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魔術犯罪防止課のトラ男と面食い後輩ちゃんの推しごと  作者: 桐城シロウ
二章 先輩と距離を縮めたくないのに、どうしたって縮まっていくんですけど!
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3.フィオナの圧勝

 


 うっとりするほどの艶を放った、チョコレートが途切れることなく流れている。あー、美味しそう。チョコレートファウンテンなんて、見るの久しぶり! 近くには一口サイズにカットされたオレンジ、キウイ、パイナップル、マンゴーが別々に盛られていた。豪華~。綺麗な模様のガラスボウルに入っているから、フルーツの瑞々しさが際立っている。ガラスボウルが窓からの陽射しを受けて、きらきらと光り輝いていた。


 それから、プチシューにパウンドケーキ、ほんのりピンク色に染まったマシュマロに、ミント色のマシュマロ、ざくっとしてそうなバケットにラスク、飴色の焼き色がついたタルトタタンに、クロワッサンとワッフル、バームクーヘンとふわふわの丸いホットケーキ、乙女心をくすぐる、パステルカラー調のマカロン……。スティック状のクラッカーと、厚切りポテトチップスまで並んでいた。つい、隣に立った先輩の腕をばしばしと叩いてしまう。


「どっ、ど、どうしよう!? 先輩、どうしましょう!? もっ、もう目移りしすぎて、どれが何なのか……!!」

「落ち着け。ほら、変わった装置もあるぞ」

「変わった装置? 本当だ」


 先輩に言われて覗き込んでみれば、大理石のカウンター上に、オーブントースターとよく似た機械が置いてあった。何だろう? これ。説明書きがあって、そこには“バナナとりんごを食べたいお客様へ”と書いてある。中には仕切りがあって、そこにバナナとりんごが丸ごと並んでいた。おそるおそる、バナナの下にあったボタンを押してみると、先輩が苦笑しながら「躊躇しねぇなぁ」と言った。


「だ、だって気になるじゃないですか! バナナボタン!」

「いや、そうだけど……。あ、動いた。へー、そういう仕組みになってるのか」

「す、すごい! 中で剝いてくれてる!」


 赤く光った庫内で、ウィーンと白い手袋をはめた手のような、アーム? が出てきて、器用にバナナの皮を剥いてくれた。えー、どうなってるんだろう? これ。魔術仕掛けかな? 見守っていると、次は手をナイフ代わりにして、さくさくと切り出した。面白い! しかも、ピックに突き刺しやすそうな分厚さになってる。


「面白いですねえ、これ! あっ、チーンって鳴った。もう取ってもいいんですかね?」

「だな。俺も食いたい、貰っても?」

「はい、もちろん! バナナ一本分ですし、分けっこして食べましょうか」


 先輩が優雅な所作で、ふちが波打っている白磁のデザート皿を持ち上げた。あっ、ああ、綺麗! 動画が撮りたい、動画が。ぷるぷる打ち震えていると、先輩が扉を開け、近くにあったフォークを手に持ち、ひょいひょいっとバナナをお皿へ移した。五個ほどバナナが並んだお皿を、私へ手渡す。


「ほい。適当に盛ったけど、何個だ? まだいるか?」

「い、いえ、これぐらいの量でちょうどいいです……」

「だと思った。他にも食べたいもん、いっぱいあるもんな」


 そう言いながら、自分の分のバナナもお皿へと移す。えーっと、滲み出る先輩のデート慣れ感! それとも、まめな性格だから? 元バディのルカさんにもこうする? ……しそう、なんか。私がまじまじと、丁寧に並べられたバナナを見ていると、先輩が「さて」と言った。


「ほら、変色するし、時間もねぇし、チョコフォンデュしたらどうだ?」

「あーっ、そうだった、そうだった! ク、クロワッサンは外せない! あっ、でも、マシュマロとラスクも……!! どうしましょう!? 先輩! 私、これからクレープとパンケーキを食べる予定なのに」

「とりあえず、腹に余裕があったらまた、チョコフォンデュしに来ればいいだろ?」

「あ、ああ、そうなんですけど……。しまった、バナナ五個も必要だったかなぁ」

「俺が食ってやろうか? バナナ」

「すっ、すみません! お願いします! 三個だけ、三個だけ残しておいてください……!!」

「分かった、三個な」


 思いっきり、甘えちゃってて恥ずかしい……。しかも高級ホテルで! 人からの視線が気になったけど、だってだって、私をクレープとパンケーキとアイスと、シューブレストとレアチーズケーキと、カタラーナとガトーショコラが待ってるんだもん!! どれも外せない、美味しそう。もうこうなったら、恥をかなぐり捨てて選ぶしかない。艶やかに流れ落ちるチョコーレートの滝を、きっと睨みつける。


「先輩! 私、もう、こうなったら高そうなマンゴーと、食べたいパイナップルとキウイ、クロワッサンと、マシュマロとプチホットケーキとマカロンだけにしておきます!!」

「けっこう食うなぁ。ほら、とりあえずバナナをチョコにつけたらどうだ?」

「でっ、ですね! もうすぐ人が来そうだし……」

「これ、ピック。使え」

「あっ、ありがとうございます! 先輩のぬくもりがほんのり宿ったピックなんて、」

「いいから、早くしろって。まったく。どこにいてもフィオナはフィオナだなぁ」

「うっ、すみません、かっこいい、美味しそう、かっこいい……!!」


 何に集中したらいいのかよく分からなくて、混乱しちゃう~! もう私ったら、こんなに幸せでいいのかなぁ。くるくるとバナナをチョコに浸して、先輩に見せてみる。


「ほっ、ほら! 美味しそうですよ、すっごく! チョコが艶やかで甘そう! あ、そうだ。先輩はチョコ平気なんですか?」

「分かったから。チョコは平気だぞ、余裕で食える」


 先輩がものすごく嬉しそうに笑った。チョコフォンデュ、好きなんだなぁ。それか、意外とチョコレートファウンテンでテンション上がってたりして? ありうる。とりあえず、バナナを全部チョコバナナにしてから、プチシュー二つと、マンゴーとパイナップル、ホットケーキとマカロン、クロワッサンとマシュマロ、欲に負けてワッフルを追加した。キウイはさすがに諦めた……。


 もうお皿の上に載せれないから。どっちゃりと、お皿の上にチョコまみれの具材が載っていた。気まずい思いでそれらを見下ろしていると、先輩が肩を震わせながら、口元を押さえる。先輩は品良く、バナナとポテトチップス、クラッカーだけにしていた。


「す、すごいな、皿……。そこまで盛るの、フィオナぐらいだろうなぁ」

「だ、だって、さ、さすがに盛りすぎたなとは思って、反省中なんですけど!」

「可愛い。行くか」

「あっ、は、はい!」


 笑いながら、耐えきれないといった様子で褒めてくれた。わ、分かりますよ、言いたいことは……。小さい子みたいだって言いたいんでしょう? 席に戻る最中、通りすがりの人からじろじろ見られて、恥ずかしかった。も、盛りすぎちゃった。でも、どれもこれも美味しそうで外せなかったんだもん……。頬が少しだけ熱くなる。赤面しつつ、黙々とチョコバナナを頬張っていたら、先輩がまた笑った。綺麗なお皿にべったりと、チョコがついているのを見ると、申し訳ない気持ちになる。


「っぶ、く、くく……!!」

「そっ、そこまで笑わなくても! ど、どうですか? クラッカー! 美味しいですか!? ポテトチップスも!」

「ああ、うまいよ。一口いるか? ほら、あーん」

「えっ、ええっ!?」


 で、でも、前にしたし、あれ、したっけ? 半ば混乱しながら口を開けると、先輩が目に涙を滲ませながら、嬉しそうにポテトチップスを口へ突っ込んでくれた。ばりんと、歯の間で砕け散る。お、美味しい! じゃがいもの旨みと塩気、チョコレートの甘さが口に広がる。あれかな? これ、岩塩を使ってるのかも。がつんとした塩気と、甘いチョコの組み合わせがたまらなく美味しい。ぱりぼりと、よく噛んで味わっていたら、先輩がまた母のような顏になる。


「うまいか?」

「あっ、は、はい……。私も次はと言いたいところなんですけど、クレープが私のことを待っているので行ってきます。時間も残り少ないし、食べたいものを食べたいだけ取って、速やかに消化します」

「そうか……。水のお代わり、いるか? 取ってくるけど」

「おっ、お願いします! でも、紅茶が飲みたいんですよね。私。わがままを言ってしまって申し訳ないんですけど、お水じゃなくて、紅茶を淹れてきて貰えませんか……?」

「紅茶だな、分かった。俺はもう特に食べたいものが無いから、何か食べたいものや、取ってきて欲しいものがあれば言ってくれ。何でも取ってくる」

「せ、先輩!! もっ、ものすごく頼りになる! ありがとうございます!! かつてなく、先輩が光り輝いて見えます!」

「おい、フィオナ……」


 渋い顔をする先輩を置いて、クレープを取りに行く。二人並んでいた。あー、早く済むといいけど。わくわくしながら待っていると、すぐに順番がきた。コックさんがにこにこ笑顔で、目の前に並んでいるカスタードクリーム、レモンクリーム、生クリーム、バナナ、パイナップルと苺に、マンゴーといったフルーツ類、コーンフレークと細長いパイ生地、アーモンドスライスとココナッツチップスを指し示して、「どれにしましょう?」と聞いてくれた。


 あっ、ああ! スイーツブッフェは自分の欲望と戦って、打ち勝たなくてはいけない試練の場……。おまけに、バニラアイスやチョコアイスまで並んでる。全種類制覇したくて、涙が出そうになった。


「カ、カスタードクリームとレモンクリーム両方って、載せて貰えますか?」

「大丈夫ですよ、いけます」

「じゃ、じゃあ、その二つとバナナ、マンゴーとパイナップル、」

「かなり量が多くなりますが、大丈夫ですか?」

「だっ、大丈夫です! それとパイ生地、ココナッツチップス、い、いや、アーモンドスライスでお願いします」

「分かりました。仕上げのソースはどうしましょう?」

「仕上げのソース! 仕上げのソースはえーっと、このトロピカルフルーツソースでお願いします」

「了解しました」


 ふー、つらい!! 本当は苺チョコクレープにしたかったんだけど、ついレモンクリームに目がくらんじゃった。反省。で、でも、まあ、また来たらいいし……。お値段がすごく高いから、アンソニーさんを連れてこようかなぁ。甘いもの苦手みたいだけど、先輩がいけるんだし、大丈夫だよね? 最悪、セイボリーだけ食べて貰おう。色々と考えながら、席に戻ると、温かい紅茶とアイスティーが並んでいた。


「おう、フィオナ。って、またすごいクレープを作ってきたな……」

「はっ、はは、ぶくぶく太ったクレープにしちゃいました……。あの、これってどれが私のなんですか? 二つ並んでますけど」

「ああ、どっちか選んでくれ。いらない方は俺が飲むから」

「はいっ!」


 異様なまでに気が利くなぁ、先輩……。少し迷った末に、アイスティーにした。砂糖の甘みをこれで流し込んですっきりさせる! 朝ご飯、食べてこなくて良かった。かろうじて全部入る。私が時間を気にしながら、黙々と食べていると、先輩が物言いたげな表情になった。


「……うまいか? フィオナ。さっきから黙って食ってるけど」

「あっ、はい! 美味しいです! マンゴーが甘くて瑞々しいのと、このレモンクリーム! 強烈なレモンの香りがして、美味しいですよ~。お高めのクレープ! って感じの味わいです。甘酸っぱくて夏らしい。まあ、まだ夏じゃないんですけどね!」

「だな。言ってる間に夏だし、それで並べられているんだろうな」

「ですね~。あ、時間大丈夫ですか? あと何分ですか?」

「あと? 二十三分」

「二十三分! はたして、パンケーキが入るかどうか……」

「やめとけよ……。さっきからかなり食ってるだろ?」

「い、いや、でも、そうだ、分けっこしませんか!? あっ、甘いもの、苦手でしたね……。すみませんでした」


 こんなことならケーキを食べずに、先にクレープとパンケーキを食べておくんだった! 先輩の言う通り、もうやめておいた方がいいかも。はちきれそう。で、でも、あと一口ぐらい、焼きたてのふわふわパンケーキが食べたい! 私がナイフとフォークを手に持ったまま、悔しくて悔しくて、うつむきながら震えていると、引き気味の声で提案してくれた。


「いや……。生クリームをもりもり盛るんじゃなかったら、食べれるぞ? 取ってこようか? 代わりに」

「いっ、いいんですか!? ありがとうございます! じゃあ、チョコソースと苺とバナナと、アーモンドスライスをトッピングして貰ってください!」

「すらすら出てきたなぁ。分かった。チョコソースと? 苺とバナナと、アーモンドスライスだな?」

「あっ、あと、バニラアイストッピングしてる人がいて、羨ましくて死にそうでした……」

「分かった、バニラアイスな? ここのは甘さ控えめだし、俺でも食えるだろ。余った分は全部食べてやるから、先に食べたいだけ取ってくれ。行ってくる」

「あっ、ありがとうございます、ありがとうございます!! この御恩は一生忘れません!」

「大げさな……。まあ、嬉しいのなら良かったけど」


 私が必死でクレープを食べ続けていると、先輩が注文した通りのパンケーキを持って帰ってきた。小皿に私の分をより分け、さらにアイスが溶けたからと言って、小さいグラスにバニラアイスを盛りに行ってくれた。もう気遣いが半端ない。


 私が慌てすぎて、落としたナイフとフォークを拾ってくれるし、新しいものを取りに行ってくれるし、先輩の近くに置いてある、紙ナプキンを黙って差し出してくれるし、飲み物が無くなっていないかどうかを常に気にかけてくれるし、ここまで気が使える人、会うの初めてかも……。念願のふかふかパンケーキを切りながら、話しかける。


「いやぁ、先輩が色々やってくれるおかげで、スイーツ食べるのがはかどります……。本当にありがとうございます!」

「……うん」

「す、すみません! いいようにコキ使っちゃって」

「嫌ならしてないから大丈夫だ。それに、姉貴で慣れてるから」

「お姉さんで」

「……二人で飯を食いに行く時、あれこれ言ってくるんだよ。その点、フィオナはいいな。ちゃんとお礼を言ってくるし、ぜんぜんわがまま言ってこないし」

「はっ、はい!? 言ってる方だと思うんですけど!?」


 びっくりしてがちゃんと、ナイフとフォークをお皿に当ててしまった。慌ててナイフとフォークを持ち上げる私を見て、先輩が苦笑する。やっぱり、トラ耳と尻尾が無いと寂しいなぁ。


「いやいや、俺のことを顎で使ったりしないだろ?」

「そ、その一言で、お姉さんがどういう風に頼んでるのか、想像出来ました……」

「ダメ出しもしてこないし、やっぱりやめたとも言わないし、何よりも感謝してくれるしな」

「せ、先輩ーっ! どれだけ不遇な環境にいてって、あれ? 今までの女性はどうだったんですか? 元カノ!」


 テーブルに肘を突いたまま、あからさまに嫌そうな顔をした。そ、そこまで嫌そうな顔をしなくても! 今まで五、六人はべらせてきました的な顔をしておきながら、すっごい繊細な気遣いが出来るから、聞いてみただけなのに……。いつも、私がわくわくしながら恋愛話を聞くと、嫌そうな顔をする。ちぇっ、かなり仲良くなってきたし、教えてくれると思ってたたんだけどなぁ。切り分けたふわふわのパンケーキに、チョコソースがけのバナナを載せる。


「いいです。じゃあ、もう。先輩って本当に恋バナ苦手ですよね! 私が元彼の話をした時も、嫌そうな顏するし」

「んー、まぁな。今後はあまりしないで貰えると、」

「なっ、何分ですか!? 今! やばい、私、ちんたら食べすぎですかね!?」

「ちんたら……。残り十四分」

「はいっ! 急ぎまぁす!!」


 先輩がテーブルの上に置いてある、食事中と記されたカードをひっくり返して、残り時間を確認してくれた。白くて上質な紙に、残り時間が表示されていて焦る。お客さんが時間を気にしすぎないようにと、配慮した結果、裏面に残り時間が表示されているらしいんだけど、本音を言えばもう、表にばっちり表示して欲しい。そんな気遣い、いらない……。


 ゆっくり味わう暇が無かったけど、美味しかった。ふわっふわの焼きたてパンケーキに、ほろ苦いチョコソースが染み込んでいて美味しい。甘酸っぱい苺とバナナ、バニラビーンズが香るバニラアイスに、ぱりぱり食感のアーモンドスライス。全部一緒に噛み締めれば、口いっぱいに幸せが広がってゆく。


「ふわぁ~……美味しい! プロが作るパンケーキは違いますね、やっぱり。前に一度、家で作ったことあるけど、こんな風にはいかなかった~。美味しい!」

「良かった、良かった。幸せそうな顏して食うなぁ、フィオナは。やっとそれらしくなったか」

「やっと?」

「いや、何でもない。残り時間、あと十二分」

「わっ、わわ、早く食べないと! 教えてくれてありがとうございます!」


 慌てて食べていたら、楽しそうに笑っていた。先輩、笑う回数が増えたような気がする。私がひたすら血眼でケーキ食べてるだけの時間だったけど、楽しかったみたいで何より……。未練がましく、制覇出来なかったケーキの数々を振り返りながら、レストランをあとにした。青い花と赤い実が描かれた絨毯敷きの廊下を歩きつつ、胃の辺りを擦る。


「ぐぇっぷ! 食べた、食べた~!」

「……おい。なんか、思ってたのと違ったなぁ」

「あれ? やっぱり、甘いもの好きじゃない先輩は楽しめませんでした? それにしても、お姉さんも酷いですね。食べれないのに、優待券押し付けてくるなんて」


 先輩がこれみよがしに溜め息を吐きながら、エレベーターの開けるボタンを押す。ラッキーなことに誰も乗っていなかった。いそいそと乗って、バッグからカメラを取り出し、最上階からの眺めを撮っておく。先輩が物言いたげに、私の背後に立っていた。窓ガラスに、むすっとした表情の先輩が映り込んでいる。可愛い~。空はよく晴れていて、ビルの向こうまで見渡せた。ほんのわずかに青い海が見える。


「……そうだ、忘れてた」

「何をですか?」

「ステラから頼まれてることがあって」

「ステラちゃんから? 珍しいですね、仲が悪いのに」


 ひゅーんと、猛スピードで落ちてゆく。あっという間に景色が撮れなくなった。残念、残念。でも、いっか。二、三枚ほど撮れたんだし。私がカメラをバッグへしまったのと同時に、先輩が魔術手帳を見せつけてきた。普段は連絡先が書いてあるページに、私の顏が映し出されている。


「あれっ!? これってカメラ機能もあるやつじゃないですか! へーっ! 先輩って最新機種持ってたんですね? カバーしてると分かんな、」

「ステラがイチャイチャ写真撮ってこいってうるさいんだよ。いいか? 一枚だけ撮っても」

「えっ? は、はい」


 条件反射で承諾してしまった。え? イチャイチャ写真……? 硬直していると、先輩が頭の上に顎を乗せてきた。あ、良い匂いがする。じゃなくて!!


「だっ、えっ!? えっ!?」

「……人が乗ってきそうだな。悪い、あとで説明するから」


 ポーンと音が鳴り響いて、八階に止まったあと、レストラン帰りらしきスーツ姿のおじさんや、高そうなツイードスーツを着たおばさん達が乗ってきた。あっという間に人で埋まる。空気が薄くなった。先輩が私をかばうようにして、窓際に移動したからか、距離が近い!! く、口紅がスーツにつかないようにしないと……。


 片手で口元を覆いながら、息を止める。先輩のグレーネクタイしか見えない。近い。呼吸音とコロンの香り。紅茶と渋いオレンジのような香りがした。耳をすませば、心臓の鼓動まで聞こえてきそう。耳が熱くなる。おもむろに、先輩が身をかがめた。


「……大丈夫か?」

「は、はい! 大丈夫です」

「今日は楽しかったな。また来ような?」

「はぁいっ!」

「返事の仕方……」


 笑みを含んだ呟きが落ちる。あっ、もう無理。心臓が爆発しそう……。さっき食べたものが消化出来なくなるぐらい、頬に血が集中していた。絶対消化活動に支障をきたしてる、先輩の声と香りが。胃腸薬には向かないイケメンだよね、と、半ば気を遠くさせながら考えていれば、やっとロビーに到着した。一気に人が降りていって、楽になる。


「ぷはーっ! ああ、もう、先輩!? あっ、ああいう状況では話しかけないでくださいね!?」

「なんでだ?」

「なっ、なんでってそりゃ、距離が近いし、先輩は良い声をしてるし……」


 だめだ、忘れよう。自分を正気に戻すべく、ぱぁんっと両頬を叩いたあと、速やかにホテルを出る。先輩が呆れたように「おい、転ぶぞ。フィオナー?」って、後ろから話しかけてきた。め、面と向かって距離が近くて、照れ臭いから、ああいう状況では話しかけないでくださいって言えない……。


 落ち込みながら、せかせかと白いタイル張りの道を歩いていたら、どんどん(かかと)が痛くなってきた。はい、自業自得。突然止まった私の横に立って、先輩が訝しげな顔をする。ホテルの看板前でギブアップしてしまった。


「どうした? フィオナ。大丈夫か?」

「……だ、大丈夫です! じゃあ、ここで解散しましょう。今日はありがとうございました!」

「……」

「な、何ですか? その顏」

「靴擦れしたんだな? さては」

「……」


 ご名答。でも、そうだとも言えなくて、押し黙っていると先輩が溜め息を吐いた。め、面倒臭いって思ってる?


「あっちの、待ち合わせ場所にした公園に行くぞ。靴擦れ、治してやるから」

「いっ、いいです、もう。タクシーで帰るので」

「でも、痛いだろ? 放っておくとかさぶたになるし」

「先輩? 当たり前なんですけど、かさぶたになるのは……」

「まあまあ、いいから行こう。治すから」


 説得が雑! 渋る私の背中に手を添えて、歩き出した。歩くたびに踵が擦れて、顏が引きつってしまう。自業自得なんだけど、痛い。黙々と歩いていれば、先輩がふと呟いた。


「迷惑とか一切思わないから頼れ。今度からちゃんと言ってくれ。……これ、言うの何回目だ?」

「すっ、すみません、すみません……!!」

「謝らなくてもいいけど、別に。お前、俺が心配してるとか思わないんだな?」

「えっ? うーん……。心配かけたくないから隠すんですけど」

「隠されたら、余計に心配になるだろ? まあ、いいけど。分かるまでずっと言うから」

「分かるまでずっと」

「うん。何百回か言ってたら伝わるだろ。いずれ隠さなくなるかもしれねぇし」


 何も考えていない表情でさらっと言った。先輩って根気強いというか、諦めないなぁ。嬉しくなって、胸がほこほこした。人に心配されるのって、なんだかむず痒い。私のこと、心配してくれる人なんているんだ……。お兄ちゃん達だけは心配? してくれてたけど。でも、あれは一人しかいない妹を構いたくてしょうがないって感じだったし、ちょっと違うかも。笑いながら歩いていると、すぐ横を自転車が通り過ぎていった。


「そうだ、ちょうどいいか」

「な、何がですか? 嫌な予感しかしないんですけど!?」

「この前虫だらけの空間で、」

「わーっ! 待ってください、思い出しちゃう! 思い出しちゃう!! 気持ち悪かった!」

「……お姫様抱っこして欲しいって言ってただろ? 安心安全な場所で」

「言いましたけど」

「目がこえーな、いつもいつも」

「いっ、いつもじゃないでしょ!? たまにでしょう!? わっ、うわぁっ!?」


 先輩がひょいっと、私のことをお姫様抱っこした。もう、抵抗する気力すら湧かなくて、ちゃっかり肩に手を回しちゃったよ!! どうしよう!? こっ、こういうことしてるから、良い雰囲気になっちゃうわけで……。でも、踵が痛まなくて楽。気を使って、慎重に歩かなくてもいい。しっかりと肩に手を回して、顔を見ないようにした。


「あ、あの、確かに、お姫様抱っこして欲しいとは言いましたけど……!! げ、幻聴だと思ってました。今度するかみたいなこと、言ってませんでした?」

「言った、言った。して欲しいって言うから。靴擦れしてるし、ちょうどいいだろ?」

「んっ、んん~!! それはそうなんですけど! せ、先輩ってちゃっかりしているというかその、平然とこういうことしますね!? 何なんですか!?」

「逆ギレするなよ。っふ、ぶふ」

「わ、笑うようなところでした? 今」

「うん」


 脇腹に回された手が熱い。熱に集中したくなくて、両目をぎゅっと閉じた。死ぬほど緊張して、体を強張らせている間中ずっと、先輩は黙って歩いていた。獣人特有の行動なのかな? これって。程なくしてベンチに辿り着いた。先輩がひざまずいて、ベージュ色のパンプスを脱がし、踵を包み込む。


「いった……!!」

「悪い。直接触らないと、治せないからな?」

「だ、大丈夫です……。ああ、けっこう酷い。それもこれも、先輩がイケボなせいですよ」

「何だそれ。まあ、今度からは履き慣れた靴を履いてこいよ? 明日はスニーカーか何かで、」

「大丈夫ですよ! そもそもの話、パンプスなんてデートの時にしか履いていきませんから、明日は、うわっ、うわっ、おおぅっ!!」

「だから、どこからそんな声が……? 一気に動物園になったな、ここ。いや、水族館か?」


 先輩が呆れた顔で見上げてくる。やっ、やばい! デートって言っちゃったよ!! これ、デートじゃないし……。張り切って、美容院に行ってヘアセットした挙句、気合いを入れてパンプスを履いてきて、靴擦れした女だと思われてしまう! そ、それだけは嫌だ、絶対に避けたい。


「ち、違いますからね!? い、今のは何となく出てきた言葉であって、これがデートだとは思っていませんからね!? デートじゃないし、デートのつもりで来てないので大丈夫です! デートじゃありませんからね、これ絶対に!」

「そこまで、慌てて否定しなくても……」

「わ、私、この服に合う靴を選んで、履いてきただけなんです……。さっきのは言い間違いだったので! すみませんでした! デートじゃないので、これ! デートじゃない!」

「……分かったからもう。落ち着け」


 ああっ、誤魔化せてないよね!? ぜんぜん誤魔化せてないよね!? どうしよう? 誤解されてしまった。内心焦っていると、先輩が黙って立ち上がり、不機嫌そうに背中を向けた。ゆっくりだけど、公園の出入り口に向かって歩き出す。あれ? 不機嫌? この流れで不機嫌になるのって、もしかして……。


(私がデートのつもりで来たから!? あっ、ああ、そうか。先輩にとって私は庇護対象。つまり、異性として意識出来ないということ。それなのに、私がデートのつもりで来て、靴擦れしちゃったから怒ってるとか!?)


 きっとそうだ。いや、絶対にそうだ! 私のデート発言で不機嫌になる理由って、それしか考えられないよね!? は、恥ずかしい。一時期、ちょっとでも先輩に好かれてるかも? と思っていた自分が恥ずかしい……。ざかざかと地面に穴を掘って、入りたくなった。打ちのめされながらベンチに座っていると、気まずそうな顔をした先輩が戻ってくる。


「……どうした? 帰らないのか?」

「あ、ああ、帰ります。あの、すみませんでした。今まで。私、すごく誤解しちゃってたみたいで」

「何をだ? 一体どうした?」

「せっ、先輩は、庇護対象の私を可愛がりたかっただけなのに、なんか誤解しちゃってすみません!! あ、でも、今日はスイーツのことしか頭になかったんですよ? 先輩とデートなんて微塵も思っていなかったし、おしゃれしてきたのは、ホテルの雰囲気に合わせてですからね?」

「……だから、どうした? それが。誤解って?」

「いやぁ、もう、本当に先輩のことを異性として一ミリも意識していないので、安心してください! 絶対に付き合うとか無いんで! そう焦らなくても大丈夫ですよ~」


 きっと先輩は意識されてると思って、不機嫌になったんだ。庇護対象の私を可愛がりたいだけなのに、もしかして好きなの!? って誤解されて、不機嫌になっちゃってる。すみません、先輩。私、死ぬほど鈍かったですよね? でも、これからはちゃんと、先輩を気遣えるような後輩になるので!


「もー、鈍いって呆れられて当然ですよねえ! 大丈夫ですよ。好きじゃないし、異性としてちっとも意識していないので! ほら、先輩には尻尾と耳があるじゃないですか? だから、いまいち異性として意識出来ないんですよね~、ははは」


 嘘、本当は尻尾と耳がギャップ萌えで大好き!! でも、先輩が「フィオナに好かれてるかも」って不安になってるから、嘘を吐いてでも安心させなくちゃ……。大丈夫ですよ、先輩。思う存分、庇護対象の私を可愛がってもいいんですよ!? 誤解しませんからね!? 先輩のほっとした顏が見れるかと思ったのに、見れなかった。衝撃を食らったような表情を浮かべ、呆然と立ち尽くしている。青灰色の瞳が見開いていた。


「……あれっ!? ひょっとして、自分に魅力が無いんだって思っちゃいましたか!? でも、大丈夫ですよ!? 獣人のこともちゃんと異性として、意識出来る人もいますし。私は違うんですけどね~。何も先輩の魅力を否定してるわけじゃなくて、」

「予定があるから帰る。じゃあな」

「えっ? は、はい。じゃあ……」

「ん」


 今度こそ、振り向かずに立ち去ってしまった。なんで、どうして!? 私が呆然とする番だった。よく分からない。その夜、謝罪の長文メッセージを送ったら、過去のトラウマが蘇ったこと、魅力を全否定されたかと思ったことを長々と伝えてくれた。最後に「その通りだから気にすんな。これで安心して、フィオナのことを構えるな」って、送ってくれた。先輩の几帳面で美しい文字を見た瞬間、枕に突っ伏す。


「よっ、良かった~!! 私の考え、合ってた! ほっとした! じゃ、じゃあ、これからはちゃんと否定していかないと。よし、先輩が私のことを可愛がれるように、異性として意識出来ないってがんがんアピールしていくぞ」


 拳を振り上げて、誓う。先輩、大丈夫ですよ! もうデリカシーが無くて、鈍感な私じゃありませんから。これからは最大限、気を使っていこう。脱、鈍い私!








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