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ティムが鱒を釣りに行き、サリアとロビンを含めた四人の使用人が焚火の準備を整えた後に追加の燃料を探すなどの雑事を行い、オーベルとモイラは……
……大鍋に水を入れて灰を溶かし、北嶺芋をその中に投入していた。
「思ったよりも大きい鍋を貸していただけましたわね。焚火では安定しないからかまどを作ることになってしまいましたが、大きい石を動かしてくださって助かりましたわ」
「そのくらいは問題ない。軍では野外訓練もあったし慣れている。しかし……そろそろ説明してもらえないか?」
「ええ」
モイラは頷いた。食べ物を灰にまみれさせるのは忌避される行為であるし、底意地の悪い雇い主が使用人に対して嫌がらせで行うこともあると聞く。灰ではなく灰を溶かした水という違いはあるが、彼の目には、食べ物を台無しにしているように映っているだろう。
(灰は結構いろいろな使い方ができるのだけど……)
モイラは自分で試したり学んだりしているからそれを知っているが、この国では宗教的に灰が忌避されやすい。
灰は灰に。この世に生まれ出た人間は灰になって地に還る。そのことを想起させるためだ。とくに北部は厳しい風土ゆえか信心深い者が多い。
「簡単にご説明すると、北嶺芋に含まれる問題成分を分解するためですわ。この処理でペラミドをなくせるはずです」
うまくいけば、これによって北嶺芋の消化吸収効率が格段に上がる。そして……モイラにも食べられるようになる。
(他にアレルギーを引き起こしそうな成分はなさそうだし、多分うまくいくと思うのだけど……。複数の成分の相乗効果で起こるアレルギーでないことを祈るしかないわ)
「そう……なのか?」
オーベルは半信半疑だ。無理もない。彼にとってはペラミドという成分すら初耳だろうし、灰を溶かして沸かしたお湯で芋を煮るなんて想像すらしなかったはずだ。だが、今この場で出来る説明には限度がある。
「うまくいったら専門家に検証を依頼なさればいいと思いますわ。できれば宗教に厳格ではない方に」
「そうだな……。ちょっとこれは、説明されてもまだ受け容れがたいな……」
「オーベル様は北部の方ですものね。信仰に篤くていらっしゃるのかしら」
「自分ではそうでもないと思っていたんだがな。まあ、他の地方がどんな感じかあまり詳しいわけではないし……」
そんなふうに話をしながら鍋をかき混ぜ、芋を煮る。モイラも北嶺芋にこの処理を施すのは初めてだから勝手が分からない。大丈夫だろうと思えるまでに結構な時間がかかってしまったが、オーベルは文句も言わずに付き合ってくれた。
「……そろそろ大丈夫だと思いますわ」
「ペラミドが分解されたということか? それはどうやって確かめるんだ?」
「薬品があれば、それで確かめられるのですけど。ここには無いので、自分で食べて確かめてみますわ」
モイラは声が震えないように気を付けて言葉にした。
期待と、不安。食べられるかもしれないし、ひどく具合を悪くするかもしれない。心臓が早鐘を打っている。
「味で分かるものなのか?」
「……後でご説明しますわ」
言葉少なに返答し、意を決してモイラは芋を切り分け、欠片をほんの少し口に入れた。
モイラの内心の緊張が伝わったのか、オーベルの表情も真剣だ。
「……どうだ?」
「もう少しお待ちになって。さっきのお話の続きをお聞かせくださらない?」
「ああ……。子供の頃に街の礼拝堂に行ったとき、こっそり悪戯を仕掛けた話か」
モイラの求めに応じ、オーベルは話を続けた。やんちゃだった少年時代の話だ。聞いていると幼いオーベルが目の前にいるようで、モイラはついつい話に引き込まれてしまった。
そうして時間が経っても――苦痛がやってこない。
(大丈夫そう……!? 大丈夫よね……!?)
さらに一口、今度はさっきよりも大きい塊を口にする。しかし、それから時間を置いても苦痛が襲ってこない。
(やった……! 私のアレルギーの原因が分かったし、取り除けたわ! これで私も北嶺芋を食べられる……!)
感動に打ち震えていると、サリアが二人を呼びに来た。
「鱒が焼けたので、お二人を呼びに参ったのですが……お嬢様!?」
モイラの手に食べかけの北嶺芋の皿があるのを見て取ったサリアが血相を変えた。
モイラは安心させるようにサリアに微笑みかけた。
「大丈夫よ。食べてなんともなかったわ。アレルギーの原因物質を特定して、取り除けたみたい」
「本当ですか……!?」
「ちょっと待て。アレルギーとはどういうことだ?」
「あ……」
すっかりオーベルの存在を忘れていた。だが、もともと何らかの説明はしなければならないと思っていたのだ。北嶺芋が食べられるようになった今、何も隠すことはない。
「実は私、北嶺芋にアレルギーがありまして。でも処理によってペラミドを取り除けば大丈夫ですし、アレルギーがない人にとっても栄養源としての価値が大きく変わってくるはずだと……」
「それは後だ! 君にアレルギーがあると言ったな。具体的には!?」
「言いたくないわ」
どのように苦しいかなんて説明したくない。それに、もう終わった話なのだ。
しかしオーベルにとっては今まさに始まった話だとでもいうように、こちらも血相を変えてモイラを見ている。
「……君が嫁いできた当初、食卓に北嶺芋を出したはずだ。君が拒否したのは、味が嫌いだからとか、北部の田舎っぽい食べ物が嫌だからとか、そんな理由ではなく……」
「味に不満はありませんし、北部がどうとか田舎っぽいとか、そんなことは全く思っておりませんわ。単に食べられなかっただけで」
「なぜ、そう言わなかった!?」
「言えるわけありませんわ。北部に嫁いだ身でありながら北部の主食を食べられないだなんて。伯爵家に送り返されては困りますもの」
「そんなことはしないが……。いや、分からないか……。なんてことだ……!」
苦悩する様子のオーベルに、サリアが静かに言葉を挟んだ。
「お嬢様は、私を庇ってくださったのです」
「……どういうことだ?」
「私は閣下をお止めしようといたしました。でも、侍女という立場で閣下にお声をかけ、異を唱えるのは出過ぎた振る舞いとして処罰される可能性がございました。お嬢様は、声を上げかけた私を庇ってくださったのです。ご自身に閣下の視線が向くように。そして、北嶺芋を召し上がることで場を収めてくださったのです」
「あれは、そういう……! 私は、本当になんて……!」
オーベルはいきなりモイラに向き直り、深く頭を下げた。
「オーベル様!?」
「すまなかった。謝って許されるものとも思えないが。君に苦痛を強いてしまった傲慢に、それに気付かなかった愚かさに、自分で自分に愛想が尽きる」
「あの、どうかもう、私もやり方が悪かったですし……」
「いや、どう考えても君は悪くない。君はもっと私を責めるべきだ。同じ苦痛を受ければ償いになるだろうか」
顔を上げないオーベルに、モイラはおろおろとした。もう過ぎた話だし、北嶺芋を食べられた嬉しさでわだかまりは頭からすっ飛んでいた。
「君の気が済むまで殴ってくれて構わない。そんなことで償いになるとも思えないが」
「あの、もう、本当に……」
「では、お嬢様の代わりに私が。顔を上げてください」
断ろうとするモイラを遮るようにサリアが申し出た。オーベルが素直に顔を上げる。
その白皙の頬を、サリアが思い切り引っぱたいた。
ぱあん、と、いい音がしてオーベルの頬にくっきりと赤い手形が残る。苦痛の呻きひとつ上げず、オーベルはサリアの平手打ちを耐え切った。
「……なかなか強烈だったな。奥歯を噛みしめていなかったら危なかったぞ……」
「お嬢様の受けた苦痛に比べれば、こんなもの」
「尤もだな」
「え、いえ、本当にもう、どうか……!」
モイラ一人がおろおろしている。
「オーベル様、大丈夫ですか!? サリアは私のことを思ってくれただけなので、罰はどうか私に! すぐに冷やさないと……」
「その必要はないし、罰を受けるのは私だ」
オーベルを心配してあたふたとしていたモイラは気付かなかった。オーベルを庇うモイラにサリアが複雑な視線を向け、仕方ないなと何かを諦めたような表情をしたのを。
「閣下。もういちど歯を食いしばってください。これは私からの分です」
サリアは宣言すると同時に、オーベルの逆の頬を力いっぱい引っぱたいた。




