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「……伺います」
美味しいお茶とクッキーに気を取られている場合ではない。未練がましく手を伸ばしそうになるのを堪えて、モイラは姿勢を正した。
「あれが私の子ではないと陰で言われていることを知っているか?」
「!?」
お茶やクッキーを口に含んでいたら咽せていただろう。あまりに思いがけない方向に話が進み、モイラは息を詰まらせた。
とっさに、フランの方を窺う。これは聞かれていい話なのだろうか。なにか試されているのだろうか。
「大丈夫だ。聞かれて困る話ではない。皆が知っておる話だ。新鮮味が薄れてからは噂にもなりにくくなっておるが」
パトリックが言う。フランも特段表情を変えていない。そういった話があるのは確かなようだ。
モイラは初耳だが、オーベルの母親が亡くなってから結構な年数が経っており、その手の話が蒸し返されるだろう爵位継承からも時間が経っている。今さら話題になるようなことではない――皆が知っているし――ということなのだろう。
モイラは正直に答えた。
「……初耳ですわ」
そうか、とパトリックは頷く。淡々とした様子にモイラは戸惑った。不名誉とも言えるような噂を自分に聞かせてどうするつもりなのだろうか。自分はやはり何か試されているのだろうか。
「子が生まれても儂の孫とは限らないわけだが……」
モイラは咳き込んだ。つくづく食べながら聞かなくてよかった。
(そうか、そういう話になるのね……)
モイラの反応にパトリックは察したらしい。かすかに表情を動かしたようだった。
「やはり、夫婦というのは形ばかりなのだな。あれは噂を気にしておったからな。結婚したと聞いて血筋の懸念は振り切ったものと期待したが……まだ気にしておるのか」
話題が微妙なものになってきた。フランがここに居てくれることが有り難いが、そもそも聞かせていいのだろうか。分からないが、パトリックと二人きりでこの話を続ける気概など持てない。静かに控えていてくれることを心強く思いつつ、モイラは考えをまとめようとした。
多くの貴族家と同じく、アテナエ公爵家も基本的に男系相続だ。先代のパトリックが公爵家の血を継いでおり、その最初の妻、すなわちオーベルの母親は公爵家と血筋上の繋がりはない。もしもオーベルがパトリックの実子でなかった場合、アテナエ公爵家の血を受け継いでいないことになる。
「……あんなに立派な当主でいらっしゃるのに……」
「そうだな。儂もそう思う」
半ば無意識に零れた呟きに、パトリックが同意した。
「今回の問題への対処を見ても思う。あれは当主の器だ。君の見識があってのことだと承知しているが、柔軟な解決策を取ろうとしている。自慢の息子だ」
「……ええ」
「血が繋がっているかどうか、そんなことはどうでもいいのだ。人から人へ受け継がれるものは血ばかりではないのだから。だが、とくに貴族社会においては、血統というものは非常に重視される」
「……分かります」
モイラは神妙に頷いた。血筋がらみの問題を抱えているのはモイラも同じだ。まさかオーベルが同種の悩みを抱えているとは知らなかったが、この手の弱みは貴族社会において容易く致命傷になる。
「生真面目なあれのことだ、気にするなと言っても無駄だろうから言わんできたが……君から言ってやれば案外聞き入れるかもしれん」
「え……っと、それは、どうでしょうか……」
モイラは顔をひきつらせた。自分がそこまでオーベルに強い影響力を持っているとは思えないし、何なら自分の血筋も偽っているし、どの口で何を言うんだという話になる。
パトリックは嘆息した。
「いっそ、違うなら違うとはっきり分かった方があれのためになるかも知れんな。適性だけで公爵の座に縛り付けておくような真似は酷だとも思っておるのだが……」
実子である可能性も捨てきれないため、踏ん切りがつかないということらしい。違うと分かったらオーベルは身を引くとパトリックは予想しているようだ。
(そういうことだったの……)
聞きながら、モイラは違和感が氷解していく感覚があった。
お飾りの妻を欲し、子を作ることをせず、自らは中継ぎに徹するつもりであったオーベルの行動理由がはっきりと分かった。アテナエ公爵家の血を継いでいないかもしれない懸念がそうさせていたのだ。
モイラに対する最初の当たりの強さも、彼の母親を重ねて見ていたのだとしたら納得できる。ひどい偏見だとは思うが、そもそも偏見を助長したのはモイラの態度だ。それについて蒸し返すことはすまい。
(でも、それなら……)
モイラはこくりと喉を鳴らし、おそるおそる声に出した。
「……もしも、血の繋がりを判定する薬があるとしたら。お使いになりたいと思われますか……?」
パトリックが目を見開いた。
夜の森を、フランと二人で進んでいく。
「……その、奥様」
フランが遠慮がちに問いかけた。
「何かしら?」
竿に吊り下げたランタンで行く先を照らしながらモイラは応じた。
パトリックは薬を所望した。モイラが自身に使い、父と血縁のないことを確かめた試薬を。
その薬を用いて互いの血縁を確かめるかどうか、パトリックの側はそれを望んでいても、オーベルが拒否する可能性はある。彼の意向を確かめるよりも薬の準備を優先したのはパトリックの意向だ。息子――血が繋がっているかどうかはともかく、育ての息子ではある――の気性を知っている彼は、お膳立てを整えておく方が得策だと見たらしい。必要な材料や道具がこの島で調達できることをモイラがフランに確かめたのち、なるべく早く用意するようにと二人に命じたのだ。
血縁判定薬の最も重要な原料は青透花。昼に案内された場所に咲いていた花だ。血縁が濃くなるほど漕い青色を呈し、薄くなれば色がなくなる、その不可思議な性質は青透花の成分を抽出して得られるものだ。
だから、花の青は構造色ではない。昼にはフランに曖昧な答え方をしてしまったが、早くも訂正する機会がやってきたというわけだ。あまり思い出したくない記憶にまつわる花だからと答え方を濁してしまったことが気になっていたから、少しだけ気が軽くなった。
そのフランは、「時間外労働のお手当はしっかり頂きますので」とパトリックの無茶ぶりに頷き、夜の森の案内を買って出た。試薬について知る人数はなるべく絞るべきなので――結果がどうであれ、初手から広めていい話ではない――、フランの協力は有り難かった。
この夜をどう過ごそうかと頭を悩ませていたモイラにとっても、するべきことがあるのはは有り難かった。大きな寝台のある水仙の間に戻らなくて済むし、微妙な話を聞いた後でオーベルの顔を見て平気な態度を取れる自信がない。絶対なにかしらぼろが出るだろう。
移動続きで疲れているし、休みたい気持ちはあるが、目が冴えているのも確かだ。オーベルと同じ寝台で眠るわけにいかない以上、この夜はぐっと我慢して昼間に思い切り心置きなく睡眠を貪ってやる、と考えつつ、青透花の生息地に向かって足を進める。
フランにとっても色々と確かめたいことがあるだろう。薬についてとか、モイラの立ち位置についてとか。そう分かっていたので、どんな話であってもなるべく誠実に応じようと内心で考えつつフランの呼びかけに応えたのだが、切り出された話はまったく予想外のものだった。
「――ご夫君について、奥様がどう思っておられるのか……不躾なのは承知ですが、どうかお聞かせいただきたく」
…………主従そろって、モイラの心臓に悪い。




