表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪女の結婚  作者: さざれ
19/56

19

(……不覚だった……)

 オーベルはぐしゃりと髪をかき回した。応接間とはいえモイラの部屋で眠ってしまい、あまつさえ熟睡してしまったのだ。暖かい昼下がりの午睡は気持ちがよく、夕方近くまで眠り続けてしまった。

 しかも、最近見続けていた悪夢からも解放されていたのだ。無力感を覚えるたびにしつこく甦ってくる子供時代の記憶が、なぜか途中から上書きされていた。自分を顧みなかった母親が別の誰かの印象に置き換わる。振り払われ、伸ばしても届かなかった手が、誰かに繋がれる。

(あれはモイラだったのか? ……まさか。ただの夢だ)

 起きた時に気づくと、そこは長椅子ではあったものの毛布が掛けられていて、緊張感を解すような自然の匂いがして、下手をすると寝室よりも居心地がいいほどだった。近くの椅子で本を読んでいたモイラは、オーベルが目覚めると、顔を見てほっとしたような表情をし、何故か手を見て少し動揺したようだった。モイラの後ろにいた侍女はオーベルに冷たい眼差しを向けていたが、訳が分からない。

 お茶の礼を言い――睡眠薬でないことは分かっていると言えばモイラは安堵していた――、招かれたのに眠ってしまった詫びを言い、部屋を辞去したオーベルは、何故か暖かさが残っているような手の感覚を不思議に思いつつも、薬草茶の効能だろうと納得し、庭に向かった。そのまま仕事に戻って気分を変えてしまうのはなんとなく勿体ないような気がしたので、夕餐まで散歩でもしようかと思ったのだ。

 夏至に向かって昼が延びていく今の時期、外はまだまだ明るい。草木が日光を受け、旺盛に伸びていく季節だ。

 オーベルは植物に明るくないし、あまり興味もない。種類を言われても分からないし、細かい違いを見分けられる気もしない。

 しかし、モイラはそうではないのだ。彼女にはいったいどんなふうに世界が見えているのだろうと考え、そんなことを考える自分に動揺する。互いの利益のために結婚した妻が、必要以上に干渉し合わないと決めたはずの相手が、どうしてこんなに気にかかるのだろうか。

 作業をしていた庭師たちが、オーベルの姿を認めて慌てたように手を止め、頭を垂れようとする。

「続けてくれ。私のことは気にしなくていい」

 言って、そのまま足を進める。雇い主が散策を楽しむときにはなるべく目につかないところに控え、そうでない時間に庭を整えるのが彼らの仕事だが、そもそもオーベルはあまり散策をする習慣がなかった。彼らがぎょっとするのも無理はない。

 庭は執務室などから見下ろすくらいで、気分転換は散策よりも訓練場で剣を振ることを好むオーベルだから、らしくないことをしている自覚はある。

 そして、その違和感を遠慮なく口に出す人がいた。

「これは旦那様。なんだかお顔色がよくなられましたな」

「ニックか。……そんなに変わっているか?」

 低木の枝を刈り揃えていたニックがオーベルの気配に気づき、顔を上げる。植物を相手にする彼は人に対しても観察眼が鋭いのか、それともオーベルの変化が分かりやすかっただけか、寝不足の解消を指摘してきた。

「変わりましたな。冬眠できずにうろつく熊みたいな剣呑な気配がなくなっとります」

 歯に衣着せぬ物言いに、それはないだろう、とオーベルは思わず苦笑した。

(それはさすがにないだろう。……なかったよな?)

 そこまで極端な状態ではなかったと思いたいが、もしかして自覚ないままに結構追い詰められていたのだろうか。だとしたら、モイラにはもっと感謝しなければならない。

「奥様ですかな?」

「!? ……あ、いや、そうだな……」

 ちょうどモイラのことを考えていたのを見透かされたようなタイミングに、オーベルは動揺した。ニックはそんな様子も知らぬげに続ける。

「やはりそうでしたか。わしも奥様からご厚意を頂いたことがありますんでな」

「モイラから?」

「ええ。腰の痛みがひどくて引退も近いかと思っておったところに湿布をくれましてな。それがまあ、よく効いたんですわ」

「引退……!? そこまでひどかったのか?」

 それは聞いていなかった。そういえば腰を屈めている様子は目にしたことがあったが、ニックの年齢ならそういうものだろうと思っていた。後進も育っているようだし、ニックが引退したらどうにもならない、という状況ではないと思うものの、経験を積んだまとめ役がいなくなるのは痛手だ。しかし、その瀬戸際だったのか。

「まあ、申し上げてどうなるもんでもありませんしな。だましだましどうにかやっていこうと思っとりましたが、奥様がお声をかけてくださって、薬液を含ませた湿布を下さったんですわ」

「そうか、モイラが……」

 庭師としては最も立場が上にあるニックとはいえ、使用人であることには変わりない。普通なら公爵夫人と直々に言葉を交わすことはないはずの立場だ。公爵たるオーベルは別に気にしていないから直答を許しているが、そうした姿勢の者は少数派だと知っている。

 直答といえば、モイラ付きにした使用人たちから配置換えの嘆願を受けたときもそうだった。どうして今さら思い出したかというと、少し引っかかったからだ。

 あの時のモイラは、使用人のためではなく、あくまで自分のためという体で話をしていたが、本当にそうだったのだろうか? 使用人のニックに親身になるモイラが、自分付きの使用人たちに対しては冷淡だった? そちらの方が筋の通らない考えだ。

 オーベルに対して、モイラは、あくまで自分のために、使用人たちを解雇しないようにと話を持っていった。高慢な悪女のわがままのように見せていたが――本当に?

「……少し聞きたいんだが、ニック。モイラへの印象はどうだ? 率直に言って、彼女は噂されているような女性だと思うか?」

「うーむ………分からん、としかお答えしようがありませんな。ご婦人がたのことはさっぱり見当がつきません。庭いじりをなさるときの素朴なご様子から見て、違うのではと思って尋ねてみたんですが、ちょうど旦那様がお越しになったときで……あれを見てしまうと、どうも……」

 モイラがニックに対して、誘惑めいた媚態を見せたときのことだ。あの時は二人のやりとりまでは聞こえていなかったから、そういういきさつがあったとは知らなかった。

「そうだな、あれは……」

 こちらに向けられたわけではない色気ではあったが、それでも破壊力がすさまじかった。社交界の悪女の名前は伊達ではないと痛感したものだ。

(だが、それはもしかして……方便ではないのか?)

 そう疑ってしまうのは、使用人たちの処遇についての話し合いの時のことを思い出してしまうからだ。あの時のモイラは、悪女めいた態度で、結果的に使用人を庇うような展開に持っていっていた。

 悪女としての在り方は――彼女の演技ではないのか?

 そうであってほしい、もしもそうであったなら……

(……だったら、どうだというんだ!?)

 自分の思考の流れに、オーベルはまたしても動揺した。

 別に、悪女でいるのが彼女の演技であろうと素であろうと、オーベルには関係ないではないか。社交界で見せる悪女の顔が必要なのであって、彼女の心がどうあろうと問題ではないではないか。

 それなのに、どうしてこうも――気にかかる?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ