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悪女の結婚  作者: 名無し
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 しばらく畑を眺めていたモイラは、満足したのかオーベルを促して元来た方へと畑を辿っていった。その間も北嶺芋の生育具合を確認したり、あれこれと考えを巡らせたりしているようだった。

 その姿には、どこにも高慢な悪女といった雰囲気がない。土にまみれることを厭わず、華やかな社交界から遠い僻地での視察を苦にせず、オーベルと同じ方向を向いて、しかしオーベルとは違う視点から、問題に向き合おうとしてくれている。オーベルにはその姿がひどく眩しい。

 彼女が、オーベルと並び立って公爵家を守っていってくれたら。そんな淡い夢さえ抱いてしまう。

 オーベルは多くの貴族のように領地管理を人任せにせず――規模や状況によるが、家令に任せたり、人材を集めて部下として抱えて丸投げしたり、いろいろな人がいる――、自分ですべて采配を振っている。

 オーベルももちろん専門家の力を借りたりはしているが、情報を取りまとめたり、総合的な判断をしたりするのはオーベル自身だ。

 北部の領主という立場の者はもちろん他にもいるが、アテナエ公爵として管理する領地が他を圧倒して広いので、領主同士として対等に相談できる相手はあまりいない。むしろオーベルの判断に倣う者の方が多い。責任が重くのしかかる。

 その責任を投げ出したり肩代わりさせたりするつもりはない。公爵でいる期間がどのくらいあるか分からないが、自分にできる限りのことをするつもりだ。

 だが、モイラが妻として相談相手になってくれたら。そんなふうに願ってしまうほど、彼女は聡明だ。

(……。いくら望んでも、無理だ)

 夢は夢。単なる空想だ。

 モイラは利害が一致しただけの名ばかりの妻だし、公爵夫人として責任を負わせることはないと言ってある。仮にその言葉を違えていいと言ってくれても、オーベルの領地管理は一時的なものだ。いずれ親戚に権利と義務を譲り渡して終わるものだ。

 オーベルが自分の出生を、自分が公爵の実の子だということを、信じられない以上そこは変わらない。

 二人して考え込みながら黙々と歩く。オーベルの足取りは重い。北嶺芋の問題が少し解きほぐされそうだということをもっと喜ぶべきだと思うのだが、モイラの有能さを見たり、彼女の可愛らしいところを見たりしてしまうと、本当の妻にできないことがもどかしくてたまらなくなる。

 いつの間にか、彼女に絆されていたのだろうか。当初の予想とはまったく違ったが、彼女は本当に悪女だ。

 オーベルとは反対に、モイラはどこかうきうきした調子で足取りが軽い。

 畑を抜け、森に入ると、モイラは足を止めた。

「行きに見つけたのですけど、山椒の木が生えていましたわ。まだ実は小さいので、芽を摘んでいきたいのですが、ティムさんの許可が必要かしら?」

「後で断れば大丈夫だろう。森を荒らすような量を取るわけでもないし」

「よかった! じゃあ、少し頂きますね」

 持っていた荷物袋から布と刃物を出し、若芽を切って布に手早く包み込む。

 楽しそうなその様子を見ていると、オーベルも気分が上向きになってきた。彼女と同じように、目の前のことを楽しもうという気になる。

「鱒と合わせるのが楽しみですわ」

「私もだ。そうだな、今回のことが無事に解決したら、実が熟す頃にまた来よう。その時は枸櫞も持ってこよう。秋の鱒は脂が乗っていっそう美味いぞ」

「うわあ、今から待ちきれませんわ!」

 屈託のない笑顔が眩しい。オーベルは少し目を細めた。

「若芽と、あと、少し枝も頂きたいんですの。大丈夫かしら」

「育てているわけではないから大丈夫だと思うが、何にするんだ? ……さすがに食べないよな?」

「……私のことを何だと思っているんですの? 食べませんわ。さすがに消化しにくいでしょうし、ほかから取った栄養が消化に浪費されてしまうのは効率が悪くて勿体ないと思いますわ」

「…………そうか」

 なんだか思っていたのと違う理由が返ってきたが、突っ込むまい。彼女は大真面目なのだろうが、微妙にずれているのが面白い。

「しかし、だったら何に使うんだ?」

「燃やして灰にして使うんですの」

「…………は?」

「後で説明しますわ」

 呆気にとられているオーベルを尻目に、モイラは手際よく枝を切り取った。小さな鋸が袋から出てきたときはさすがに突っ込もうかと思ったが、モイラがあまりに自然で当然のことをしているような態度なので突っ込み損ねた。

(……。…………。女性ってこういうものなのか……?)

 悪女らしくないどころか一般的な女性らしくもない気がする。男性だとしてもおかしいだろう。彼女の個性と言うしかない。これはニックに気に入られるわけだ。一徹な庭師の彼に通じるところがある。

「生木は燃えにくいから扱いにくいけど、山椒なら安全ですものね。灰を直接食べるわけではないとはいえ、安全性は大事だわ」

「……そうだな、安全性は大事だな……」

 ついていけなくなったオーベルは生返事をしたが、モイラに気にする様子はない。もしかしてサリアもこんなふうにモイラに振り回されてきたのだろうか。そうだとすると少し仲間意識が芽生える。

 船のところに戻り、サリアたちに軽く状況を伝える。この島を管理しているティムに北嶺芋と鱒を用意してもらってこの場で昼食にするから、そのために用意をしてほしいと求める。

「まずは場所を定めて、火を熾す準備だな。近くに小川があるからその近くがいいだろう。それと……」

「ちょっと待ってください!」

 声を上げたのはオーベルが伴ってきた使用人の一人で、ロビンという若い男性だ。彼はちらりとモイラを見やり、オーベルに確認を取る。

「お言葉を遮ってしまって申し訳ありません。ですが閣下、奥様もここで昼食を召し上がるんですか? 簡易椅子や簡易卓は持ってきていませんし、敷物さえ無いのですが……」

 構わない、とオーベルが答えようとする前に、モイラがきっぱりと答えた。

「椅子も卓も敷物も必要ないわ。それよりも焚火の準備をお願い。枯れ枝を集めてほしいのだけど、どんなのがいいか分かるかしら。サリアなら分かるから、一緒に行ってもらえる?」

「え? はあ、いいんですか? ……分かりました」

 目を白黒させているロビンに、オーベルは思わず含み笑いをした。普通の貴婦人なら地べたに座るのは嫌がるはずだから、彼は何も間違っていない。いろいろ違っているのはモイラの方だ。

 オーベルの視線に、モイラが少し焦った様子を見せた。

「すみません、出しゃばってしまって。私から断った方が早いと思って」

「いや、話が早く済むから助かった。しかし君は本当に……」

 モイラが首を傾げる。オーベル自身も何と続ければいいかよく分からなくなり、咳払いで誤魔化した。

「ともかく、支度をしよう。私は何をすればいい?」

「あら、オーベル様おんみずから雑用を引き受けようとなさらなくていいのに。私たちに任せておいてくださいませ」

 オーベルはとうとう吹き出した。とても公爵夫人の言葉とは思えない。最初の高慢さはどこへ行った。やはりあれは演技だったのか。

「君は何というか……面白い人だな」

「その誉め言葉は初めて頂きましたわ。いえ、サリアからも貰ったことがありますわね」

 それは何となく面白くない。だが、男として初めてならいいだろう。ほかの男たちはきっと、彼女の妖艶な外見しか知らないのだから。

 そう思うと、ひどくいい気分だった。

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