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悪女の結婚  作者: 名無し
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 ――何を言われたのか、分からなかった。

 オーベルの目の前には、悲痛な表情で涙を零すモイラの姿がある。見ているだけで胸が締め付けられそうで、思わず手を伸ばして涙を拭い、抱きしめて憂いを忘れさせたいと衝動的に思ってしまう。

 しかし、潤んだ瞳は明確にオーベルを拒絶していた。確たる意志を持って、悲壮な覚悟を持って、離縁を申し出ていた。

 どうしてこんな状況になったのか、分からない。

 モイラはたった今、パトリックとオーベルが親子関係にあることを証明してくれたばかりだ。そんな風に確かめる方法があるなどオーベルにとっては寝耳に水だが、懸念は長年のものだった。重く肩にのしかかっていたものが一気に取り払われ、体が軽くなり、視界さえ開けたばかりだった。自分の立ち位置が明確になり、やることも出来ることもはっきりし、動き出せるはずだった。北嶺芋の不作についても――モイラについても。

 社交界の悪女という評判だけを見て、お飾りの妻としてだけ求めたはずのモイラは、いつしかオーベルにとって大切な存在になっていた。本当の妻にしたいと、強く望むほどに。

 それなのに……

「……離婚、と言ったのか?」

「……はい」

「……分からない。何故だ? 私が公爵家の血を継がないのだったらまだ分かるのだが……」

 天国から地獄へと突き落とされたような気分だ。

「たしかに私は、結婚にあたって付けた条件を見直したいと思った。君を名実ともに公爵夫人にしたいと思った。中継ぎのつもりで務めていた当主の義務も、一時しのぎではない形できちんとしていきたいと考えていた。立場的にも、資金的にも、公爵夫人の立ち位置を盤石にして君に与えたいと思ったのだが……迷惑だっただろうか」

「……迷惑なんて、そんな!」

 モイラは首を振った。

「私のことまできちんと考えてくださって、本当にありがたく思っていますわ。本当です。それと見損なってほしくないのですが、立場や血筋についても、盤石になったからといって喜んで付いていくような者だと思ってほしくありませんわ。それはオーベル様ご自身にとって大事なものであって、私にとって関係のあるものではありませんから」

「……!」

 衝撃を受け、オーベルは固まった。配偶者の立場や血筋、資金や見目の良さ、そういった事柄を――露骨に口には出さないながらも――求めていくのが貴族女性であるはずだが、そうではないのだとモイラは言い切った。現に離婚とまで口に出している。悪女どころか、一般的な貴族女性としても型破りだろう。

 そういった彼女の考え方はオーベルにとって非常に好ましいものだ。なおさら彼女を強く求めたくなってしまう。しかし彼女は離婚を口にする。

 そうなるともう、オーベルにはどうしていいか分からない。一般的な貴族女性のこととてよく分からないのに、まして目の前にいるモイラが何を考えてどう動こうとしているのかまったく見えない。

 だから率直に、乞うことにした。なりふり構っていられないし、このままモイラを失いたくない。

「駆け引きではなく本気の提案だと見受けるのだが、どうか聞かせてくれないか。私の事情が変わったところで、対外的には今までと何も変わらず君は公爵夫人のままだ。そうなると、私と実際の夫婦になるのが嫌だということになるのだが……どこがいけないだろうか。直すから言ってほしい」

 涙の理由は分からないが、泣くほど自分が嫌われているのかと思うと心がえぐられる。確かに彼女とは最初の頃から険悪で、北嶺芋にアレルギーがあることを知らず無理に食べさせたり、偏見の目で見ていたりしたが……

(……これは、嫌われて当然か……)

 思い出すと心が痛い。当然の報いを受けているのだが、頼むからもう勘弁してくれと悲鳴を上げたいくらいだ。モイラへの気持ちを自覚して言葉に出した今、オーベルの立場は圧倒的に弱い。惚れた側がどこまでも弱くなるのが恋愛の常だ。

「……もしかして、好いた者が他にいるのだろうか。私と関係を持たず、子を持たないという条件を呑んだのは、そういった理由があってのことなのだろうか……?」

 声に出すだけでさえ痛いが、本当にそうなら知らなければならない。知ったとて彼女を開放してあげられるかは自信がないし、振り向かせようと足掻くだろうが。

 息をつめて返答を待つと、モイラが涙に濡れた目で瞬いた。美しい紺碧の瞳に吸い込まれそうな心地がする。自分でも自分の眼差しに熱が籠っていることを自覚したが、モイラにも伝わったのだろうか、目を伏せた。

「……そういった者はおりませんわ。そうではなくて……。いえ、お見せした方が早いですわね」

 モイラは身をよじるようにしてオーベルの拘束から逃れた。手首を掴んでいただけだったが、そのまま強く掴み続けることは憚られてオーベルは手を離した。華奢な手首の感触を意識してしまうが、つとめて脳裏から追いやった。小部屋のドアのところに立っていれば彼女を逃がすことはない。捕まえておく必要はない。小部屋は行き止まりだ。

 オーベルの横をすり抜けて逃げようとするかと一瞬警戒したが、モイラはその様子を見せず、反対に小部屋の中の方へと進んで荷物を何やら探り始めた。

 ほどなく、小瓶と布とを持って戻ってきた。まさか媚薬ではないだろうが、何に使うものなのかさっぱり見当がつかない。

 それでもとっさに身構えてしまうオーベルの前で、モイラはその液体を布に含ませた。とくに色のついていない液体だ。匂いもなく、特徴がない。眉を寄せて注視するオーベルの前で、モイラは自身の髪を一筋つかみ、液体を含ませた布で軽く挟んでこするようにした。

「……? …………!?」

 オーベルの前で、布が黒くなっていく。対照的に、拭われたモイラの髪は黒さを失い、輝くような銀色に変わった。一筋だけだが、明らかに分かる。――こちらが彼女の髪の自の色だ。

「……どういう……ことだ?」

 モイラは伏せていた目を上げ、諦めたような表情で淡々と答えた。

「見ての通りですわ。私の地毛は銀色です。昔は皆と同じように黒だったのですけど。成長とともに変わった色は伯爵家の誰にも似ていなくて……」

 確かに、シーシュ伯爵夫人は黒髪だった。伯爵は老齢ゆえに髪の色が抜けていたが、元は黒いのだろうと思われた。妹や弟についてはよく知らないが、銀ではないだろう。かなり珍しい色合いだ。

 モイラが髪を染めていることは聞いていた。母親と紛らわしくするために色合いを似せている程度だろうと思っていたのだが、似せるどころではない。まったく違う色合いだ。隔世遺伝か、そうでなければ……

「……この色が出てきたとき、伯爵には病気を心配されましたわ。でも、違いましたの。先ほどオーベル様とパトリック様にお使いいただいた試薬、あれは元々、私のために作ったものですの。私が本当に、シーシュ伯爵の血を引いているのかを確かめるために……」

「……結果は?」

 嫌な予感に背筋が冷える。モイラは感情を込めずに答えた。

「試薬は色をなくしましたわ。たとえ血縁があったとて薄い……親子では絶対にありえない色でしたわ」

「…………!」

 予想はついていたとはいえ、聞かされると衝撃が勝る。試薬の効果についてはオーベルが自身で確かめたばかりだ。オーベルにとっては救いの結果をもたらしたその試薬が、モイラにとっては、残酷な真実を突き付けるものだったのだ。

「それは……いつのことだ? いつから君は、そんな状況で……」

「二年くらい前ですわ。このことを確かめたのは。私はそのときから、伯爵令嬢ではなくなって……悪女になったのですわ。皮肉ですわよね、母親の不品行を我が身に引き受けながら……私の存在そのものが、母の不品行の証であるのに」

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