらいしか覚えていない。あまり問題を起こしそうな印象がなかったので気に留めていなかった。
(そういえば、あの朝食の席で何か言いかけていたような……)
最後にモイラと共にした朝食の席で、侍女が声を上げかけていた。モイラの癇癪でうやむやになったのだが、あれは一体何だったのだろう。
(まあ、どうでもいいか)
オーベルは思考を打ち切った。考えなければならないことは他に山ほどある。
たとえば、モイラの寄越した書面のこととか。
公爵夫人への割り当てのお金について、モイラからの要求への返答を先日届けさせたのだが、それについての再度の返答が来ている。
文面に目を落とし、オーベルは眉を寄せた。
(……一度、話をする必要があるな)