13
「……何をしているんだ?」
モイラを咎めるその言葉は、オーベル自身もはっとしたほど低く不穏に響いた。
男慣れしているはずのモイラがびくっとする。その慄きに、オーベルは少し頭が冷えた。
モイラが相手にしている男たちは王都の貴族が大半だろう。国境を守って領地で戦支度をするオーベルのように武張った者とは縁遠かったのだろう。
とはいえ、続けて言わずにはいられない。
「見境なく使用人を誑かしていたのか? そんな真似をされると困るんだが」
モイラが庭によく出入りしているのは知っている。執務室からも見えるし、中庭は割合どこからでも見える。邸内に森の飛び地があるような具合で、むしろ建物の面積の方が少ないほどだ。元々の古城が外郭を広げ、建物が連結し、時代を経るごとに構造が複雑化していったからそうなっている。
その庭について、門を入ってすぐのあたりは綺麗に整えられている。繋路のある西のあたりもだ。僻地にあるとはいえ公爵邸としての品格を示さなければならず、門からの来客や、王都から繋路で来る者を迎えるにあたってそれなりの格好をつけなければならない。
だから庭師の長であるニックの役割は重い。表向きに整えられた区画も、昔ながらの森の面影を残す区画も、彼が全体を統括している。建物が入り組んでいるため、中庭と裏庭の区別がつけられず、森からの生き物もよく入り込んで花を荒らしたりするので、管理はなかなか大変なのだ。
そんなニックは職人気質で、オーベルとは別方向に堅物だ。
オーベルのように女性を毛嫌いしているのではないが、嫌っているというよりもむしろ疎んじている。女が出しゃばるなとか、女は黙っていろとか、そういったことを悪気なく言ってしまうのが彼だ。その反面、頼り甲斐はあり、子供や年下の同性からは慕われている。
いかにも女性らしい女性は対処に困るらしく、公爵邸を訪れた貴婦人に庭を褒められたりすると、ああ、とか、うん、などとぶっきらぼうな返事しかできないような人だ。
だから、モイラと会話が成り立っており、しかも楽しそうにしているのを見たときは、正直かなり驚いた。楽しそうとは言ってもにこにこと相好を崩すようなことはなく、相手の話に興味を示しているくらいの反応だが、それだけで充分、驚くに足る。
女の尻を追いかけるなんて恥だ、と思うようなニックだから、モイラとどうこうということはあまり考えていなかったが、思わず疑ってしまうくらい、モイラの色気が尋常ではなかった。オーベルさえ当てられかけたくらいだ。
問われたモイラは悪女らしく開き直るか、白を切るか、さあどう出るかと反応を窺っていたのだが、思いがけずニックから言葉が返ってきた。
「旦那様、ご冗談を。立場もですが、年齢をお考えくださいや。こんな孫みたいな娘っ子とどうこうなんて、なるわけがないでしょう」
「……。それはまあ、そうなんだが……」
それでも、回春剤そのもののようなモイラを相手にしているのだ。ニックほどの堅物でなければオーベルの疑いは晴れなかっただろう。年齢を考えろとは言うが、高齢であっても男性のその手の興味はなくならないものだと知っている。孫のように若い女性が相手ならなおさらだ。
「それに旦那様。僭越ながら申し上げるんだが、奥様とのお時間をもっとお作りになってはいかがか? 奥様がこんな老いぼれを相手に時間をつぶさなくてもいいようになさればいいと思うんだが。わしが相手ならまだいいが、若い連中にこんなことをされたらこちらこそ堪らん。奴らが間違いを起こす前に奥様を躾けておいていただきたいんだが」
だが、矛先がこちらに向いてはたまらない。モイラのあの様子を見たのがニックでまだよかったというのは完全に同意だ。若者が下手にあれを見てしまったらどうなっていたか分からない。……オーベルでさえ危なかったくらいだ。
(あれでよく、今まで無事だったな……いや、無事ではないのか……)
モイラが自身の破壊力をどこまで自覚しているのかよく分からない。すべて計算ずくだと考えるのが当然だろうが、時々なにか噛み合わない印象があるのだ。多くの男性を相手にしてきた娼婦のような色気と、無垢な童女のようなあどけなさが彼女の中で奇妙に同居している。不可解だった。
(しかし、躾ける……? 懐かない猫のようなモイラをか? ……絶対無理だろう)
猫を躾ける方がまだ見込みがありそうだ。それに、猫の方がまだ行動を読みやすい。モイラのしでかすことは突拍子もなさすぎて、いちいち想像を明後日に突き破ってくる。
「さて、わしはもう行くが、旦那様。くれぐれも奥様から目をお離しになりますな。危なっかしくてかなわん」
目を離すなとは無茶を言う、とは思ったが、分かったと頷いておく。ニックはモイラにも声をかけた。
「それと奥様。媚薬は旦那様に作ってさしあげればいい。間違っても他の奴に使うんじゃあないぞ」
(ちょっと待て! 私にも作るな! 使われてたまるか!)
思わず突っ込みそうになったが堪える。
色々と言いたいことを我慢していると、モイラがそそくさと逃げ出そうとした。
「それでは、私もこれで……」
「…………媚薬」
ぼそりと言ってやると、モイラがぎくりと足を止める。
「……あの、ちょっと言ってみただけですわよ?」
「……作れるのか?」
作れる、と答えられたらどうしようか。聞くのが怖い。やはり噂は本当だったのだろうか。
モイラはきょとんとした表情で瞬き、オーベルをまじまじと見た。
「閣下、お使いになりたいお相手がいらっしゃるのですか? それなら……」
「いるわけないだろう! それに、それなら……とは何だ!? 求めたら作ってくれるとでもいうのか!?」
どうしてそうなる!? と叫びたいところを抑えて、それでも声が上ずってしまう。モイラはおかしそうに笑った。
「体の働きを助ける薬ならありますし、物によっては作れますわ。でも、一般に信じられているように、その気のない人を意のままにしたり、人の心を変えたりなどといった薬はありません」
「そうか……。それならよかった。君がちゃんと良識的だったようで」
オーベルは心から安堵した。媚薬など汚らわしいばかりだと思っていたが、最低限のことは守っているようでよかった。何やら前半に聞き流せないことを言われたような気がしたが、そこを突っ込んだら負けだ。
「……安堵なさるところはそこですの?」
半眼になって口を尖らせる様子が子供っぽい。つい笑いを誘われてしまうと、モイラもつられたように笑った。その無防備な笑顔が驚くほど――可愛かった。
(……! 何を考えているんだ、私は!)
はっとすると、モイラもやや焦ったように話題を変えた。
「閣下、もしかして、あまりお眠りになれていないのでは?」
目元の隈を見とがめられたらしい。
「分かるか? 少し忙しかったのと、夢見の悪いのが続いてな……」
夢見のことはいい。思い出したくないし、どうしようもない。
オーベルを悩ませているのは、向き合って考えるべきなのは、北部に忍び寄る不作の気配だ。
北部の食を支える北嶺芋。その収穫期は秋だが、今年の夏は冷夏になるのではと予測されている。ただでさえ涼しい北部の夏だが、今年は輪をかけて涼しくなるのではと言われているのだ。
そうなると、芋が育たない。痩せた芋をかろうじて収穫しても、人々が冬を越せるか厳しい。
ただでさえ、北嶺芋の人口扶養能力は低い。土地の生産力がそもそも低いから仕方ないのだが、同じ面積で米や麦を作った場合と比べると、格段に供給力が落ちる。北部の人口が少ないのは、単に発展していないからというだけでなく、人口を下支えする食糧事情に恵まれていないからだ。
しかし、そんなことをモイラには話せない。
「それなら、いいものがありますわ。お持ちいたしますが、お時間を取ってくださる?」
無邪気に、モイラはオーベルを見上げてくる。