11.拷問タイムの始まりだったら、どうしよう……。
多分、今まで見たことがないくらい先輩が怒ってる。目の前の床には、解凍されたての男が震えながら座っていた。気温はそこそこ高いんだけど、さすがに凍っていたら冷えるのか、それともガチギレの先輩が怖いのか、歯を鳴らしていた。もちろん、後ろに回された手には手錠がかけられている。少し落ち着いたはずの先輩がふーっと、香味タバコの煙を吐き出した。近くの床にはライトが転がっていて、辺りを照らしている。
「いやー、良かった良かった。さっきのクソガキどもからこれを奪っておいて。一服したら、少しは落ち着くよな……」
本当に!? 先輩、本当にですか!? って言いたかったんだけど、言えなかった。怖い。ひりつくような殺気が辺りを支配している。肌が粟立ってゆく。怖い。別に私が怒られてるわけじゃないのに、冷や汗が浮かんできた。
やっぱりこの男、先輩が怖くて震えてるだけかもしれない。というか、あとで煙を顏に吹きかけて欲しいんだけど、どうしようかな? どのタイミングでお願いしようかな……。私が真剣に頭を悩ませていると、先輩が深く息を吐き出した。
「で? 動機は? あと、他にも絶対被害者がいるだろ。今までやったことを簡潔に話せ。余計なことを言ったら、口を引き裂く」
「……動機ねえ」
「おー、そうかそうか。まあ、素直に話さないって言うのなら、骨を何本か折ってもいいってことだよな? その方が俺としても助かるけど」
「仕事のストレスで」
「へー、ストレス。ストレスか……」
淡々とした物言いなのに、怒りが凝縮されてる。怖い、やばい。でも、嬉しい……!! 喜んじゃいけないんだけども! でも、私のために怒ってくれてる感じがあっていい。だめだ、にやけちゃう。怒ってる時の先輩、怖いんだけど、かっこいいんだよね。
出来れば、先輩には穏やかな日々を過ごして欲しいんだけど、怒ってる姿や、慌ててる姿を見たいなって思っちゃう。嗚呼、この面食い心よ……。すみません、先輩。ありがとうございます、良いものが見れました。私が手を組んで、祈りを捧げていたら、先輩がタバコを床へ落とした。甘いマスカットの香りを漂わせているタバコを、忌々しげに踏みつける。
「そうか、ストレスか。俺も今、ちょうどストレスが溜まってるんだよ。仕事のことでな!」
「っう……」
「せ、先輩、ほ、ほどほどに……ほっ、ほどほどに!」
ブチギレた先輩が男の胸ぐらを掴み、立ち上がらせた。先輩の腕と背中が震えている。尻尾はぱったんぱったんと、興奮したように揺れていた。必死で怒りを抑えてるんだ、先輩。でも、殺しちゃわない!? 大丈夫!? 私がおろおろしていると、先輩が男に顔を近付けた。
「……お前はストレスが溜まると、見知らぬ女性を襲って背中を切りつけるのか。なら、俺もストレス解消のために、お前の背中を切ってもいいんだよな? そういうことだよな?」
「あの、それはちょっと! 怪我は治して貰ったし、もう大丈夫なんで……」
「大丈夫じゃないだろ。フィオナ、見たくなかったら目と耳を塞いでくれ。頼む」
「は、はい……」
これはだめだ、絶対に止まらない。でも、暗い廃ビルの中で目と耳を塞ぐのは怖いし、背中だけ向けて、やんわりと耳元を押さえる。ま、まるっきり見ないようにするのも怖いし、かといって、人が切られるところも見たくないし……。
私が背中を向けたのを確認してから、もう一度、男の胸ぐらを掴み直す。じゃりっと、靴底が床を擦ったような音が聞こえてきた。ありありと想像出来る。怖い、早く終わらないかなぁ。心臓がばくばくしてる。先輩がびっくりするほど冷たくて、静かな声でささやいた。
「でも、まずは一発殴らせてくれ。フェアじゃないだろ?」
「あ、あんた、警察なのに、こんなことしていいのかよ……!! チクってやるぞ!?」
「はあ。じゃあ、生きるか死ぬか選べ。選ばせてやるから」
「せ、先輩、落ち着いてください……!!」
「口封じに殺してください、って言ってるようなもんだよな? つまり」
「っいわ、言わない……」
「ならよし。一発殴って、お前の背中を切るだけだ。なぁに、すぐ終わる。耐えろよ? あと、フィオナが怯えるから悲鳴を上げるな。悲鳴を上げたら殺すから、そのつもりでいろ」
「は、い……。分かりました」
せ、先輩が、さっきの男と似たようなこと言ってる……。先輩、もうやめてくださいって言おうと思ったけど、言えなかった。怖くて。そ、それに、ちょっとぐらい、やり返して欲しいし……!! 背中の傷がズキズキと痛み出した。完璧に治したら、自然治癒力が下がるということで、かすり傷だけ残してある。なのに痛い。もう大した傷じゃないのに。
「……良かったなぁ、フィオナが目の前にいて。いなかったら、殺していたところだ」
「っぐ!?」
先輩が思いっきり、男を殴り飛ばした。床に倒れ込む音が聞こえてくる。こ、怖い、怖い……。で、でも、まあ、私もさっき怖い目に遭ったんだし、それぐらい耐えて欲しい。震えながら、耳から手を外す。聞きたくないんだけど、聞きたい。聞こえないのが怖い。先輩がずるずると、男を引きずっているような音が響いてきた。あれ、離れてる? 私に気を使ってくれてるんだ。もう一度耳を塞いでみたけど、皮膚が切れるような音と、男のくぐもった悲鳴が聞こえてきた。こっわ!!
「終わったぞ、フィオナ。悪かったな」
「い、いえ……」
「で? どうする。俺はまだまだ気が収まらないんだよ。でも、チクるんだって?」
「言わ、ない……。誰にも」
「信用出来ねぇなぁ。人の大事なバディを襲っておいて、開き直り、挙句の果てにはチクるぞって脅しをかけてくるやつの言葉を一体、誰が信用すると思う? なぁ。宣誓して貰うしかないか」
「えっ? ちょっ、一方的な、強引な魔術宣誓って違法ですよね……!?」
「悪いな、フィオナ。でも、大丈夫だ。これぐらいなら、みんなしてるから」
「みんなって、防止課にいる人達のことですよね!? そ、そこまでしなくても」
「俺の立場が悪くなるから嫌だ」
すっ、清々しいほど自己保身に走ってる……!! やだ、そんな先輩も素敵。今、私が弱ってるんだし、違法行為を目撃しちゃったわけだし、あとで頼み込んだら腹筋を直に触らせてくれるかも。あ、何なら写真も……。
「ああああーっ!! 私、なんでカメラを持ってきてないんだろう!? 今日! あっ、あうぅ~、人生最大の失敗です! うっ、うう」
「……いつも楽しそうだよな、フィオナは。まあ、良かった。これで気兼ねなく殴れる」
「先輩!? 殴りすぎると、死んじゃうからだめですよ……」
放っておいたら、死ぬまで殴り続けるような気がしたから、慌てて止めに行く。先輩が怯える男の胸ぐらを掴みながら、機嫌良さそうに笑っていた。でも、目が笑ってない。銀色の尻尾がゆらゆらと、不穏な動き方をしている。
「大丈夫だって。加減はするし、治すから。いやぁ、本当に良かったよ。昔、必死で治癒魔術を習得しておいて。ここまで便利な魔術はそうそう無い。なぁ、お前もそう思うだろ? 良かったな」
「っぐ、とんだ警察官だな……」
「いやいや、警察官じゃねぇって。よく誤解されがちだけどな? 俺達は魔術犯罪防止課の職員であって、取り調べとか、捜査には基本的に関わってないんだよ」
「うあっ!?」
「わっ……」
穏やかに笑っていたのに、いきなり男の肩を掴んで、お腹に膝を叩き込んだ。床に崩れ落ち、えづき出す。うわっ、うわ、うわぁあ~……。こっちまで気持ち悪くなってきた、吐きそう。酸っぱい胃液が、喉の奥からせりあがってくる。私が口元を押さえていると、先輩が新しい香味タバコとライターを取り出して、火を点けた。ついでに、突っ伏した男の頭に足を乗せる。また、爽やかで甘いマスカットの香りが漂った。
「あ~……このまま、好きなだけボコってからにするか。宣誓は。で? あとは他に何をした? フィオナに。こいつは我慢強いし、優しい性格だから言わないんだよなぁ。まあ、吐かせるけど」
(ばれてる、黙ってるの……)
「くそ、こんなことなら、大人しく手を出さなきゃ良かったよ……。彼女だって聞いた時点で」
「おぶっ、びぇあっ、ぶぉわふぁーっ!?」
「フィオナ!? どっから出したんだ、今の声」
かっ、かのかのかのっ、彼女だって嘘吐いたこと、先輩には知られたくなかったのに!! もうっ! こんなことなら、早く殺して埋めて貰ってたら良かったかも!? 私が死ぬほど慌てて、妙なダンスを披露していたら、先輩がぷっと吹き出した。いや、もう、先輩にはあとで「彼女だって言ったら、諦めてくれるかと思ってぇー」って言えばいいだけの話なんだけど、強烈に恥ずかしい! あぉう、おうおう……!!
「そうなんだよ。可愛い彼女だろ? だから、本音を言うと殺したいんだが」
「ぶぁぼっ……」
「でもなぁ、フィオナのトラウマになったら嫌だしなぁ。感謝しろよ」
「うぐ!?」
「お前は地面でも舐めとけ。さて、どうするか……」
えっ、これから拷問タイムの始まり!? どうするかって不穏すぎない? というか、可愛い彼女って、可愛い彼女って……。まあ、嬲るための口実なんだろうけど! だって、猛獣系の獣人の彼女に手を出した男って、大抵殺されてるよね。よく血なまぐさいニュース記事が新聞に載ってる。
だめだ、情報量が多すぎて頭が混乱しちゃってる。私はどうしたらいいの? 止めるか、騒ぐか、ときめくか、ある程度先輩を止めずに放置しておくのか……。目を回していれば、ふと先輩がこっちを見て、苦笑した。
「悪いな、フィオナ。疲れただろ?」
「は、はい……」
「こいつに、あとは何をされた? 手間が省けるから、今、全部教えて貰えると助かるんだが」
「……」
あれ? これ、私も脅されてない? 言わないと、この男を目の前で殴って蹴って、拷問するぞって脅されてない!? 硬直していたら、苛立った様子で「そもそもの話、お前が余計なことをしなきゃ良かったんだよ!」と言いながら、何度もしつこく、がっ、がっと、男の頭を蹴り飛ばした。い、息してる!? 犯人!
「まっ、待ってください、待ってください! 分かりました、言いますから!」
「……ああ、大丈夫だ。フィオナが言わないから、こいつを踏み潰していたわけじゃなくて、ストレス解消のために、踏み潰していただけだから」
「何も大丈夫じゃないやつですよね!? それって! え、えーっと、髪、髪の毛引っ張られて、あとは悲鳴を上げるなって。さ、柵、手すりに押し付けられて。それと、最初は多分、私の首を絞めようとしていたんじゃないかな? そんな感じがしました。あとは首を軽く切られて。そ、それだけです……」
血が止まった首の傷を撫でながら言えば、先輩がすぅっと、銀色に光る瞳を細めた。あ、やばい。素直に言うんじゃなかった……。犯人、ごめん。男の頭に乗せていた足を、ゆっくりと上げる。や、やばいやばい、ごめんね、犯人。
「……そうか。生かしておく理由なんて無いか」
「先輩!? やっ、やめましょうよ、さすがに人殺しはちょっと!」
「他は? 何をされた?」
「そ、それ以外無いです……。あっ、でも、後ろから羽交い絞めにされました」
「後ろから羽交い絞めにか。へえ」
ひゅっと息が止まった。あ、やばい。今までで一番怒ってる……。意識が戻ったのか、それとも怯えて黙っていただけなのか、とにかくも男が「すみませんでした、許してください」と震える声で謝り出した。息が止まる。指一本、動かせない。先輩の殺気がすさまじくて。吸っていたタバコを床に落として、踏みにじった。静かでゆったりとした動きなのに、とてつもなく怖い。
「……俺は許そうと思っていたんだよ。ある程度、ボコったら。お前を」
「せ、先輩、気を、確かに……」
「でも、まあ、早く帰りたいし? これ以上、可愛いフィオナに怖がられたくないしな。よし、こうしよう」
「なっ、な、何を言って……」
先輩が怯える男を無理やり立たせ、黒髪頭を掴んだ。どうしよう、止められない。もう見ていることしか出来ない。銀色の瞳は完全にトラになっていて、らんらんと光り輝いている。頬には数本のヒゲが生えていて、歯が少しだけ尖っていた。まるで、本物のトラのように。
「今すぐ、フィオナに謝れ!! 床に這いつくばって!」
「ぎゃあああっ!?」
思いっきり髪の毛を引っ張りながら、床に叩きつけた。い、生きてる!? 犯人! 死んじゃった? 怖い……。先輩が静かになった男の黒髪を掴み、引っこ抜いた。また強烈な悲鳴が上がる。あ、気が遠くなってきたかも、ちょっと……。無表情の先輩がぽいっと、何かを床に放り投げた。見てみると、それは頭皮つきの黒髪だった。ざっと血の気が引いて、視界が揺れる。気持ち悪い。もう、さすがに無理。
「フィオナ!? っと、大丈夫か? やっぱりだめだったか」
「すみません、先輩。血、血、鉄分不足だから、貧血になっちゃってるんで……」
「悪い。……お前の体調を優先すべきだったのに」
苦しさと悲しみを滲ませた声で呟く。あー、悩ませちゃってる。言わないと、早く。怖くて気分が悪くなったんじゃなくて、緊張しっぱなしだったし、幽霊が出るかもって怖がって逃げて、虫が出て、それからあの男に捕まって……。上手く言えなかった。私のことを抱えながら、先輩がおでこに手を当ててきた。熱い。そうだ、獣人って体温が高いんだっけ? 何度あるんだろう、平熱。
「フィオナ。ごめんな」
「いえ、大丈夫です……。私は、私は平気なので、どうぞ続きを」
「いや、ここで続けるほどバカじゃない。命拾いしたな、こいつも。って、ああ、気絶してるか。悪いが、ちょっと待っていてくれ。人形に変えてくるから」
「はい……」
「汚れてるソファーしかないな。でも、無いよりはましか」
「虫、虫は……?」
「確認したから大丈夫だ。まあ、気になるだろうから、虫よけの魔術を張っておく。いいな? それで」
「はい……」
先輩がぼろぼろのソファーへ、私をゆっくりと優しくおろしてくれた。さっきとは大違い。でも、怖かったかも。先輩のことが。獣人は一度キレたら手に負えないって、特に猛獣系の獣人はそうで、つき合っていた女性を殺したり、ライバルを殺したり、そういうのがあるって分かってたはずなのに怖い。
手を伸ばして、腕時計に触れる。先輩がくれた、艶やかな本革の美しい時計。文字盤に、砂漠の夜を閉じ込めたかのような……。額に汗が浮かんでいる。呼吸するたびに、頭が揺れる。血が染み込んだシャツも気持ち悪くて嫌だ。
(先輩は真面目で優しくて、こういうことが許せない性格だから。別に、誰かを手あたり次第、襲うわけじゃないんだし)
疲れちゃったなぁ、今日は。色んなことがあった。目を開けて、オフィスの天井を眺めたり、作業音に耳を澄ませたりしていると、先輩が覗き込んできた。心配そうな表情を浮かべている。整った顔立ちに、暗闇の中でもはっきりと分かる、まつげの長さ。綺麗なアーモンド形を描いた瞳にはもう、殺意は宿っていなくて、静かに煌めいていた。青灰色の海。何となくそう思った。
「……フィオナ? 大丈夫か? 立ち上がれるか?」
「はい……」
「背負ってやろうか? 歩けないだろ」
「いえ、さすがにちょっと」
「聞いたら断わられるよな、そりゃ。ほら」
「えっ?」
「背負っていくから。心配で心配で仕方ない」
「あ、じゃあ、おね、お願いします……」
前にもこんなことがあったような気がする。酔っていて、あまり覚えてないんだけど。先輩の広い背中に抱きついたら、少しは気持ち悪さが和らいでいった。床にしゃがみ込んだ先輩が戸惑い、話しかけてくる。
「フィオナ? 抱きついてないで、こう、手を俺の首に回してくれ」
「す、すみません、つい。じゃあ、よろしくお願いします……」
「ん」
「なんだか私、迷惑をかけてばっかりですね? すみません」
「迷惑だと思ったことは一度も無い」
「あれ? でも、知り合ったばかりの時はよく言ってたじゃないですか。迷惑だって」
「あれは……職員じゃなかったし。それに、やって当然のことを有難がられて、命の恩人だのなんだの言われたら、背中がむず痒くなるだろ」
「じゃあ、照れ隠しだったんですか? あれ。ねえねえ、先輩?」
「っふ、まあ、軽口を叩ける余裕があるなら良かった……」
先輩がしみじみと呟いた。今まで何度かこういった問題を起こしてるみたいだし、自分に嫌気が差したのかもしれない。落ち込んでいるように見えた。夜目が効くのか、ライトを持っていないのに、平然と暗い階段を降りている。
「……見えるんですか? 真っ暗なのに?」
「ある程度は。ライトあった方が便利だから、使ってただけで」
「えっ、すみません。降りましょうか!? 私!」
「そういう意味じゃなくて。あったら、フィオナが助かるだろ? だから」
「……私のためだったんですか。ライトって」
「んー。もう色々気にせず寝とけ。怖がらせて悪かった。今後は気を付けるから」
「はい」
ぎゅっと、改めてしがみついたら、先輩が足を止めた。でも、ほんの一瞬だけで、すぐにまた階段を降り始める。怖かったなぁ、さっきの先輩。でも、なけなしの恋心? 淡い恋心? 芽生え始めた感情が消滅してくれて、助かった~……!!
(うん。やっぱりこの距離感がちょうどいいかも? な、何か、喧嘩した時に、付き合って揉めた時に、怒鳴られたら怖いし。制御出来ないみたいだし)
これからも、先輩の隣できゃあきゃあとはしゃごう。一瞬だけ、ちょっとだけ、ほんっとーにちょっとだけ、好きかも? って思っちゃったけど、冷静になれた。あー、良かった!




