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悪女の結婚  作者: 名無し
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「遅かったですね。鱒はもうすっかり焼けて……って、坊ちゃん!? どうなすったんで!?」

「なんでもない。それとティム、坊ちゃんは止めてくれ」

 両頬を赤く腫らしたオーベルは仏頂面で言った。ティムはどう見ても大丈夫ではないだろうと言いたげな表情をしたが、こくこくと頷いて引き下がった。ロビンたちもそれに倣い、何も言わないことに決めたようだ。視線を向けると、そっと目を逸らされた。

 じんじんとした頬の痛みを感じつつ、オーベルはサリアにぼやいた。

「……私の気のせいか? 二発目の方が強烈だったんだが……。多分に私怨が含まれていそうなんだが、私は何かしたか……?」

「いえ、まだ何も?」

「まだ……?」

 オーベルの問いを、サリアは澄ました顔で流す。この侍女はなかなかいい性格をしているようだ。主従そろって癖が強い。

 だが、二人がいい関係のようなのはよく分かった。

「……まるで、家族のようだな」

「……! 僭越ながら、姉代わりを自任しております。またお嬢様を傷つけるようなことがあれば、公爵閣下とはいえ容赦しませんので。あの時に口を噤んでしまったことをずっと後悔しておりました」

「……すまなかった」

 モイラが嫁いできた直後の出来事だ。モイラもサリアもいっぱいいっぱいだっただろうし、緊張していただろうし、オーベルのことをほとんど何も知らなかったのだから、動けなくて当たり前だ。オーベルは暴君でないつもりではいるが、妻や使用人を虐げる当主など掃いて捨てるほどいる。

「……君にも改めて謝罪させてほしい。本当に申し訳なかった」

 北嶺芋のことがあった翌日、たしかモイラは朝食を欠席したはずだ。その次に会ったとき、少しやつれたような印象も受けた。アレルギー症状に苦しめられていたのだろう。もう思い出したくもないことだろうから蒸し返さないが、謝罪だけはさせてほしい。

 だが、モイラは本当に気にした様子もなく笑った。

「おあいこということにいたしましょう。それよりも私、ずっと北嶺芋を思い切り食べてみたかったんですの。塩を振って齧ってみたいし、バターやチーズを合わせても絶対美味しいですわよね。北部はチーズが名産ですし……」

 そんなふうに屈託なく言うモイラを、オーベルは不意に抱きしめたくなる衝動に駆られた。

(……っ!? 何を考えているんだ、私は!)

 たった今、彼女に申し訳ないことをしたと後悔したばかりではないか。いくら男好きの悪女といえ、こんな男は願い下げだろう。

(……悪女、か……)

 もう、そこからして確信がもてない。伯爵家について調べて気になっていることもある。

 だが、思考はティムの声で打ち切られた。

「旦那様、座ってはいかがです? 鱒たくさん釣れましたよ。よく焼けてます」

「ああ、ありがとう。頂こう」

 ティムに促され、焚火を囲む形になってみんなで座る。その際にかまどから持ってきた鍋――一度、芋だけを取り出してお湯を捨て、洗った芋を再び入れたものだ――を横に置くと、ティムが不思議そうな顔をした。

「あれ、茹でなさったんで? 焚火があるんですから焼けばいいのに。あっ、もしかして、何とかという成分を調理で除くと仰ってましたが、そうなすったんですかい?」

「そうだ。詳しくはまだ聞いていないが、この処置で芋が栄養になりやすくなるらしい」

「この場で少し説明すると、澱粉質の消化と吸収を著しく阻害する成分を除いたということよ。食べたときに栄養になりやすくなるの。それと、今まで北嶺芋を食べられなかった人が食べられるようになるかもしれないわ。もちろん、ペラミド以外でアレルギーを起こす人に対してはどうにもできないのだけど……」

「うんにゃ、それはまあ、芋以外でも同じことです。しかしそうか、ぴんと来ませんが、食べてみれば分かるでしょうか。このまま食べて大丈夫なんで?」

「大丈夫だけど、一応言っておくわね。この芋は、灰を溶かしたお湯で煮てあるの」

 モイラが言うと、ティムはぎょっとしたようだった。

「えっ!? それがその、調理ってことですかい!?」

「そうなの。そうやってペラミドを除いたのよ」

「へええ……」

 話が続きそうなので、オーベルは口を挟んだ。

「ともかく、魚を頂こう。芋については、拒否感がある者は食べなくていい。余ったら私が頂く」

「あの、私も……」

 モイラが声を上げかけたが、オーベルが指を組むのを見て口を閉じ、食前の祈りを捧げた。ティムたちもそれに倣う。

 芋のために簡易な皿を荷物から引っ張り出したが、魚はここで釣ったものをここの木の串に通し、焚火の周りに刺して焼いたものだ。皿もカトラリーも使わない。素材と材料がすべてこの場で用意された、野趣あふれる串焼きだ。

「強めに塩を振って、皮をぱりっと焦がして……」

 モイラが涎を垂らさんばかりの表情でうっとりと串焼きを見つめている。自分が言った言葉を覚えてくれていたらしくて嬉しいが、どうせならもっと他の言葉を覚えていてほしかった。

(いや、言葉ならこれからいくらでも贈れる……って、そうじゃないだろう!)

「熱いんでお気をつけて。串の下の方を持ってくださいね。塩は振ってありますんで」

「はい! あ、そうだ、忘れてたわ」

 モイラが布の包みを出して広げる。

「森で山椒を少し摘ませていただいたの。勝手に採ってごめんなさい」

「ああいや、問題ないです。勝手に生えてるもんなので」

「ありがとう! よかったら香り付けにどうぞ。皆様も。……でもまずは、そのまま頂きたいわ」

 鱒から滴り落ちた脂がじゅうっと香ばしい湯気を立ち昇らせ、尾や鰭に凝った塩がなんとも食欲を誘う。モイラでなくても見とれずにはいられない見事な串焼きだ。ティムは大きな鱒を人数分以上釣り上げてきてくれていた。

「いただきます……」

 モイラは真剣な眼差しで、意を決したように鱒に口をつけた。串を持つ姿もなぜか優雅だが、本来は貴族女性に出されるものではない。パンさえもちぎって口にする習慣のなか、丸のまま魚にかぶりつくのはやっぱり嫌がられるかもしれないと少し危惧したが、杞憂だった。モイラは一心不乱に食べ進めている。

 その姿から目を離せないまま、オーベルも串焼きにかぶりついた。塩の効いた皮を噛み破り、身に塩気を添えながら噛みしめる。ふっくらとした身にはほどよく脂が乗っていて、しみじみ美味い。

 少し食べ進めたところで、モイラの採ってきた山椒を合わせてみる。木の香気と、舌に少しぴりっとする刺激がますます食欲をそそる。自然をそのまま体に取り込んでいるという気がする。

 魚にある程度満足すると、今度は芋に手が伸びる。素朴な味わいの芋はちょうどよく口の中を中和してくれるようで、魚の塩と脂の余韻で食が進む。

 いつの間にか食べることに夢中になっていたが、ある程度腹が満たされてようやくオーベルは我に返ったように息をついた。

 そして、何とも言えない表情になった。

 自分の食べる速度が速いことは自覚している。オーベルはすでに魚を一匹と、芋の二、三個を食べ終えたが、モイラはまだ串焼きに取り組んでいた。

「ん……」

 幸せそうな表情で、小さな口で身をかじり取る。その時に少し舌が動いて、唇についた塩を舐め取るような仕草をした。

 その様子に、ティムとロビンを含めた男四人が釘付けになっている。

 仕草がいちいち色っぽい。仕草というか、もはやこれは天性のものだろう。

 オーベルが咳払いをすると、男たちははっとした様子で気まずげに目をそらし、各々の分の串焼きに取り掛かり始めた。

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