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悪女の結婚  作者: さざれ
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「閣下にお出ししたこの薬草茶、さまざまな材料を使っているのですが、例えば……ああ、実際にお見せした方が早いわね」

 言うと、モイラは身を翻して階下に向かった。時を置かず、瓶やら小箱やらを抱えて戻ってくる。

 オーベルは尋ねずにいられなかった。

「さっき厨房を見せてもらった時も思ったんだが、こんなにたくさん、どこで集めたんだ? ここへ来てからあまり時間が経っていないだろう。こんなに多くの種類を集めるのは無理だと思うんだが」

 集めるだけでなく、処理するにも、乾燥させるにも時間がかかるだろう。

「実家から持ってきたのですわ」

「まあ、そうなのだろうとは思うが……かなりお金がかかっているのでは?」

 まさか、モイラの贅沢はドレスばかりではなく薬草収集にも及んでいるのだろうか。貴重な種類であれば相当値が張るのだろうが、オーベルにはさっぱり見当がつかない。

 しかし、モイラは首を横に振った。

「買い集めたものはありませんわ。私が直接採集したものばかりですもの。野山に入ったりもしましたわ」

「……社交界の悪女が、野山に……?」

 オーベルの疑惑の眼差しに、モイラは取り繕うように笑った。

「私にもおてんばだった時代がありますのよ。成長してからはそういったことをしておりませんけれど」

「……ここの庭で同じことをしている気がするが。まあ別にいいのだが。しかし、ここへ来てからも購入したりはしていないのか? その方が手っ取り早いと思うのだが」

「安価で高品質なものが簡単に手に入るなら、それもいいのですけれど。処理が甘いと長もちしませんし、採取の段階から自分で行う方が安心できますわ。それに、最初は生えているところを見ないとどんな草木なのか分かりませんから」

 なるほど、とオーベルは頷いた。彼女の才能は生きている草木に発揮されるものということだ。処理されて陳列されて商品として扱われている薬草類を見ても、初見で知識を持っていないものなら分からないということだ。

 面白いし、有用な才能だと思う。オーベルはお茶をさらにお代わりしながらモイラの話を聞き続けた。

 供されたお茶も、思いがけないくらい気に入った。ものすごく美味しいというわけではないのに、なぜか何杯でも求めてしまう。体が求めるものが含まれているのだろうか。

 仕事中にはよく紅茶や珈琲を飲んでいるが、お茶だけをこうして楽しむことはなかった。お茶とお菓子でおしゃべりに興じるのはご婦人方だけだと思っていたのだが、相手がモイラなら悪くないかもしれない。不必要に粉をかけてこないし、楽しそうに話す彼女を見るのは悪くなかった。

「それで、処理の仕方についてですが。たとえばこちらはただ乾燥させただけですが、こちらは灰と一緒に煮出してあくを取ってからでないと使えませんの。乾かすにもいろいろあって、天日干しと陰干しとで変わってきますし……乾燥させて初めて食用になるものもありますわ。成分が変化するのですわね。物によっては体内に吸収される効率や栄養価が段違いに変わってきますし、うまくそういったものを見つけられれば兵糧にいいかもしれませんわね」

「確かに、干し肉は兵糧によく使われているな。野菜類はあまり乾燥させる発想がなくて、あっても香草くらいのものだが」

「乾燥させると壊れてしまう栄養もありますし、難しいですわよね」

「そうだな。だが水分を含んだままだと持ち運びに難があるし、兵站は軽視されがちだが重要な部分だから……」

 話し続けていると喉が渇く。するすると抵抗なく喉を通っていく薬草茶が体をぽかぽかと暖め、オーベルは瞼が重くなっていくのを自覚した。

 あくびを噛み殺すと、モイラが少し慌てた様子で腰を浮かせた。

「あの、閣下……!? 確かに私はリラックスできるものをと思って調合しましたが、眠気を催すものは入れていませんわ! 私も同じものを頂いていますし、その、決してやましいものではなくて……」

「……ああ、疑ってはいない。ただ、私が寝不足だっただけだ……」

 お茶はほっとする味がするし、応接間の居心地はいいし、春の暖かく気持ちのいい風が入ってくるし、なんだか緊張が切れてしまっただけだ。目の前で慌てているモイラが自分に何かをするとは思えない。薬草茶の優しい味は作り手の人柄をそのまま表しているようだった。

 ふかふかとした椅子に、添えられたクッションも柔らかく、日向の匂いがする。きちんと干されて手入れされているのだろう。

(昨日も遅かったしな……。急ぎのことはだいたい片付けたとはいえ、書簡をしたためたり、過去の記録を探したり、夜でもできることはたくさんあった。不作が近付いてくるのに何も有効な手立てがない現状が歯痒くて、自分の無力さを忘れるように目の前のことに打ち込んで……糸が切れるように眠って、起きて。そういえばここ数日、寝室に帰った記憶がないな。執務室の椅子で適当に睡眠を取って、それで充分だろうと思っていたのだが……)

 自覚しないままに睡眠不足と疲労とが溜まっていたようだ。それをモイラの薬草茶が解きほぐした。薬効のある成分が体に吸収され、その体は休息を求めている。

 かくん、と首が傾いだ。

「……少し、眠らせてくれ……」

 それだけをかろうじて声にし、瞼を閉じる。もう目を開けていられない。

 モイラが慌てつつもオーベルを起こせないでいる気配だけを感じつつ、オーベルは意識を手放した。


「……――さま、お母さま!」

 小さな手が、母親を求めて手を伸ばす。若く美しい黒髪の女性の後ろ姿が見える。

「お母さま!」

 その女性に向かって必死で手を伸ばす。女性は振り向く。こちらへ来てくれると少年は期待するが、女性の足はこちらへ向かない。顔だけをおざなりに向け、暖かみのない声で言う。

「そんなふうに呼ばないで。母親らしいことを私に求めないで。あなたを産んで義務を果たしたのだから、好きにさせてちょうだい」

「でも、お母さま! 頑張ったんです、勉強も、剣術も! 先生にも褒められました! だから、お母さまも……」

「だから、そう呼ばないでって言っているでしょう!?」

「お……」

 己が子を憎々しげに睨み、女性は去っていく。その先で女性を迎えるのは、何人いるとも分からない男性たちだ。

 自分を顧みず、愛情を向けず、父の元にも戻らない母。彼女が微笑みかけるのは数知れぬ愛人たちにだけ。

 ひそひそとした悪意ある噂が、少年の心をえぐる。

「……だってあの子、公爵に似ていないじゃない? やっぱり……ねえ?」

「……しっ! 言っちゃ駄目よ。でも、恋多き方ですもの。そう考えた方が自然よね……?」

 髪の色も、顔立ちも、母親にばかり似ている自分。父親である公爵には何一つ似ていない自分。

 自分は本当に――公爵の子なのか?

 母親に縋っても振り払われ、父親には――縋ってもいいのだろうか? ――実の父親とも分からない人に? 自分に疑惑の目を向ける公爵に? ――自分に、そんな権利があるのか?

(…………!)

 苦しい。行き場のない子供の頃の記憶が、とっくに割り切れたはずの過去が、夢の中で甦ってくる。

 誰にも届くはずのない手を、伸ばす。

(…………!?)

 しかし、その手は誰かに握り返された。黒髪の若い女性が、こちらを向いて手を伸ばしている。母親のように顔だけを向けるのではなく、体ごと全部をこちらに向けて、向き合っている。

(君、は……)

 おぼろげな夢の中の認識では、それが誰なのか分からない。

 ただ、その人が微笑んだような気がした。

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