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悪女の結婚  作者: さざれ
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(うわあああ、どうしよう……!)

 目の前でオーベルが眠ってしまい、モイラは慌てた。今日の夜によく眠れるようにと思って淹れたはずのお茶が、効きすぎて睡眠薬のようになってしまっている。

 もちろん睡眠薬ではないし、同じものを飲んだモイラは眠気を感じていない。飲んだ量が違うとはいえ、体の大きさも違うのだし、普通ならこんな効き方はしないと思うのだが……

(……睡眠不足が、続いていたのでしょうね)

 そう思うと、起こすに起こせない。このまま眠らせておいてあげたいと思う。

 お湯を用意するなどして階下とこの部屋を行き来し、今は少し離れていたところに控えていたサリアが、抑えた声で言う。

「お嬢様、一服盛りましたね? いいと思います。煮るなり焼くなり好きにできますね」

「しないわよ!? 一服盛ってもいないからね!?」

「このさい、二、三発くらい殴ってもいいと思うのですが。それか消えにくいインクで顔に落書きでもします?」

「よくないし、しないったら!」

 オーベルを起こさないように声を抑えつつ反論するが、気を付けないと声が大きくなってしまいそうだ。

 北嶺芋のことがあってから、サリアのオーベルに対する印象は悪い。これも冗談なのか本気なのか測りがたい。

「冗談ですよ。大事な金蔓ですものね」

「本当に冗談なのよね……!? それに金蔓って言わない! 本当のことだけど!」

「お嬢様も大概ひどいですよね」

 ひそめた声で言い合うと、オーベルが小さく呻いた。うるさかっただろうか、とモイラは口を噤む。

 サリアに近付き、囁き声で指示を出した。

「サリア、毛布を持ってきてくれる? いくら暖かいとはいえ、何も掛けずにお眠りになったら風邪を召されるかも。眠っていらっしゃる公爵をお一人にはできないし、私はここにいるから」

「分かりました。お持ちします」

 サリアは渋る様子を見せず、頷いて毛布を取りに向かった。モイラを煩わせず意を汲んでくれる、優秀な侍女だ。姉代わりでもある。だからこそモイラに対するオーベルの態度には思うところがあるようで、当たりが厳しいのだが。

(でも、なんだか思ったより、上手くやっていけそうじゃない……?)

 モイラに対するオーベルの態度は軟化している。モイラの方も、最初の頃は悪女を印象付けようと頑張ったが、最近ではかなり化けの皮が剥がれてきている自覚がある。

 それでも、対外的に悪女の顔を貫けば、問題はないはずなのだ。オーベルが悪女としてのモイラを求めたのは、跡継ぎ問題を起こさないためなのだから。たとえモイラに子ができてもオーベルの子ではない可能性がある、そのことを周囲に納得させられればいい。

 そもそもオーベル自身、モイラの悪女らしい服装を嫌がっている様子なのだから、そのあたりは変えてもいいのかもしれない。

 モイラが露出の多い黒いドレスばかりを纏うのは、それしか持っていないからだ。黒なのは悪女っぽいからという理由以前に、汚れが目立たないからだ。髪を染めるのと同じ染料を使い回すことができて用意が簡単だし、扱いも楽だ。多少の染みなどは染め直せば隠せる。

 着色よりも厄介なのは、動物の毛だ。繊維に絡んでなかなか落ちず、手入れに手間がかかる。モイラとサリア以外の人手を使えないし、買い替える余裕もなかったため――露出の多い型なのは布地の節約の意味合いが大きいのだから、そもそもの話だ――、動物には極力触れないようにしていたのだ。別にアレルギーがあるわけではなく、むしろ動物は好きだ。

 悪女はふりだけだから、別に子供が嫌いなわけではないし、男好きなわけでもない。

 普通の貴族令嬢であれば、こんな屈辱的な結婚話は受けない。金と立場をやる代わりにお飾りの妻でいろと、名目だけで実を伴わない立場をやると、そんな話は受け容れられないだろう。

 モイラのように、事情がある者でなければ。

(こんな噂のある私には、とうてい普通の結婚は望めなかったのだもの。修道院行きか、誰かの愛人か……。愛人になるのは無理だから、実質的には修道院一択だったわね)

 愛人など嫌だという感情的な問題以前に、愛人になれないという実際的な問題がある。「悪女モイラ」が男性経験のないことを、よそに知られるわけにはいかないのだ。

 オーベルの出した条件は、実のところ、モイラにとってものすごくありがたいものだった。

 お金はくれる、立場もくれる、体の関係はもたない、子供ができてもオーベルの子とは認めない。そのすべてが都合のいいものだった。

 お金も立場も欲しいし、男性経験のないことを隠しておけるし、子供云々のこともそうだ。なにせモイラは、公には明らかになっていないとはいえ、シーシュ伯爵の実子ではない。ここを偽ったまま子供がどうとか後継がどうとか、そういった話をすることなどできない。

 だから、そういった話を抜きにできる結婚は大歓迎だった。たとえオーベルがモイラを「社交界の悪女」という記号だけで必要としようとも別によかったのだ。利用するのはお互い様だ。

 利用するされる、そういった話を抜きにして、今回こうやってオーベルのために何かを出来たのはモイラにとって嬉しいことだった。

(使える薬草類が残っていてよかったわ。大半は伯爵に捨てられてしまったし、器具も売り払われてしまったけれど……)

 残せたのは、弟の部屋に置かせてもらった分だ。モイラを慕ってくれるドリアスは、姉のためならと薬草類を自室に隠してくれた。膨大な所蔵のすべてを移すことはできなかったが、それでもいくらかは守れた。そのことを伯爵は知っているはずだし面白くは思っていなかっただろうが、無理に息子の部屋にまで手を入れて彼から嫌われることを恐れたのだろう。隠せた分は無事なままだった。伯爵は妻と娘と息子に弱い。もちろんそこにモイラは入っていない。

 モイラの悪女としての顔は身代わりだ。その都合上、繋路を使って頻繁に伯爵邸へと戻る。その際に薬草類を少しずつ持ち出したのだ。

(光や湿り気を遮断する材質の容器や引き出しが手に入ってよかったわ。決して安くはないけれど、それでも宝石を買うよりはましだもの。厨房にぜんぶ置いておけると楽なのよね。数が増えたら専用の保管場所を考えなければいけないけれど……)

 サリアの戻りを待ちつつ考えていると、オーベルが再び呻いた。今度はうるさくしていないし、顔に陽光も当たっていないし、眠りを妨げる要因が思い当たらない。夢でも見ているのだろうか。

 鋭い灰色の瞳が瞼に閉ざされ、長い睫毛が影を落とす。端正な顔立ちが、眠っているとあどけなささえ感じられる。ぼんやりと見とれ、モイラははっとして視線を外そうとした。

 しかし、オーベルが苦しそうに顔を歪めるのを見てしまい、驚いて彼の顔を注視する。唇が動いて何かを言おうとし、手がぴくりと震えて持ち上げられようとする。どんな夢を見ているのか分からないが、楽しい夢ではなさそうだ。手が何かを求めるようにわずかに開き、きつく閉ざされた瞼には力が入っている。

 その彼の表情が何故か、途方に暮れた子供のもののように見えた。実際はモイラよりも年上で、二十代半ばの大柄な男性だというのに、寄る辺のない小さな子供のような印象を受ける。

 何故だろう、放っておけない気がした。何かに縋ろうとするようにさまよう手に、指を絡めて掌を合わせる。子供がそうするようにきゅっとしがみつくように握られて、しかしその手は大きく骨ばった男性のもので、モイラはわけもなく動揺した。

 それでも、縋りついてくる手を離そうとは思えない。起こしてしまうだろうかと案じつつも長椅子の隣に座り、体をオーベルの方に向け、手を握り続ける。安心させるように、見えていないと知りつつも微笑みを浮かべる。

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