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悪女の結婚  作者: 名無し
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 オーベルは、父親――と言うよりも先代公爵と言うべきだろう――が苦手だ。母親も苦手だが、先代も苦手だ。

 オーベルの母アンナは分かりやすい人だった。喜怒哀楽がはっきり顔に出るし、オーベルを疎んじていることもあからさまに分かった。

 だが、パトリックは逆だ。感情があまり表情に出ないし、オーベルを疎んじたりもしなかった。オーベルには母親の違う弟がいるが、はっきり実子と分かるそちらと分け隔てされた覚えもない。

 良くも悪くも公平で、平等で、オーベルが不義の子ではないかという周囲の心無い言葉にさらされたときも、弟からさえそのように言われたときも、眉一つ動かさずに黙殺した。

 父がオーベルのことをどう思っているのか分からない。長子だから、問題を起こしていないから、公爵家の家督をオーベルにあっさりと譲り渡して隠居した。オーベルの血筋が怪しいという噂話が耳に入っていないはずもないのに。

 自分が本当に父の子なのかと、まだ少年の頃に問いただしたことがある。しかしパトリックは答えを持っていなかった。子として扱うと言ってもらったが、それはオーベルが望む答えではなかった。

 それはありがたいのだが、申し訳ない。自分がその言葉を、その立場を、享受していいものか分からなかった。足元があやふやで、自分がそこに立っていていいものか分からなかった。

 母は早くに亡くなったので確かめるすべもない。そもそも母にも分かっていなかったらどうしようもないが、尋ねることさえできなかった。

 貴族として血筋を継ぎ、爵位を継ぐ以上、そこが不確かだとどうにもならない。いっそ何食わぬ顔をして自分が当主である事実こそがすべてだと開き直ってみればと考えなくもないが、良心が咎めて出来ない。家を乗っ取る簒奪者の気分になってしまう。どこのものとも知れぬ血筋をアテナエ公爵家のものとして残していくのはさすがに罪が重い。先代のことが苦手なのは、彼の人柄などよりも、なによりもこの引け目のせいだ。

 貴族が血筋を大切にするのは、昔からの習慣の名残だ。特殊な才能を持つ者が今よりもずっと多かった時代、そういった才能を持つ者は優遇され、特権的な地位にあった。そういった血を濃くしたり、逆にばら撒いたり、掛け合わせるようにしたり、そうして形成されたのが貴族社会だ。

 だが、時代は移った。才を持つ者も減り、才を求めた婚姻も減った。いまだに才を公然と受け継いでいっているのは王家くらいのものだ。他にもあるのかもしれないが、才をやっかまれたり、求められて不幸な縁組をしたりといった負の側面もあったので、隠すようになった家もあるという。王家くらいの力がないと、過ぎた力は却って身を滅ぼすということなのだろう。

 アテナエ公爵家くらいの力があれば才を隠す必要はないが、皮肉なことに才は失われている。才を持つ者についてはいちおう記録と系譜が残ってはいるが、一家の特徴とできるようなはっきりとした現れ方はしていない。

 それでも貴族の名門であることに変わりはないので、血筋を乗っ取るような真似をするのは気が咎める。もしかするととっくにそういった形で途切れているのかもしれないし、そうした家は少なからずあるのだろうが、自分でそれをするのは罪悪感がありすぎる。

 いっそ、平民だったらいいのにと思うこともある。血筋など気にせず自由に在れたらと。

 しかし、それは空想に過ぎない。オーベルには公爵としての義務と責任があるし、自分ではどうにもできない血筋のことだけは親戚に任せるとして、それまでは立場を全うしなければならない。それが、ここまで自分を育ててくれた環境への義理だ。

 こうした事情をすべて、モイラに話してみたらどうだろうかと考えることもある。そうしたら彼女はいったいどんな反応をするだろうか。まったく想像がつかない。

 当のモイラはオーベルの考えなど知らず、目の前の料理に目を釘付けにされている。

 晩餐会は小規模なものとはいえ、北部で影響力を持つ者が集まった重要なものだ。現在のアテナエ公爵であるオーベル、先代のパトリック、北部貴族、王城から派遣された官吏、それぞれの地域で力を持つ豪商などが一堂に会している。

 そうした面々に出されるメニューも奢ったものだ。メインディッシュは森で獲れた鹿肉のソテーで、甘酸っぱいベリーのソースがかけられている。森の若葉が付け合わせに添えられており、夏らしく爽やかだ。濃厚な玉蜀黍のスープにも薄緑色と橙色の渦が巻いており、葉菜や人参などが混ぜ込まれている。グラスに注がれた水にもハーブの香りがつけられており、口直しによさそうだ。

 そして何より、北嶺芋だ。灰を溶いた湯で茹でるという調理法には抵抗がある者が少なくないだろうが、そうした人でも思わず口に運んでしまいたくなるような見た目の芋料理が並んでいる。

 肉に添えられるようにして盛り付けられたのはマッシュされた北嶺芋で、バターと生クリームが贅沢に加えられている。なめらかな口当たりが食欲を誘い、赤身の鹿肉との相性も抜群だ。

 他にも、茹でた芋をさらに揚げて食感に変化を加えたものや、ハーブやベーコンとともにパンに練り込んだもの、素朴に割って何種類ものチーズをかけたものなど、目にも楽しい品々が並んでいる。

 ここに集まった面々は北嶺芋の新しい食べ方とその可能性について知っている者ばかりだから、これはいわばお披露目会場といったところだ。好感触を与えられればこれからの話もスムーズに進むし、美味しければやる気を出してもらえるだろう。

 参加者たちの反応を見て、これなら大丈夫だろう、とオーベルは安堵の息をついた。最初は少し躊躇っていた者もいたが、今では皆が料理に舌鼓を打っている。

 オーベルはちらりと横を見た。

 視線の先で、モイラは誰よりも幸せそうに料理を堪能している。趣旨を忘れているだろうと突っ込みたくなるくらい熱心に食べている。所作は上品だが、熱意が上回っているせいで少し急いたような印象を受ける。

 オーベルは思わず笑いそうになって咳払いで誤魔化した。

 さすがにオーベルの食べる量とは全然違うが、それでも女性にしては健啖な方だろう。小鳥がつつくような食べ方しかしない貴婦人もいたりするが、モイラの食べっぷりは見ていて気持ちがいいくらいだ。

 これは推測だが、彼女は伯爵邸で充分に食事をとれていなかったのかもしれない。だとしたら好きなだけ食べてほしいし、いろいろ食べさせてやりたいと思ってしまう。

 シーシュ伯爵家のお金の使い方について、オーベルが少し調べてみたところでは、モイラが散財していると考えるには不自然なところが多々あった。購入されるドレスやジュエリーはもちろん様々な色や型があったが、彼女は黒しか着ない。宝飾品も身に着けない。

 また、伯爵が家族の土産などで求めたらしい品々を見ていても、二人分、あるいは三人分なのだ。彼女が持参した荷物の少なさ――薬草類を除いて――を見ても、贈られたものを身に着けた様子がないことを見ても、それらはモイラの妹と弟、それに加えて母親、つまりはモイラ以外の者に贈られた可能性が高い。

 いくら公爵家とはいえ外から調べるには限度があるし、無理して深く探るつもりもなかったが、少し調べただけでこれなのだ。

 モイラが浪費家だという噂も、間違いだろう。むしろ彼女だけが家族の中で冷遇されている。

 それはもしかして、彼女の隠し事にも通じるかもしれない。

 モイラが悪女のふりをしていた理由は妹と弟を守るため。その話にはいちおう納得したが、まだ何かあるとオーベルは見ている。

 いくら伯爵夫人に問題行動が多くても、夫との間に子をもうけて義務を果たした後なら、多少の火遊びは許される。それだけの話ならモイラが身を挺して母親を庇う必要は薄い。

 もしも、それだけの話ではなかったら。夫人の火遊びがずっと前からのもので、その証拠になるものがあるのだとしたら。

 彼女は、その爆弾が破裂しないように、あるいは破裂するまでの時間を引き延ばすために、悪女の名前を背負っていることになる。

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