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塩気のある魚を食べると、そこにある芋に目が行く。味に少し飽きてくると他のものが食べたくなるのは道理だ。
灰を溶かしたお湯で茹でた芋だということを聞いてぎょっとしていたティムたちも、オーベルとモイラとサリアが芋を口にしているのを見て、自分たちも試したくなったらしい。全員が次々に手を伸ばした。
「味は……あんまり変わりませんね。しいて言えば、いがいがする感じがなくなったような気がしますが……」
そう述べたのはロビンだ。
「味と成分に関係があるかは調べてみないと分からないけれど、そういうこともあるかも知れないわね」
答えるモイラは唇のあたりに視線を感じ、見返すとロビンがふいと顔を背けた。
(魚の脂とかが付いていたかしら……)
拭いた方がいいだろうか。とはいえ食事中なのであまり意味がない気がする。気にしないことにしてモイラは流した。
「どうぞ皆様、芋はいっぱいあるんで、召し上がっていってください。足りなかったら持ってきますよ」
ティムは言うが、鍋にはまだ芋が残っている。
オーベルが首を傾げた。
「私は結構空腹だったんだが、芋を三つと魚とでもう充分だ。いつもならもっと食べないと満足できないんだが……」
「それはたぶん、ペラミドを除いたからだと思うわ。今まではたくさん食べないと栄養にできなかったものが、少しで済むようになったんだと思うの。これも実際に確かめたりしていかないといけないけれど……」
「たしかに、腹持ちがよさそうな感じですね」
サリアが頷く。モイラ自身はまともに北嶺芋を食べたのがほとんど初めてなので分からないが、他の芋と同じような感覚だ。オーベルから聞いた北部における北嶺芋の消費量は、他の芋や穀物であれば考えられないくらい多かった。必要な栄養を取るために要する量が多すぎたのだ。
それが、特殊な処理によって取り除けるということは。
「……これが本当なら、思わぬ方向から不作を解決したことになるな。場合によっては、余剰すら出るかもしれん」
オーベルの言葉に、モイラも頷いた。
「そうだったらいいと思うわ。灰を溶かしたお湯で茹でるという作業が必要なところが難点だけど、そこさえ解決できるなら」
「それは結構、大きな問題だな……」
オーベルが唸る。そして、はたと気付いたようにモイラを見た。
「君は事業を始めるつもりでいたな。物を売ることを考えていたようだが、この新しい北嶺芋の食べ方を広める事業はどうだ? もちろん、この方法の有効性と安全性を確かめてからだが」
「えっ……」
それは全く、考えてもみなかった。
「私が……ですか?」
「ああ。どうせ、この問題が解決しないことには商売も成り立ちにくいだろう。このまま対策を打てずに不作になれば、人々の購買力は下がるし、労働力も減る。需要も供給も少なくなり、食料ばかりが値上がりすることになる。そんな中で商売を始めるのは無理だろう」
「確かに、その通りですが……」
「まあ、いきなり言われても算段が立たないだろう。それに、ともかくも専門家たちを集めて状況を整理しないことには進めない。今はとりあえず、そういう話があるとだけ留めておいてくれ」
「……分かりました」
頷きつつ、そうは出来ないだろうとモイラは思う。草木を加工して売るくらいならまだしも、これは明らかに、領主の妻としての立場が強く出すぎる。お飾りの妻であるモイラが関わっていいものとは思えなかった。
もしかしてオーベルは気にしないのかもしれないが、そこまで考えていないだけかもしれない。
「そうなると、専門家会議の位置づけを変えるのが早道だな。せっかく各方面からの人材を集めたのだが、必要のない分野が出てくるかもしれん。なにせ、北嶺芋の育て方ではなく、食べ方の話になるからな」
「それですが、同時並行で不作対策を行ってもいいのでは? この夏には不要になるかもしれませんが、どちらにしろ時間のかかることなので。たとえば、品種改良によってペラミドの少ない品種や、冷夏に強い品種や、少ない栄養分でも育つ品種を作出するとか……」
「そうだな。せっかく集めた人材をそのまま帰すのは勿体ないし、失礼に当たるかもしれん。今後のためにも手を打っておくか」
いつの間にか芋も魚も皆が食べ終えていたが、焚火を囲んで話は続く。サリアが食後のお茶を淹れて全員に配ってくれたので、モイラはお礼を言って受け取った。
(それにしても、お芋もお魚も美味しかったわ……)
お茶のわずかな渋みで、後味が引き締められる気がする。鱒は期待以上に美味しかったし、北嶺芋をちゃんと食べられたし、食べて何ともないし、幸せだ。
お茶を飲んでほっと表情を緩めるモイラに、釣られたようにオーベルも少し微笑んだ。頬の腫れはだいぶ引いている。
北嶺芋を無理に食べさせられたことについては本当に遺恨はないが、サリアがモイラの代わりに怒ってくれて、ちょっとだけすっとしたのは内緒だ。
「……どうかしたか?」
「いいえ、何も」
「……まあいい。しかしこうなると、視察の予定が全部変わってくるな。これ以上ほかの畑に行ってもあまり意味がなさそうだし……。どちらにしろ専門家会議を挟む予定ではあったし、王都に行ったり領地に戻って準備したりということは考えていた。それが早まったということで、ひとまず本邸に戻ろうと思うんだが、それでいいか?」
「ええ、もちろん」
「本当は視察がてら、北部のいろいろなところを君に見せたかったんだが。万年雪を戴く山脈とか、雄大な滝とか、牧歌的な風景とか、賑やかな街とか、鄙びた漁村とか。どこも興味深くて、本当に美しい」
そう語るオーベルの眼差しは穏やかで、彼が本当に北部を愛しているのだと感じる。北嶺芋の不作という北部全体に関わる大ごとをほとんど一人で背負いながら、誰を恨むでも投げ出すでもなく頑張っている。
そんな彼を、支えられたら。一緒に進んでいけたら。そんな風に思ってしまう。
モイラが北嶺芋を拒否したときに不快感を見せたのも、北部への愛ゆえだと思えば少しは納得できる。……かもしれない。
(オーベル様はどういうわけか、ご自身を中継ぎだと考えておられるわ。頃合いを見て家督を親戚筋に譲るおつもりだとか。領主として、こんなに相応しい人はいらっしゃらないと思うのだけど……)
オーベルが何を思ってそういった選択をするのかモイラは知らない。彼もモイラが何を思って結婚したのか知らないからお互い様だ。いや、お互い様というにはモイラの方に隠し事が多いか。
(最近は「社交界の悪女」の役回りから解放されていたけれど、公爵邸に戻るとなるとまた再開しないと。事業の準備と思って視察を優先してしまったけれど、王都に戻ってお母様と行動範囲を被せないと誤魔化せるものも誤魔化せなくなってしまうし……)
考えると憂鬱になるが、必要なことだ。モイラは溜息ひとつで諦めた。王都で気の滅入ることをせず、オーベルの案内で北部を回れたらどんなに楽しかっただろう。
「機会があれば、ぜひ見てみたいですわ」
「ああ。少し先になってしまうかもしれないが、いつかその機会は設けたいと思っている」
「今は大変な時期ですし、落ち着いたら是非お願いしたいですわ。視察はいったんここまでですわね」
「ああ。そうなんだが……」
オーベルの歯切れが悪い。まだ何かあるのかとモイラは首を傾げた。
「……いや、その時に説明する。ただ、まだ視察は終わりではないんだ」
「……?」




