14.今日は何もかも上手くいかない日
最近、何かと順調ですっごく嬉しい。こんなに穏やかに暮らせるの、久しぶりじゃない? やっぱり恋愛ってしない方がいいんだ。実は向いてないのかも、私、恋愛が。
転職してお給料上がったし、先輩の顔を見るだけで幸せな気持ちになれるし、恋愛しないで、ずっとずっと今の生活続けたーい。隣で制服に着替えてるステラちゃんに言ってみたところ、大きく笑い出した。
「っふ、ははは! あいつにそれ言ってみてよ、面白いから」
「なんで!? 言う必要あるかなぁ」
「だって、今の生活続けたいんでしょ? あ、特に、穏やかに暮らせてるってところ、強調して言ってみてよ! 私の前でさ~」
「もー、また先輩をからかおうとしてるでしょ? 優しいから、話せば分かり合えると思うんだけどなぁ」
「ヒューが優しいのはフィオナちゃんの前だけだからね? 基本的にあいつワンマンな性格だし、黙って俺の言うことに従えって、姑息な手段で伝えてくるタイプだから……」
「何があったの!? 一体」
「話せば長くなるから、また今度ね?」
ステラちゃんがとびっきり可愛い笑顔を浮かべて、ウインクしてくれた。へっ、へへへ、幸せ! 天使のような可愛い女の子と仲良くなれたし、部署内の治安が悪いけど、先輩のおかげでだいぶちょっかいかけてこなくなったし、魔術にも慣れてきた。アヒルちゃんの雨だって自由自在。もう暴走しないもん。控えめに言って、今の生活って最高! ……だと思っていたのに。
(ど、どうしてこんな目に!?)
仕事中、トイレに行ったらいきなり泥水をかけられた。私の膀胱やお腹が限界だったら、どうするつもりなんだろう。あ、それも込みの嫌がらせか。私は目の前で漏らされたら、嫌だけどなぁ。振り返ったら、くすくす笑ってる女の子が二人いた。
えー、可愛いのにもったいない!! 嫌がらせが自分の価値落としてるってことに、早く気が付いて欲しいな。せっかくの可愛い顔が、本当に本当にもったいない……!! あれじゃ可愛さが半減しちゃうよ。ささっと、個室に入って用を足す。トイレットペーパーを掴んだら、泥水に濡れて破れた。
(うーん、あの子達の目的って一体何? 知り合いじゃないよね)
頭から爪先までびしょ濡れだ。砂が顔や手にこびりついている。匂いがしない。魔術で出したのかな。制服の替えが無いのに~、困っちゃう。泥水をかけられたのに、案外平気だった。古典的な嫌がらせ方法よね。実在してるんだ、泥水ぶっかける人って……。ショックよりも驚きが勝ってる。
意を決してドアを開けてみたら、二人が待ち構えていてぎょっとした。近い! さらさらの肩口で切り揃えられた黒髪に、深い青色の瞳。肌は白くて雪のよう。もう一人の子も綺麗だった。
明るいふんわりとした茶髪に、意思がはっきり宿っているへーゼルナッツ色の瞳。もったいない~!! こんなに綺麗で可愛いのに、どうして私に泥水かけたの? へらっと笑いかければ、腕を組んで、強く睨みつけてきた。
「あなたよね? 昨日、アーノルド様と手を繋いで歩いていたのは」
「あ~……!! まったく身に覚えがないと思ってたけど、そっち!? 先輩がかっこよくて嫉妬してっていうわけじゃないの?」
「は? 先輩? 違う部署でしょ、アーノルド様とは」
「ふざけてないで、ちゃんと答えてよ」
黒髪の子が、静かな怒りを秘めた眼差しで睨みつけてくる。ふざけてはいないんだけど。だって、ステラちゃんが前から「意外とあいつ、人気無いよー。怖くて愛想がないから」って言ってるのが信じられなくて!! 先輩、陰で絶大な人気を誇ってたりしない? あんなにかっこいいのに、意味不明だよ……。どうして人気が無いんだろう。
「で? まさか、アーノルド様と付き合ってるの?」
「違う違う! 実験だから、あれ!」
「実験?」
「何の実験よ」
「一目惚れされないのは珍しいみたいで……。試しに手を繋いで歩こうって言われたから、手を繋いで歩いてみただけで、付き合ってません! 安心してください!!」
レイラちゃんが言ってた、しつこく嫌がらせされ続けたって。本当だったんだ。疑ってたわけじゃないけど、嫌がらせの内容があまりにも酷くて信じられなかった。毎日、こんな目に遭ってたのかな。エディ君が最初、私に会った時、殺気立ってた理由がよく分かる。
だって、親衛隊の皆様がこうやってしつこーく、何回も人目が無いところで嫌がらせするんだもん。分かる、過保護になっちゃうよね~!! エディ君に共感していたら、いきなり頬を打たれた。トイレに乾いた音が響き渡る。
(えっ……ここまでする!? なんで、あ、そっか。魅了にかけられているから?)
自我が強い人、優しげな王子様タイプ、つまりアーノルド様とは正反対なタイプが好きな人は魅了にかかりづらい。私は先輩が好みのタイプだったから、かからなかった。あと、強烈に好きな人がいる場合、アーノルド様を見ても何とも思わない。
男性でも魅了が効いちゃって、追いかけ回す人がいるほど強力。じゃあ、もう無理じゃん。打つ手はない。逃げなきゃ、話が通じないんだから!
「しっ、失礼しまーす!!」
「ちょっと!? 散々人のことをバカにしておいて、逃げるなんて……」
走ってトイレから出る。うー、ほっぺたが痛い。叩かれるのって久しぶりだなぁ。でも、血が出ていなくて良かった。くちびるの端が切れるまで叩かれると、翌朝、腫れるんだよね。治りが遅いし。
振り返らずに、全速力で階段を駆け降りる。肺が苦しくなった。暑い! 冷房が効いてるとはいえ、暑い。スプレーで汚されたドアを開いて、駆け込む。さすがに追いかけてこないはず。突然、泥水に濡れた私が駆け込んできて、珍しくいる部長が目を見開いた。でも、真っ先に先輩が立ち上がる。
「フィオナ!? どうしたんだ!」
「あっ、待って、い、息、とっ、整えさせてください……」
「分かった、待つ。どうしてこんな、一体誰にやられたんだ? 落ち着いたら教えてくれ」
「っう、げほ」
「フィオナ!」
口の中に入ってきた泥水のせいで、むせただけなのに、先輩が悲痛な声を上げる。うわ、胸が痛い。隠しておけば良かったかも。手が泥で汚れちゃうのに、気にせず、私の肩を両手で掴んでいた。先輩の手と声が震えている。
「大丈夫か? こんなことになるのなら、ついて行けば良かった……」
「トイレに!? えっ、えーっと、アーノルド様ファンの人に泥水かけられちゃって。まだ完全に生活魔術を習得してないので、この汚れ、どうにかして貰えませんか?」
「あ、ああ、でも」
「ヒュー、お前には無理だろ? ひよっこめ」
「部長」
「わっ、すごい! あっという間に綺麗になった……」
部長がふしくれだった指を私に向けた瞬間、体が金色の光に包まれ、制服が元通りになった。すごい、さすがは一等級国家魔術師。常にお酒飲んでるけど、魔術が正確。ぺたぺた髪を触って、濡れていないのを確認していると、急に先輩が頬の輪郭をなぞった。あ、やばい。腫れてる?
「……くっきりと赤い手形がついてるぞ。誰の仕業だ」
「あ、え、えーっと、怒る、ようなことじゃありませんよ。だって、魅了にかけられているんだから仕方な、」
「仕方ないだって? 俺はそんな風に割り切れない。頼むから教えてくれ」
「う~、でも」
「仕事にならねぇから、教えな。ヒューはこうなっちまったら無理だよ」
部長が酒瓶の蓋を閉めながら、眼光を鋭くした。うわ~、上司命令かぁ。私が孫娘に似ているという理由で、他の職員からすれば優しくしてくれるんだけど、今回ばかりは無理かも。
いつも野次を飛ばしてくる連中が口笛を吹いて、騒ぎ出した。先輩がトラそっくりの咆哮を上げて、黙らせる。目が完全にトラになっちゃった先輩に教えてもいいの? 真剣な眼差しで見つめられ、ノックアウト。もういいや! 教えちゃえ。
「知らない人なんですが、グリーンの制服を着ていました……」
「修理課のやつらか。行ってくる」
「えっ、喧嘩を売りに行くんですか!?」
「違う、買いに行くんだよ。あっちが先に喧嘩を売ってきたんだろうが! 高く買い取ってやる」
「だけど、先輩!」
「いいから大人しく待ってろ。絶対に追いかけてくるなよ!? 暴走しねぇから」
「やっ、約束ですよ!」
「ああ、約束する。危ないからここで待っていてくれ。ジュリアナ! 頼んだ」
「はーい」
なんで急にジュリアナさんが出てきたの? 暑いからと言って、背中まで伸びていた髪をばっさり切って、短い金髪にしちゃったジュリアナさんがやってきた。うわーん、もったいない。見るたびにもったいないなって感じちゃう。
ジュリアナさんの豊かな赤茶色の髪、好きだったのに。美人度は変わらないんだけどね! 私がもったいないと思っている隙に、先輩が行っちゃった。ほ、本当に大丈夫かな、暴走しない?
「災難だったわね、フィオナちゃん。可哀相に」
「えーっと、どうして先輩は頼むって……」
「治癒魔術が得意だから。今、冷静さを失ってるでしょ? 自分が治せなくて悔しそうな顔してたわね」
「先輩が? そんな顔してました?」
「ええ。だめよ~、フィオナちゃん。表情をよく見ないと」
幼い子にめっと言ってるような表情を浮かべつつ、頬に手を添えて治してくれた。あ、もう痛くない。気付かなかったけど、かなり強く叩かれていたのかもしれない……。あー、心配だなぁ。暴走してなきゃいいんだけど。振り返ってドアを眺める私を気に留めず、ジュリアナさんがおっとりした声で続ける。
「それとも、ヒューにはあんまり関心が無いの? フィオナちゃんって騒いでるだけなのよね、かっこいいって」
「うっ、うう……!!」
「可哀相だから、少しは気にかけてあげてね。表情の機微を読み取ろうだなんて、微塵も考えてないようだけど。ヒューは報われない男なのかもねえ」
「き、気をつけます」
ジュリアナさん、おっとりしてるけど鋭い。先輩の表情を読み取ろうだなんて、言われてみれば、思ったことないかも……? ついつい、顔ばっかり見ちゃうんだよね。くぅ、さっきの顔もかっこよかったなぁ~。反芻しながらデスクに戻れば、ニコラス君が前のめりで話しかけてきた。
「大丈夫ですか!? どうしてやり返さなかったんですか!」
「血気盛んなニコラス君と一緒にしないでよ~。もう話しかけないで、作業に戻るから」
「ええっ? 普段、べちゃくちゃ喋ってるでしょ。やり返せば良かったんですよ、相手の歯が折れる勢いで」
「無理無理、できないって。私は平和主義者なの!」
「アディントン先輩、暴走すると思います? 賭けましょうよ、ルーカスさん」
「やなこった。聞いてただろ? 獣人は好きな女の子との約束は絶対に守る。そういうもんだからね」
「暴走する方に賭けます。今まで散々、事件を起こしてきたアディントン先輩ですよ? じゃあ、ルーカスさんは約束を守る方に賭けてください」
「最低! やめてよ」
見渡してみると、周りが騒いでいた。やらなくちゃいけない事務仕事をほったらかして、仲良く頭を突き合わせ、先輩が相手を殴るか、殴らないか真剣に議論してる。どこからどう見ても不良の溜まり場じゃん! 大人になっても変わらないの、謎すぎる。
「口ぶりからすると、相手は女の子だろ? ヒューが殴るか? 女の子を」
「獣人は女でも容赦しないって話だぞ。恋愛が絡むと本当にだめなんだ、あいつら」
「おい! 誰か修理課行って覗いて来いよ。面白いものが見れそうだ」
「ヒューに八つ当たりされて終わりだろ! てめえが行ってこい、てめえが」
「みんなで行こうぜ。そうすれば、気絶させられるだけで終わりか……?」
「飛び蹴りを食らっておしまいだ。行ってこい」
「寂しいこと言わずにさぁ、俺と行こっかあああ!」
「やめろって、絶対に嫌だ! サンドバッグになりたくない!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した。部長は止める気がないみたいで、熱心に書類を眺めている。普段、国からの命令であっちこっちに行ってるから、溜まった仕事を片付けたい気持ちは分かるんだけど、少しは止めて欲しいなー……。
以前、図書館で階段から突き落とされた男の子のために、猫型のパトロールカメラを調べる。あの時、現場にあったのはこの白猫ちゃんカメラだけ。証拠隠滅のためか、魔術で映像にアクセスできないようになってる。相手は多分、魔術師だから防犯課に持ち込まれた。図書館の人や普通の警察官は魔術が使えない。
読み取る魔術は簡単だから、一般人が使えるようになればいいのになって思うんだけど、そうなれば、魔術犯罪が増えるから難しいところ。盗みや盗撮が増えるなんて絶対に嫌だ。両手を白猫ちゃんに当てて、意識を集中させる。
(ん~、黒く塗り潰されちゃってる。一般的な妨害魔術かな? こういう時は紐を解いていくイメージで……)
相手の技術は高くない。高くないからこそ、アクセスできないように魔術をかけたあと、壊した。ふっ、ふふ、長かったけど、もう少しで犯人が分かる。
「だーかーら、ああ見えてヒューは容赦ないんだって! そりゃあ女の子をボコボコに殴ったりしないけど、軽く、こう、ぺちんって叩く。それぐらいするだろ!」
「いやいや、暴走して壁に穴を開けるに違いない! なあ、どうするよ? 俺はデスクとか観葉植物とか、とにかく物に当たって帰ってくると思うから、そっちに賭けるぜ。お前は?」
「俺はカインと一緒! あいつ、暴走したら本当に怖いから。女殺しのやべえ信者は絶対、ヒューの逆鱗に触れて殴られるぞ」
「今、ヒューが暴走しない展開に賭けてるやつって何人? 手ぇ挙げて、はーい」
「うわ、俺含めて三人だと!? 少なっ! かわいそう~」
「しっ、静かにしてよ!! あともうちょっとなのに!」
耐えきれなくなって叫ぶと、一瞬だけ場が静まり返って、すぐにどっと笑いが巻き起こった。向かいのルーカスさんが「こいつらは絶対静かにならないって、無駄だよ」と、渋い表情で言う。でも、耐えられない。続けて文句を言おうとしたら、ある男が変顔で私のものまねを始めた。しかも、わざとらしく手をぷらぷら振って。
「しっ、静かにしてよ~!! 先輩はそんなことしないもん!」
「似てる、似てる! そっくりだ」
「もうちょい声出せ! いけるだろ、お前なら。この中で一番声が高いんだし」
「やめてやれよ~。フィオナちゃん、泣いちゃうぞ!」
すごく腹が立ってきた。泣かないって、これぐらいで。私には魔術があるってこと、忘れてない? 男の頭にアヒルちゃんを生やせば、焦って立ち上がる。ふんだ、無理やり引っこ抜いたらハゲる仕組みにしておいたから、ハゲちゃえ。
「うわっ!? またアヒルかよ!」
「お前が悪いんだろー。しっ、静かにしてよっ! フィオナちゃんとそっくりだったけど、怒られるよなぁ」
「しっ、静かにしてよぉ~、先輩は私との約束を絶対……」
「お前ら、何やってる?」
私の物真似をしてへらへら笑っていたくせに、先輩がドアを開けて入って来た瞬間、全員、一目散にデスクの下へ駆け込んだ。死ぬほどダサい! 真剣な顔で財布まで出してきて、騒いでいたくせに。先輩が呆れた表情を浮かべながら、隠れている人がいるのに、デスクの下へ強引にイスを突っ込んだ。うわっ、いってぇ、と誰かがうめく。
「少し目を離しただけでこれか。聞こえていたぞ、全部」
「ご、ごめん、ごめん……」
「悪かった! 許して」
「殴らないでくれぇ~、頼む」
「じゃあ、今度は俺がお前らのものまねでもしてみるか。肋骨を折られた時の反応を真似したいから、誰か一人、前に出てこい」
「すみませんでした!!」
「今日はジュリアナがいるだろ? 治して貰えよ」
穏やかな口調なのに、震えるほど怖い。私が立ち上がったら、デスクの下に隠れている男を蹴り飛ばそうとしていたけど、すぐにやめて、柔らかな苦笑を浮かべた。わぁ、かっこいいなぁ、もう!!
「先輩、どうでした? 大丈夫でしたか?」
「大丈夫だ、話せば分かってくれたぞ」
「いてっ!?」
「おい、次は無いからな。二度とフィオナの真似なんてするなよ。気色悪い」
「すみませんでした……」
「止めようと思ったのに! 話しかけても、蹴っちゃうなんて」
「フィオナは優しいな。いいんだ、こいつらはクズだから蹴っても」
穏やかに笑いながら、もう一度デスクの下にいる男を蹴った。先輩って本当に容赦ない。白猫ちゃんカメラの分析に取りかかったけど、騒がしくて上手くいかなかったって報告しようと思ったら、近付いてきて、私の頬に手を添えた。痛ましげな表情を浮かべていて、胸の奥がぎゅっと詰まる。
「治して貰ったのか。良かった、綺麗に治って」
「はっ、はは、はい! 大丈夫ですから、別に……」
「次、似たようなことをされたらすぐに言ってくれ。きつく注意してきたが、またするかもしれない」
「き、きつくですか?」
「ああ。じゃないと、学習しないだろ? 当分の間、一人で行動するの禁止な。心配で身が持たない」
「ええっ!?」
じゃあ、トイレについてくるんだ……? 詳しく聞きたかったけど、ルーカスさんとニコラス君が死ぬほどそわそわしていたから聞くのをやめた。部長までにやにや笑って見てくるし。あとで聞こう、あとで。ようやく猫ちゃんカメラが直ったから、映像を分析したい。耐え切れなかったみたいで、先輩と私が座った瞬間、二人が話しかけてきた。
「で!? 殴ったんですか? 殴ったようには見えませんが」
「一人で行動させたくない気持ちは分かる。よーく分かるが、ちょっとやり過ぎだ。落ち着こう。深く息を吸って!」
「殴ってねぇよ、仕事しろ。……フィオナが嫌がったらやめます。でも、大丈夫だよな?」
「はい! トイレの中まで一緒は無理なんですけど、大丈夫ですよ」
「アホ、一緒に済ませるつもりはない。俺を何だと思ってるんだ?」
「ふ、ふふっ、冗談です。お昼ご飯、これから毎日一緒に食べましょうね!」
「いいな、そうしようか」
笑いかけたら、嬉しそうな笑顔で頷いてくれた。はー、かっこいい。ちょっと前までぎくしゃくしてたから、毎日ご飯食べられるの嬉しい。心のフィルムに先輩の優しげな笑顔を刻みつけていると、ルーカスさんがびっくりした表情で「そんな顔で笑えるのか。見たか!? 見たか、今の笑顔!」って、ニコラス君に聞いた。ニコラス君も信じられないと言いたげな表情で頷いてる。
「……いつも、緊張して上手く笑えないだけです」
「嘘だろ! 堂々と嘘を吐くんじゃない」
「そんな嘘に騙されるのはフィオナさんぐらいですよ。俺達は騙されません」
「フィオナ、映像の解析できたか?」
「まだです。うるさくて、全然集中できませんでした!」
「仕事の話をして、誤魔化すつもりだな……。さては」
「今、仕事中なんで。貸してくれ、俺がやってみる」
「はーい」
先輩、褒められて恥ずかしくなっちゃったのかな? にこにこ生温かい笑顔で見守っていると、猫ちゃんカメラを持った先輩がまぶたを閉じる。数秒後、ボンッと小さな爆発音がして、黒い煙が立ち昇った。
「うわぁっ!?」
「しまった、くそ!」
「何やってんだい!? 使い物にならねぇのなら、一旦外に出て頭を冷やせ! フィオナと一緒にね」
瞬く間に猫ちゃんカメラが金色の結晶に覆われる。へー、これ、部長の魔術なんだ。魔術書に確か、魔力には色が宿るとか、本人が得意な魔術の……何だっけ、分野が影響するんだっけな。石の魔術が得意だったら、石が出てくる~的な話があったような気が。忘れちゃった。
「すみません、失礼します……。フィオナ、大丈夫か? 怪我してないか? 立てるか」
「は、はい。先輩でもこんな失敗するんですね」
「おーい、俺達の心配もしてくれ。顔に破片が突き刺さったぞ」
「うわぁ!? ルーカスさん、血が出てる!!」
「ジュリアナに治して貰ってください。フィオナは本当に怪我してないよな?」
「し、してません……」
「対応の差が酷い! あからさまだなぁ」
「顔に出てないだけで心配してますよ。行こう」
先輩が私の手を掴んで廊下に出た。い、いいのかな。ルーカスさん、顔に小さいけど、破片が突き刺さってたのに、私達だけさっさと出ちゃって……。というか、また一からやり直し!? そんなぁ、早く犯人を捕まえたいよ。今日は相談しに来る人もいるのに。
ま、まあ、こんな日もあるよね。最近、上手くいってたから落ち込んじゃう。だけど、先輩が私の手を放して、廊下の壁へもたれた瞬間、どうでもよくなった。かっこいい~!! 珍しく失敗して落ち込んじゃってる。物憂げな銀色の瞳を伏せ、静かに息を吐き出した。
「悪い。あんな失敗をすると思ってなかった」
「へへっ、大丈夫ですよ~! また直せばいいだけの話です。あ、私が直しますね」
「……頼む。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ」
「私を心配してくれたんでしょ? へっちゃらですよ、あれぐらいの嫌がらせは」
「あれより、もっと酷い嫌がらせを受けたことがあるのか?」
「……」
ある。けど、先輩に話すようなことじゃないし。一人暮らしをするようになってから、奥様の突撃は無くなった。足元の赤い絨毯から先輩に目を移すと、寂しそうな表情を浮かべていた。ジュリアナさんの言う通りだ。私、先輩がどう思ってるのか、深く考えたことないかもしれない……。
「言いたくないのなら、無理して言わなくてもいい。詮索して悪かったな」
「あ、えーっと、言いたくないわけじゃなくて、ただ、聞いてもつまらない話ですよ?」
「フィオナのする話は何でも面白い。聞かせてくれ」
「えっ」
「つまらないって思ったことねぇぞ。一緒にいるだけで楽しい」
真剣な表情で言われ、心臓が止まるかと思った。なに、今の。胸が高鳴るを通り越して、もはや突然の心臓病。心臓に悪すぎるんだけど。不整脈になってたら、絶対先輩のせいだからね!! 原因、先輩。恥ずかしすぎて、涙がちょびっと出てきた。慌てて拭ったら、先輩が勘違いして、背中を擦ってくる。
「おい、大丈夫か!? どうした? 嫌な過去でも思い出したのか」
「い、いえ、ただ、私に死んで欲しいと思っている人から嫌がらせを受けていただけです……。今日、あったことなんて些細な出来事ですよ。殺意よりも、悪意の方がマシです」
だから笑って、先輩。心配されると落ち着かない。ここまで気にかけて貰えたことがないから、さっきみたいに全速力で逃げ出してしまいたい。私が勘違いしちゃう前に、早く逃げたい。おそるおそる見上げたら、胸が張り裂けそうなぐらい、呆然としていた。あ、言うんじゃなかった……。全部隠していれば、それで良かったのに。
「……フィオナ、覚えていてくれ。俺はいつでも助けに行くし、味方になる」
「はい! で、でも、これ以上は」
「存分に泣け。別にいいだろ、これぐらい。さっき嫌な目に遭ったばかりなんだ」
「っぐ、うぁい……」
耐え切れなかった。メイクが落ちちゃうけど、もういいや! 声を押し殺して泣いたら、優しく抱きしめて背中を擦ってくれた。途中で廊下に出てきた、いつまでも大人になる気がない不良どもにからかわれ、先輩がキレる。
「なぁ、賭けをしようぜ。俺が殴るか、殴らないか、予想して楽しんでいたんだろ? もう一度するぞ、どっちに賭ける?」
「やばい、逃げろ!!」
「だから言ったんだよ、からかいすぎるなって! 俺は忠告したからな!?」
「これやる!」
「えっ」
群れの一人が逃げずに、チョコを投げてきた。励ましているつもり、なのかな……。先輩がすぐさま取り上げて食べた。は、早い! 甘いもの嫌いじゃなかったっけ? 呆然としていたら、ポケットから水玉模様のキャンディーを取り出して、私の手に押し付けた。
「今、チョコを渡してきたのはどいつだ? 仲が良いのか?」
「顔すら思い出せないんですけど……。待って、先輩、チョコ食べて大丈夫なんですか?」
「ならいい。ちょうど、疲れていて甘いものが欲しい気分だったんだ」
「へー! 先輩も甘いものが食べたくなる時があるんですね」
「ああ。とびっきりうまい」
「そんなに!? 安そうなチョコだったのに! えー、気になる」
甘いものが嫌いな先輩でも、美味しく食べられるチョコだったなんて……。まあ、疲れている時に食べたから、美味しかったんだろうけど。そう思っていたのに、部署へ戻って、わざわざチョコをくれた人を探し始めた。
き、気になる! どこで買ったチョコなのか気になる!! 聞こうと思って私も行ったら、先輩に止められたうえに、チョコくれた人に逃げられた。う、上手くいかない。先輩が喜ぶチョコ、知りたかったのに……。今日は何もかも上手くいかない日だったりして。




