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先代公爵の居城は、北部の中でも西の方にあった。
海沿いというか小規模な島なので、内陸よりも気候の変化が穏やかそうだ。潮流の関係もあってそこまで冷涼といった印象もなく、夏らしい日差しもあって保養地によさそうなところだ。
ただ、城の構えが厳めしい。海に睨みを利かせる要塞のような作りは、古い時代には実際にそのように使われていただろうことを思わせた。
城に着いたモイラはそのようなことを考えたが、意識はむしろ城よりも島、島全体に広がる森の方に向いていた。
(針葉樹が主体の北部らしい森だけど、広葉樹もあって混合林寄りだわ。これだけ緑が茂っているということは、小規模な島なのに水が豊かなのね。下草の種類も豊富そう。程よく人の手が入っているみたいで荒れた印象もないし、これはじっくりと散策してみたいわね。城は堅固だけど野生動物の警戒をしている様子はないし、熊はいなさそう……)
「あの……奥様は何を……?」
「ああ、森が好きなんだ。後で誰かに案内を頼みたい」
「……承知しました」
二人を出迎えてくれた執事とオーベルのやり取りが耳に入り、モイラは我に返った。
「すみません、見入ってしまって。素敵な森ね」
そう言うと、執事は嬉しそうに表情をほころばせた。
「お気に召されてよろしゅうございました。パトリック様も散策をなさるのがお好きなのですよ。当邸には森を管理する者が多数おりますので、案内役をお付けいたします」
パトリック様というのはこの城の当主で、先代の公爵のことだ。オーベルの父親にあたる。
(そういえばオーベル様、ご自身のお父様のことを先代としかお呼びにならないのね。父上などと呼ぶ習慣はないのかしら)
少し疑問に思ったが、わざわざ尋ねることでもあるまい。どう呼ぼうと本人たちの自由だ。モイラは思考を打ち切り、意識を森に戻した。
「ぜひお願いしたいわ。少し確認したいのだけど、熊はいないのよね?」
「この島にはおりません。……しかし奥様、この島に来られたのは初めてですよね? 熊がいないことをご存知のように見受けられましたが……」
確信ありげに尋ねたことを疑問に思われたらしい。モイラは答えた。
「城壁の外に果樹があるようだし、その、廃棄物の処理場所などを見ても、あまり野生動物を警戒していないようだったから。お城の造りも、元はきっと四百年くらい前の様式よね。海から攻めてくる敵を迎え撃つのには向いていても、森の方面は比較的開けているし、それで問題がなかったのだから、危険な肉食獣はいないだろうと思ったの」
「……仰る通りです」
執事は驚いたように肯定し、オーベルが苦笑した。
「教養が深いのはいいんだが、伯爵家の教育方針が気になるな。視点が伯爵令嬢のそれじゃないんだが」
説明しようとして少し話し過ぎてしまったらしい。モイラは言い繕った。
「家の方針は関係ないわ。ただ、私がちょっとお転婆だっただけで」
「ちょっと……?」
オーベルが何やら疑わしげにしているが、心外だ。別に剣を持って大暴れしたわけではないし、森でサバイバルをしたこともない。してみたいとは少し思ったが。
執事が何やら興味深そうにモイラを見ている。その視線には気付いたが、別に不快でもないので指摘するのは止めておいた。社交界でさまざまな視線を浴びせられかけて針の筵状態だったモイラには視線への耐性がつきすぎている。
「では、お部屋へご案内いたしますので……」
「いや、その前に森を案内してもらえるだろうか。妻が興味津々のようなので」
執事の提案をオーベルが遮った。
「ぜひお願いしたいですが、時間が貴重なのでは……」
モイラは葛藤しながらオーベルを見上げた。
そもそもここへ来たのは、オーベルが恒例で行う視察の際の顔見せということと、北嶺芋の新しい食べ方の普及について先代と態度を統一するためだ。モイラ一人の都合で遅らせていいものとは思えない。
しかしオーベルは首を横に振った。
「それは大丈夫だ。もともと一泊する予定を組んである。話し合いは夜でもできるが、森の散策は昼のうちしかできないからな。まず部屋で休んでから改めて森に出ようと思っていたが、君の様子を見るに一刻も早く森へ出たそうだからな」
オーベルは苦笑して言葉を続けた。
「夏の日没は遅いが、それでも時間に限りがある。それに、視察当初からこの森へ君を連れてくることは考えていた。私は森について詳しくないが、ここなら詳しい者がいる。安全に歩けるし、北部の森のサンプルとして適すると思う。君の事業の構想に役立てばいいのだが」
「オーベル様……!」
モイラは思わず感動した。オーベルがそこまで考えてモイラのために機会を用意してくれるとは思わなかった。
目を輝かせてオーベルを見上げると、彼はふいと顔を背けた。その頬がかすかに赤いようなのは気のせいだろうか。
「君が疲れていなければの話だが」
確かに、ここまで移動に半日かかっている。朝に公爵邸を出発して繋路をいくつも通り、時には馬車や船で移動した。馬車や船では座っていればいいだけだったが、それでも疲れは溜まる。
だが、部屋でゆっくり休んでいては時間が無くなる。今はとにかく森を見たかった。次の機会がいつか分からないし、季節が進めば森の様子も変わってきてしまう。せっかくの機会を逃したくなかった。
休まなくていいと返答しようとしたモイラの前に、執事が口を開いた。
「……このご提案が失礼にならなければいいのですが。私が森の案内役を呼びに行くつもりでしたが、お二方にもご同行いただいて、そちらで簡易な休憩をお取りになってはいかがでしょう。森を管理する者たちが寝泊まりしている場所ですので、当邸でも外側の方にあります。お二方にお泊まりいただくお部屋よりもずっと森に近いですし、森の地図などをご覧になりながら少しお座りになられては」
それは魅力的な提案だ。モイラは頷いた。
「オーベル様がよろしければ、そうしたいわ」
「構わない。そこまでの案内を頼む」
「かしこまりました」
執事が優雅に礼をした。そうして案内された先は、城壁の近くに立つ木造の建物だった。城には石造りの建物が多い中で、その建物はひときわ素朴で目立った。
「あの建物は森の木で建てられたものです。森の管理人にはさまざまな者がおりまして、大工やら学者やらが短期間兼任することもあります」
「面白いわね」
森の維持管理と利用について、多角的に捉えられているのだ。それを意図しているだろう先代公爵にモイラは好感を持った。
建物に入ると、森の匂いがした。壁の傷んだところに板が貼られており、真新しい木目を見せている。まだあまり日に焼けておらず、瑞々しい香りを放っている。
廊下を通って通されたのは、ちょっとした団欒室のような部屋だった。切り株を流用した椅子や、まるで鳥の巣のように蔦を絡み合わせた椅子や、天板に堂々たる無垢の一枚板を使用した大きなテーブルなど、家具がどれも面白くて感じがいい。
モイラはこの場所がすぐに気に入った。オーベルも興味深げにあたりを見回している。貴人を案内するには素朴すぎる場所に二人が不快感を示さないのをみて、執事はほっとしたように言った。
「少しだけお待ちください。すぐに誰か呼んでまいりますので。……ああ、ちょうどいいところに」
足音がして顔を上げると、二人の親世代くらいの年齢の婦人が部屋に入ってきたところだった。オーベルの顔と服装を見て身分を察したらしく、頭を下げる。
モイラは首を傾げた。
(なんだか……どこかで見たような……?)




