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悪女の結婚  作者: さざれ
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「……モイラ」

「……はい」

「……ここは何処だ?」

「……厨房です」

「そうは見えないから聞いているんだが……?」

 ごもっともです、とモイラは小さく呟いた。オーベルは思わず自分のこめかみをぐりぐりと揉んだ。

 二人を出迎えたサリアが、どうしてオーベルを連れてきたのだと非難するような眼差しをモイラに向けている。モイラは明後日の方向にそっぽを向いていた。

「私の知る厨房というものは、こういうものではなかったと思うのだが……」

「……設備にはあまり手を加えていないわよ? 喞筒ポンプが二つ欲しいと要望を出したくらいで、あとは普通に修繕してもらったわ」

 よくよく見れば、たしかに設備は厨房のそれなのだ。壁には作り付けの食品棚があり、調理台があり、流しがあり、竈がある。

 ――そこに並んでいるものがおかしいだけで。

「ここは……どこぞの実験室か? それとも魔女の住まいか?」

 オーベルは真顔で呟いた。モイラは悪女ではなく魔女だったのだろうか。

 食品棚はパンや果物などが置かれる代わりに薬草類で埋め尽くされている。棚の半分は小さい抽斗ひきだしが入れられており、中身を示すラベルが貼られていた。残り半分には乾燥させて束ねられた状態のものや、瓶入りのもの、乾燥させた葉に包まれたものなどが入れられている。

 調理台には包丁と俎板が置かれる代わりに、鋏と板、秤や匙、乳鉢、小さな臼、硝子や琺瑯の器などが並べてある。蒸留装置やら何やら、オーベルにはどう使うのか分からないものまである。

 普通であれば燻製肉などが引っかけてあるだろう鈎には薬草の束がぶら下がっており、竈には他の調理器具が見当たらない割に鍋だけが多種多様に揃っていた。

 ――どう見ても、調理をする目的の場所ではない。

 説明を求めてモイラを見る。モイラはあたふたしながら説明のような言い訳のような言葉を並べはじめた。

「ええと、これは私の趣味と実用を兼ねたもので……」

「……いや、大丈夫だ。少し――かなり――驚いただけで、君の才能については聞いている。薬を作る才能だな?」

 一応、何も知らないわけではない。モイラの実家であるシーシュ伯爵家について少し調べたところ、モイラが幼少時から特殊な才能を発揮していたらしいことを知ったのだ。

「どうして、それを……。最近はあまり表に出ていなかったはずのことですのに。いえ、公爵家ですものね。情報源をお持ちですわよね」

 モイラは納得した様子を見せ、補足を加えた。

「薬を作るというより、植物を見抜くと言った方が正しいですわ。薬効や成分が分かったり、どう扱えばいいかが分かったりするくらいです。実際に扱うとなると失敗も多いですし、こちらは練習と経験です」

 そう言って、ほっと安堵したような笑みを浮かべた。

「閣下はご存じでいらしたのね。よかった、どう説明したものかと。隠す必要なかったわね」

(……いや、これは隠した方がいいのでは……)

 事情を少し知っていたオーベルでさえ度肝を抜かれたくらいだ。何も知らない人からは何事かと奇異の目で見られるだろう。

「……あまりに本格的で驚いた。厨房を実験室と作業室に転用したんだな」

「ええ。私の出来ることなんて、このくらいですもの。ただ遊び暮らしているわけにはいきませんものね」

 モイラの言葉が、とても悪女のものとは思えない。男に媚びて貢がせる悪女像が音を立てて崩れていく。

 オーベルの意味ありげな視線に何かを悟ったのか、モイラが慌てた様子で促した。

「もう充分ご覧になったでしょう。上に案内いたしますわ」

「……分かった」

 突っ込みどころが多すぎてお腹一杯だ。それに、門外漢のオーベルがいつまでもここにいたところで見えてくるものもないだろう。必要ならまた来ればいいのだし、モイラに説明させればいい。

 オーベルの追及の視線を感じたのか、前を歩くモイラがぶるりと身を震わせる。

 そして案内された先は、応接間として整えられた部屋だった。

 モイラを迎え入れる前に見回って確認したこともあり、西のこの建物については構造が頭に入っているし、どんな部屋があったか覚えている。公爵邸は広大なので使われずに閉め切ったままの場所なども多く、そのような場所については記憶も曖昧なのだが、公爵夫人を迎え入れる場所についてはさすがに把握している。

(よかった……応接間は普通だった)

 記憶にあるよりも小ぎれいに整えられ、きちんと使われている気配がする。モイラが使用人を遠ざけたから危ぶんでいたのだが、部屋の維持は全く問題なさそうだ。侍女のサリアが掃除などをすべてこなしているのだろう。高貴な主の傍仕えが侍女の本分のはずで、掃除などは仕事の範疇から外れるのだが、サリアはそうしたことも嫌がらずに行っているのだろう。

 公爵邸はすべてオーベルのものだが、こうして公爵夫人に整えられた部屋に改まって招かれると――改まってという言葉に語弊があるが――、何やら新鮮な気分だ。

 普通の夫と妻ならもっと何か違うのだろうか。距離感が分からない。

(……いかん。何を考えているんだ)

 モイラはお飾りの妻。自分たちは互いの都合で夫と妻という名目上の立場にいるだけ。そう思っているのに、調子を狂わされる。モイラがオーベルを誘うとか、何かを仕掛けるとか、最初に想像して危ぶんでいたようなことが全く無い代わり、想像とは違う方向にいろいろと進んでいるような気がする。ともかくも、モイラのことに関しては想像が追い付かないことがよく分かった。

 そもそも女性というものが分からないし、分かりたくもなかった。オーベルの母は、「母」というよりも「女」で、息子に見せる顔が社交界で見せる顔と同じだった。我が子として慈しむのではなく、興味のない男は相手にしたくないと言わんばかりに無視したのだ。

 黒髪の妖婦。同じ存在であるはずのモイラに、なぜかオーベルは今、薬草茶を供されようとしている。

(……どうしてこんなことになっているんだ?)

 頭を悩ませるオーベルのところへ、モイラが何も知らぬげに戻ってきた。彼女が両手で支え持つ盆には二客のカップの他に湯気の立つポットが載せられて、どこか懐かしいような香りを漂わせている。

「これは……」

「薬草茶ですわ。閣下のために調合して淹れましたの」

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