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悪女の結婚  作者: さざれ
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「どうぞ、カップをお選びになって」

 言うと、オーベルは少し驚いた顔をした後、何とも言い難い表情になり、向かって左側のカップを取って自分の前に置いた。

「……では、こちらで」

「お注ぎするわね」

 カップを選ばせたのはもちろん、カップに仕掛けがないことを示すためだ。後ろ暗い薬などを相手に飲ませたいと思ったとき、飲み物ではなく容器に塗布する手法は知られている。

 特に柄など何もない同じデザインのカップを二つ用意したのだから、選ばせたのは好みを聞くためではなく、そういった行為をしていないことを示すためだとオーベルは理解したはずだ。微妙な表情になったのはそういうわけだろう。

 彼がどのくらいモイラを警戒しているか分からないが、毒見は無しでいいと言ってくれたのは意外だった。そのうえ、先ほど分かったのだが、彼はモイラの薬作りのことを知っていたのだ。一服盛られることが頭に過ぎらなかったとは思えないが、それでも毒見は要らないと言い切り、こうしてモイラの供する茶を飲もうとしてくれているのだから、これは相当な歩み寄りだろう。

(やっぱり柔軟で良い方なのかも。北嶺芋を食べろと強制されたときはどうなることかと思ったけれど……)

 お茶を二つのカップに注ぎ分けながら、モイラは切に思う。このお茶が少しでも彼の役に立つようにと。

「どうぞ」

 オーベルにお茶を勧め、自分のカップを持ち上げる。先に飲んでみせることで害のないものであることを示すのだ。

 本当に毒を仕掛けたいなら、自分だけ解毒剤を先に飲んでおくなり、慣らして耐性を作っておくなり、やりようはある。オーベルがその可能性を考えないとは思えなかったが、その考えは却下してくれたのだろう。

 モイラの良識を信じたのか、モイラの計算を――ここで何かを仕掛けたら公爵夫人という立場をなくすから、その不利益は選ばないだろうということを――信じたのかは分からないが、この際どちらでもいい。飲んでもらえるなら、効能には自信がある。

 しばし黙って、二人でカップを傾ける。湯気がゆるやかに立ち昇り、辺りに少し甘いような香りが漂う。

 晩春の昼下がりだ。窓からは気持ちのいい風が吹き込み、新緑の匂いを運んでくる。陽光は暖かに落ちて庭の緑を輝かせ、命を育んでいく。

 そうした草から作ったお茶だ。モイラは目を閉じて香りを楽しみつつ、春のやわらかな空気に心を遊ばせた。

 モイラがリラックスしているのが伝わったのだろうか。オーベルからも少し力が抜ける気配がする。

 お茶の熱さを楽しむように少しずつ飲み進め、飲み干して息をつく。暖かさが体に移ったようにぽかぽかする。

 オーベルのために調合したお茶だが、もちろんモイラが飲んで悪いことなどない。二杯目を飲もうとポットに手を伸ばすと、ちょうどオーベルも一杯目を飲み終えたようだった。

「おかわりはいかが?」

「ああ、頼む」

「どうぞ。お口に合ったのならいいのだけど。少し濃くなっているし冷めているから、お湯で割るわ」

 途中でサリアに持ってきてもらったお湯はまだ冷めていない。モイラはお茶を注ぐのを先ほどの三分の二くらいで止め、そこに熱いお湯を追加した。自分のカップにも同じようにする。

 オーベルにカップを渡し、自分のカップを取る。お茶の香りに心が満たされる。

(ああ、幸せ……)

 サリアと二人で掃除している応接間は居心地がいい。きちんと手入れされた家具は部屋の雰囲気を暖かく落ち着いたものにしているし、座っている長椅子はふかふかだ。庭で作業をしてきた後の心地よい疲れがお茶で癒されていく。

 オーベルをもてなすという本来の目的を忘れそうだが、モイラがリラックスすることは悪いことではない。近くにいる者のそうした様子は伝染するものだ。誰かを笑わせたいなら、面白い話をするよりも、近くで自分が笑っている方がいいという話もあるくらいだ。

 先ほどよりも味がしっかりと感じられる二杯目を楽しむ。オーベルも二杯目なら少し慣れてくれただろうと思う。

 おそらく彼がふだん飲むのは紅茶や珈琲だろう。美容に気を遣う女性であれば薬草茶を飲む者もいるが、男性にはあまりそうした習慣がない。紅茶にお酒を少し垂らしたり、輸入物の珈琲を嗜んだり、そういった場合の方が多いだろう。

 飲み慣れないだろうと思ったから、一杯目は少し薄めに淹れてみた。一杯だけでも効果は出るはずだが、少し心許ない。二杯目も飲んでもらえたのは嬉しい。

 飲みながら、尋ねてみる。

「飲みにくくなかったかしら?」

「ああ。むしろ飲みやすくて驚いたくらいだ。薬草茶というものは、もっとこう、苦くて不味いものだと思っていた」

「ええまあ、そういうものもありますわね」

 薬の側面が強くなると、効果を重視して味は二の次三の次、ということになりがちだ。病気を治すために服用する場合はそういうことになりやすい。

 だが、今回の目的は神経の興奮や緊張を和らげることだ。不味いものを飲むときは体に力が入ってしまうし、表情はどうしても険しくなってしまう。そうした体の在り方はそのまま精神に直結するから、望ましくない。成分や効能だけでなく、味も重要な要素なのだ。

「今回お出ししたものは、庭の東桃草をメインに使ったものですわ。摘んだばかりの若い葉を、生のままポットに入れて、普通の茶葉のように使いましたの」

 東桃草は香りがよく、少し甘みのある草だ。青臭い匂いが立たないうえ、苦みを打ち消してくれるので使い勝手がいい。

「もちろん生の東桃草だけでなく、乾燥させた薬草類をいろいろと調合して使ってありますわ。効能としてはそちらがメインですわね」

 調合した薬草類を煮出した薬液を、さらに東桃草へ注いだ形だ。手間がかかってはいるが、そこまででもない。冬であれば薬草類を紅茶とスパイスと一緒に煮出してミルクを加え、砂糖を溶かして飲むのも美味しいのだが、今の季節にそれは少し重いだろう。せっかく爽やかで気持ちのいい季節なのだから、飲み物もそれに合わせたい。

 季節のものを取り入れるのは、体にもいい。生命力をそのまま頂いている感覚がする。

「私は草木の類について詳しくないのだが、面白そうだな」

「ええ。鑑賞するのも素敵ですが、効能を知ったり、どうやって使うかを考えたりするのも面白いですわ。処理すれば食べられるようになったりするものもありますし。……閣下には必要のないお話でしたわね」

 食べるものに困っていたモイラならともかく、貴族の最高位たる公爵には必要のない視点だった。言葉を濁したモイラに、オーベルは首を横に振った。

「いや、私も軍人だったからな。今も軍事に関わる立場にある。食べられるものや処理の仕方については知っておくべきだな。疎かにしてしまっていたが」

 それなら、とモイラは身を乗り出した。

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