表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔術犯罪防止課のトラ男と面食い後輩ちゃんの推しごと  作者: 桐城シロウ
三章 フィオナの過去と強力なライバル
65/78

3.吸血鬼が住むビルと過保護なトラ男

 





 ゆるやかな坂道を登っていくと、葉っぱとツタにまみれた低層ビルが現われる。周辺はさびれていて、古いマンションや飲食店が軒を連ねていた。ここ? なんか普通。もっと、おどろおどろしい感じのところだと思ってたんだけど……。ぽかんとしてる私を見て、先輩が「行くぞ」と言い、歩き出した。二、三段しかない低めの階段を上がって、ガラスのドアを押し開ける。


「待ってください、先輩。ここなんですか? 意外と普通ですね」

「期待は捨てろ。普通の人間とあまり変わらん」

「へ~……。血を吸うだけなんですか?」

「まともな吸血鬼はな。ごくまれに、人間をエサとしか思っていない吸血鬼がいる」

「ふーん、こ、怖い」

「そばから離れるなよ。まあ、大丈夫だろうけど。今、やつらの活動時間じゃないからなぁ」

「えっ!? 確かに……。昼間ですよね、今。大丈夫なんですか?」


 先輩が私の言葉を聞いて笑った。一階はバーになってる。黒いカーテンがかけられていて、中は見えない。何も言わずに進んで、奥にある、エレベーターのボタンを押して待つ。へー、屋上があるんだ。二階は法律事務所で、三階と四階は住居部分、なのかな? 何も書いてない。


 赤茶色のレンガと黒い石の床で出来ているからか、空気がひんやりしてる。振り返ってみれば、眩しいほどの陽射しが降り注いでいた。なのに、ビルの中は薄暗くて冷たい。先輩が口が開くのと同時に、音が鳴って、エレベーターの到着を知らせる。


「叩き起こすから大丈夫だ。先に入れ」

「たっ……」

「そうでもしないと喋れない。大丈夫だ、前に一度してる」

「ええっ!? だめでしょ、先輩! それはだめでしょ!!」


 狭いエレベーターに乗ってすぐ、先輩が笑い出した。え、そんなに笑う? 距離が近い、かっこいい。筋肉質だからか、エレベーターの中にみっちり詰まってる感じ。壁にもたれて、長い足を組んでるところがまたかっこいい……!!


「立ち姿も様になりますよね、先輩って」

「着いたぞ、降りろ」

「はーい……。地下に住んでるわけじゃないんだ、意外」

「それ、本人には言うなよ。眺めが気に入って、ここに住んでるんだから」

「えっ!? じめっとした地下を好んで、住んでるイメージがあるのに!?」

「吸血鬼あるあるらしい。勝手なイメージ押し付けられるの」

「うっ、気を、気を付けます……」


 先輩がすぐ近くにあった部屋のインターホンを、何のためらいもなく押した。ブーッて、古臭い音が鳴る。待って、心の準備がまだ出来てないのに! ところどころはがれ落ちている青いペンキ色のドアに、散乱したチラシ。枯れかけの鉢植えが、ドアの横に置いてあった。古いマンションっぽいな、ここ。押しても出てこないから、先輩が無言でもう一度押した。……出てこない。


「いないんじゃ……? それか寝てる?」

「寝てるんだろうな。よし、開いたぞ」

「えっ!?」

「知り合いだから大丈夫だ」

「ふほっ、不法侵入!?」


 どうやって開けたのか分からないけど、申し訳程度にノックしてから、ドアを開けた。いっ、いいのかな!? てか、先輩ってここまで強引な人だっけ……? 礼儀正しくて真面目な人だと思ってたんだけど。言いようのないモヤモヤを抱えながらも、先輩に続いて入ってみる。


 カビ臭かった。うんうん、吸血鬼ってこんな感じだよね! 薄暗くて辺りがよく見えない。玄関には長靴とブーツが置いてあって、うっかり踏んづけそうになった。ザー、ザーッて、水が流れているような音が聞こえてくる。先輩がフローリングを軋ませながら歩いて、近くにあったドアノブを回し、一気に開けた。


「どうするんですか? もしもシャワーに入ってたら!」

「いや、蛇口が開けっ放しになってるだけだ。横着するやつなんだよ、あいつ」

「へ~……。だらしない性格なんですね」


 先輩が手を伸ばして、きゅっと蛇口を閉める。何日も洗ってなさそうなタオルに、赤い汚れがこびりついている便器。奥にバスタブが置いてあった。深めのグリーンと白いタイル床には、何十本もあるトイレットペーパーの芯、シャンプーボトルと石けんが転がってる。おまけに、大量の洗濯物が積み重なっていた。うわぁ、き、汚い。


「いかにも、一人暮らしをしてる男性の部屋って感じですね……」

「そうか? 汚すぎるだろ。俺はもうちょい綺麗にしてるぞ」

「え~、本当にですか? じゃあ、服を脱ぎっぱなしにしたりとか」

「しない。服はいつもWICに吊るしてあるから」

「へ、へ~。吊るし、へえ……」


 私は脱ぎっぱなしにしてるけど。やばい、帰ったら片付けよう。先輩は案外、きちんと整理整頓するタイプだよね。知ってる。先輩が何も気に留めず、さっさとバスルームから出た。慌ててついて行けば、リビングへ通じるドアを開けて、真っ暗なのを確認してから、急に振り返る。


「やっぱり寝室だ。行くぞ」

「はい! いるんですかね? 留守という可能性も、」

「一応見てみる。俺の後ろにいろよ」

「はい、分かりました」


 先輩、気が立ってる? 尻尾がゆっくりと左右に揺れていた。まるで、獲物を狙ってるトラみたい……。怖い吸血鬼なのかな~、嫌だな~。おそるおそる、ついて行く。


 先輩が何のためらいもなく、寝室へ通じるドアを開けた。誰かのいびきが聞こえてくる。めっちゃ暗い! 何これ、光に弱いから? 見えないよ。遮光カーテン、窓にかかってる? 先輩は夜目が効くみたいで、すたすたと歩いて近付き、乱暴に揺さぶった。


「おい! おい、起きろ! 朝じゃないから起きられるだろ、お前!」

「んっ? んんん……」

「せ、先輩、もうちょっと優しく、もうちょっと優しく!!」


 くぐもったうめき声が上がる。見ていて不安になるぐらい、揺さぶってる。音で分かった。ハラハラしながら見守っていると、ベッドの上の住人が起き上がる。ちょっと慣れてきたかも、目が。一人掛けの椅子と小さなテーブルの上に、薬とペットボトル、脱ぎ捨てた服が置いてある。予想してたけど、この部屋も汚い。床にもペットボトルが並んでいた。


(血? そんなわけないよね、多分……)


 よーくよく見てみると、赤い液体がペットボトルの底にこびりついている。興味を引かれて近付いたら、男性が大きなあくびをした。


「ヒュー? ……鍵、かけてなかったっけ? 俺」

「おう、開いてた。久しぶりだな、クリフ。悪い、勝手に入ってしまって」

「いいよ、事件なんだろ? どうせ……」


 先輩、さらっと嘘吐いた!! ええええっ、いいの? 黙ってるべきなんだろうけど、これ、でも。私が混乱していると、おもむろに先輩が振り返る。


「外で待っててくれ、フィオナ。詳しい話を聞いたら、すぐに行くから」

「えっ? 先輩、私も」

「女? 女の匂いがする……だっ!? うわ、いてぇな」

「血を吸ったら、殺すから覚悟しとけよ」

「冗談に聞こえないんだけど……? 女連れで仕事か? あのヒューが?」

「違う、バディだ。最近新しく入った」

「一緒だろ。ふあぁ~あ……」


 ど、どうしよう、出た方がいいのかな? でも、私だって詳しく話を聞きたい。いつまでも先輩に任せていたらだめだし、ちゃんと仕事を覚えていきたいのに。先輩は深く考えていないんだろうなぁ。私を危険から遠ざけたいって、そればっかり! 嬉しいけど、こういうのありがた迷惑って言うのかな。ためらっていたら、先輩が早く外に出ろって、ドアを顎で示した。


「心配しなくても、急に襲ったりなんかしないって。何歳?」

「……最近、都内で吸血鬼に襲われた女性がいる。何か知らないか?」

「年齢を聞くぐらい、別にいいだろ? 教えてくれよ。フィオナちゃんだっけ? 何歳? 吸血鬼に興味はある?」


 な、なんでしつこく年齢を聞いてくるの!? でも、吸血鬼に興味はある。すぐに襲ってこないみたいだし、話を聞きたいし、ちょっとだけなら近付いても……。私が部屋に入ったとたん、先輩がクリフさんの胸ぐらを掴んだ。うわっ、うわぁーっ!!


「いい加減にしろよ、クリフ。やめろって言ってるだろ?」

「……いいや? 一度も言ってないね、そんなこと。聞いちゃいないぞ」

「……」

「分かった、分かった!! 悪かったからやめろ。もぉ~、優しくしてくれよ。吸血鬼だって怖いんだぜ? 死なないだけだ、俺達は」

「脳みそを取り出して放置されたくなきゃ、フィオナには手を出すなよ。いいな?」

「はいはい、恋人? ヒューがこんなに殺気立ってるの、初めて見た。いつも淡々と仕事してるくせにな」

「淡々と!? 先輩が!?」


 想像がつかない。いつも暴力的というか、感情的になって動いてるんだけど。ぎりぎりのところで踏みとどまって、冷静になって、事件を片付けている。そりゃ、淡々としてる時もあるけどさ……。不思議に思って首を傾げたら、クリフさんが低く笑った。


「意外だったか? フィオナちゃん。いつもこいつはどんな感じなんだ?」

「話しかけるなよ」

「……話しかけるのもだめなのか? へえ」

「余計なことを話さず、俺が知りたい情報だけ話せ。最近、自慢してるやつは? シェアしてるやつは?」

「いないな。でも、最近引っ越してきた怪しいやつがいる。まあ、俺の偏見かもしれないがね」


 シェア? 何の話だろ。先輩が軽く、私のことを睨みつけてきた。まっ、負けない、動かないもん! 心配なのは分かるけどさ、話が聞きたいから……。無言の圧力に押し潰されそうになりながらも、洗濯物を避けて、ベッドのそばへ行く。口笛を吹いた。あ、汗臭い! すえた匂いが漂ってくる。


「フィオナ!」

「先輩は過保護すぎます! 大丈夫ですって。襲われたら、アヒルちゃんで攻撃してやりますから」

「アヒルちゃん? ……不穏な単語だな、どうしてだろう」

「シェアって何ですか? 何も分からなくて、すみません。教えてください」

「フィオナ、頼むから出てくれ」

「だっ、大丈夫だって言ってるのに……!!」


 先輩が私の肩を掴んできた。無理やり部屋の外へ出そうとしてる。手を払いのけて、踏ん張ったら、何も言わなくなった。静かになった先輩を見て、もう一度、クリフさんが笑う。暗くてよく見えないけど、多分イケメン。声が良い! 


「気が強い。さすがはヒューのバディだ、ぴったりだな」

「お前……」

「シェアってのはな、簡単に言うとだ。獲物を分け与えるっつうことだ」

「分け与える?」

「ちょっと待ってくれよ、寝起きで頭が上手く働かないから……。ああ、普通は金を払って、血を吸うんだ。まれに、外で狩ってきた獲物を共有する。みんながみんな、金を持ってるわけじゃない。貧乏な吸血鬼は人を襲って、飢えをしのぐしかないんだよ」


 衝撃的な発言だった。お金で血を、だから、吸われてもいいって思う人が出てくるんだ……。そんな話、先輩から聞かなかった。焦って振り返れば、顔を背けて、素知らぬふりをする。なんで? たまに子どもっぽいことするよね、先輩って。クリフさんもそんな様子を見て、笑いを噛み殺している。


「じゃ、じゃあ、シェアって、女性を襲ってみんなで血を吸うんですか!?」

「おっと、改めて聞かれるとくるものがあるな……。そうだ。俺も以前はしていた」

「ちょっと待ってください。一人の女性を、自分だけちゅうちゅう吸った方がいいでしょ!? どうしてシェアするんですか?」

「気になるところってそこか? もういい、フィオナ! 出ろ。こいつは犯罪者なんだ、危険だから出ろ! 今すぐ」

「面白いバディがいるね。早く教えてくれたら良かったのに」


 一瞬だけ、暗闇の中で目が赤く光った。き、気のせい? でも、確かに光った、今……。怖くなって後退れば、苦笑する。先輩が「ほらな、怖いだろ?」って言いつつ、私の背中を押した。お、追い出されちゃいそう。


「まっ、待ってください、気になるから……!! どうしてシェアするんですか?」

「君ら人間と違って寿命が長い。だからだよ。金が足りなくなってくるし、()()()()吸血鬼に部屋を貸してくれる人間なんざいない。手を取り合って生きていくしかないんだ。うんざりさせられるけどね」

「手を?」

「そう。良さそげな獲物……若い女でも、若い男でもいい。とにかく、うまそうな獲物が手に入ったら、みんなで分け合うんだ。で、困った時に助け合う。より多く、人間の血を提供出来たやつが勝ちってわけさ。あーあ、眠たい」


 ペラペラとよく喋るなぁ、この人。呆気に取られていたら、おもむろにスリッパを履いて立ち上がる。先輩が警戒して、私を背中の後ろに隠した。み、見えない。どんな顔をしてるのか、一度でいいから見てみたいのに!


「そんなに警戒しなくてもいいだろ? なぁ、ヒュー。隠したいほど、大事なものなら連れて来ちゃだめだ」

「……俺が何のために、昼間押しかけたと思う?」


 えっ、夜動くのが嫌だからでしょ? 言う前に、先輩が素早い動きで窓際へ移動して、ざっと遮光カーテンを開けた。うわぁっと悲痛な叫び声が上がり、慌ててベッドに潜り込む。散らかった部屋の中で、先輩が得意げな顔をしていた。


「どうだ? これでもう、余計な口がきけなくなっただろ?」

「せっ、先輩! 悪い顔してる先輩も好き!! 写真撮ってもいいですか!?」

「だめだ。部屋の外へ出ろ。こいつ、一応陽射しの中でも歩けるんだよ」

「歩けるもんか! そこまで元気じゃない……。俺が悪かったから、カーテンを閉めてくれ。余計な口をきかないとも、ああ、約束する」


 振り返ってみたら、タオルケットに包まってて笑っちゃった。さっきとは別人。丸くなったクリフさんをぽんぽん叩き、笑っていると、苦虫を噛み潰したような表情の先輩が戻ってくる。


「いいから、早く外に出ろって! すぐ済むから」

「ヒュー? やめておいた方がいいぜ。時たま、俺の友達が遊びに来るんだ」

「……昼間だろ? この部屋にいるより、断然良い」

「私なら大丈夫ですから! カーテン、閉めますね~」

「ありがたい……」


 人間の声じゃないような気がした。元人間だっけ、吸血鬼って。忘れちゃった。ちゃんと勉強しておけば良かった。悔やみつつ、分厚い遮光カーテンを引っ張る。黒とブラウンのチェック柄だった。眩しい陽射しを遮り、たちまち暗くなる。色んなものを踏まないようにして戻ったら、クリフさんが乱暴にタオルケットをはねのけ、溜め息を吐いた。


「悪かった、謝るよ。そう殺気を飛ばさないでくれ、怖いから」

「……絶対に怖くないだろうが」

「ヒューがここまで愉快な人間だと思ってなかった。お嬢さん、ありがとう。楽しませてくれて」

「いえ! あとで窓際に立って顔を見せてくれたら、それでいいですよ!」

「俺に死ねと? ちょっと陽射しを浴びたぐらいで、叫んでしまうのに?」

「気にしないでくれ。あ~……フィオナは人の顔面に執着してるんだ」

「先輩、ひどい!! その説明だと私、変な人になっちゃう!」

「事実だろうが。大人しくしてろよ」


 苛立ってるけど、許して貰えたー! やった。これで話が聞ける。うきうきしてる私を見つめ、クリフさんが笑う。も、もう少しで顔が見れそうなんだけど、見えない。しげしげと眺めていたら、手が現われて、私とクリフさんを引き離した。先輩、心配しなくても、イケメンを見て騒いだりしませんよ……。


「で? 怪しいやつって? 聞かせろ」

「俺達に関わろうとしない。匂いで分かるってのに、無視しやがる」

「……夜、すれ違っても無視するのか」

「そうだ。一度、バーに顔を出した。俺の友達と喧嘩して、それっきり来ない」

「どの辺りに住んでるか分かるか?」

「いいや? 詳しくは知らない。でも、話によると普通のマンションに住んでるらしい。血が吸い放題だって言ってた。自慢げに言ってたから、よく覚えてるよ。人間の女と付き合ってるって」


 溜め息を吐き、先輩に「歯を磨いてくる」と伝え、部屋から出て行った。半開きになったドアを見つめてから、先輩が私に向き直る。


「廊下で待っててくれ、頼む」

「……先輩のバディは私ですよね?」

「そうだけど、気になるんだよ。いまいち信用ならないやつだから」

「二言目には私を追い出そうとして! こんなこと続けてたら、つ、続けてたら……」

「続けていたら? なんだ? 言ってみろ、フィオナ」

「っせ、先輩と口聞かなくなりますよ、いいんですか!? 無視しちゃいますよ!? これから毎日!」


 先輩が黙りこんだ。あれ、意外。てっきり、笑いながら「そんなことか」って言うと思ったのに……。先輩を見上げていたら、顔を背け、ドアへ足を向けた。


「分かった。そこまで言うのなら仕方ない。ただし、危なくなったら出ろよ。廊下に立っとけ」

「嫌だ~……。心配しすぎですよ、もう!」


 寝室を出て、リビングに入る。先輩がキッチンのライトを点けて、勝手にお湯を沸かし始めた。い、いいのかなぁ、怒るんじゃ? ソファーに座っとけって言われたけど、汚くて座りたくない。洗濯物だらけで虫が湧いてそう。立ったまま、リビングを見渡してみる。


 壁は普通の白い壁。擦りきれた黒いラグの上には、本が積んであった。本の合間にゴミが詰まってる感じ。でも、寝室よりましかな。一応、足の踏み場があるし。カーテンで覆われた窓際に、観葉植物が置いてあるのを発見する。……植物、好きなのかな。辺りを見回してると、ふいにドアが開いた。


「お疲れ~。俺にもコーヒー、一杯くれ」

「紅茶にする予定だから」

「紅茶なんてあったか? うちに」

「幸いにもあった。しかも、賞味期限が切れていない」

「賞味期限が切れてないコーヒーもあるぞ、よろしく!」

「フィオナはコーヒーよりも紅茶が好きなんだ。よって、紅茶にする」

「あ~、そ~……。家主なんだけどいいよ、もう。はいはい」


 いいんだ、勝手にお湯沸かしてても気にならないんだ……。ひょっとして、わりと仲良し? 先輩の男友達に会うのって、初めてかも。どことなくリラックスしてる。突っ立っていたら、クリフさんが通りすがりにじろじろと見てきて、何も言わず、ダイニングテーブルの食器を片付け始めた。


 手伝わなきゃ。キッチンに立っている先輩が視線で「いいか? 何もするなよ、近付くなよ」って伝えてきたけど、無視する。だって、きりがないんだもん。暇だし、手伝おうっと。


「手伝いますよ」

「ありがとう。でも、いいや。ヒューに睨まれたくないんでね」

「こ、これぐらいで何か言ったりする人じゃありませんから……」

「お嬢さんにとっては、そうなんだろうな」

「あの、お嬢さんって? 子どもじゃないし、ちゃんと呼んでください。フィオナ・ハートリーっていいます」

「気付かなかったのか? あいつ、お嬢さんのことを名前で呼ぶたび、ここがぴくぴくするんだぜ、ここが。おかしいだろ?」


 笑いながら、指で眉間を叩いた。青みがかった黒髪に、赤い瞳。真ん中が黒い? どうなってるんだろう……。皮肉めいた笑みが似合いそうな顔立ち。顎が尖っていて細い。華奢と言ってもいいぐらいの細さなのに、ひ弱そうだとは思えない。むしろ、怖い。得体が知れない感じ。目が離せなくなった。キーンって耳鳴りがする。ゆっくりと静かに、クリフさんが笑みを浮かべた。


「良い匂いがする。健康的な」

「っわ!?」


 先輩が、クリフさんを掴んで引きはがした。袖をめくって、半開きになった口へ手首を突っ込む。えっ!? なん、ああ、そっか、なるほど……。自分の手首を強引にくわえさせていた。先輩の手首を軽く噛みながら、赤い瞳を見開いている。


「腹が減っているのなら俺の血でも吸え。いいな?」

「えっ、羨ましい!」

「フィオナ……」

「私が吸血鬼だったら、土下座でも何でもして先輩の血を吸わせてください、お願いしますって頼み込みますよ!」

「っふ、ぶ、くくく……!! 吸わせてやったらどうだ? 腹は減ってないよ、まだ」

「フィオナに襲いかかったら、全身の骨を折って放置してやる。絶対に」

「分かった、分かった。ケトルがお前のことを呼んでるぞ、ヒュー。行ってやれ」

「くそ!」


 お湯が沸騰して、あふれ出した音が聞こえてくる。ほっと胸を撫で下ろせば、クリフさんが面白がるような笑みを浮かべた。


「血を吸わなくても殺されるだろうな。ちょっと頭を撫でただけで、指を、いいや、腕をへし折られちまいそうだ……」


 汚れた食器を重ねて、キッチンへ持って行った。先輩の隣に立って「なぁ、これも洗ってくれないか?」と頼む。いやいや、先輩がそんなことするわけないでしょって言えなかった。どうしよう? どうしたらいいんだろう。あまりにも過保護で、どうすればいいのかまったく分からない。嬉しいんだけどね!? 嬉しいんだけど、なんだか複雑な気持ちになった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ