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視察は北部の広い範囲を見て回るということだが、島が多いというこの国の特性上、陸続きにぐるりと回るわけにはいかない。繋路のつながり方も規則的ではないので、直線距離では近くても実際に行くには時間がかかるという場合も多い。近さと行きやすさとが比例しないのだ。
そういった状況の中、オーベルが最初の視察先に選んだのは、オーベルの古い知己が管理している島の一つということだった。
その島には繋路がないので、行くには船を使う。モイラは船に乗ったことがないのでおっかなびっくりだったが、水の上を走る乗り物というのは新鮮で面白く、すぐ好きになった。
その海域は海というよりもまるで湖のようだった。地形の関係なのかあまり波が立たず、水面が静かで、大小の島々の間を縫うように船が進んでいく。島々から河川の水が流れ込んでいるらしく、そのあたりは汽水域で、だから外海とは全然雰囲気が違うのだということをオーベルと船頭が話してくれた。
魚に気を取られていたことは否定できないが、話を興味深く聞いたのも本当だ。
そうして船が着いた先は、緑ゆたかな小島だった。視察先は畑ということだが、そこに行くまでの景色も興味深すぎる。海辺に生えるあの草は北部の海岸沿いに特有の種類で、こういう効能や利用方法があって、少し内陸に進んだだけで植生が変わって、あの草は初めて見る種類だけど成分はこれとこれが含まれているようで……
「……どう思う、サリ……いえ、オーベル様。どう思われますか?」
つい癖でサリアに話しかけようとしてしまうが、いま横を歩いているのはオーベルだ。一本道だから道が分からなくなることもなく、先導する必要がないので横を歩いている。
「……正直、私にはさっぱり分からない。正しいのか間違っているのかさえ分からない。サリアなら分かるのか?」
「サリアもそこまでは。でも、聞いてくれるだけで話し手としても考えをまとめることができますし。そういえば、庭師のニックさんはすごく詳しかったですね。成分などは専門外みたいでしたが、栽培方法については色々教わることがありましたわ」
話しながらも道端の草木を観察することは忘れない。
「あっ、この低木の可食部には健胃の効能がある成分が含まれますわ。少しぴりっとするけど香りがいいので魚に合わせたいわ。若い芽はとくに芳香もありますしね。摘んでいきたいけれど時間が経つと香気が抜けてしまうから、今は摘まずにおきましょう」
「君の眼は成分まで見抜くのか?」
「ええ。もちろん名前は分かりませんが、そのあたりは知識と照らし合わせれば見当がつきます。習い覚えた知識の間違いを見つけることも結構ありますわ。似た成分が混同されていたり、一つの成分だと思われていたものがさらに分割できると分かったり。自分で実際に見てみるのと他者の知見を得るのと、互いに補い合うような感じですわね」
「それは……便利だな。薬草茶の効能は実際に私も体験しているし、ニックからも君のすごさは聞いている。植物に関する知識が広くて深くて正確だと。専門の者のお墨付きは無下にできないな」
「オーベル様にも実際に分かっていただける形でお目にかけられればいいのですが。機会があるかしら」
「……あればいいと思う。これから行く先は畑だが、管理しているティムという男はニックの血縁だ。彼ともいろいろ話してみるといい」
「まあ、ニックの……」
ニックは庭師だが、ティムという人は畑を管理しているのか。造園と農業で分野は多少異なるが、土と草木を相手にする生業を営む一家なのだろう。
話しながら森を抜けると、モイラの眼前に緑が広がった。
「わあ……!」
小高い丘になっている畑のおもてに、柔らかい緑が一面にそよいでいる。モイラには見覚えのない作物だ。
「これは……肥大した根を食用にするものですわね。いろいろ栄養があるみたいですが、ちょっと気になる成分が……それに、なんだか地上部が頼りないというか、元気がないような……」
「……分かるのか」
オーベルは感嘆するように息をついた。
「これは、北嶺芋の畑だ。まだ夏の初めだが冷夏が予想されていて、すでにその兆候が出ている。芋の生育が悪く、この秋の不作が強く懸念されているのだ」
モイラは目を見開いた。これが北嶺芋だということにも驚いたし、オーベルの話す内容の深刻さにも驚いた。領地で起こっている大規模な問題というのはこのことだったのか。
「私、北嶺芋の実物……というか生えているところを見たのは初めてなのですが、もっとよく観察してみたいですわ。一株いただきたいのですが……」
「……嫌じゃないのか?」
「食べるのは嫌ですが、それとこれとは別だわ」
モイラはきっぱりと言った。今はただ、目の前のこの作物について知りたくてたまらない。
「分けてもらおう。ちょっと待ってくれ。ティムが畑のどこかにいるはずだ」
視察のことは知らされていたはずだが、公爵を出迎えもせず、ティムという人はいつも通り畑仕事をしているらしい。オーベルも気にした様子がないから、古い知己で気心が知れた仲なのだろう。それにしてもオーベルは公爵でありながらそういったところにこだわりがないようだ。自ら畑に視察に出向くのも現場主義といった感じだ。軍人の経験があるからなのだろうか。
そうだとしても、公爵――この土地の権利を持つ者――であれば、作物の一株くらい事後承諾で買い上げても文句を言える人はいないはずだ。それでも律儀に断ってから事を進めようとしているあたりにオーベルの人間性が出ている。
なんとなく誇らしいような寂しいような気持ちになりながら、モイラはオーベルの後を追った。待っていてもすることがない。早く掘り返して生きた芋を見てみたくてたまらない。
丘の頂を越え、反対側に下っていく斜面に人影があった。頭に布を巻き、野良着で作業をしている。ずんぐりした体つきの壮年の男性だ。
「ティム!」
オーベルが声をかけると、屈みこんでいた男性が顔を上げた。
「おお、坊ちゃん! よう来た!」
「坊ちゃんは止めてくれ。これでも結婚しているんだ」
「そうかそうか、大きゅうなったな! じゃあ旦那様と呼ばなきゃいかんな! 今の、いや前の旦那様は大旦那様でいいか!」
日に焼けた顔で屈託なく笑い、ティムはオーベルと挨拶を交わした。その顔がモイラに向き、目が真ん丸になる。
「……そちらの別嬪さんは……」
「妻のモイラだ」
「初めまして」
軽く腰を屈めて礼をすると、ティムの目がますます丸くなった。
「あ、いや、わしのような者にそんな……お気を遣われんでいいのに……」
しどろもどろになるティムにオーベルが苦笑した。
「お前の方こそ気を遣わなくて大丈夫だぞ。見た目はこれだが、中身は食いしん坊な猫みたいな奴だ。さっきも鱒を見て美味そうだと言っていたからな。串焼きに興味津々だ」
「……」
モイラは抗議の意味をこめてオーベルに視線を送った。彼との朝食の席では北嶺芋が出なくなって安堵したこともあり、伯爵家で食べられなかった分を取り戻すようにあれもこれもと食べていた。食いしん坊と見られることは分かっていたが止められなかったし、止めるつもりもなかった。
(仕方ないじゃない、公爵邸の食事が美味しすぎるんだもの……)
「は、はあ……。じゃあ、ちょっと釣ってきますか。この場で召し上がるんですかい?」
「え、いいの!? 是非! ……じゃなかった、その前に、北嶺芋を見せていただきたくて……」
「ティム、引っこ抜くことになって悪いんだが一株分けてもらえないか?」
「はあ、もちろんいいですが……どうなさるんで?」
「観察したいの。地上部だけでは限度があるから、根を直接見たくて」
「はあ……」
身分の高い人の考えることは分からん、とでも言いたげな表情をしつつ、ティムは丁寧に手早く株の周りを掘り下げて抜き、土を振るい落としてモイラに手渡してくれた。




