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悪女の結婚  作者: 名無し
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(私は何をやっているんだ……)

 執務室で、オーベルは昨日のことを思い出して頭を抱えた。

 偶然モイラと同じ夜会に出席していた、それはいい。そういうこともあるだろう。配偶者同士であれば互いをパートナーにして出席するのが普通ではあるが、オーベルは主催者に話を通して一人で出席する失礼を先に詫びておいたし、モイラに至ってはどこの夜会にも同伴者なしで出席するから、特定の主催者に失礼を働いたという話にそもそもならない。彼女の場合、問題はもっと別のところにある。 

(しかし……彼女は本当に「悪女」なのか……?)

 オーベルの中で違和感が膨らんでいく。

 昨日の夜会で、モイラは多くの男たちと話したり踊ったりしていた。しかし、オーベルが目にした限りでは、彼女は誰の手も喜んでいなかったようなのだ。

 愛想よく妖艶に微笑みながら、それでもどこか、厭うような印象を感じずにはいられなかった。

 多くの視線にさらされながら、彼女は一人だった。彼女の行為に眉を顰めたり噂話の種としか見なかったりする人は言うに及ばず、彼女にのぼせたりやっかんだりする人の視線すら、彼女は喜んでいないように見えた。注目を集める振る舞いを続けながら、その注目を喜ばないのは矛盾だろう。

 オーベルの勘違いだろうか? しかし、どうしても引っかかる。

 モイラに伸ばされる男の腕を掴んで咎めたとき、オーベルの胸中は複雑だった。モイラが本当に嫌がっているのか確証がないし、オーベルが妻を助ける図というのは自分にとって都合が悪いし、悪女モイラとしてもどうなのだろうとは思った。しかし、そうせずにはいられなかったのだ。

 オーベルが割って入ったことで、モイラはひどく驚いた顔をした。そのまま手ひどく撥ねつけられることを覚悟したが、予想に反して、モイラは大人しくオーベルに礼を述べた。

 面食らったが、むしろこちらの方が普段のモイラに近いような気がした。悪女モイラというのが――彼女の作り上げた虚像であるような気さえした。

 そういえば、オーベルはモイラのことを、社交界の噂でしか、評判でしか知らなかったのだ。結婚するまでに会った回数も交わした会話もわずかなものだし、それだけで人となりが分かるわけもない。ましてオーベルはモイラのことを嫌って知ろうともしなかったし、モイラはいかにも悪女らしく振舞っていた。モイラの実際がどうかなんて、考えてみようともしなかった。

 そんなことを考えながら、気付けばモイラの手を取っていた。ホールの中央に進み出て、パートナーとして妻の手を取って、周囲を牽制するようにモイラをリードして踊っていた。

 モイラは逆らわなかった。オーベルの手に手を重ね――その時になぜか少し動揺した様子を見せたが――オーベルに合わせるようにステップを踏んでいた。

 彼女の踊りは巧みだった。自身の上手さを誇示するような踊り方ではなく、むしろ相手を立てる、相手が自分のことを上手いと思ってしまう、そういった踊り方だった。自分が楽しむことではなく、相手を楽しませることを目的としているようだった。

 これが本当に「悪女モイラ」なのか、自信がなくなってきたくらいだ。彼女によく似た他人が、彼女の名前を使っているような、そんな錯覚さえ感じるほどだった。

 踊り終えてもそのまま別れるのがなんとなく嫌で、結局オーベルはそのままモイラを連れて夜会を辞した。傍から見れば、少し羽目を外した妻を迎えに来て一緒に帰った愛妻家の出来上がりだ。

 こんなはずではなかった。オーベルは頭を掻きむしりたくなる衝動をこらえた。

 せっかく「悪女モイラ」を娶って家督を親戚に譲る準備をしているというのに、それを自分で台無しにしてどうする。

(……いや、まだだ。まだ大丈夫だ。モイラには子がいないのだし……)

 そもそも結婚してからあまり時間が経っていない今、彼女に子がいるとしたら婚前にできた子ということになるのだが、それはそれで認知しなければいいだけだから問題はない。家督の話にも関わってこない。

(……隠し子がいるとかいう噂はあったが、噂、だよな……?)

 別に事実でもいいはずだが、なぜか分からないが面白くない。気に食わない。

 彼女のことをどう思っていいか分からない。色々な意味で。

 しかし、彼女が悪女らしくない面を見せるたび、頭を過ぎるのはエジェールのことだ。モイラに入れ込み、捨てられ、憔悴した友人のことだ。

 社交界の噂話についてもそうだ。いくら悪意があって捻じ曲げられて誇張されていたとしても、火のないところに煙は立たないだろう。そこには、種になる真実の欠片があるはずだ。

 そんなふうに考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「入ってくれ」

 声をかける。喉が渇いて紅茶を頼んでいたから、誰かが持ってきてくれたのだろう。

「失礼します」

「モイラ!?」

 考えていた当の本人が、なぜかワゴンを押して入ってくる。オーベルは驚いて声を筒抜かせた。

「お邪魔してしまったかしら?」

「……邪魔というか、驚いた。なぜ君がここに?」

「少しお話があって取次を頼もうとしたら、お茶をご所望だと聞いたもので。頭をすっきりさせる効果のある薄荷茶をお届けしようかと思いましたの。……今度のものは眠気を齎さないはずですわ、誓って」

「いや、まあ、疑ってはいないが……。頂こう。ありがとう」

 モイラが茶器に茶を注いでくれる。何気ない仕草が甲斐甲斐しく見えて、オーベルは目を逸らした。

 最近のモイラは、邸内では露出の少ないドレスを着ている。髪も簡単にまとめただけだ。それなのに妙に華があり、色気がある。取り繕っている様子がないから、天性のものなのだろう。

 モイラを娶ると知ったときの悪友たちの反応が、今更ながらに思い出される。こんな美女と共に暮らすのは、たしかにやっかまれることかもしれない。……彼らが想像するように、閨は共にしていないが。

「……お口に合いませんでした? 普通の紅茶の方がよかったかしら。余計なことをしてしまったのなら……」

「ああいや、考え事をしていただけだ。茶は美味しい」

 知らずしかめっ面になっていたが、お茶のせいではない。むしろお茶はすっきりとして美味しい。薄荷と檸檬の香りは分かるが、他にも色々と入っていそうだ。それなのにくどくはなく、青臭くもない。不快な苦みもない。

 一杯目を飲み干し、お代わりを貰う。その様子に誉め言葉が嘘ではないと分かったのか、モイラは嬉しそうに笑った。その笑顔が、妙に眩しい。

(何故だ? そんなに喜ぶようなことか?)

 喜ぶべきはオーベルの方、美味しくて薬効のあるお茶を淹れてもらったこちらの方だと思うのだが。

「……それで、何が望みだ?」

「あら。まだ何も申してはおりませんけれど」

「君は目的なくこんなことをしないだろう? 裏があると思ってしまうんだが」

 ひねくれた物言いになってしまったが、モイラは気にした様子もなく流した。

「私の作るもので閣下に喜んでいただけるなら、それが目的ですわ。でも仰るとおり、他の目的もありますの」

「言ってみろ」

 茶の一杯で、オーベルから何を引き出すつもりか。金か、ドレスか、他のものか。そう身構えてしまうくらいには、まだオーベルはモイラのことを信用していない。

「閣下にお茶を飲んでいただくことですの」

「…………は?」

 意味が分からない。オーベルは眉を寄せた。モイラが続ける。

「このお茶には頭をはっきりさせて仕事の能率を高める効果がありますわ。多少なら眠気を覚ます効果も。こういった効能を体験していただいて、売り物になると思ってくださったら、私が事業を始めることをお許しいただきたいんですの。可能なら、閣下のお名前で後援もいただければ」

「………………は?」

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