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悪女の結婚  作者: さざれ
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 隠していることは山ほどあるし、先の見通しは立たないし、家族というものから縁遠いし、いろいろなことを背負い込んでいるモイラではあるが、なにも息をひそめるように毎日を過ごしているわけではない。

 楽しいことも嬉しいこともちゃんとある。むしろ、思ったよりも多い。はっきり言って、快適なほどだ。

「奥様、ほれ、ここ。金火草の芽が出ておる」

「わあ、本当ですね。初夏だから少し芽が出るのが遅い気もするけど、渡り鳥に外から運ばれたのかも。滋養強壮に効くし、若芽はとくに薬効が高いけど、摘んでしまうのも勿体ないわね。若芽だと苦みも強いし。大きく育ってから若葉を摘む方がよさそう」

「…………そうさな」

 饒舌に語るモイラを微妙な表情で眺めるのは庭師のニックだ。老齢の彼は長年の経験を積んだ優秀な庭師で、後進の統括役をしている。

 公爵が連れてきた王都育ちの若い妻、それも見るからに問題ありげな外見のモイラを、最初ニックは胡乱げに見ていた。若い庭師たちが肘で小突き合って下世話な噂に興じるのを一喝し、自身は距離を置いて見ていたのがニックだ。

 そんな昔気質の庭師と接点ができたのは、もちろん、モイラが各種の薬を作るために植物の採取を必要としたからだ。

 公爵夫人が庭を歩くのは当然で、お飾りの妻といえその自由は制限されていない。そのうえモイラは公爵から庭の植物の採取を許可されているので――庭師の許可が必要だとはいえ、庭師は公爵夫人に逆らえないから、よほど景観を損ねるような無茶を言わない限り取り放題だ――、必然的に庭を多く訪ねることになった。

 最初は遠慮がちに見て回るだけだったし、綺麗に整えられた区画の花々を鑑賞する余裕もなく目当ての植物が自生しているかを確認するだけだったが、採取の許可を得て、何回も訪れるにつれて徐々に余裕が出てきた。

 これを採りたい、これは生えているか、それを尋ねる相手はいつもニックだ。責任者に確認したいのは当然だし、あまり若い男性には近寄りたくない。下手なことになっては困る。いかにも男慣れした悪女というのは外側だけの話だし、そもそもモイラは誰かを誑し込むために悪女のふりをしているわけではない。

 悪女としての存在がはりぼてであることを公爵に悟られてはならないが、別に庭師にまで媚を売らなくて大丈夫だろう。社交界の悪女たるモイラと噂になるのは中級以上の貴族たちばかりだから、使用人たちなど目に入っていないのだということにすればいい。

 そんなふうに開き直り、公爵夫人用に自由にできるお金で作業着の服を誂え、モイラは嬉々として足しげく庭に通った。

 最初の頃、ニックはもっとぶっきらぼうで素っ気なかった。とはいえ手をかけて作り上げた庭には自信があるようで、公爵夫人が庭を訪れるということ自体は歓迎してくれた。整えられた区画ばかりではなく自然のままの植生を残し、保全のために人手を入れているだけの区画にも興味を示したモイラに面食らったようだったが、話をするうちに打ち解けていった。

 そして、はっきりと態度が軟化したのが、モイラの自作の湿布によって腰の痛みが軽減した時のことだ。

 寄る年波には勝てないから仕方ないが、腰が痛くて庭師の作業に支障が出るとニックが零したのを聞いたモイラは、腰痛に効く成分を含ませた湿布を作って渡し、入浴の後に温めて使うようにと教えたのだ。

 それが良く効いたらしく、次の日には若者たちをどやしつけながら自ら手本を見せて力の要る剪定を行い、腰の痛みが和らいだから踏ん張って力を入れることができると顔を綻ばせて話してくれた。

 ニックのモイラを見る目が変わったのは、それからだ。

 とは言っても、もちろんいかがわしい意味ではない。公爵夫人として尊敬されたとか、そういう話でもない。むしろ逆で、どうして公爵夫人なんぞやっているんだ、庭師には力が足らんかもしれんが薬師ならどうだ、などと同類扱いされている。

 苦笑いしつつも満更ではなく思ってはいるが、公爵夫人らしくないのはまずいだろうか。悪女設定も庭では放り出しているが、少し隙を見せすぎだろうか。

(いいもの、息抜きも必要だもの)

 開き直ってニックと庭の石に腰を下ろし、休息がてら歓談を楽しむ。

「しかし奥様、本当にお詳しくていらっしゃるな。ふつう金火草と聞いてすぐに効能まで思い出せはせんだろう。むしろ知らなくても不思議はない。北部の中でも海が近い辺りにしか自生せんし、花も地味で植栽向きではないし、王都ではまず見る機会がなさそうなんだが」

「いえ、茎が金色で綺麗なので花束に使われたりしているの。メインの花を豪華に引き立ててくれるから結構使われているわよ」

「確かに茎はそうか。興味深いな。……だが、効能まで知ってたのは花束云々とは関係ないだろう」

 ニックの言葉に、モイラは笑ってごまかした。

 伯爵邸で父母から顧みられなかったとはいえ、だからこそ、自由に外出をする機会は少なかった。願い出て許可される見込みもなかった。

 だから、花束として得られる植物も薬の材料として貴重だったのだ。

 貴族の邸宅には花が多く飾られるものだし、やりとりをされる機会も多い。そして、飾られた花々は、枯れる前に取り換えられる。新しい花は引きも切らず贈られる機会があるし、古くなった花を飾るのは家の品格に関わるからだ。まだまだ瑞々しい花々が捨てられる機会は多く、それらをモイラが貰っても問題にならなかった。

 そういう事情もあり、冷遇される前は教育を受けていたこともあり、金火草についても知っていたのだ。

(葉っぱほどではないけれど、茎にも滋養強壮の効果はあるものね。筋っぽくて美味しくはないけれど栄養もあるし。食事が足りなかったから、ずいぶん助けられたなあ……)

 しみじみと思い返していると、ニックの視線が微妙に生ぬるくなっていく気がする。モイラは咳払いで誤魔化した。

「しかし奥様……あんた、本当に噂通りの人なのか?」

「!?」

 咳払いが本格的な咳になった。

「今だってそうだ。ご婦人方というのはお召し物が汚れるのを嫌うもんじゃないのか? それなのに、わざわざ汚れてもいい服を用意して、手ずから草を摘んで、石の上に何も敷かずに座って話をするなんて、噂に聞く悪女のふるまいじゃないんだが」

(まずい、油断しすぎた……!?)

 自由なふるまいが楽しすぎて悪女設定を逸脱しすぎただろうか。でも、庭でまで取り繕わなければならないのはしんどすぎる。

 だからモイラは焦りを見せず、嫣然と微笑んだ。

「このギャップが殿方に効くんですわ。それに、私が作れる薬は多岐に渡りますのよ。たとえば、媚薬とか……」

 赤い唇を強調するように指を添え、ちろりと舌を出して微笑みを作る。小首を傾げ、少し腰の位置をずらして胸を揺らすようにした。

「…………」

(しまった、やりすぎた!?)

 ニックが渋面になり、無言になった。しかし今更引けない。しばらく気詰まりな時間が過ぎたのち、ニックが謝った。

「…………すまん」

「…………いえ、私こそ」

 互いに何を謝っているのかよく分からないが、色々とうやむやになった。誤魔化せそうだ、とモイラは息をついた。

 そこに、オーベルの声がした。

「……何をしているんだ?」

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