22.私達、友達だよね……?
うきうき気分がずっと続いていて、にやけが止まらない。先輩のすね毛写真、撮れて良かったー! 一瞬だめかと思ったけど、先輩、なんだかんだいって優しい。強面だから誤解されがちなんだけど、けっこう優しくて穏やかなんだよね……。アパートのドアノブを握って、外に出ようとした瞬間、ジリリリンと嫌な音が鳴り響いた。
おっとー? これは、アンソニーお兄様からの電話だ。私が古臭くて、威圧感がある音だからって理由で、この音に設定してるって聞いたら怒り出すんだろうなぁ。絶対に言わない。しぶしぶ、肩にかけたグレーのトートバッグに手を突っ込んで、魔術手帳を開く。あー、憂鬱だなぁ。遅れたくないから、「もしもし?」と言いながら、ドアを押し開ける。
「もしもし? 今、喋れるか? 喋れるだろ?」
「まあ、はい。たった今、家を出たところなので……。どうしましたか?」
「どうしましたかじゃないだろ、まったく。返信ぐらいしなさい、それでも社会人か」
「あー、んー、すみません、忙しかったもので。それで? 用件は? 何でしょう?」
「決まってる。お前に職と家庭教師を斡旋する代わりに、定期的に会う約束をしていただろう。忘れていたとは言わせない」
「う、うん、はい。でも、会う意味ってありますかねえ。ちゃんと上手くやっていますよ?」
古びたアパートの階段を降りながら話せば、溜め息を吐いた。え~……会って話さなきゃいけないの? 電話でよくない? 本当に、アンソニーさんは私のことを支配したがってるというか、何というか。うん、はっきりいってストレス。
そう心配しなくても、お兄様の立派な経歴に傷をつけたりしないのに。それともあれ? 私、そんなにやらかしそうなタイプに見える? 心配いらないんだけどなぁ、上手くやってるから。たっぷり十五秒ほど経ったのち、ようやく話し出した。遅い。
「……会う意味がどうとか、そういうことは今、関係ないだろ? 違うか?」
「はあ。それじゃあ、会いましょうか」
「じゃあってなんだ、じゃあって。そんなに俺と会うのが嫌か?」
「ははは、嫌というわけじゃ……。ただ、私も休みの日は彼氏と会ったりしたいなぁって」
ということにしておこう。アンソニーお兄様は忙しいし、ほぼほぼ休み重ならないし、これで何とか……。希望はあっさり打ち砕かれた。急に面倒臭いことを言い出した。
「彼氏だって? どれぐらい付き合ってるんだ? 変な男に引っかかってないだろうな? フィオナ」
「えー、引っかかってませんよ! そこまで見る目、」
「本当か? だったら連れてこい、会わせろ」
「嫌です。口を出されたくないので……」
め、面倒臭い! せっかく楽しい気分に浸ってたのに、これじゃ台無しだよ。あ~、面倒臭い。会わせろと騒ぐお兄様を何とか説得して、魔術手帳を閉じる。良かった、今日の晩に会うって約束したら黙ってくれて。……暇なの? 奥さんが妊娠中なんだから、大人しく家にいたらいいのに。
子どもだっているのに、私と会うって。よっぽど、私に文句が言いたいんだろうなぁ。あーあ、憂鬱! 血の色を連想させる深紅色の制服に着替えて、部署のドアを開けた瞬間、ちょうど出ようとしていた先輩と目が合った。少しだけびっくりして、トラ耳がへにょっと後ろを向く。
「先輩!! おはようございます!」
「ああ、おはよう。朝からテンション高いな……」
「へっへー、先輩の顔を見たら、嫌な気分が一気に吹き飛びました!」
「嫌なことって? 何かあったのか」
私の横を通り過ぎようとしていた先輩が足を止め、振り返る。朝陽に照らされ、銀色に染まった瞳が鋭くなった。んっ、んん~、言えない! まさか、腹違いの兄がぐだぐだ言ってきて嫌だけど、今日の晩ご飯一緒に食べることになったんですよ~、憂鬱です、なんて言えない。
もう、あれこれ詮索されるのは嫌だから。面倒臭いから。自分が父親の浮気の末に生まれた子どもなんだなって思うと、吐き気がする。別に私が悪いわけじゃないんだけどね。緊張しちゃって、両手を硬く握り締めていると、先輩の視線が私の手元に移った。
「な、何でもないです! 別に、大したことじゃないので……」
「ふぅん。ま、いいけど。フィオナって意外と秘密主義だよな。仲良い友達にも言わなさそう」
「ん~、どうしても私のことが心配で、教えて欲しいって言われたら教えますけど?」
「……なるほど、そうか。でも、俺には言わないんだろうな」
心なしか落ち込んだ様子で、尻尾を左右に揺らしながら出て行った。えーっ、先輩、ひょっとしてがっかりちゃってる!? やだ、どうしよう。落ち込んでる表情が撮りたい。暖炉の前でグレーのざっくりしたケーブル編みニットを着て、物憂げな表情を浮かべて欲しい。着替えてるシーンが撮りたい。
別に裸が撮りたいわけじゃなくて、インナーの上からニット、そう、黒いタートルネックや白シャツに着替えている姿を撮りたいだけで、下心があるわけじゃないから。やましい気持ちなんて、これっぽっちもないからセーフ!
そうだ、海辺のコテージで撮るのも素敵だよね。妄想が止まらない。一瞬だけ、脳裏に海辺のコテージ(砂浜が見える)のウッドデッキにて、剥げかけた白いペンキの手すりを掴み、先輩が笑ってる光景が浮かんだ。もちろん、程よくゆるっとしたブルーのシャツを着てる。あっ、色男っぽく、濃いピンク色のシャツでもいいかも? 胸元は開いていれば開いているほど、良し!! あ~、ずっと眺めて写真を撮っていたい。妄想に浸っていたら、ステラちゃんが話しかけてきた。
「おっはよー、フィオナちゃん! 大丈夫? 何かあった? でも、すっかり消し飛んじゃってる顔してるけど」
「おはよう、ステラちゃん。今日も可愛いね……。あのさ、私、コテージが買いたい」
「どうしちゃったの? 急に」
「海辺のコテージに行って、好きなだけ先輩が撮りたい~!! あっ、そうだ。写真撮ってきたからあとで見せるね~」
笑顔で見下ろしたら、にんまりと猫のような微笑みを浮かべる。おおう、ちょっと怪しい気配。これは付き合ったらいいじゃん攻撃がきちゃうかな? 案の定、私の肩に手を回してきた。がくんと体勢が崩れる。
「もう付き合っちゃえばいいじゃんー! 付き合ったら旅行にも行けて、写真撮り放題だよ?」
「えー、でも、先輩に私と付き合う気なんてないしなぁ……。そうだ、今日のお昼ご飯、一緒に食べない? 話したいなー、ステラちゃんといっぱい!」
「分かった、話そ、話そ! デートがどんな感じだったのか聞きたいしね~」
「ええええ……甘酸っぱい雰囲気にちっともならなくて、私がひたすら騒いでた話しか出来ないんだけど、大丈夫? あと、写真撮りまくってた」
「いつもと一緒じゃん。可哀相、あいつ。ふっ、ぷぷぷ」
「面白がってるよね!? 絶対。ステラちゃん、謎~……。先輩と私をくっつけたいのか、からかいたいのか、一体どっちなの?」
「どっちも~! ほら、一粒で二度美味しいチョコみたいな?」
「よく分かった、その説明で!! 完全に娯楽扱いだね」
「ふふふふ、いまさらでしょ。そんなの」
ステラちゃんが口元に手を添えて、おかしそうに笑う。きっと、先輩と私をからかって遊ぶのが趣味になってるんだろうな……。先輩、気の毒。もしも万が一、私と付き合ったらすごい絡み方しそう。結婚式なんかしたらって、いやいや、危険、危険だからやめておこう。考えないようにしようっと。
メモ機能付きのブレスレット、気に入ってくれたかな~。何となくだけど、先輩はスーパーでカートを押しながら、メモを見てそうなんだよね。意外と家庭的というか、堅実に暮らしてる。多分。見たことないから分かんないけど。さ、気を取り直してお仕事、お仕事! 自分の頬をぱんっと両手で叩けば、ちょっと気分がすっきりした。今日は天気が良くて爽やかだし、過ごしやすそう。
「困るんですよ、どうでもいいことでぐだぐだぐだぐだ言われたら」
「どうでもいいって!? お前、それでも魔術師か!?」
隣の家に大木の枝が張り出しているのに、思い出の木だからと言って、頑なに切ろうとしないおじいちゃんがキーキーとわめき出した。これ、説得出来るの? 落葉樹だから、ばっさばっさと葉っぱが庭に落ちる。事の発端は去年の冬、掃除が大変だったから、庭に侵入している枝だけ切り落としてくれって言ったのに、面倒臭そうなおじいちゃんが断固拒否した。
あんまりにも怒るので、説得を諦めたけど、やっぱり秋が来る前に剪定して欲しい。私達に相談してきた若い奥さんが、庭に面した窓から心配そうな様子で、そっとうかがっていた。この大木と隣の家のリビングは近くて、茂った枝葉が陽射しを遮っている。この窓から綺麗に整えた芝生がはらはらと、枯れた落ち葉で汚されていくのを見るのが、苦痛で苦痛で仕方ないって、弱り切った姿で言ってたから、まあ、うん。奥さんが神経質で、おじいちゃんがそれに過剰反応しちゃってる感じ。想像するだけで、気が滅入る。
先輩は頑なに大木の幹をステッキで叩いて、「これはな!? ばあさんが気に入ってた木なんだ!!」とわめき散らすおじいちゃんに死ぬっほどイライラしてて、腕を組んでいた。尻尾が苛立たしげに揺れ、耳もそれに合わせて、ひくついている。
めちゃくちゃ怖いんですけど! おじいちゃん、よく平気でいられるな~……。この世代の人達って、獣人は野蛮な新興国からきた侵略者だって思ってるから、それでなのかも? 先輩が重心を片足へ移動させ、きつく腕を組み直した。そろそろ爆発しそう。
「と言いますと? 俺達は最初から魔術で枝を払い落として、後片付けもしますよって、何度も何度も言っていますが?」
「これだから獣人はバカで嫌だ! 野獣脳みそめ! 頭に毛でも詰まってんのか? ああ!?」
「……ですから、何度も言っている通りです。お隣の迷惑になるので、張り出している枝だけ剪定させてください。何も伐採しろとは言っていません」
「ちょっと考えたら分かるだろうが、バカめ! いいか!? お前がこの木を引っこ抜いて、庭の片隅に植え直したらいいだけの話だろうが!」
「なるほど、分かりました」
「これだから獣人は飲み込みが悪くて嫌になる……。さっさと、言う通りにしていればいいものを」
うわ~、無理~。でも、このおじいちゃんの目つきがいかにも悪くて、痩せていて、背中が曲がっているからか、むかつくというよりも、気の毒な人だな~という印象。奥さんに先立たれて寂しいのかもしれない。思い出の木にしがみついて、わめき散らすのがストレス解消になってる気の毒なおじいちゃんなんだし、若い奥さんのイメージを悪くしないためにも、ここはぐっと我慢、我慢。
私達のせいで、隣の奥さんが逆恨みされるようなことにならないよう────……。先輩はとっくに我慢の限界を迎えてたっぽくて、大木に歩み寄るなり、魔術でチェーンソーを出した。えっぐ!! こんなに近くで見たの初めてかも、チェーンソー。市販のものと違うのか、ヴオァイィンってすさまじい音を立てている。
「いちいち、そんな面倒臭いことしてられるか!! 切ってやる! 俺が大人しくしてたら調子に乗りやがって! クソが!」
「わああっ!? おい、話が違うぞ! やめろ、やめろって、なぁ!?」
「うるせえ! 黙れ、クソジジイ!! てめえの思い出の木なんぞ、叩き切ってやる!」
「せ、先輩! 落ち着いて、ちょっと落ち着いて……!!」
や、優しいんだけど、普段は。強面だけど、暴走しちゃう時もあるけど! 結局、半泣きで謝ってきたから、余分に枝を切り落とすことで溜飲を下げていた。立ち去る前に、隣人を脅したり、嫌がらせをしたら問答無用で刑務所にぶちこむぞ、老後を刑務所で過ごしたくなかったら、大人しくしみったれた木でも眺めて暮らせと、低い声で真っ青のおじいちゃんを脅していた。先輩、さすがにやりすぎなんじゃ……。
でも、事件に発展させないために必要かも。無言で必死に頷いていたおじいちゃんを見て、そう思った。そそくさと庭を出て、報告しに行く。隣の奥さんは泣いて喜んでくれた。胸いっぱいに息を吸い込んで、「ああ、これでやっと完璧な庭が作れる!」って言い放った奥さんを見て、ぞっとしたのは私だけじゃないらしく、先輩も微妙な顔をしていた。トラ耳がびゃっと後ろになってて可愛い!!
「あ~、疲れた。今日の午前中は、パトロールと訪問だけで終わると思ってたんだけどなぁ」
「お疲れ様です、先輩。つ、次からは暴走しないでくださいね……? もっと抑えてくださいね!?」
「大丈夫大丈夫、演技だったから。でも、悪かったな、怖がらせて。これから一緒に昼飯でも食うか」
「あ、今日はステラちゃんと食べる約束してるんです」
「……じゃあ、俺も一緒に」
「すみません、今日は女の子とだけ食べたい気分なので! また午後に~」
「なんで立ち去ろうとしてるんだよ!? 俺も行くから、食堂に。センターで食う予定だから」
「あっ、それもそっか! すみません、てっきり外で食べるのかと」
ぶすーっと分かりやすく拗ねた先輩と一緒に、センターの食堂へ行く。食堂の出入り口で待っていたステラちゃんと合流したら、何事も無かったような顔をして「じゃあな。あとで」って言いつつ、席を確保しに行った。可愛い~! 先輩、ステラちゃんにからかわれたくなかったんだ……。そんな先輩の後ろ姿を見て、ステラちゃんがにやにやと笑う。
「それでー? どうだったの? 海辺デート!」
「早くない!? その話するの……。先に注文しようよ。あっ、先輩のすね毛写真持ってきたから、見て見て見て見て見てっ!!」
「うわぁ。……ポケットに入れてたの? アルバム」
「うん! 傷むと困るからね。だって、写真が折れたりしたら悲しいでしょ!? 先輩の貴重なすね毛写真が二十枚ほど入ったミニアルバムだよ。はい、どうぞ」
「え~? はい、どうぞって渡されても困るんですけど……。てかさ? フィオナちゃんが注文する前に、アルバム出してきたのが笑える! 話より先なんだ~?」
ステラちゃんが先輩のイメージカラーである、銀色がかったグレーのアルバムを受け取りながら、笑って頬をぷーっと膨らませる。当然じゃない!? それって! 料理を頼むより前に、先輩のすね毛写真が先でしょ!!
「うん。だって、すね毛写真撮れたら嬉しくない? 優しくしてくれたんだよ!? すね毛撮ってもいいぞって言ってくれたんだよ!? あの先輩がっ!」
「嬉しくなーい。人のすね毛に興味無いもん、私。ちなみに、あいつのすね毛にはもっと興味無い」
「先輩のすね毛って重要文化財だよね……。国に守られるべきだと思う」
「どうやって? あ、法律でそり落としたりするの禁止にするとか?」
「うん。政治家が先輩の脱毛を禁じて欲しい」
「っぶふふ!! フィオナちゃんってさ、変態的というか、やばい発言ばっかりするよね! 面白いなぁ~、もう」
楽しそうに笑いを堪えながら、ミニアルバムを開いて見てくれた。同じものがあと五冊ほど欲しい。あっ、先輩の顔用アルバムと腕用アルバムと、胸用アルバムと、足用アルバムでも作ろうかな。……殺人犯っぽくなるのは、一体どうして? 体の部位だけ、撮った写真を集めてアルバムにするのはやめておいた方がいいかなぁ~。悩む、悩んじゃう!!
「うわぁ~、フィオナちゃん得でしかない、あいつの気持ち悪いすね毛写真がいっぱい入った素敵なアルバムだね。いいと思うよ」
「でしょー!? ありがとう!!」
「……今のって、褒め言葉なんだ?」
「私にとってはね。見てくれてありがとう、ステラちゃん」
「どういたしまして~。はい、返すね、これ。あいつにはもう見せたの?」
「ええっ!? 恥ずかしいからしないよ、そんなこと……。も~、ステラちゃんってば! 私がそんなことすると思ってるの?」
軽く腕を叩いてみたら、我慢出来ずに大きく笑い出した。そんなに変なこと言ったかなぁ、私。明るくて爽やかなカフェカウンターっぽいレジに行って、注文する。私は適当にサラダとパン、ベーコンとトマトのパスタにした。
ステラちゃんは少し悩んでから、燻製した鴨肉とフルーツのサラダ、クリームソースとアスパラガスが添えられた白身魚、パン、チョコレートアイスを頼んでいた。お金持ちのお嬢様だから、迷うことなく高いメニューを選ぶ。ここ「食堂? 本当に?」って言いたくなるぐらい、高いメニューが並んでるんだよね……。都民向けに安いメニューも載せてるんだけど。
きわどい話がしたかったから、中庭に面した窓際の席じゃなくて、奥まったところにある三日月形のソファー席にした。おしゃれで気分が上がる。一瞬、ホテルのティーラウンジかな? って思うぐらいおしゃれ。白いテーブルへ料理を載せたトレイを置いて、ソファーに座るなり、ステラちゃんが真剣な表情になった。両手を組み、その上にシャープな顎を置く。
「それで? 本当に本当に、フィオナちゃんはあいつと進展してないの?」
「うん、ごめん! これから延々とくだらない話しか出来ないけど、大丈夫?」
「ふふふ、大丈夫に決まってるじゃ~ん。それが嫌なら、一緒にご飯食べよって誘われた時に断ってるよ」
「だ、だよね!? さすがステラちゃん、分かってるぅ!」
「さ、食べながら話そっか。最近、ゆっくりフィオナちゃんと喋れなくて寂しかった~!! 語ろうね、いっぱい!」
「うん、語ろうね! 延々とすね毛の話が出来そうで嬉しいよ、ステラちゃん。私達、友達だよね……?」
「あっ、ごめん。手加減して貰えると助かるなぁって、思ってて……」




