16.誘惑が多すぎる月夜市
結局、何も教えてくれなかった。私が「今のメッセージ、どこが悪かったと思う!?」って言ったら、静かな表情で「気が付いていないのなら、俺が何を言っても無駄だと思いますよ」と言われた。そんな遠い目で答えなくても……。先輩から返事がこない。よし、諦めよう! これが付き合ってる彼氏だったら気になるんだけど、好きじゃないし、彼氏じゃないし、気にならなーい。心が平穏で嬉しい。
「やっぱり、私ってまだまだ恋愛出来る状態じゃないんだなぁって、改めて気付かされたかも……。ひょっとして恋愛向いてないとか!?」
「それはどうかと」
「ダメ出し? 感想? どっち!?」
人でごった返す駅構内を歩きながら、アンドリュー君の腕を掴む。あっ、しまった。つい軽々しく掴んじゃった。どうしよう。アンドリュー君って昔からいる男友達みたいで、ついつい気が抜けちゃうんだよね……。さりげなく手を離そうとしたら、腕を差し出してきた。えっ、いいの? 大丈夫? 見上げてみると、正面を向いて歩きながら、苦々しい表情を浮かべる。
「いや、そういうわけじゃ……。フィオナさんが向いていないのなら、俺はどうなるんでしょうね」
「彼女作る気無いの?」
「……ありますよ。ただ、俺のことを好きだと言ってくれる女性なんて現れないので。現れたら嬉しいんですけどね」
「紹介しようか!? 女友達!」
「いらないです。ろくでもなさそうで嫌だ」
「ろくでもなっ……って、良い子なんだけどなぁ。年上と年下、どっちが好み?」
「フィオナさんの友達なら、どんな年齢の女性も嫌です」
「全否定された~、悲しい! 残念、残念」
笑いながら返せば、ちょっとだけ意外そうな表情になった。分かってるよ、本音じゃないってこと。余計なお世話だろうし、紹介するのはやめておこう。ごめん、良さそうな人がいたら紹介してって言われてるのに……。どんな前科にも怯まなさそうな子なのになぁ。改札を出て、住宅街へと向かう。月のオブジェは駅から徒歩十五分ぐらいのところにあって、開催している時は満月の形に、開催していない時は三日月の形になるそう。
周りには赤と黄色の花柄で彩られた家と、なんか前衛的なアートっぽい形の家が並んでいた。この街全体がおしゃれ。そんなちょっと理解出来ない、ビビットな色合いのおしゃれな住宅街に突如、見上げるほど高い階段が現れ、その上でこうこうと満月のオブジェが光り輝いていた。ラベンダーグレーの光を帯びた、雲のオブジェもくっついている。
「えーっ!? これ上るの!?」
「そうです。俺達も行きましょうか」
「はぁーい……。なんか珍しいものあるかなぁ。先輩をあっと驚かせるようなものある?」
「ありますよ、きっと。獣人専門店もありますから」
「へー、イケメンの店主さんとかいないかなぁ。獣人ってさ、色気があって筋肉ムキムキの人が多いよね!?」
「で、ですね……」
手すりに掴まって振り返ってみたら、ちょっとだけ引かれた。反省、反省。仕事で疲れた体に鞭を打って、ぜいぜい、はあはあと息を荒げながら、ひたすら上る。途中で踊り場があった。休憩しつつ、また上って、ようやく辿り着いた。私より先に辿り着いた人達が「おー」と言いながら、でこぼこが浮かんだ満月のオブジェに触れ、後ろへ回る。順番がきた、ドキドキする。
「フィオナさん、左回りですよ。気を付けて」
「しょ、正面から見て左だよね? わあ、光ってる……」
「そうです。このオブジェには触らなくても、触っても、どっちでも」
「でも、こういうのって何となく触っちゃうよねー! 綺麗」
淡くぼんやり発光している満月に触れてみると、ざらりとしていた。ちょっとだけ温かい。慎重に足を進めて、後ろへ回る。一瞬だけ、頬に冷たい風が当たった。ミスト!? 嫌なんだけど、濡れるの……。思わず目をつむってしまう。おそるおそる目を開けてみれば、ラベンダーグレーの雲がふわっと浮かんでいた。びっくりしている内に掻き消え、突然、人でごった返す月夜市が現れた。熱気がすごい!
ここは外じゃないのか、さっき触った満月のオブジェが空中に浮かんでいる。星がまたたく夜空に見えるんだけど、天井なのかな? これって。あちらこちらに天幕が張られた中を、変わった服装の人々が行き交い、それに向かって客引きが必死で声をかけている。天幕の合間には、オレンジ色がかった赤いランタンが浮かんでいた。どこかでライブでもしているのか、どどんと、内臓に響くような音色が生ぬるい風に乗って、耳に届く。
「うっ、わぁ~……!! すごい! 予想以上だよ、これ! 行こう、行こう!」
「ま、待ってください、はぐれないように」
「ああ、うん。でも、魔術で探せない?」
「探せますけど! 迷子になる前提で話さないでくださいよ。何かあったら俺がアディントンさんに、」
「えっ、先輩? なんでここで先輩の話が出てくるの?」
「ほ、ほら、心配性じゃないですか……。行きましょう。くれぐれもはぐれないように」
「はぁーい。子どもじゃないんだけどなぁ、私」
「子どもですよ、中身が」
私の背中に手を添えながら、溜め息を吐いた。別にはぐれたりしないんだけどなぁ。とりあえず、目の前にあった天幕へ行ってみると、色とりどりのガラス雑貨や器、アクセサリーが木の台に並べられていた。きょ、興味はあるけど、先輩へのプレゼントを探しに来たから……。
アンドリュー君と顔を見合わせ、次へ行く。獣人専門店があるからか、尻尾をぶんぶんと嬉しそうに振って歩いている犬の獣人や、ハーネスをつけられて、怒り狂っているウサギの女の子がいた。砂の地面に寝転がって、キィキィ鳴いてる。恋人か友達かよく分からないけど、男性が困った顔をして眺めていた。手を出せば、猛然と起き上がって嚙みついてる。
「可愛い~! ああいうふりふりのドレスを着てるウサギの女の子って可愛いよね! 獣人の友達はいないから、行く用事なんて無いんだけど、獣人専用の服が売ってる店に行きたいな~。いつもショーウィンドウを眺めるだけなんだけど、レースやリボンがたっぷりついたドレスが売られていてさ」
「……意外でした。てっきりいるのかと」
「んー、学校に何人かいたんだけどね。でも、同じ獣人で集まってるから声かけづらくて。それに、毛皮目当てで話しかけるのも何だかなぁって。向こうから声をかけてきたら、仲良くなる気満々だったんだけど。失礼でしょ? 獣人だから仲良くなりたいっていうのは」
「まあ、そうですね。フィオナさんらしい」
「褒め言葉!? それって!」
パーカーを掴んでぐいぐい引っ張れば、また呆れたように溜め息を吐く。だ、だって、気になるんだもん。
「なんで、さっきからそこに突っかかってくるんですか……」
「たまーに嫌味? を言うからかな! あ、そうだ、獣人専門店ってどこにある? 教えて!」
「確か奥の方にあったかと」
「あーっ、あの店気になる気になる! 寄って!?」
「は、はい……」
ついつい、服が売られているのを見ると気になってしまう。白い球体のランプが浮かんだ天幕の中に、所狭しとハンガーラックが置いてあって、そこには繊細なレース襟のブラウス、とろんとした光沢のグリーンスカート、誰が着るんですか、これって言いたくなるような、フリンジまみれのワンピースと民族衣装っぽいエプロンがかけてあった。
すごい、ごっちゃになってる! 探せば、いい掘り出し物が見つかりそうな雰囲気なんだけど……!! 私と似たようなことを考えている女性数名が、真剣な顔で、少しはまともな服を手に取っていた。あー、いいなぁ。そのブラウス。花柄のレースが可愛い。
「……何かお探しですか?」
「えっ」
店の奥から店主らしき人が出てきた。白いターバンを巻いて、黒いシャツとズボンを身に着けているイケメン。ほどよく引き締まった筋肉質の体に、金色がかったブラウンの髪、薄めの青い瞳。ちょっと顎にヒゲが生えているところも高ポイント。好き!!
「は、はい。でも、男性へのプレゼントなので、ここには無いかなぁと」
「アクセサリーもありますよ。いかがですか?」
「わーっ、素敵! も、もうこれにしようかな……」
「フィオナさん!? やめましょうよ、顔で選ぶの。デザインで選びましょうよ」
二匹の蛇が巻き付いている金色のブレスレットを手渡され、ぐらんぐらん揺らいでいると、アンドリュー君が手首を掴んできた。センスが悪いけど、推せる。買っちゃおうかなぁ、もう。月夜市だから頭がバカになってるのかもしれない……。
「絶対にそれ、アディントンさんの趣味なんかじゃありませんよ」
「ははっ、今のは冗談です。まさか、素敵だと言って貰えるとは思いませんでした。シンプルなデザインもありますよ、見ますか?」
「ぜ、ぜひ!」
「フィオナさん! 絶対にこの店でいいものは見つからないだろうから……」
店主さんに綺麗な微笑みを向けられ、アンドリュー君が硬直する。あ、そうだった、そうだった。男性が苦手だったんだ、そういえば。男性が店主の店で買うわけにはいかないよね? 選んでいる最中、ずっと近くにいなくちゃいけないわけだし。そ、それにこの店、言ったら悪いけどセンスがいまいちだし……!! イケメンにお金が渡せないのは残念だけど、諦めることにした。蛇のブレスレットを返して、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
「すみません。あの、ちょっとイメージと違うので……」
「まあ、ですよね。この店はどちらかというと女性向けですし」
「あ、で、ですね!」
「叔父から店番を任されているんですよ、今」
「あれ、そうだったんですか!? どうりでセンスが悪、うぐっ」
「フィオナさん……」
センスが悪い商品が並んでると思ったって言いそうになった、危なかったー!! でも、アウトかな? 口元を押さえてもごもごしてると、気分を害した様子もなく、目の前の男性がくすりと笑う。アンニュイな微笑みがよく似合うイケメンだった。
「叔父が帰ってきたら、ここを離れられるので。良かったら、あとで一緒に飲みに行きませんか?」
「えっ!?」
「……行きますよ、フィオナさん」
「えっ、あ、じゃあ、あとで、」
「しばらくの間、恋愛する気無いって言ってましたよね? やめておいた方がいいですよ」
アンドリュー君が私の手首を掴み、天幕から出た。あっ、ああ~、飲みに行くだけならぜんぜん構わないんだけど! れ、連絡先交換して、ちょっとご飯食べに行くぐらい……。でも、本当はやめておいた方がいいって理解してる。余裕たっぷりの笑顔で誘ってくる男なんて、誠実さの欠片もないクズだって分かってるし(経験済み)、もう同じような失敗を二度と繰り返したくない。天幕から離れても、アンドリュー君は無言で、私の手首を掴みながら、まっすぐ前を向いて歩いていた。
「……ごめん、ありがとう。血迷った」
「ですね。こっちに獣人専門店があるので行きましょうか」
「はーい……。かっこよかったなぁ、今の人! かっこよかったなああぁ!!」
「モテるんですね。分かってましたけど」
「えっ? あんなのモテる内に入んないよ。ちょっとおしゃれして、一人で歩いてたら声ぐらい、すぐにかけられるって」
「……俺の知らない世界だ」
「まあ、逆ナンはあんまりないよね! そうだ、先輩って逆ナンされたことあるのかな。本人いわく、私が思ってるほどモテてないみたいなんだけど。あれかなー、怖いからかな? 顔が」
「獣人というだけで、避ける女性もいますしね」
「確かにー! 獣人だけは絶対に嫌だって言ってる子、いたなぁ。逆に獣人としか付き合いたくないって子もいたけど」
他愛もない話をしながら、色々と見て回る。どう見ても、宝石で出来た樹木や花にしか見えない植物鉱石が売られている店や、生きている時のように動く動物の剥製、ちょっとした話し相手になってくれる魔術仕掛けの絵画を売っている店があった。“王妃様付きの侍女頭”という題名がついた絵画に向かって、手を振ってみれば、厳めしそうなマダムが品良く微笑み、手を振り返してくれた。
それから、テディベアがせっせとキャラメルポップコーンを作って売っているお店に、小さな人形が暮らしているドールハウス────とんでもなく細部までこだわり抜かれていて、本物の家を小さくしたようにしか見えなかった────と、かぶれば動物になれる帽子に、傘を開けば、キャンディが振ってくる子ども向けのおもちゃ。
マンタや小魚が泳いでいるのを鑑賞出来る海のタペストリーに、人間の足が生えて、勝手に移動する椅子、春になると花が咲くカーペット、食べ物が腐らない食器と、白い煙で出来たパーテーション、昔の政治家や舞台女優と喋れる電話に、履いて歩くと、地面に猫の肉球が浮かび上がるブーツ。どの天幕も、珍しい魔術仕掛けの商品をびっくりするほどいっぱい並べていた。あふれ返る品物と、それを手に取って楽しんでいる人々を見るだけで、そわそわしてしまう。通り過ぎるのがもったいない!!
「ああああああーっ、寄りたい、寄りたい! 寄りたい店がありすぎるんだけど!?」
「あ、あとで見て回りましょうよ……。ここです、獣人向けの店は。この店から向こうまでずっと、獣人向けの店なんです」
「へー、いっぱいあるねえ! 獣人が多い」
ここまで獣人がいる場所、初めて見たかも。他のエリアとは違って、少しだけ照明が落とされていた。目に優しいベージュ色のランタンが宙に浮かんでいる。どの天幕も、“獣人専門店”と書いてある看板が置いてあって、かなり大きめ。照明のおかげか、ここら一帯だけ落ち着いた雰囲気。
アンドリュー君おすすめの店に入ってみることにして、黄ばんだ布の下をくぐり抜ける。不思議~、さっきまでの店とはぜんぜん違う。地面に商品が広げられていない。入ってみたら、眩いシャンパン色の光が降り注いできた。天幕の中にシャンデリアが浮かんでる。すごい! 綺麗……。魔術仕掛けだって分かってるんだけど、あんぐりと口を開けて見入ってしまう。
「いらっしゃい」
「あ、こ、こんばんは……」
「こんばんは」
イケメン!! ひょっとしてアンドリュー君、イケメンの店主さんだから連れてきてくれたとか!? 奥にあるカウンターの向こうに座っていた店主さんがにっこりと、黒い瞳を細めて笑う。艶やかな黒髪の上には、黒い立ち耳が生えていた。き、きつね? それとも、ネコ科の猛獣かな? 分かんない。
象牙色の素肌の上には、金の鎖のネックレスが飾られている。服の代わりに、ベージュ色の布をまとっていた。えっ、かっこいい。古代人みたいな服装が似合うイケメンなんて早々いないんですけど……。うっとり見惚れていたら、アンドリュー君が「ほら」と言って、背中に手を添えてくる。
「だめですよ。ぽーっと見てないで、選ばないと!」
「あっ、ほ、本当だ。店内見ないとね! 品物、品物を……」
危ない、危ない。ちゃんと見なくちゃ! 目をつぶりながら「もーっ、アンドリュー君がイケメンの店主さんがいる店に連れてくるからでしょ?」って、小声でぼそぼそ言ってみると、静かに溜め息を吐かれた。ご、ごめん。真剣に探すから……。
造りがしっかりしている棚には香水瓶と、ハンドメイドらしきアクセサリーが並べられていた。あ、腕時計もある。壁際にはおしゃれな黒い時計が浮かび、足元には猫の爪とぎと、噴水っぽいものが置いてあった。へー、分かんない。分かんないアイテムがけっこうあるなぁ。
「……ここは人間向けの商品も取り扱ってる店なんです」
「そうなの? 獣人専門店って言うから、てっきり獣人向けの商品しか扱ってないのかと」
「獣人専門店っていうのは、厳密に言うと、獣人が経営者で、なおかつ獣人フレンドリーの店なんです。中には入店を拒絶する店もありますから」
「あー、なるほどね。そういう……。獣人差別には詳しくないんだけど、そういうこと? 嫌ってことだよね!?」
「はい。商品に毛がつくのを嫌がる店もありますから。それとアレルギー持ちのお客さんに配慮してって言ってますけど、そんなのは建前でしょうね。根底には差別意識が潜んでいる」
「知らなかった……。先輩も嫌な目に遭ったことあるのかなぁ」
「……あるにはあるんでしょうけど、そういった経験を話すような人じゃないですね」
「確かに」
こうして考えてみると、私って先輩のこと、何も知らないなぁ。好きな食べ物と好きな色ぐらい? でも、面倒臭そうな表情で「黒」って言ってたから、別に好きじゃないのかも。ふと、脳裏にあの夜の先輩の姿が浮かんだ。切り替えていかないと。
「さっ! 早く選んでご飯食べに行こっか。お腹空いた~」
「ですね。あと獣人は耳が良いので、イケメンとか何とか、言わない方がいいですよ……」
「えっ!? 早く言ってよ!!」




