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「もしかして……ニックの血縁の方?」
既視感の理由に思い至り、モイラは問いかけた。
顔を上げた婦人は頷く。
「年が少し離れておりますが、ニックは兄です。公爵閣下の奥様でいらっしゃいますね」
「ええ、公爵夫人のモイラよ。あなたは……」
「フランと申します」
フランと名乗った婦人は、老齢のニックよりもかなり年下のようだが、面差しや雰囲気は似ていた。少し痩せぎすで、彫の深い顔立ちだ。
親しみを覚えて微笑むと、フランも微笑みを返した。
「兄がたいへんお世話になっております。話が逆で、お仕えすべき立場でありますのに。よく効く湿布を頂戴したとか、お茶をご馳走していただいたとか、本当に勿体ないことでございます」
「まあ、ご存知でいらしたの」
「兄はあれで、筆まめなところがあるのですよ。いろいろと書き送ってきました」
そう答えるフランに、執事が言った。
「このお二方に森の案内をしてほしい。とくに夫人がご希望でいらっしゃるので女性をと思ったのだが、そういう話があるのなら君が最も適任だろう」
「承りました」
「地図などをご覧になりながら少しお座りになるということだが、お出しできるお茶などの用意はあるかな?」
「高級なものはございませんが……薬草茶でも大丈夫でしょうか。それか、採ってきたばかりの白樺の樹液もありますが……」
「どちらも素敵! できればお茶は淹れるところから見たいわ」
モイラが乗り気なのを見て、執事はほっとしたようにフランに託した。
「では、任せる。お二方が散策を終えられたら水仙の間まで案内するように」
「申し付かりました」
執事が出ていくのを見送り、フランはオーベルに声をかけた。
「閣下はいかがなさいますか。奥様とご一緒なさるか、お掛けになってお待ちいただくか、どちらがよろしいでしょう」
「では、私も一緒に行こう」
「仲がよろしくていらっしゃるのですね」
フランの何気ない言葉に、モイラは思わず息を止めた。
(……そう見えるわよね。大丈夫なの……?)
おそるおそるオーベルを窺うと、何やら葛藤しているような表情をしている。肯定も否定もできない、そんな感じだ。
オーベルに対して悪女のふりができなくなっているのはモイラがそもそも悪いのだが、それをオーベルが無言のうちに許容してくれているようなので甘えてしまっていた。せめて対外的には仲が悪く見せないといけないのだが、先代の使用人なら身内ということでいいだろうか。
オーベルもぎこちなくモイラを見る。その視線がモイラを責めるものではなく彼も困っていることを示すものだったので、ますますどうしていいか分からなくなった。
いろいろと、無理が限界に近付いている気がする。そんな感覚を押し殺しながら、二人の様子に不思議そうにしながらも口を閉ざして先導するフランの後に続いた。
「冬はあちらの部屋のストーブに薬缶や鍋をかけて飲み物を作りつつ加湿や暖をとるのですが、夏はもっぱら厨房で済ませております。お茶に使える種類はこちらで……」
フランの説明を聞きながらモイラは目を輝かせた。大部分がこの島に自生するか栽培しているものらしく、購入して置いてあるのは一部のようだ。あれこれと尋ねつつ、好みの配合を選ばせてもらう。効能や成分についてはモイラの方が詳しかったが、生態や分布などについてはさすがにフランの方がずっと詳しかった。
疲れを取りつつも頭をすっきりさせる数種類の薬草の配合に果皮を加えたものをお茶として淹れてもらい、さらに果汁で割りつつ蜂蜜も加えてと贅沢に甘みをつけてもらった。
厨房の椅子に腰かけながら、飲み物を味わう。こんなところでいいのかとフランは恐縮したが、モイラもオーベルも全く気にしなかった。オーベルもフランも同じものを飲んでいる。
贅沢な甘みのある飲み物で喉を潤しつつ、なかば軽食をとっている感覚にもなってくる。頭にも、疲れた体にも、糖分が効いてくれる。
濃厚で複雑な味の飲み物のあとに、口直しのように白樺の樹液を飲む。北部ならではの飲み物だ。見た目は水と同じだが、まったりとした口当たりで、美容に良い。
オーベルも樹液をおっかなびっくりで口にしながら感想を述べた。
「明らかに味があって普通の水とは違うな。しかしこれは一杯分を採るのに何本の木が必要なんだ?」
「一本で充分です。葉を広げる前の時期はとくに樹液が豊富で、幹や枝が傷つくと滴り落ちることもあります。春の短い期間にしか見られない現象ですが」
「ほう……」
オーベルは興味深げに聞きながら樹液を飲んでいる。モイラにとっては初めて味わうものではないが、久しぶりだ。味わって一杯目を飲み干す。木を削り出した素朴な椀は唇への当たりが柔らかで、樹液の優しい味を引き立てているようだ。
合間に、森の地図を眺める。詳細な地図は厨房に持ち込めないということだったが、歩く際に使う程度の地図であればいくらでも用意があるようで、モイラとオーベルのそれぞれに一枚ずつくれた。
ゆっくりと座って飲み物を楽しみつつ、地図を眺めつつ、フランの説明を聞く。彼女の知識は深く、これだけでも視察の目的の半分くらいは果たされたようなものだった。何がどこにどのくらいの量で生えているか、まるで今まさに目にしているかのように淀みなく語る。
合間にちらりと聞いたのだが、ティムは彼女のはとこに当たるそうだ。フランたちはアテナエ公爵家に長年仕えてきた家系で、とくに直轄の農地や森を管理したり、ニックのように造園を専門にしたりと、そういった立場の者が多いということだった。
そんな雑談を挟みつつ、休憩を終える。甘い飲み物や樹液でだいぶ疲れが取れた気がする。オーベルにも異存はないようだったので、そのままフランの案内で森に向かった。
「ぐるりと回るとなると一日ではとても足りませんので、特徴的な場所をいくつか巡りつつ、道中で森の地形や植生などをご確認いただければ」
フランの言葉に頷き、森に分け入る。適度に管理された森は針葉樹の濃い緑が目立ちつつも暗い印象がなく、歩いていて気持ちがいい。小鳥がのどかに歌い、何かを連続してつつくような音がするのは栗鼠だろうか。狐や鹿はいるということだが、熊がいないのはありがたい。
がさりと音がした方を見ると、蛇が身をくねらせながら道を横切ろうとしていた。足を止めると、オーベルも蛇を認めてぎょっとする。
「ご安心ください。毒のない種類です」
「そういう問題ではない気がするが……」
フランが冷静に言い、オーベルが突っ込む。三人の中ではオーベルだけが動揺している。
「……君は蛇や虫が苦手なものと思っていたが」
「? 特に好きではありませんが、苦手というほとでは。毒のない種類なら問題ないと思いますわ」
「そうなのか……? しかし君たち、気が合いそうだな……」
モイラとサリアにぼやきつつ、オーベルはまだ気味悪そうに蛇を見ている。その様子がおかしくて、モイラはつい笑みを零した。それをオーベルが見咎めて不服そうにする。
「軍の野外訓練で、仲間が毒蛇に咬まれて大変だったことがあるんだ。だからあまり蛇は気分よく見られない。それだけだ」
その言い方が拗ねた子供の言い訳のようだったので、モイラはますます笑いを誘われた。フランも微笑ましげにしている。
「オーベル様にも苦手なものはあるのね」
新しい発見だ。だが、幻滅したとか、負の感情はない。むしろ親しみを覚えるし、彼の子供っぽいところを垣間見られて嬉しいとさえ思う。
そんなことを考えて、モイラははっと自分を戒めた。
(……駄目。そんなことを思っては……)




