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警備の者らしき二人が応援を呼んだらしく、屈強な男性が何人も部屋に姿を見せた。エジェールとロビンはそのまま連れていかれ、モイラは複雑な胸中を出さないようにしつつ見送った。
エジェールについては、申し訳なさもありつつ命の危険にさらされたことでおあいこだということでいいだろう。母との関係については本人たちが片をつけるしかないことだ。
ロビンに対しては、一片の情も湧かないというわけではないが、彼の選んだ短絡的な道はいただけない。悪事の片棒を担ぐなんてもっての外だ。「社交界の悪女」相手になら何をしてもいいという思考も受け容れられない。
それでも、モイラが「こう」だから。母の美貌を受け継ぎ、おそらくは父親から色気を受け継いでしまったから。自分が彼を狂わせてしまったのだとしたら、気が咎めて仕方ない。
「……君のせいじゃない」
モイラの思考を読んだように、オーベルが言う。
「私の使用人が済まなかった。本人にも償わせるし、私からも謝罪する。君は何も悪くない」
「……私は悪女ですわよ? 悪いに決まっていますわ」
「いや、人々が君に見る『悪』は全て、君の母親がしでかしたことなのだろう?」
確信ありげに問われる。モイラの言動が彼に確信を与えてしまったようだ。これ以上は誤魔化せないと諦め、モイラは溜息をついて肯定した。
「……その通りよ」
「君に罪があるとすれば、人々を欺いたことだな。それも必要で仕方ないことだと分かるが……他の罪をひとつ、忘れてはいないか?」
「……なんでしょう」
「よくも、私を謀ってくれたな?」
オーベルは美しい微笑を浮かべている。しかし灰色の瞳がまったく笑っていない。絶対に逃がさないとその目が言っている。
(ひえええ……)
絶体絶命だ。エジェールに刃物を突き付けられたとき以上にまずい。
「社交界を欺くのはまあ、必要があったと認めよう。私もそれに乗せてもらったし共犯だということにしておこう。しかし、私を欺く必要はあったのか?」
「それは……私の身を守るためにも……」
「君に手は出さないと契約したはずだったが。私はそんなに信用がなかったか?」
モイラは背中だけで冷や汗を流した。顔だけは意地で微笑を保っている。
「お言葉ですが、旦那様? 最近は少し、身の危険を感じることもありますわよ?」
「そうだな、虚勢を張る君をいたぶってみたいと思ってしまうな。契約を遵守して手を出さないようにしようと思っていたのだが、約束も守れない男だと思われていたと知ってしまうと、考えが変わってくるな」
(うわあああ……)
オーベルの微笑に嗜虐の色が混ざる。威圧するように距離を詰めてこられて後ずさり、背後はもう寝台だ。
しかし、今度も状況はノックで中断された。
「晩餐のお仕度のお手伝いに参りました。今でよろしいでしょうか」
「……入ってくれ」
モイラもオーベルも身の回りを任せる侍女や侍従を伴っておらず、使用人も最小限で、最低限の荷物だけを持たせてここへ来た。そういった客人に対応するための人員が用意されていることは聞いている。
移動して森を歩いてくたびれた格好で晩餐に出るわけにはいかないし、そもそも夜の正装に着替えなければならない。身なりを整える必要があるのは当然で、時間に間に合わせるにはそろそろ始めないといけないのは分かる。
オーベルもそれは理解しているはずだ。だから、まるでモイラが何かをしたかのようにこちらを半眼で見るのはやめてほしい。助かったのは事実だが。
「……命拾いしたな? だが、後で覚えていろよ」
「何のことかしら?」
しらばっくれるモイラに意味ありげな一瞥をくれ、オーベルは男性用にと割り当てられた続きの間へと城の使用人を伴って入っていった。モイラも促され、髪を整える道具などを携えた使用人たちを伴って反対側の続きの間へと入る。
ひとまずオーベルのことを頭から追い出し、使用人の手に身を委ねて支度を任せる。髪染めが落ちてはいけないから髪の手入れだけは口を挟んで、成分がよく分からないものは使わないようにしてもらったが、その他は全部任せた。正直に言って、いろいろなことがありすぎて身支度のことまで頭が回らない。このまま眠ってしまいたいくらいだ。
モイラ自身の身支度については、伯爵邸にいた頃からサリアに手伝いを頼んでいるが、サリアも専門というわけではない。むしろ夜会に出入りしているモイラの方が色々と詳しく、二人で試行錯誤しながらなんとか整えてきたのだ。それを思うと、すべて丸投げしていい今の状況は楽すぎる。サリアの手が一番安心できることは変わらないのだが。
「――これでよろしいでしょうか?」
うとうとしかけていたモイラは、支度が終わったことを知らせる使用人の声にはっとして意識を現実に引きずり戻した。
立って確認するよう促され、鏡に映った姿に思わず瞬いた。瞳の色に合わせた紺碧の色のドレスは持参したものだが、髪を清楚にまとめて生花をつけ、化粧は控えめなものにされると我ながら別人のようだ。悪女の笑みが似合うきつめの顔立ちは理知的なものに見える。品のいいボレロで肩や胸元を隠したからだろうか、禁欲的にさえ見える。
どんなふうに仕上げてほしいかと聞かれたとき、晩餐の雰囲気にそぐうようにとだけ希望を出してすべて任せたらこうなった。この城の主である先代公爵の意に適う格好ということだろうか。
一応、モイラも先代公爵とその夫人のことは聞いている。もちろんオーベルから聞いたわけではないが、高位貴族の話なら多少時間が経っていても耳にする機会がある。
印象に残っていたのは、その状況がどことなくモイラのそれと似ていたからだ。年配の貴族家当主とその年若い妻、美貌で黒髪で浮気性というところも似ている。違うのは、オーベルの母がすでに故人であるということと、先代は後添えを得たということくらいだろうか。
当初オーベルがモイラについて偏見があったのも、彼の母親とモイラを重ねて見ていたところがあったからかもしれない。彼は彼で苦労してきたのだろう。
「……驚いた」
主室に戻ると、先に支度を終えていたオーベルがモイラを見て目を瞠った。
モイラもモイラでオーベルに目を奪われる。モイラのドレスと色調を合わせた男性物の礼服をかっちりと着こなし、そうしていると体格のよさが強調される。夜会では彼を観察する余裕などなくいっぱいいっぱいだったが、こうやってくつろいで足を投げ出していても、オーベルには品があった。
「私も驚きましたわ。似合っておられますわ。素敵ですわね」
さらりと褒めると、オーベルは少し頬を赤くした。それを誤魔化すようにぶっきらぼうに言う。
「そういうふうに褒めるのは男性側の役目だろう。……そちらも似合っている。見違えた」
いかにも悪女といった格好か、土に汚れてもいい素朴な服装か、そのくらいしか見せていなかったから目新しく映るのだろう。それともオーベルはこういった清楚な格好が好みなのだろうか。覚えていれば何かに使えるだろうか。
モイラは褒められ慣れている。歯の浮くような言葉やお世辞も山のように受け取るので、いちいちこのくらいで動揺したりはしない。
だが、オーベルの本心からとみえる賛辞は思いがけず嬉しかった。彼が望むならこういった格好をもっとしてもいいかもしれないと思う。――悪女のくせに。彼をまだ欺いているくせに。
すっと頭が冷え、モイラは意図して美しい笑みを浮かべた。
「時間がかかった甲斐があったのならよかったわ。お待たせしてごめんなさい。参りましょう」
オーベルの父親は、どんな人なのだろうか。




