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魔術犯罪防止課のトラ男と面食い後輩ちゃんの推しごと  作者: 桐城シロウ
三章 フィオナの過去と強力なライバル
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11.異母兄と先輩、どっちを選ぶのが正解?

 






 昼下がりの住宅街にて、一人の怪しい男がきょろきょろと辺りを見回していた。黒い帽子を目深にかぶっているから、年齢が分からない。でも、グレーのTシャツから伸びた腕は太く、短パンのせいで見えているすね毛だらけの足も、年齢を感じさせるものだった。


 おそらく、年齢は四十代から五十代。目にしっかりと男の服装を焼き付ける。グレーのTシャツに短パン、紺色のリュックサック。身長は普通、体型はややぽっちゃり。繁華街にでも行けば、すぐまぎれる格好。


 男は辺りを警戒しつつ、白い門の外から、庭木に囲まれた家の中の様子を窺う。さりげなく視線を外し、ふたたび前を向いて歩き出した。まるで、白い壁とベージュオレンジの煉瓦で出来た、おしゃれな一軒家に少し興味を引かれた、とでも言いたげな様子で。男が素知らぬふりをして歩き、家の角を曲がった。私達も足音を立てないようにして、ついて行く。


(許せませんね、先輩! 絶対あの男ですよ、絶対。防犯カメラに映っていた男はあいつですよ!)


 ぱくぱくと口を動かして、必死に訴えかければ、姿を消せる紺色のチョーカーを首に巻いた先輩が苦笑し、物言いたげな表情でくちびるに指を押し当てる。ああっ、かっこいい! 黙ってなきゃバレるって分かってるけど、騒ぎたい。同じチョーカーを巻いているおかげで、私の目にも先輩の姿が映っていた。


 これ、最高じゃない? 街中でふと先輩の腹筋が拝みたくなった時、このチョーカーをつければ、周囲にバレず、こっそり先輩の腹筋が拝めるってこと? でも、残念ながらプライベートでは使えない。


 魔術犯罪を防ぐために、仕事の時だけ、魔術道具を修理する課(正式名称忘れちゃった)に行って、借りられる。自分に魔術をかけて、姿を消すことも出来るんだけど、疲れちゃうんだよね~……。魔力の消費量が半端ない。


 私が妄想にふけっていると、前を歩いている男が覚悟を決めたらしく、一軒家を見上げた。おっ、もう捕まえちゃおうかな。だめだめ、現行犯じゃないと。息を呑み込み、監視する。男がもう一度辺りをきょろきょろと見回してから、小太りのくせに、あっさり白い塀をよじ登って侵入した。嘘でしょ!? なんであんなに身軽なの……。


「先輩、どうしますか!?」

「俺は後ろで待機してる。いいか? くれぐれも無茶するなよ」

「はい!」


 声をひそめて喋っている先輩、新鮮で魅力的~! 初めて下着泥棒を捕まえるから、わくわくしてる私とは対照的に、先輩は死ぬほど憂鬱そうな顔をしていた。気にしなくていいのになぁ、怪我なんてしないでしょ。


 役立たず警察の代わりに、私達が頑張らないと。下着を小汚いおじさんに盗まれるなんて、想像しただけで吐き気がする。可愛くて華奢な奥様のためにも、絶対捕まえてみせる! 


 先輩が私の体を魔術で浮かせ、塀の向こうに降ろしてくれた。平気なんだけどなぁ、これぐらい。でも、さっさと捕まえちゃいたい。芝生から立ち上がり、侵入した男を静かに追う。


(ここから先は、一人で行動するから慎重にいかないと……)


 男が二階のバルコニーに干してある洗濯物を見上げ、リュックの外側ポケットから何かを出した。パウダーケース? 違うよね、コスメなんて持ってるわけない。慎重に近付き、男の様子を見張る。男がパウダーケースっぽいものを開いて、高く掲げた。ん!? 呆気に取られていたら、それがピカッと光って、次の瞬間、足元に洗濯物が落ちてくる。二階の洗濯物を引き寄せたんだ。


(嘘でしょ!? どこからどう見ても違法……待って、確か便利な魔術道具があった。ええっと、離れたところにある物を引き寄せるコンパクトだっけ?)


 あれ、すごく高いのに。あのコンパクトだけじゃなくて、魔術道具はみんな高いけど。もうちょい規制を強めた方がいいのにな~。まだ無理か。凶悪な殺人事件に使われた道具は販売中止になったり、規制されたりするけど、そうじゃないし……。国は、下着泥棒が使ってるだけで動き出したりしない。こうやって悪用するやつがいるから、私達がいるんだけど。モヤモヤしちゃう、納得出来ない。


 男がしゃがみ、洗濯物の中から奥様の下着を探し当て、リュックの中へ突っ込む。ふふふ、残念ね。それは奥様のものじゃないから! 新品ですから。囮にするため、買ったものだって知ってるけど、にやにや笑ってる男が下着を握りしめてる光景って気持ち悪いな~。捕まえたあと、平手打ちしてもいい?


 殺気を必死で抑えつつ、意気揚々と家の裏手へ向かった男を追いかける。やばい、逃げられる! 服装と見た目をしっかり覚えているし、先輩が魔術で印をつけたから逃げられないんだけど、めちゃくちゃ焦ってしまう。


(落ち着いて。まずは相手の動きを封じる!)


 先輩は足を固めればいいって言ってた。こうやって、大したことない事件の時に魔術を使っていかないと上達しない。分かってはいるんだけど、心細かった。いつも先輩が隣にいてくれるから。ネバネバした青い液体を、頭の中ではっきり思い浮かべる。


 あ、洗濯物を見ていたから? 石鹸、水のイメージが湧いてきちゃった。なら、ぶくぶく泡立って、気持ち悪い、まとわりついて離れない物体で足元を固める! 手をかざし、脳内で術語を唱える。すぐに地面から青い泡がぶくぶくと湧き出て、塀を見上げていた男の足にまとわりつく。


「うわっ!? 何だこれ!?」

「先輩、終わりましたよー! 来てください!」


 塀の外に向かって声を張り上げたら、冷たい風が吹き荒び、隣に先輩が舞い降りた。瞬間移動!? 高度な魔術をあっさり……。先輩の足に触れた芝生が音を立て、凍りついている。


「よくやった、フィオナ。怪我してないな?」

「してませんよ……。先輩の脚力なら、簡単に塀を乗り越えられますよね?」

「心配でな、つい。何だあれ?」

「私にも分かりません。泡に見えるけどネバネバしていて、めっちゃくちゃ硬い物質です。多分」

「また不思議なものを生み出しやがって……」

「何だこれ!? 何だよ、これは! くそっ!」


 おじさんがパニックになっていた。もがけばもがくほど、青い泡の勢いが増してゆく。今や太ももの辺りまで這い登っている。手で引き剥がそうとしたら、熱かったようで「あちっ!?」と叫び、手を離した。


 おかしいなぁ、熱いんだ? 熱い設定にした覚えはないんだけど……。おじさんが足を動かせば、ねばぁ~っと、青い糸を引いて元に戻る。壊そうと思って殴ったら、拳を痛める始末。チョーカーを外している先輩が、微妙な表情を浮かべた。


「不気味だな」

「ですね! 熱くした覚えはないんですけど、熱いって言ってますね~」

「何? 大問題だぞ、それは。まあいい、捕まえてくる。フィオナは姿を消したまま、そこで待機していろ」

「ええっ、なんで!?」

「いいから。俺一人で十分だし」


 驚く私を置いて、すたすたと歩き、おじさんに近付いていった。まあ、下着泥棒と積極的に話したいわけじゃないから、別にいいんだけど……。私は家の中で待っている奥様に報告かな? 玄関へ向かっている最中、先輩がふいにリュックを差し出してきた。姿が見えないはずなのに、すごい! 私のいる位置を正確に把握してる。


「ほら、これ。どうせゴミ箱行きだろうけど、シンプソン夫妻に返してこい」

「はい! どうして分かったんですか……?」

「匂いで分かる。いいか? 家の中に入ってからチョーカーを外せよ。この変態がフィオナに見惚れるかもしれない」

「んっ!?」

「よろしく。俺はこいつから話を聞き出すから、報告しに行ってくれ。頼んだ」

「は、はい。分かりました」


 気のせいかな? 見惚れないと思うけど……。先輩ってあっさり、とんでもないことを言うなぁ。聞き間違いだったりして。小鳥のリースが飾られている白い玄関ドアをノックしたあと、家の中に入る。チョーカーを外していたら、顔色の悪いシンプソン夫妻がすぐに出迎えてくれた。


「捕まえたんですね!? ありがとうございます……」

「はい、終わりましたよー。件の上司かどうか分からないので、旦那さんが確認して頂けたらなと。あ、これリュックです。盗まれた洗濯物が詰まっています」

「分かりました、確認してきますね。あ、妻をよろしくお願いします」

「了解です!」


 数ヶ月前から、下着を含めた洗濯物を盗まれる被害に悩まされていたシンプソン夫妻は、奥さんの上司が有給を取った時だけ、洗濯物が盗まれることに気が付いた。防犯カメラに映っていた男の見た目と上司の見た目はそっくり。


 警察に相談したものの、捕まえるのは難しい、これだけでは証拠にならないと言われ、今回、私達に事件の解決を依頼してきた。バルコニーに干しているタオルも、室内に干していた下着もどうやら、あのコンパクトで引き寄せ、根こそぎ盗んでいたみたい。


 私の顔を見て、可愛らしい奥さんがグリーンの瞳に涙を溜めた。緩やかに波打つ茶髪と華奢な体。おしとやかな美人で、ベージュチェック柄のワンピースを着ていると、雑誌のモデルさんに見えた。


「大丈夫ですか? もう捕まえたので安心してくださいね」

「ほっとしました、ありがとうございます……。何もありませんでした? お怪我は?」

「ありません、大丈夫です! お気遣いなく。さあさあ、ほら、ソファーに座った方がいいですよ、リビングに行きましょうか」

「まさか、あんなことをするような人だとは思っていなくて……。あ、でも、まだ確定したわけじゃないんですよね?」

「でも、防犯カメラで見た男とそっくりでしたよ。焦げ茶色の髪に、青い目で」

「ああ、上司です……。違う人だったらって、何度も考えていたんですけど」


 今にも倒れそうな顔色の奥さんを支え、リビングに入る。白とグリーンを基調にした、清潔で温かみがあるインテリアだった。陽がさんさんと降り注ぐ出窓には、葉模様のレースカーテンと、グリーンの厚地カーテンがかけられている。城と樹木柄のカーペット、大きな白いソファーにオットマン。低めのテーブルには、ふりふりレース付きのティッシュ箱と木の時計が置いてあった。


 モデルルームみたいで綺麗だなぁ。でも、落ち着く。ソファーに座って熱々の紅茶を飲みながら、上司に何度も食事に誘われたことや、今回の事件で奥さんよりも旦那さんの方が気持ち悪がって、震えていた話をしていたら、落ち着いたらしく、ふーっと息を吐き出した。可愛らしい顔立ちには、柔らかな笑みが浮かんでいる。


「ありがとうございます。ハートリーさんのおかげで……本当に、なんて言ったらいいのか」

「ふふふ、下着泥棒が捕まえられて良かったです。仕事なのでどうぞお気になさらず!」


 先輩がいつもクールに言っているのを真似してみた。先輩は犯人のせいで怪我しても、依頼者さんに絶対何も言わないし、恩着せがましいことも言わない。感激されても表情一つ変えずに、これが仕事ですからって言うんだよね。かっこいい。手のひらの中に収まったティーカップを見下ろしながら、思い浮かべる。


(初めて会った時のこと、思い出すなぁ。あの時のつれなかった先輩のことが好きだけど、過保護になった今の先輩も好き。何でもいいや、好き!!)


 奥様が一言、二言話してから、思いついたかのように指先を合わせ、ソファーから立ち上がった。あ、これ、何か貰える展開かな……。


「そうだ! ちょうどケーキがあるんです。食べませんか?」

「いっ、いいんですか!? じゃあ、ぜひ」

「ふふ、どうぞどうぞ。二人の帰りが遅くなりそうだし……大変でしょう、毎日こんな仕事してるの」

「そうでもないですよ~。こうやって時々お茶をごちそうして貰えますし、頼りになる先輩がいるので!」

「だけど、彼、トラの獣人ですよね? 怖くないんですか?」


 心にちくんと、小さな棘が刺さった。奥さんが一切の悪意を見せず、本当に心配そうな顔をしていたから。だよね。先輩といると、時々忘れそうになる。獣人は差別を受けていて、忌避する人がいるってことを。今まで周りに獣人なんていなかったし、分からなかったな……。私が少しでも誤解を解かなくちゃ。ただでさえ、猛獣系の獣人は勘違いされやすいのに。


「怖くありませんよ! 先輩は優しくて理性的なんです」

「あ~……なら、良いんですけど。今日は実家に預けていますが、私、実は娘がいるんですよ」

「娘さんが? そうなんですね」

「はい。だから将来、娘が二人きりで獣人と仕事することになっちゃったらどうしようって、つい、思ってしまって……。親御さん、心配していませんか? ハートリーさん、可愛らしいから心配なさっているでしょう」


 血の気が引いて、冷や汗を掻いちゃった。そっか、そういう目で見られちゃうんだ。心底不安げな優しい目で見つめられ、何も言えなくなった。悪意なら、言い返したんだけど。私は弱虫だから、喉の奥から出かけた言葉をぺしゃんこにして、折り畳んで呑み込んだ。


「……大丈夫ですよ! 心配しないでください。ほら、親って、何も無くても心配するじゃないですか」

「確かに~。ついつい、心配になっちゃうんですよね」

「今の仕事、賛成して貰ってないんですけど、私が普通に暮らしていても心配すると思うから、だから、なだめつつ働いてる状態で……」


 あー、弱虫じゃなかったら、強い口調ではっきりと「差別発言じゃないですか? それって。本人に向かって言えないことは全部差別的な発言ですよ」って言えたのになぁ。弱虫だから、空気を壊したくなくて言えなかった。熱くなってるって思われたくないし。


 生クリームがたっぷり添えられたチョコベリータルトを食べつつ、紅茶を飲み、奥様と楽しく喋る。そうこうしている内に二人が帰ってきて、犯人が逮捕されたこと、会社の上司だったことを、少し疲れた表情で教えてくれた。こうして無事に事件が解決した。


(うん。いいんだよ、これで。いいんだ、これで。わざわざ戻って言う必要は無いし、先輩に報告する必要も無し! だって、傷付けるだけだから)


 胸の中にしまっておこう、小さな棘がびっしり生えた言葉は。仕方ないよ。猛獣系の獣人ってよく傷害事件を起こすし、大規模テロの主犯格になってたりする。その度にやつらは動物なんだ、理性なんてない獣なんだ、人間と違ってって、騒ぎ出す人達が一定数いる。


 仕方ないね、我慢しなくちゃ。先輩はとっくの昔に、割り切っているだろうし。ぼんやりしながら花柄のワンピースに着替え、センターから出ると、目の前で大きな手のひらが動いた。アイスグレーのジャケットとズボンで爽やかにまとめた先輩が、私の顔を覗き込み、手を振っている。


「どうした? フィオナ。珍しいな、俺の顔を見ないなんて」

「あ……たまには、その、前を向いて歩こうと思っただけですよ」

「悩んでるんだろ。俺がいない間、何かあったのか?」


 鋭いなぁ! 先輩は獣人だから、勘が冴えている。えー、どうしよう。正直に話す? でも、傷付けるだけだから言いたくない。先輩は「お前が悩むようなことじゃない」って言って、終わらせそう。


 当事者じゃないんだし、こんな風に思い悩まなくても……。あの奥さんは、私が先輩を慕ってるって気付かなかったのかな。あんな風に言われて、傷付くのは先輩じゃなくて私なんだけど。一旦考えを中断させ、笑いかけてみる。


「大丈夫ですよ、何もありませんから」

「本当か? あのクソ下着泥棒に何も言われなかったか?」

「いえ、別に何も。あー、お腹空いた! 先輩、今日の晩ご飯、何にする予定ですか?」

「相変わらず誤魔しかたが下手くそだなぁ。よし、食いに行くか」

「えっ」

「またこの間みたいに、無茶する計画を立てていたら困るんだよ。奢ってやるから食いに行こうぜ」

「え、う、うーん、また今度でって言いたいんですけど……」


 ご飯食べに行ったら、絶対絶対、問い詰められちゃう。何としてでも阻止したい。だけど私、先輩に本気で頼まれたら断れないんだよね……。なんて言って断るべきか、視線だけで圧をかけてくる先輩から目を逸らし、暗くなったセンター前の広場を歩いていたら、急に現われた。お兄ちゃん!? なんでここに……。


 広場のぼんやりと明るい街灯に照らされ、金茶色の髪が光り輝いている。薄い青色の瞳が私を捉えるなり、ぱぁって、嬉しそうに見開かれた。白いスタンドカラーシャツの上に、ベージュのジャケットを軽やかに羽織った異母兄が、硬直する私のもとへ近付いてきた。


「フォオナ! 久しぶり~、お疲れ」

「おっ、お、お、久しぶり! なんでここにいるの!?」

「フィオナに会いたくて! 久々だなぁ、フィオナ成分を補給したいっ」

「ぐえっ!?」


 いきなり抱きつかれた。あ、相変わらず力が強い。お兄ちゃんに抱き締められるたび、自分がぬいぐるみになったような気持ちになる。突然、私の背中に回った腕が引き剥がされた。


「どなたですか? フィオナが苦しそうなのでやめてください」

「どなたって、俺は」

「わーわー!! と、友達です! 私の男友達です、紹介しますね! こっちは職場の先輩で」

「職場の先輩? ……ああ、フィオナ。犯罪課なんてやめるべきだ、危ないだろ?」

「いや、でも、楽しいし、やりがいがあるから」

「やりがい? 他にもあるだろう、やりがいがあって楽しい仕事なんていくらでも! 魔術師はどこへ行っても重宝されるんだから、わざわざ危ない仕事をする必要は無い。絶対に今の職場はやめた方がいい!」


 言うと思ったけど、先輩の前で騒いで欲しくない。異母兄妹ってバレたくないのに、どうしよう……。先輩の不機嫌さが限界に達していた。あ、この顔、犯人をボコボコにする三秒前だ。死ぬほど深いシワが眉間に刻まれてる。心なしか、夜風が冷たく感じた。リックが何も気にせず、私を後ろから抱き締める。


「急に何ですか? いきなり現われて、勝手なことばかり言って」

「……さては、フィオナのことが好きなんだな? もう悪い虫がついてる」

「おにっ、んんん!! リック、突拍子もないこと言うのやめてよ」

「だって、俺がフィオナを抱き締めてるだけでこの顔だぞ? 殺気を飛ばしてくる」

「大丈夫、元からこんな顔だから」

「ああ、まあ、トラの獣人だから……?」


 私を後ろから抱き締めつつ、怪訝そうな声で返事した。先輩がますます不機嫌そうな顔になる。すみませんでした、嘘です。先輩はもう少し優しい顔立ちなんだけど、今、凶悪な顔をしているから、普段はもっと優しい顔なんだよ~って、説明しても信じて貰えなさそう。ま、あとで謝ればいっか!


「ところで、何しに来たの? 返事がなかなかこないから、怒っているのかとてっきり」

「怒ってないよ!! 変な女につきまとわれていたから安全のために、連絡を絶っていたんだ。今回の相手は不法侵入して、合鍵を作って、魔術手帳をすみからすみまで見るタイプで……」

「えーっ、怖い! 大丈夫だった?」

「大丈夫、大丈夫。捕まったよ。可愛いフィオナに危害が及んだら、耐えられないから我慢していた。で? いつやめる? 続けてたら怪我しちゃうよ?」

「話を蒸し返さないでよ……」


 先輩がもう一度、割って入って引き剥がしてくれた。あ、ああ、お兄ちゃんだって説明したいけど、もう友達だって言っちゃったし。というか、ステラちゃんとの会話で一人っ子だって嘘吐いたから、先輩がそれを覚えていたら、かなり面倒なことになる。


 言いたくないよ~、私が資産家の隠し子だって。そこそこ有名な企業だし、また、噂を流されたら。軽蔑しきった目で見られたら……。なぜか、先輩が私をリックから引き離したあと、背中の後ろに隠した。


「ただの男友達なんですよね? それとも、以前付き合っていたとか?」

「違う、違う! 違うよ~。俺はフィオナの幼馴染でね。家族同然の存在なんだ」

「へえ。でも、仕事に口を出すのはどうかと。彼氏ですらないくせに」

「……危ないだろ? たかだか職場の先輩のくせに、人生に口を出すのはどうかと思う」


 火花が散ってる。わわわ、お兄ちゃんが余計なこと言いそうで怖い! ここは退散した方がいいかも。そうだ、お兄ちゃんに愚痴を聞いて貰おうっと。獣人への差別発言、職場の誰とも関わりがない人に愚痴った方がいいだろうし。後ろから出ようとしたら、先輩の腕に遮られた。それを見て、お兄ちゃんが震え上がる。


「やっぱりフィオナのことが好きなんだろ!? あーっ、もう、これだから獣人は!」

「ちょっと、差別発言やめてよ! それで今落ち込んでいるのに!」

「言い寄られて迷惑してるんだな!? おいで、フィオナ。一緒に帰ろう。俺が新しい仕事を紹介してやるから、明日にでも退職届を……」

「ご心配なく。フィオナのことは俺が付きっきりで守っているので」

「はあっ!?」

「私は先輩の可愛いヒヨコちゃんだからね、うんうん」

「……どうしても心配なら、俺がフィオナに安心安全な仕事を紹介しますよ。家族や親族が事業を手がけているので」


 おっ、自慢話をするの珍しいなぁ。自慢話かな? 事実か。えーっと、お姉さんがコスメ会社を経営してるんだっけ。お父さんも何かしてそう。詳しく聞いたことがないけど、先輩はお坊ちゃまなんだよね。お兄ちゃんが拳を握り締め、わなわなと震え始めた。めっちゃ睨んでる、先輩のこと。やめてよ……。


「なんて名前の会社だ? 言ってみろ!」

「わざわざ言う必要あります? 行こうぜ、フィオナ。こいつと喋ってたら転職させられるぞ」

「あ、え、えーっと……」

「フィオナー!! 俺と一緒に帰るよな!? ご飯でも食べに行こう!」


 お兄ちゃんか、先輩か、どっちにしたらいいの、これ。死ぬほど迷っちゃう。先輩を選んだら多分、今日何があったのか問い詰められる。ついでに魔術の勉強させられて、お兄ちゃんのことを根掘り葉掘り聞かれそう。お兄ちゃんを選んだら、絶対先輩について聞かれる。めちゃくちゃ転職を勧められる。


「ど、どっちとも帰りたくないかな……。一人で帰りたいです」

「そんな! わ、分かった! 今ならデパートがまだ開いてるから行こう。何でも好きなの買ってやるぞ!?」

「……俺についてくるのなら、腹筋を触らせてやろう」

「先輩と一緒に帰ります!!」

「卑怯だぞ、このトラ野郎! 今、小声でなんて言った!? 聞き取れなかったんだけど!」

「知るか。フィオナの意思を尊重しろ。負け犬は黙って帰れ!」


 腹筋を定期的に触らせて貰ってるの、黙っていた方が良いかも……。あとでメッセージを送ろう。ひたすら謝り倒して、あとで電話する約束をしてから、悔しそうなお兄ちゃんと別れる。先輩がご機嫌で尻尾を揺らしつつ、歩いていた。ご機嫌な時、トラ耳もぱたぱた動くのが可愛い。


「何を食いに行く? 合わせる」

「ちょ、ちょっとおしゃれな店に行きたいです! 魔術の勉強に不向きな店……」

「分かった、分かった。じゃあ、今日は無しで。それと、気にしなくてもいいぞ。ありがとう」

「えっ?」

「差別発言のこと。獣人だけじゃなくて、人間だって差別を受けるしなぁ。生きている限り、誰だって何かしらの差別を受ける。離婚しただけでぐだぐだ言ってくる人間もいるだろ?」

「な、なんで、どうして知ってるんですか!? 私の悩みを!」

「さっき言ってただろうが。無意識なのか、あれ」

「言ってました!?」

「言ってた、言ってた」


 先輩が肩に黒い本革バッグをかけながら、頷く。えー、言ってたっけ。どさくさにまぎれて言っちゃったのかも。嫌な思い、させちゃったかな。どうしよう、どうなんだろう。顔をちらっと見てみたら、ご機嫌な笑みを浮かべていた。わああっ、かっこいい。今日じっくり、顔面を舐め回すように見てなかったからか、刺激が強い。ずっと見ていないと、免疫が失われる。


「で? どこへ食いに行く?」

「あっ、駅前に全席個室のお店があるんですよ。でも、海が揺らぐカーテンで仕切られていて、容赦なく店員さんがカーテンを引いて入ってくるので、注文後、すぐに腹筋を触ってもいいですか?」

「目が怖いな……。肉あるのか、そこ」

「あります、あります! がっつり食事と酒を楽しむタイプのお店なので、女子会によく利用してました。ステーキが売りで四枚、あっという間に無くなっちゃうんですよ」

「へー、何人で行ったんだ?」

「三人で! 最後は譲り合いからの、奪い合いでした……」

「目に浮かぶ。フィオナらしいな」


 珍しく、先輩が声を上げて笑った。ご、ご機嫌ですね、今日! 言って良かったかも、差別発言のこと。店に入って、流れるように海柄のカーテンを閉め、青いソファーに腰かけた先輩のTシャツをめくったら、手首を掴んで止められた。


「おいおい、さっきと言ってることが違うぞ? 注文を済ませてからだろ?」

「忘れました!! 先輩が正気に戻る前に、さっさと早く、腹筋を触っておかないと!」

「約束は守るタイプだから、俺。離れろ、先に注文しようぜ。フィオナ? おーい」

「うっ、うう、ぐぐぐ……!!」

「力で俺に敵うと思うなよ。一旦離れなさい、落ち着け」

「はぁーい……」


 しぶしぶ、広めの青いソファーへ座り直したら、笑っていた。最後、女友達と奪い合いになったステーキとパスタ、サラダ、前菜の盛り合わせを頼んですぐ向き直れば、少しだけ呆れた表情を浮かべる。両手をわきわき動かしているのが、ちょっと嫌なのかも……。


「ほら、存分に触れ。血走った目をしやがって」

「ちっ、血走ってなんか! 今日はお仕事頑張ったから、疲れちゃっただけです!!」

「へー、嘘臭いな。丸分かりの嘘を吐くところが、フィオナの可愛いところだよな」

「褒められてる気がまったくしないんですけど……。あれ? 先輩、痩せました? 少しお腹のラインがこう、減って? くびれてますね」

「夏バテで少し体重が減った。分かるのかよ、怖……」

「怯えた顔しないでください! こんなの、先輩の腹筋を定期的に触ってる人だったら、すぐに分かりますよ」

「フィオナ以外にいないけどな、俺の腹筋を定期的に触ってるやつなんて」


 腹筋を触られているのに、嬉しそうに笑っていた。あれかな、トラの獣人だから、ひょっとして、お腹を触られるのが好きだったりして……。両手で丹念に腹筋の形を確かめていると、すっかり慣れた様子で水を飲み、くつろぎ始めた。私が言うのも何だけど、先輩はもう少し警戒した方がいいと思う。私を甘やかしすぎじゃない?


「フィオナってモテるんだな、知ってたけど」

「リックはただの男友達ですよ。脂肪が減って、ますます引き締まりましたね。お腹」

「ただの男友達じゃないだろ……。あの距離感は異常だ」

「昔からあんな感じですから。元々脂肪なんて無かったけど、あっ、筋肉の密度が高まった感じ!?」

「俺の腹筋について、いちいち感想言うのやめろ。気が散ってしょうがない」

「私の生きがいなんですけど!?」

「そうか、知らなかった……。生きがいか」


 先輩は優しいので、料理が運ばれてくるまでの間、ずっと触らせてくれた。途中で私の手を掴み、警戒しきった表情で「足音がする。飯の匂いがするから、多分運ばれてきた」って言うから、離れてみると、店員さんが勢いよく入ってきてびっくりした。所狭しと、湯気を立てた料理が並べられる。ボリューム満点のステーキとパスタを見て、先輩が嬉しそうに笑ってた。口の端がほんのちょっとだけ上がるんだよね、可愛い~。


「すごいですね、先輩! 耳が良いのって便利ですね~、いつでもこそこそ気軽に腹筋が触れる!」

「おい……。何だよ、こそこそ気軽にって。いいから食え、乾杯」

「あっ、はい!」

「酒じゃないけど。いいな、こういうのも。悪くない」


 今日、やっぱりご機嫌だ! 嬉しいなぁ。最近、私のせいで不機嫌な先輩しか見れなかったら、しみじみ嬉しい。小さくぱちぱちと泡が弾けるジンジャーエールを飲み、ステーキを豪快に食べてる先輩を見て、何となくこれでいいやと思った。今、人生で一番くつろいでるかも。楽しい!









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