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オーベルの父親、先代公爵のパトリックは厳めしい風貌の矍鑠たる老人だった。眼光が鋭く、あまり表情を動かさない。晩餐会の間、他の招待客が美味しい料理と酒で舌の回りがよくなっている中、ひとり寡黙に淡々と食事を進めていた。
印象といえばそのくらいだ。正直に言って、モイラはあまり彼に注意を払っていなかったので――目の前に魅惑的な料理の数々が並んでいるのだから仕方ない――、ろくに目を合わせてすらいない。
大規模な晩餐会ではテーブルの端から端まで普通の声量では声が届かないこともあるが、この晩餐会はそこまでの規模ではなく、声も届けば表情も見えた。おまけにモイラは先代から近いところに座っていたのでなおさらだ。
北嶺芋の新しい食べ方を北部に広める話について先代と意を一つにするためということでこの城を訪れたのだが、本当にそれは形式的なものだったらしい。先代はその話に異存がないどころか進んで協力して推進してくれるようで、その姿勢は気合の入った北嶺芋料理にも表れていた。どれも本当に美味しかった。
あとはオーベルと細かい話を詰めてこの視察は終わりだろう。モイラはそう油断していた。
「——パトリック様が奥様とぜひお茶をご一緒なさりたいと」
先代からの使いがモイラにそう伝えるまで。
(…………どういうこと!?)
使用人に案内されて廊下を歩きながら、モイラは混乱する頭を必死でなだめようとしていた。
使いが来たのは晩餐のすぐ後だ。オーベルはほかの出席者と話をするということで部屋には戻っていない。眠るにはまだ早い時間だし、オーベルに水仙の間を譲って部屋を出た方がいいとも考えたので、案内を頼んで図書室なりを見せてもらおうかと思っていた矢先のことだった。
寝耳に水の話だった。パトリックがモイラに何の用があるというのだろう。オーベルとの結婚にあたって書面で挨拶はしたが、形式的な文面を交換して終わった。文句を言われたわけではないが、歓迎されたわけでもない。このまま没交渉を保つと思っていたのだが、もしかしてモイラに何か言いたいことでもあるのだろうか。
(大切な息子をよくもたぶらかしてくれたな、とか? それか……ないとは思いたいけれど、誘いをかけられるとか……?)
パトリックが「社交界の悪女」のことをどう思っているのか分からなくて怖すぎる。備えを使うような事態にならないことを祈るしかない。
覚悟して部屋に足を踏み入れたが、そこにいた人物を見てモイラは少し緊張を解いた。
奥に座っていたパトリックに礼をとった後、テーブルを囲んで共に座っていた女性が席を立ってモイラに礼をとった。
「……フランさん?」
先代と一緒に座っていたのは、昼に森を案内してくれたフランだった。どうやら先代にお茶を給仕したあと、そのまま同席を勧められたものと見える。彼女の近くにワゴンがあり、部屋にお茶のほっとする香りが漂っていた。紅茶にハーブを加えたものらしい。
「よく来てくれた。儂と二人では気詰まりだろうと思って呼んだのだ」
「私は控えておりますので」
「あ、いいえ。どうぞそのままで」
身分に気を遣って壁の方に下がろうとするフランに首を振り、モイラも近くの椅子に腰かけた。
部屋の調度は重厚なものだったが、気取らない印象だった。お茶の香りの漂う室内は広すぎず、昼なら窓から森が見渡せるのだろう。ほっと一息つくのによさそうな場所だ。あるものはテーブルと椅子と、壁際の飾り棚くらいだ。棚には娯楽のための遊戯盤と駒などが載っていた。一人または少人数でくつろぐための場所なのだろう。
フランがモイラに尋ねた。
「この時間ですので紅茶はやめておきましょうか? なるべくご希望に沿ってお淹れいたします」
「いえ、私にも同じものをお願いしたいわ」
紅茶を飲むと眠りにくくなる人もいるが、モイラはとくにそういったことはない。それに、どうしてこの場に呼ばれたのか分からないのだ。眠気を催している場合ではないだろう。
「かしこまりました」
頷いたフランが給仕してくれる。出されたお茶は渋みのはっきりしたもので、ハーブが複雑な滋味を加えている。ミルクを足したら美味しそうだ、と思ったら、考えを読んだかのようにフランがミルクピッチャーを出してくれた。
入れて飲んでみると、思った通り、ミルクがよく合う。クリームが浮くくらい濃厚で新鮮なミルクが渋みと調和し、お茶請けがいらないくらいの満足感を得られる。
そうは思いつつ、お茶請けのクッキーが供されるとついつい手が伸びてしまう。晩餐を堪能したばかりだというのに、出されるものがいちいち美味しいのが悪いのだ。ナッツやドライフルーツをあしらったクッキーは見た目にも楽しく、濃厚なミルクティーによく合った。寝る前に食べ過ぎると太るとか、そんな野暮なことを考えてはいけない。
お茶とお菓子に夢中になっていたモイラの耳に、ふっと微かに笑うような息の音が聞こえた。はっと我に返ると、パトリックが微笑とも呼べないような微笑を浮かべていた。フランも微笑ましく見守るような表情をしている。
「あ……」
しまった。すっかり趣旨を忘れていた。悪女のふりをしないとと気を張る必要のない場面では、ついつい食い気に負けてしまう。油断しすぎだ。
謝ろうとしかけたモイラをパトリックが制した。
「楽にしていなさい。そのためにフランも呼んだのだ。面識があるようだったからな。信頼できる女性は他にもいるのだが」
「お気遣いをありがとう存じます」
パトリックは明言しなかったがモイラの緊張を解すためではなく外聞の悪さを避けるためにも女性を呼んでくれたのだろう。義理の父になるとはいえ男性と二人というのはよろしくない。城のこのあたりは晩餐会の他の招待客が出入りできないくらい奥まった私的な場所にあり、噂が立たないようにとも気遣ってくれたのだと分かる。「社交界の悪女」だと軽く見ていかがわしい行いを強要する意図がないことは明白だった。
それは心から安堵したが、モイラ一人を呼んだ理由が分からない。北嶺芋のことならオーベルが同席した方がいいと思うのだが。
そう考えていたから、パトリックの次の言葉は不意打ちだった。
「北嶺芋の不作が見込まれる中、思いがけない方向からの解決策を示してくれたこと、心より感謝する。どうかあれを支えてやってほしい」
「えっ……!」
真正面から頭を下げられ、モイラはうろたえた。
「その……彼から何か……?」
もしかしてパトリックとオーベルは共謀しているのだろうか。この顔見せはパトリックとオーベルの話し合いではなく、モイラを話から降りられなくするのが目的だったのだろうか。
しかし、パトリックは首を横に振った。
「いや、君については何も言われておらん。私が勝手に気を回しただけだ。……晩餐の際の様子を見ていても、あれが君に心を許していることは分かった」
ごくわずかに口元に笑みを浮かべながら言う。
(晩餐の際の様子……!? ほとんど喋りもしなかったけれど!?)
食べることに夢中で、たまに招待客から話しかけられても「美味しいですね」「そうですね」くらいしか言葉を交わしていない。北嶺芋の処理などについては先んじて話が回っているし、晩餐会は会議ではない。小難しい話をするよりも食事を楽しんで親交を深めるのが目的だ。モイラは食事を楽しむ方に傾きすぎたことを自覚しているが、オーベルもたいして他の人と話をしたりはしていなかったと思う。モイラともあまり話さなかった。様子と言われても困惑するばかりだ。
しかしフランは何やら得心した様子でモイラの様子を見ながら頷いている。
和やかにしていたパトリックだが、少し表情を改め、モイラに切り出した。
「あれについて、君に知っておいてほしいことがあるのだ」
別作品を進めるため、更新を一時停止いたします。本当に申し訳ありません。そちらの完結次第、こちらの更新を再開する予定です。




