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華やかに艶やかに、しかしどこか危うげに微笑むモイラに、視線が釘付けになる。
男たちから次々と声をかけられて受け答えをし、時には手を取り合ってダンスを踊るモイラは、おそらくオーベルに気付いていないだろう。こちらは目立たない服装をしてあまりホールの真ん中の方には行かず、テーブルの近くや壁際など、人と話をしやすいところで飲み物を片手に歓談しているだけだ。
王族が城で主催する規模の大きい夜会だから、参加する人数もかなりのものだ。目当ての人がいてもしばらく探さずには会えないくらいの広さのホールが会場になっているし、大きな両開きの扉がいくつも開け放されて出入りも自由になっている。
モイラが目立つからオーベルはすぐに彼女を見つけたが、モイラの方からオーベルを見つけるのは難しいだろう。そもそもオーベルに用もないだろう。
ついでに言えば、オーベルの観察眼は軍事で鍛えられたこともあり、辺りの様子を瞬時に見て取ることができる。いま会場にいるのはだいたい四百人くらいだろうが、出入りが自由な形式であるため、延べ出席者は千人を軽く超えるだろう。
そのオーベルの目が、ある人物に留まった。
シーシュ伯爵が来ている。
夫人が来ているのだから当然予想されたことではあるが、夫たる伯爵も来ていたのだ。向こうはオーベルに気付いていないようだが、こちらも気付かないふりをするのはまずいだろうか。
シーシュ伯爵は、柔和な印象の中肉中背の老年の男性だ。髪も髭も白く、黒髪の若い夫人と並べば親子ほども年が離れて見えるだろう。
(そういえば、シーシュ夫人を先ほど見たが……話し相手の男性との距離が近かったような……)
少し違和感を覚えたくらい、相手と親密に見えたのだ。相手の男性が誰かはあまり注意して見なかったが、若い人であったように思う。老齢の夫に不満があり、若い愛人を求めている……というのは邪推だろうか。
確かめるすべもないし、仮に本当だったとしても、別にオーベルは何も言うつもりはない。貴族たちの婚外恋愛はこの国においてまったく珍しいことではないからだ。悪い見本と言うとあれだが、王族からしてそうなのだ。
特に先代の国王は秘密の愛人が多数いたようで、どの人がそうなのかを貴族たちは面白半分に噂していた。結婚前に誰かと通じた令嬢が、国王のお手付きになったと言い張って立場を守った例もある。それは本当ですかなどとまさか国王本人に問うわけにもいかず、噂を承知しているのかいないのか国王からわざわざ否定されることもなく、その令嬢は妊娠していないのが分かってから結局普通に結婚したと記憶している。
既婚の婦人の浮気はそこまで問題視されない。夫との間に子供を作って義務を果たしてからであれば、そこまで咎められるようなことはない。夫の側も、あまり狭量に目くじらを立てて妻を責めると、却ってそれが物笑いの種になることもある。寝取られたのはお前に問題があったからだろう、などと笑われるのだ。
だからこそ未婚のモイラの行いは噂になって咎められるのだし、目立つのだ。同じことを既婚者であるシーシュ夫人がした場合、噂はモイラの場合のように大きくはならないはずだ。それによって伯爵は少し面白くない思いをするかもしれないが、伯爵家に打撃を与えるようなことはない。夫との間に三人も嫡子を儲けているのだから、それ以降にいくら浮気をしたところで、その子らの正統性が揺らぐことはない。
(ともかく、軽く挨拶だけでもしておくか)
シーシュ伯爵とアテナエ公爵では、当然ながら公爵の方が上の立場だ。しかし伯爵の娘婿という関係上、オーベルの方がへりくだっても不自然はない。こちらから挨拶に出向いた方が印象もよくなるだろう。
オーベルは伯爵の方へ足を向け、聞こえてきた会話に足を止めた。
「いやはや、モイラ嬢は……いや、今はアテナエ公爵夫人でしたな。今日もいっそうお美しい。奥様にそっくりですな」
「あんな者、娘ではありゃせん」
「これは手厳しい。少しばかりお遊びの度が過ぎますが、若さゆえではありませんか。公爵夫人になられたことですし、孫のお誕生が楽しみでいらっしゃるでしょう」
「誰の子か分かりゃせん」
「まあ、奔放な方ですからな……」
シーシュ伯爵と、それよりも年下の貴族が話をしている。ちょうどモイラのことを話題にしており、しかもあまり内容が好ましいものではないので、娘婿としてこの会話の中に割って入るのは躊躇する。
それにしても、伯爵はモイラに冷淡だ。いくら不品行の目立つ娘とはいえ、もっと言いようがあるだろうに。そこに親子の情というものは一片も感じられなかった。
そういえば、モイラを貰い受けたときもそうだった。彼女を通じて公爵家に取り入ろうとする様子を見せなかったことに安堵したのだが、地位とお金におもねることを良しとしない潔癖さや矜持ゆえではなく、単に我が子に関心がないのだろうか。
「そういえば、おいくつでしたかな。下の娘さんの……」
「おお、アラミアか! 十八歳になる。これが可愛くてな、良い婿を探そうとしているところよ。本当はまだまだ手元に置いておきたいのだがな、そうもいくまいて。手放すことを思うと今から寂しゅうてかなわん」
相好を崩し、伯爵は下の娘について嬉々として話す。その様子は先ほどまでモイラのことを話題にしていた時とは別人のようだ。
(なんだ? この扱いの差は……?)
はたで聞いているだけのオーベルだが、だんだん腹が立ってきた。モイラに対しては突き放すだけだった伯爵が、アラミアに対しては溺愛する様子を見せる。いったいモイラの何がそこまで気に入らないというのか。
モイラは確かに褒められない行いをしているが、かと言って、それが彼女のすべてではない。公爵邸にほとんど身一つで嫁いできて、しかし気丈にオーベルと渡り合い、時に突拍子もないことをしでかして、庭で楽しそうに笑って、オーベルの不調に気付いて薬草茶を作ってくれる、そんな一面も彼女は持っている。
(それに、気付かないのか!? モイラは今……あんなにも苦しそうなのに!?)
モイラとの付き合いがそれほど長くないオーベルでさえ気付けたくらい、今のモイラの笑顔は不自然だ。何がつらいのか分からないが、彼女は今、苦しさを押し殺して笑顔を浮かべている。父親ならば気付いて心配して当然だろうに、伯爵は気付かない。娘を見てさえいない。
腹が立って、オーベルは踵を返した。挨拶をする気はすっかり失せた。
今更ながら、モイラは伯爵邸でどのように育ってきたのかが気になる。彼女が社交界の悪女と呼ばれるようになったのは、家庭内で問題を抱えていたからではないのか。そう疑わせるくらい、伯爵の態度は冷たかった。
今もモイラは、先ほどとは違う男性を相手に談笑している。妖艶に微笑みながら、しかし苦しさを押し殺している。
モイラのこの振る舞いは、オーベルにとっては都合のいいものだ。先ほど伯爵が口にしたように、モイラが子を儲けたとしても誰の子か分からないと思われるだろう。
だから、オーベルには彼女を止める理由がない。むしろ、変に介入してしまうと、オーベルがモイラに好意を向けているような振る舞いをしてしまうと、計算がすべて狂ってしまう。オーベルはこの場で、モイラとは徹底して不仲な様子を見せるべきなのだ。それが正解の態度だ。
それなのに。
「……何をしているんだ?」
モイラの腰に触ろうと手を伸ばした男の腕を掴み、オーベルは低く唸るように睨んでいた。




