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悪女の結婚  作者: 名無し
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 オーベルは呆然としている。当然だ、今まで彼を悩ませていた事柄が白黒つこうとしているのだから。

「これは……本当に?」

 薄赤い液体が少量入ったショットグラスを指し、オーベルはモイラに確認する。モイラは頷いた。

「お見せしますわ」

 モイラはナイフで少し自分の手の甲側を切り、かすかに走った筋から赤い血の滴をグラスに落とす。パトリックの血が混ざってすでに薄赤くなっている液体に血を加えるのだから、直感的には赤が濃くなるような気がするだろう。しかし試薬はすうっと色をなくし、普通の水のように見える状態に戻った。

「……!?」

 不思議な現象にオーベルは驚いている。と見るや、血相を変えてモイラの腕を掴んだ。

「君は何をしているんだ!? 自分を傷つけるなど……!」

 モイラは瞬いた。驚いたのは試薬の反応ではなく、モイラの行動に対してのことらしい。

「大丈夫ですわ。きちんと煮沸消毒した鋭利な刃物ですし、錆もありませんし、誰かの後に使ったわけでもありませんもの」

「そういう話をしているんじゃない! 君は女性だろう! 男ならともかく、女性が自らを傷つけるなどと……!」

「傷って……顔でもないのに」

「どこだろうが同じだ、痛いだろうに」

 まるでオーベルの方が傷ついたような顔をして、切り傷に血の筋ができたモイラの手を取った。当て布でもくれるのだろうかと首を傾げている間に、傷口に彼の口が近づき、そのまま血を舐め取られた。

「~~~~!?」

「思い切りが良すぎるし無頓着すぎるだろう。君はもっと自分を大事にすべきだ」

「え、あ、あの……!」

 たしかに平気な顔をしすぎたかもしれないが、少し経てばふさがる傷口なんて何てこともない。いつまで続くか分からない空腹状態や、家族と思っていた人からの冷遇や、悪意や好奇の目にさらされる方がずっと痛い。

 そこまで声には出さなかったが、オーベルは察したらしい。痛ましそうに眉を寄せ、ふたたび血が滲み始めた傷口を覆うように口づけを落とした。

 まるで神聖で厳かな誓いのように、恭しく。

 モイラは言葉も出せずに固まった。何と言っていいか分からないし、なにをどう考えていいのかも分からないし、もはや傷口が痛いのかすらも分からない。

 真っ赤に茹で上がった顔でぱくぱくと口を動かすモイラの様子は、顔を伏せたオーベルには見えていない。

 しかしパトリックにはすべて見えていた。狼狽えるモイラの様子も、モイラの手のほかには何も見えていないようなオーベルの様子も。

「……っく、ふ……」

 堪え切れないように漏らされた笑い声に、我に返ったようにオーベルが顔を上げた。その隙にモイラは自分の手を取り返した。なんだか熱を持って痺れているような気がするが、断じて気のせいだ。

 オーベルはあまり表情が豊かな方ではないが、モイラでも読み取れるくらいにせわしなく表情を変えた。パトリックが笑うのが信じられないといった表情、感慨深いような表情、何を見られたかを思い出して狼狽える表情。

「……ふ、ふふ……」

 釣られてモイラも笑い出してしまった。オーベルがかすかに赤い顔でこちらを睨むが、まったく怖くない。あれだけ恥ずかしい思いをさせたのだからおあいこだ。いや、まだ足りないくらいだ。

 笑いすぎて目尻に滲んだ涙を拭い、パトリックは緊張の解けた声で促した。

「構えていたのが馬鹿らしくなってくるな。大丈夫だ、儂とお前との間に血の繋がりがあろうともなかろうとも何も変わらん。結果の如何で当主の座から降りたいというようなことがあれば聞くが、関係性については変わらん。これまでもこれからも息子として扱うつもりだ。ただ、はっきりさせておきたいと思うだけだ。……お前のために」

 パトリックの言葉にオーベルが目を見開く。モイラもはっとした。

 パトリックにとって、オーベルと血が繋がっているかどうかはどうでもいいのだ。オーベルが気にしていることを知っているから、彼のためにはっきりさせようとしているだけなのだ。感じていたらしい緊張についても、オーベルの心を思いやったのと、彼が距離を置きたがるかもしれないということを懸念してのことだったのだ。

「…………」

 オーベルは無言でグラスを引き寄せた。パトリックの心はモイラにさえ分かった。オーベルにとってはさらにはっきりと胸に来ただろう。

 ナイフで指の甲側を切ろうとしたオーベルは、近くに並んでいるショットグラスに目をやった。濃い青のものから色のないものまで合計で五つ、反応済みの試薬が入っている。

 モイラは説明を挟んだ。

「特に濃いものが二つあるけど、それが親子の血縁を示しているの。一親等ならその濃さになるわ。青透花の盛りのときと同じ色合いよ」

 二親等、三親等と関係性が遠くなっていくにつれて青は総じて薄くなっていくが、ときどき関係性の遠さの割に濃い色が出ることがある。血に含まれる遺伝情報の共通性が高い方に偏ることもあるので、そうした反応も見られるのだ。確度が下がっていくことは否定できないが、一親等かどうかの判別であればはっきりと疑いなく可能だ。

「……なるほど」

 モイラの説明にオーベルは頷いた。彼の前で実際に見せられればよかったのだろうが、その前にパトリックへ説明するために大部分を使ってしまった。試薬はあまり量がないし、パトリックを納得させればオーベルも説得されるだろうと思ったので過程を省かせてもらう。

 ついでに、ショットグラスが使われているのは、それがいちばん用意しやすいとのことだからだ。試薬やら薄めるための蒸留水やらを持って上がってくる必要があったので手が空いておらず、実験用のフラスコまでは持ってこられなかった。何往復もするのは手間だし、フラン以外の人の手も借りたくない。器は手近にあるもので代用することになり、少量の試薬を入れるために適していると思われたのがお酒を飲むためのショットグラスだったというわけだ。

(……パトリック様にしてみれば、得体の知れない試薬や人の血を入れることになるのだけど……高価そうなグラスを使って本当によかったのかしら……)

 洗って使えば気にしないということなのか、まさか使い捨てるつもりでいるのか、モイラには恐ろしくて確かめられない。使用人のフランがいてくれたら庶民的な感覚を共有できたかもしれないが、彼女は経屋の外に控えてもらっている。結果がどうであるにせよ、どう伝えるにせよ伝えないにせよ、パトリックとオーベル、ついでにモイラだけで試薬の反応を確かめるつもりなのだ。

 パトリックの血を入れた試薬は二つある。一つはモイラが対照実験として自身の血を入れ、青を呈さない――血縁がないか、薄い――ことを示した。

 もう一つ、まだ薄赤いまま比較対象の血を待っている試薬のグラスを、オーベルは意を決したように見た。

 今度こそ指へとナイフを走らせ、血の滴をその中へとしたたり落とす。

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