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悪女の結婚  作者: さざれ
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 モイラには秘密が多い。

 オーベルに仄めかしたようにいかがわしい秘密ではないが――むしろ他者のいかがわしい秘め事を肩代わりしていると言うべきか――ともかく、いろいろと秘密にしていることがある。

 化粧を落とすと云々とか、美容の秘訣とか、そういうことでもないが、ある意味それも近い。

 そして、そのすべてをサリアは知っている。

「お嬢様、そろそろ御髪を……」

 サリアに小声で言われ、モイラはどきりとして髪に手をやった。ここは自室で他に人がいないが、それでも条件反射で焦ってしまう。

「前回染めたのっていつだったかしら。ここへ来てからは一度も手入れしていなかったものね。目立つ?」

「いえ、注意して見ないと分からないくらいです。でも公爵閣下はお背が高くていらっしゃいますし、どうしても生え際はお目につきやすくなると思いますから……」

「そうね。気を付けないと。明るい時間の方が染まり具合を確認しやすいし、今から染めてしまうことにするわ」

 話しながら階段を降り、浴室に向かう。

 モイラの象徴的な黒髪は染めたものだ。地毛は正反対と言っていいほど薄い色で、銀に近い。

 この色は家族の誰にも似ていない。顔立ちや体つきは母親とそっくりなのだが、髪色は違う。母方の色ではなく、その夫の血筋の色でもない。……つまりは、そういうことだ。

(お父様は……いえ、伯爵は……私を疎んじている。当然よね……)

 なにせ、愛する妻の不義の子だ。

 それが明らかにならなかった小さい頃はたいそう可愛がられたし、教育も与えられた。大きくなっても手放すものかと言われ、嫁になど出さない、婿を取って家を継がせる、そんな言葉まで浴びるように貰った。

 伯爵は父親として、成長するにしたがって母親に似てくるモイラを手放しで可愛がり――そして二年前、態度を一変させた。

 モイラの髪色が、成長とともに変わってきたのだ。

 父とも母とも違う、その親族とも違う、あまりにも目立つ髪色は、最初なにかの病気かもしれないと疑われた。慌てふためいた伯爵が草の根を分ける勢いで腕のいい医師を探し、モイラを診させた。しかし健康に問題はなく――問題は別のところにあった。

 モイラは籠に入れた小瓶を見下ろす。黒々とした液体は自作の染髪剤だ。作っているところも使っているところも見られるとまずいので隠していたのだが、わりあい頻繁に必要になるもののため隠すにも限度があった。使用人に見つかったときにはどう言い訳をしようかと頭が――もちろん髪ではなく頭の中が――真っ白になったが、まさか媚薬だと曲解されるとは思わなかった。安堵すべきか歓迎すべきだろうが微妙な気持ちになったのを覚えている。

 染髪剤もそうだが、モイラは植物からさまざまな薬品類を作ることができる。知識を与えられたからという理由もあるが、もっと根本的に、植物の成分や効能が直感的に分かるのだ。

 繋路が最たるものだが、世界には多くの不思議が残っている。モイラのように特異な才能を持つ者もいて、有用なものは重宝される。

 しかし、この時はそれが裏目に出た。

 モイラは様々な薬品を作ることが出来……その中には血縁関係を判断できるものもあった。血縁関係を判定したい二者の血液を入れて反応させると、血の濃さによって色が変わる薬品だ。血縁関係が近いほど濃い青を呈し、薄くなると無色に近くなる。

 モイラと父親の血で試した結果、それは限りなく薄い色で――その結果は血縁の薄さをそのまま表した。

(試さなければよかったと考えなかったなんて言えないけれど……)

 それでも、知らずにはいられなかった。確かめずに「家族」であり続けることなどできそうになかった。――たとえそれで「家族」を失おうとも。

 血縁を知ることのできる薬品は、モイラの知る限り他にない。探せばあるのかもしれないが珍しいことは間違いない。

 どの植物をどう処理すればその薬剤が手に入るのか、それ以前からなんとなく見当はついていた。必要にかられて試行を重ね、完成度の高いものが出来たわけだが……その薬品の最初の仕事が、モイラから家族を奪うものだなんて皮肉すぎる話だ。モイラの才能も知識も、伯爵家で育まれたものだというのに。

(もっと、人の役に立てる使い方があったはずなのに……)

 薬品のせいではないが、やるせない。

 ついでのようにとどめを刺す事実があるのだが、そういった才能は遺伝で現れることが多いのだ。そして、モイラのこの才能は母方にも――当然ながら伯爵家にも――記録がない。……つまりは、そういうことだ。

 モイラに特異な才能があることを誰よりも喜んでくれたのは父親だ。しかし、この才能のおかげで――せいで――明らかになった事実が、その過去を皮肉に逆転させる。これから先、モイラが父親から才能を褒められることはないだろう。――もはや、伯爵は父親でもないのだ。

 ちなみに、妹と弟は伯爵の実の子だ。そうではないことを恐れて伯爵は確かめたがらなかったが、モイラがこっそりと調べた。結果がはっきりと肯定できるものだったので知らせたのだが、伯爵は今にもへたり込んでしまいそうな勢いで安堵していた。

 それから伯爵の溺愛は完全に妹と弟と――もちろん母と――のものになった。モイラが褒められたのは、これが最後だ。

 桶に水を入れ、薬品を溶かす。まるでモイラの心のように、水が真っ黒に染まっていく。

 そこに、根元まで髪を浸けて丁寧に染めた。

 静かな所作を心がけても服に飛沫が飛ぶ。しかし全く問題ない、ドレスも同じ薬剤で染めているのだから。

 多少の染みなどであれば全く問題なく染め上げてくれて肌につけても影響のない薬剤だ。発色もよく、髪は艶のある漆黒に染まるし、布地も光沢のある深い黒に染まる。必要な植物も珍しいものではなく、公爵邸の中庭にも普通に自生していた。採取の許可も庭師から得たので今後も調達に困ることはないだろう。

 色を定着させた後に水ですすぎ、長い髪を軽く絞って布地に水分を吸わせる。こうして染めた黒髪はシーシュ伯爵家の誰よりも美しいと賞讃されることもあるのだが、お笑いだ。彼ら彼女らの髪色に近付けるためだけに染めている人工の髪色を褒められても全く嬉しくない。もちろんそんなことを口には出せないから微笑んで流すのだが。

「お嬢様……」

 黙々と髪を染めるモイラを手伝いつつ、はらはらと心配そうにサリアが様子を窺っている。昔からモイラに仕えてくれている彼女は事情を知っているし、愚痴や泣き言を聞いてもらっているからモイラの心境も察している。気遣ってくれるのが嬉しくて、モイラはあえて明るく言ってみた。

「いつも思うのだけど、サリアの金髪って綺麗よね。私もその色に染めてみようかしら。伯爵家の色なんてもうどうでもいいし、気分を変えてもいいわね」

「お嬢様! ……いえ、それもいいかも知れませんね。でも、お嬢様はやはり金より銀の方がお似合いです。お美しい紺碧の瞳と調和します」

 モイラの言葉にサリアはぎょっとした様子だったが、それでもいいと肯定の言葉を本心からくれた。だからこそモイラも安心して、冗談だと流せる。

「冗談よ。お父様たちの目はもう気にならなくても、染める理由がなくなったわけじゃないものね。私は……身代わりなのだもの」

 黒髪の女性として。社交界の悪女として。

 その役割からモイラが解放されるのは、いつのことなのだろうか。

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