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悪女の結婚  作者: 名無し
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 ぽかん、と音がしそうな表情でオーベルがモイラを見返した。そんな間の抜けたような表情でさえ絵になってしまうのはずるいと思う。見開かれた灰色の瞳に見入ってしまう。

「あー……私の聞き違いでなければ、君が事業を始めようとしているように聞こえたんだが?」

「その通りですわ。……もしかして、何か問題があったりします? 公爵家の品格に関わるとか……」

「いや、それはない。貴族の中には、確かにそういったことを良しとしない家もあるが、私は気にしない。アテナエ公爵家で事業を行っていないのは、領地管理で充分なのと、私が王家から特に任を受けて北部の国防を担っているからだ。そちらの見返りもあるし、事業まで手を回そうと考えていないだけだ。分家には事業を行っているところもあるし、多少は援助をすることもある」

 モイラはほっとした。オーベルの頭が固くなくてよかった。この段階で断られたら正直かなり厳しかった。モイラ自身がどうという問題でなく、公爵家としてどうという問題があれば、モイラ個人にはどうしようもない。

「じゃあ、問題ありませんわね。それで内容についてですが……」

「待て待て待て、問題は大ありだ。そもそもの前提がおかしい。君が事業を興すのか? 貴族令嬢として育った君が? はいそうですかとは言えないんだが」

「たしかに商家に育ったわけではありませんが、貴族だからこそ教育を受けてきましたわ。外聞に関わるというのでなければやらせてください。公爵夫人として割り当てていただいたお金を元手にしますから、閣下にご迷惑はおかけしませんわ」

「あー…………」

 頭痛が痛い、とでも言いたげな顔でオーベルは唸った。半ば無意識なようにお茶のカップを引き寄せ、酒杯でも空けるように飲み干す。それで少しは頭がはっきりしたのか、モイラに胡乱気な視線を向けた。

「こう言っては何だが、社交界の悪女たる君が?」

「その名前があれば、美容関係の商品を貴族階級に売り込むことができますわ。少し前では王の愛人になった女性が同じような売り文句で服飾小物を流行らせたりしましたし」

「伯爵令嬢たる君が?」

「実家で少しはそういったことに携わっていましたの。軌道に乗る前に事情があって頓挫してしまいましたが、見込みはあったと思いますわ。伯爵家の内情に関わりますので、事業計画などは示せないのですが」

 事情とはもちろん、モイラが伯爵の子ではないと分かってしまったことだ。それがなければ、今頃は伯爵家に少なくない利益がもたらされていたはずだった。

 すでに試みがなされていたと聞き、オーベルは少し考えを改めたようだった。疑わしげにモイラを見ていた視線が、不可解な生き物を見るような視線に変わる。

「……冗談ごとではなく、本気のようだな。しかし……悪女というのをそういうふうに利用するのか。普通ならもっとこう、男に貢がせるとか、そっちの方向に行くものではないのか?」

「頂けるものがあるなら頂きますけれど」

 花束を貰ったら食べられる部分は食べたし、使える部分は薬の材料にした。宝飾品を頂いたときは、売り払ってトラブルの後始末に使った。母が他の浮気相手と悶着を起こしそうだった時にお金で解決したのだ。お金は偉大だ。大抵のことを解決してくれる。

 だからこそ、お金を生む手段が欲しい。

 オーベルは微妙な表情をし、またお茶のカップに手を伸ばした。

「……公爵夫人として、物質面では不自由させていないと思っていたのだが」

「不自由なんてとんでもない。衣食住どれも充分すぎて勿体ないくらいですわ。でも、お金はいくらあってもいいですものね」

 妹の嫁入り資金も、弟の伯爵家再建の資金も、サリアへの給金も、多いに越したことはない。

 そしてモイラ自身についても。伯爵令嬢ではないということが明らかになったら公爵家を追い出されるかもしれない。オーベルは意外と優しいところがあるようなので、そうならないかもしれないが、不確実なことを当てにするわけにはいかない。追い出されたときにお金があればなんとかなる道もあるだろうし、モイラがお金を生む存在になれば公爵家に居続けられる道もあるかもしれない。とにかく、お金だ。

「…………言っていることは突拍子もなく聞こえるが、反対する理由はないな。勝算がまったくないわけでもなさそうだ。君に割り当てたお金の範囲でなら好きにするといい。許可は出す」

「嬉しいわ。ありがとうございます」

「しかし、私の後援というのは別だ。まずは君の名前でやってみせろ。それとも、私が名前を貸したくなるようなことをするつもりなのか?」

「ええ。草木を元にした食品や化粧品、薬などを売るつもりなのですが、せっかくなら北部ならではのものを作って売りたいと思いますの。森で採取するのもいいですし、大規模に栽培するにしても北部でなるべく行いたいですわね」

「……ほう」

 オーベルの眼差しが興味深そうな色を帯びた。北部、というところに反応したのだろう。領主としての彼の興味を引けたのだろうか。

「何を売るのか、もう決めているのか?」

「いくつか候補はありますが、原材料がどのくらい用意できそうか、まずは確認しなくては。栽培を考えるのは後にして、手始めは森で採れるものから加工したいですわ。北部は針葉樹の森が多いですから、それらの精油を使った商品から始めるのがよさそうですわね。私の知る限り、まだ大規模に精油を作っているところはなさそうですし。森の様子の確認がてら、下生えの植生も確認していきたいですわ」

「なるほど……」

 オーベルは考え込む様子を見せ、と思うとモイラの顔をまじまじと見つめた。こいつは一体何なんだ、と顔に書いてある。わざとらしく小首を傾げてみせると、オーベルは溜息をついて目を逸らした。追及するのを諦めたらしい。

 ふと、彼は何かを思いついたようだった。しばらく躊躇ったのち、言葉にする。

「……近く、北部の広い範囲を視察して回る計画がある。繋路が通じているところばかりではないから移動にも時間がかかるし、不便も多いと思うが、君も来るか?」

「まあ!」

 モイラは思わず目を輝かせた。それは魅力的だ。聞くからに楽しそうだ。本来の目的を忘れてはいけないが、わくわくしてしまう。

 しかし、提案するオーベルの表情は浮かない。

「……できればご一緒したいのですが、お邪魔かしら?」

「ああいや、邪魔とか嫌とか、そういう問題じゃない。そう思わせたのなら悪かった」

「では、ほかに問題が?」

「まあ、問題を解決するために……その糸口を掴むために行う視察だからな」

「まあ……」

 領地で何か大規模に問題が起きているらしい、ということは察した。できれば力になりたいが、どういった問題だろうか。これでも一応、伯爵家の次期当主になれるだけの教育は受けてきたのだが、公爵家にも通用するかは心許ない。

「どういった問題なのか伺っても……?」

「構わない。別に秘密にするようなことじゃない。だが、そうだな、実際に見てもらった方が早いだろうから、現地で説明する」

「分かりましたわ」

 モイラは頷いた。そんなモイラをオーベルは見やり、少し期待するような、それを打ち消そうとするかのような、複雑な表情をした。

「もしかしたら、君の……いや、何でもない。忘れてくれ。不確実なことに期待すべきじゃない」

 モイラは首を傾げた。

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